( 29 ) 1日休んだだけだというのに、学校は友之にとって別世界のような場所に思えた。 「 北川君、昨日はどうしたの?」 相変わらずの調子で橋本がすぐに友之の傍に寄ってきて訊ねてきたが、友之は曖昧に返事をしただけで視線をずらした。 「 沢海君も休んだのよ、昨日。今日は…いつも通りみたいだけどね」 橋本は友之に探るような目を向けながらそう言い、「みんな、2人で遊びに行ったのじゃないかなんて事も言ってたんだよ」と、こちらは小声で囁いてきた。 「 ………」 友之が翳った表情でそれでも何も言わずにいると、橋本は居心地悪そうな顔をしながら遠方にいる沢海―クラスメイトと談笑している―を見つめ、それから思い切った顔で再び口を開いた。 「 北川君、沢海君に話しかけないの?」 「 ……え?」 あまりにも堂々とした威厳のある橋本の言いように友之が顔をあげると、橋本は真っ直ぐな視線を向けてきて後の言葉を続けた。 「 もし昨日一緒じゃなかったのならさ。昨日休んだのって、どうしたのって訊いてあげれば? 風邪だったのかもしれないし、捻挫がひどくなっていて病院に行っていたのかもしれないし。みんな訊いていたよ。クラスのみんな、沢海君のこと心配してた。当の沢海君は…何かまあ、適当に答えていたみたいだけど」 「 ………」 「 北川君が心配してあげたら、沢海君もきっと喜ぶよ」 「 ………」 「 …余計なお節介だけど」 橋本は依然黙りこくった友之に、ここで初めてじれったいような仕草を見せてからきっぱりと言い放った。 「 いつもいつも北川君は心配される人だったでしょ。たまには、心配してあげるのもいいと思うんだ」 「 ………」 「 本当に…余計な事言っているけど」 いつもは気丈で、クラスの男子にも負けない威勢の良さを誇る橋本だったが、反応の乏しい友之を前に、やはり最後はひどくいたたまれないような顔をしていた。 それでも友之は最後まで橋本に言葉を返すことができなかった。 いつもより光一郎の帰りが遅くてそれがひどく不安だったが、その事には一切触れずに勝手に酒盛りを続ける中原と修司の存在が友之にはありがたかった。 「 修司、今度はお前が買ってこいよ」 「 ヤだよ。エロ正人をトモと2人っきりになんかさせられるわけないだろ」 「 馬鹿ヤロウが…っ! それはこっちの台詞だ!」 狭いテーブルには、元々家にあったものと、中原が途中でコンビニまで買い足しに行った分の缶ビールが所狭しと並んでいた。2人はほとんど友之そっちのけで酒飲みに興じていたのだが、やはり基本的にはウマが合わないのか、互いの気に食わない事を羅列しあっては、辛らつな言葉を交し合っていた。 そうしてそんな無益な舌戦が終結しそうになった間際、中原がぽつりとつぶやいた。 「 ……ったく、何でこんな奴と付き合ってンだよ」 「 誰が」 「 裕子に決まってンだろ」 中原がむっとしたように言うと、修司は相手の心意を組んだような眼をしてから携帯を取り出した。 「 どうせなら呼ぶ? で、あいつに買ってきてもらおうぜ」 「 ……ムカツク奴」 「 まあまあ。あいつすぐ来るぜ。トモが落ち込んでいるって言えば」 修司がそこで初めて傍に座ってテレビを眺めている友之に視線をやると、中原もまた実に不機嫌そうにそちらへ顔を向けた。急に話を振られた友之は、それで自分もぼうっとしていた顔を2人に向けた。 「 トモも腹減っただろ? 裕子お姉さんに来てもらおうぜ。何か作ってもらおうよ、な?」 「 ………別に」 どちらでもいい、と言おうとしたが、言葉は最後まで出なかった。それで中原がイライラしたような口調で友之を叱った。 「 お前な、思った事ははっきり言えってんだよ! そんなぼそぼそ言ってたら聞こえねえだろうが!」 「 怖いなあ、トモ。正人お兄ちゃんはさ」 「 うるせえ! テメエはそうやって甘やかすな!」 「 これ、俺の趣味」 修司はさらりと受け流してから、携帯のボタンを押すと耳に当て、かけた相手の反応を待った。 裕子はすぐに出たようだった。 「 あ、俺」 修司はこれもまたあっさりとした口調で言うと、簡単に今の状況を伝え、今何をしているのかも不明な恋人を当然のように誘った。 「 お前も来るだろ?」 「 偉そうな喋り方だな……」 中原がぼそりと独り言を言ったが、それを聞いていたのは友之だけだった。 「 あ? 何、おいおい、お前どうしたの?」 「 何だ?」 中原が急に様子がおかしくなったような修司に不審の目を向け、問い返す。修司は苦笑しながら何度か裕子に問いかけを繰り返したが、やがて一方的に切られたのだろうか、やや唖然とした顔で用を為さなくなった携帯をじっと見つめた。 「 何だよ、どうしたんだよ」 中原が問うと、修司は友之に視線をやって両肩を軽く上げた。 「 トモ、裕子を怒らせたのか? やるね」 「 あん? 何だよ、どういう意味だよ」 何のことかと再度問う中原に、修司はようやく視線を向けて柔らかく笑んだ。 「 トモに会いたくないから来ないってさ」 「 は?」 「 あいつ、かなりふてくされてた」 「 何でだよ」 「 ……何でだろうね」 修司は自身もじっと何事か考えるような目をしてから再び友之に視線をやった。友之はそれでややびくりと身体を揺らし、それから裕子のことを考えてぐっと唇を噛んで俯いた。 それでだろうか、修司はそれ以上友之に詳しい事を訊いてきたりはしなかった。 「 あ…」 放課後、昇降口で偶々鉢合わせの格好となった沢海と目が合い、友之は思わず声を出していた。 「 ああ、友之」 沢海が平静な声で名前を呼んできたので、友之はややほっとした。 「 帰る…の?」 「 ん? うん」 沢海は無理に言葉を出してきたような友之にやや苦笑したような顔を見せてから頷き、それから靴を履くと実にさっぱりとした口調で言った。 「 じゃあな、友之」 「 あ……」 今日は1日、沢海は友之の傍に寄って来ようとはしなかった。視線を合わそうともしなかった。けれど今はいつもと同じ、友之に向かって向けられる笑顔も同じで、それでも発せられた言葉は「じゃあな」だけだった。 何だか避けられているようだった。 「 拡……っ」 朝の橋本の言葉もあったからだろうか、友之は思わず沢海を呼び止めていた。 「 ……何?」 沢海はそんな友之にワンテンポ返す言葉を遅らせていたが、それでもやはり静かな笑顔で振り返ってきた。ずきんと痛む胸を密かに抑えつけながら、友之は搾り出すような声で言った。 「 昨日…何で休んだの?」 「 ………」 「 ……大丈夫?」 「 何が?」 沢海はここでようやく失笑してやや冷たい物言いをしてきたが、それでもすぐにはっとしたようになって口をつぐんだ。 「 ………」 「 ………」 沈黙が痛い。それでも、ここで先に言葉を出さなければいけないのは自分なのだと友之には分かっていた。 「 ……あれから、ちゃんと言ったから」 「 え……」 「 自分の気持ち、ちゃんと話したから」 「 ………」 「 相手は迷惑だったかもしれないけど、でも言ったから。拡の、お陰だから」 「 そんなの」 沢海はつぶやくようにそう言ってからまた黙りこみ、それからようやくふっと笑んで明るい声を出した。 「 良かったな」 「 ……本当はまだよく分からないけど」 「 うん」 「 でも、これからはもっと…ちゃんと言える、ように…努力、する……」 「 急に頑張り過ぎなくてもいいんだよ、友之」 ここで沢海はようやく落ち着いたような口調になってそう言うと、友之に数歩歩み寄って言った。 「 思っていることって全部うまく言えないよ。そんなのみんなそうだから。友之が特別なんじゃないから。だからゆっくりやっていけばいいんだからさ」 「 ……拡」 「 俺もちゃんと言うよ」 「 え?」 友之が少しだけ首をかしげて沢海を見上げると、相手はふっきったような顔を見せて笑った。 「 昨日何していたかってこと」 沢海は何かを探すように、 間を空けるように天井を眺めやってからふっと息を吐き出した。 「 友之にフラれたことでさ、何か自暴自棄になって。学校も辞めようって思ってたんだ」 「 え……」 「 元々俺、この学校、友之がいるから入っただけだし。他のことなんかどうでも良いし。けどさ」 沢海は実に軽い口調でそんな事を言い放ってから、楽しそうな目を向けて言った。 「 俺、簡単にお前のこと諦められないって知っているんだよ。自分のことだからな。だから、お前が誰を好きだろうと気にしようと、そんなの俺には関係ないから。俺は勝手にずっとお前のこと好きだから。そうしているって決めた」 「 拡…?」 「 友之、嫌じゃないって言っただろ」 沢海は言ってから、しかし友之に接近することはせずに再び踵を返すと先に校舎を出て行った。 友之はしばしぽかんとしたまま、自分の言いたい事だけを言って去っていった級友の後ろ姿をただ眺めやった。 光一郎が帰宅してきたのは、夜も大分更けた頃だった。 「 何だよこの汚さは……」 呆れたように光一郎は言い、部屋中に散乱している缶ビール、それにつまみ類やカップラーメンのゴミを眺めて絶句した。 「 食うもんがなくてよ」 中原はコンビニの袋を指さしてから、手にしている煙草の箱を持って立ち上がった。それから「ちょっと吸いに行ってくる」と言い残してそそくさと玄関の方へと向かって行く。修司はそんな中原を見て可笑しそうに目を細めた。 「 あいつさ、俺に吸うなって言って、実は1番吸いたいのは自分なの」 「 ……吸えばいいだろう」 「 それをしないのが、正人君の憎らしくいいところじゃないの」 「 ………」 光一郎は憮然とした表情を携えていたが、ちらと修司の傍に座っている友之に目をやり、「お前、今日学校は?」とだけ訊いた。 「 ……休んだ……」 友之がやっとこちらを向いた光一郎に必死に答えると、ただその事実だけを耳に入れた光一郎の方は、予想通りの顔をして、けれど何も言わなかった。 「 まあコウ君も座りなよ。ずっと立ってないでさ」 間に座っていた修司がまるで相手をなだめるように言い、それから友之の傍にあった封筒を光一郎に差し出した。 「 今回トモにやったやつ。コウ君にも奉げるから見てよ」 「 ……写真?」 光一郎は独りごちるように言ってから、中原が座っていた場所に腰を下ろすとテーブルの上のゴミや缶を腕で払いのけ、封筒の中身を取り出した。 「 ―ああ、お前行ったのか」 「 行ったの」 無感動な調子で光一郎は修司が持ってきた写真を眺めていたが、自分の手元に熱心な視線を送る友之に気づくと、どことなく気まずそうな顔をした。 「 ……トモは覚えているか」 「 うん……」 「 覚えているのか?」 自分から訊いたくせに光一郎は驚いたように問い返し、それから友之に写真を向けると「場所は分かるか」と訊いてきた。友之が首を振ると、光一郎はそれでようやく納得したような顔をしてから、再び自分が眺めるために写真をくるりとひっくり返した。 「 ………大した事ない場所だよな」 「 そう? でも俺は、結構あそこに似ていると思ったな。ほら、よく行っただろ、水源地」 修司はもうほとんど残っていないだろう缶ビールに口をつけてから、傍にあったピーナッツをかじった。 「 見てくれはそりゃ違うけどな。けど、何つーかさ。いつもいる場所とは離れた、非現実的空間っていうの? そういうのを感じたね」 「 お前、あの遊び場、そんな風に思っていたわけ」 光一郎が不思議そうに問い返すと、修司は相手よりも怪訝な様子で「お前、違うの?」などと逆に訊き返してきた。 「 俺は今でもあそこって何か違う場所って感じるよ。今、どうなっているのかとか知らないけどな。何でだろうなあ、自然に囲まれているから? いや、そんなんじゃないだろうけど、どうにも非日常的な匂いを感じた」 「 お前、ヘンな事言うな」 「 俺が? 俺はフツーだよ、光一郎。お前がヘンなだけ」 「 そうかな……」 光一郎は一応不満を唱えてみてから、再び写真に没頭した。友之はそんな光一郎の姿を眺め、やはりこの人が素を出せるのは修司や正人の前だけなのだなとぼんやりと思った。 いつもと違う、安心したような空気を光一郎から感じた。 「 そういやさ、トモ」 その時、不意に修司が友之に声をかけた。 「 あの水源地でだったよなあ、夕実に突き落とされたの」 「 修司!」 光一郎がぎょっとして声を出すと、修司は眉をひそめてその突然の抗議を受け流してから友之を見た。 「 俺は後から聞いただけだけど、川へどっぽーんだろ? うーん、それであれなの、お前。まだ泳げなかったりする?」 「 修司、よせって」 光一郎がイライラしたようになって修司を止めようとしたが、何故かこの時の修司は親友の言葉を聞き入れようとしなかった。平然とした顔のまま、しかし厳とした口調で友之に向き直る。 「 今度、俺が泳ぎ教えてやるから。な、トモ? お前もそろそろ卒業しなきゃな」 「 何…に?」 「 んー? 分からないか? そうかあ」 「 いいだろ、修司」 「 正人、まだ戻って来ないのかよ。ったく、コウ君の方がよっぽど甘やかしているっていうのに」 「 うるせえな!」 「 ははは。あ、そうだ。ところでさ、トモ。今度ここ行かないか? 写真もいいけど、実際行ってみたくなるだろう、これ見て」 「 丘?」 「 そうそう。こことは違う、非日常風景。でも、お前にとっては…どうなのかな?」 「 ………」 修司の言いたい意味が分からなくて、友之はやはりいつもと同様、沈黙してしまった。けれども光一郎が手にしている写真に目がいくと、やはり「そこへ行きたい」という気持ちは強くなった。 「 コウも行く…?」 だから思わずそう口走っていた。 「 ああ、いいね。3人で行こうや」 修司がそれを後押ししてくれた。 けれど。 「 俺はいいよ」 光一郎は実に簡単に答えを下してしまった。 「 今さら…だし。お前ら2人で行ってこいよ」 「 ふーん」 修司がつまらなそうに口をとがらせると、突然リビングのドアが開いて、威勢のよい声が返ってきた。 「 俺も連れてけ」 「 ……何で正人君が」 「 お前が何しでかすか心配だからに決まってンだろ」 「 ええ〜」 修司が心底嫌そうな声を出すと、しかしそんな中原の背後からさらに大きな身体がにゅっと割り込んできて言った。 「 あのお、ボクもそれ参加していいですかね?」 「 は?」 「 あ……」 友之が驚いて声を漏らすと、先輩を押しやるようにして部屋へと侵入してきたその人物は、「やっほートモ君」と言って片手を挙げ、堂々とした態度で言い放った。 「 ボクもそれ行きたいです! 荒城さん、いいでしょ?」 「 ……君、久しぶりに見たけど、そうか、そうきたか」 「 そうきてます」 「 このバ数馬が行くなら尚更俺は行くぞ」 中原がまるで保護者のようにはっと息を吐き、自分よりも背の高い無敵の後輩―香坂数馬―を睨みつけた。それから恨めしそうに光一郎を眺める。それはとうに傍観者のようになってしまっている親友を責めているような目だった。 「 じゃあ、みんなで行くか」 修司がそんな中原を見てから、 まとめ役のようになって言った。 それから友之を見て、「そうなるとやっぱり裕子も誘うべきかな」と言い、「トモ、誘いに行く?」と訊いた。柔らかい口調のその言葉には、しかしどことなくそれを強要するような調子が込められてもいた。 友之はそれに押されるままに頷き、ちらと光一郎を見た。 光一郎は黙って写真に目をやっているだけだった。 |
To be continued… |