(6)



  校門を出てすぐに煙草を取り出し、それに火をつけた数馬のことを、友之は黙って見やった。
「 っつーか、君ってマジイラつく」
  唐突に数馬はそう言って冷たい笑みを見せた。そしてふっと煙草の煙を吐き出してから、自分が吸っていたものを友之にも差し出した。
「 吸う?」
  友之が黙って首を横に振ると、数馬は予想していたような相手の態度に鼻で笑ってから、「ここって結構田舎だね」と軽口を叩いた。
「 駅から徒歩10分とか書いてあったけど、どこが?って思っちゃった。道も入り組んでいて分かりにくいし。何か久々。こんな無駄な労力使ったのって」
「 ……何しに来たの?」
「 うわっ、嫌だなあ、もう。そのものすごく迷惑そうな顔」
  数馬は大袈裟に眉を潜めてから、しかしまた上っ面だけの「笑顔」を友之に見せた。下校途中の女子高生たちがちらちらと数馬のことを見ながら歩いて行く。長身で、ここらでは見ない制服を着た数馬はそれだけでも人目を引いたが、明るい髪の毛に際立った派手な容貌から、芸能人か何かではないかと目を凝らしている感じの者も多い。当の数馬はそんな視線に慣れているのか、涼し気な表情のまま長い歩幅を生かしてすいすいと歩いている。友之は数馬のその歩調に併せるのが億劫で仕方なかった。けれども数馬はそんな友之の心に気づいているだろうに、わざと非難がましい視線を送って言う。
「 ねえ、もうちょっと早く歩けないわけ? 言っておくけどさ、ボクは君に併せるなんてことはごめんだからね。君がボクに併せてくれないと困るよ」
「 ………」
「 大体さあ、ちょっとは感謝してみても罰は当たらないよ? 君、ボクがあそこで来なかったらどうなっていたか分かる? まあ、分からないと思うけど」
  言われている事の意味が分からずに友之が沈黙していると、数馬はちらと振り返ってから、またバカにするような顔を閃かせた。
「 君さ、いっつもああやってあの優等生君にかばってもらって生きてたわけ? ホント、見ていて恥ずかしかった。マジヤバイ、何十年か前の2流恋愛映画観ているみたいだった」
  友之が何も言わずにいると、数馬は煙草を傍の屑入れに投げ捨ててから堰を切ったように話し始めた。
「 ああやってどんどん借りを作っちゃってさ。どんどん何でも頼るようになって、どんどんああいうのに慣れていっちゃったら、君は、そのうちあの人が言うこと、あの人が頼むこと何一つ拒めなくなるんだよ? 君ってそういう人じゃん。そういう事分からない?」
「 意味…分からない」
「 あ、そう。別にいいよ。元々君に分かりやすく説明する気なんかないし。ただね、あの人のことそんな好きじゃないなら、いつまでもああいう態度取るのやめなよね。ホント、あの坂本って人? かなり嫌いな人種なんだけど、あの時ばかりはちょっと応援しちゃったね」
「 ………」
「 ほら、また黙りこむ。何なんだろうねえ。君は自分の考えていることを表に何で出さないの? 面倒くさいから? それとも、そういう態度が結構周りでウケているから、そういうスタイルを維持しているの?」
「 何…怒っているの」
「 ………」
  友之の質問に、数馬はぴたりと足を止めた。
  それから何故か同時に足を止めてしまった背後にいる友之にゆっくりと振り返る。蔑むような、それでいて静かな瞳で友之のことを見下ろしてきていた。
「 怒っているんじゃないよ。君みたいな人を怒っても仕方ないしね」
「 …何しに来たの」
「 ああ、さっきも聞いたよね、それ」
  数馬は言ってから、またポケットから煙草を取り出すと、火をつけ、気を落ち着かせるようにそれを吸った。
「 遊んであげようと思ってね」
  数馬は言ってから、ズボンの尻ポケットから財布を取り出して、そこに入れいていたチケットをひらひらと振ってから、その一枚を友之に渡した。
  プロ野球の内野指定席券だった。
「 野球は、好きでしょ」
  数馬はあっさりと言ってからまた歩き始めた。友之もそれにつき動かされるように、後に続いた。
「 でもさ、今時珍しいね、野球部のない学校なんて。だから中原先輩のチームに入ったんでしょ?」
  友之の返事を期待していないのか、数馬は続けた。
「 でもそれはそれで良かったじゃん。君みたいな人は部活なんかに入ったって、今日みたいにいじめられるのがオチだしさ。1年の時ならまだしも、2年になって後輩にまでなめられたら、目も当てられないし」
「 香坂は…」
「 ………」
  背後から友之に呼ばれて、数馬は途端に沈黙した。
「 何であのチームに入ったの?」
「 ……何でって?」
「 香坂の高校って、野球強い」
「 ああ、金で選手集めているからね」
  数馬は別段大した事でもないように言ってから、またくるりと振り返った。
「 どうでもいいけど、苗字で呼ぶのやめろって言っただろ。俺、それ嫌いなんだからさ。名前呼びも不本意には違いないけど、どうせなら数馬って言ってくれない?」
  あ、「俺」になった、と友之は何となく思った。
  数馬は、普段は自分のことを「ボク」と言っているが、時々地が出るのだろう、突然乱暴な口調になることがあった。
  すぐに元に戻る場合が多いのだが。
「 それで、何だっけ? 何で野球部に入らなかったか、だっけ? 簡単だよ、坊主が嫌だったから」
  ざっくばらんにカットされている短い茶髪を風に揺らしながら、数馬はきっぱりと言った。相変わらず歩く速度は緩まらない。もう10分など当に過ぎていたが、駅はまだ先だった。
「 しかも、今時甲子園行っている高校だってそこまでやってないぞってくらい、軍隊色の強い部でね。そういうノリだけはホント、ついていけないからさ。大体、そんなんじゃ全然面白くないじゃん」
  でもさ、と数馬はここでようやくいつもの笑みを取り戻してから友之を見やった。
「 こう見えても、ボクはかなりの野球好きだよ。中原先輩は『お前の性格は個人競技向きだ』なんて言うけどね」
  数馬はそう言ってから、一人で笑った。友之は笑う気がしなくて、数馬がまたイライラするだろうことを承知で黙っていた。
「 でもそれを言うなら、北川友之だって、かなり団体スポーツ向いていない人間だと思うけどね」
「 ………」
「 まあ、いいか。何やろうが個人の自由だしね!」
  しかし数馬は勝手にそう結論づけて、その話をやめてしまった。



  それからしばらくして、ようやく駅に着いた。友之は改札横の売店に備えられている公衆電話をちらりと見た。
  すると数馬はそれを一早く察して笑った。
「 あ、ところでね、友之君。君の大切なお兄さんには許可取ってあるから安心していいよ?」
「 え……?」
  友之が驚いた眼差しで数馬を見ると、そう言った当人は得意気に胸をそらして言った。
「 光一郎お兄さんにしたって、大事な弟が無断で帰りが遅いなんて事になったら、心配でいてもたってもいられないだろうと思ってさ。事前に電話しておいたわけ。気がきくでしょ?」
「 何て言った…?」
「 え? 何、その質問は? ボクが 『何て言った』のか知りたいのか、それともボクの電話に対して光一郎さんが『何て言った』 のか知りたいのか、どっちさ?」
「 ………香坂が」
「 数馬って言えっての」
  数馬は子供に教えるように身体を屈めて友之を伺い見てから、大袈裟にため息をついた。それから素っ気無く言った。
「 別に、『トモ君とドーム行きたいんですけど、いいですか?』って言っただけだよ」
「 ………」
「 ……本当に聞きたいことは、その後の、光一郎さんの反応なんじゃないの」
  数馬は試すようにそう言ってから、友之の顔を覗きこんだ。友之が表情を変えないので、数馬は諦めて先を続けた。
「 そしたら、『本人が行くと言うならいいんじゃないか』ってさ。本人は行くって言うに決まってるんだから、これで決まりだよ」
  友之は一緒に行くなどと一言も言っていないというのに、数馬は勝手に話を進めて、事前に買っていたのか、水道橋までの切符を友之に渡した。
「 ボクのおごり。でも、帰りの電車賃は自分で払ってね」
「 ………」

  正直、行きたくないと思った。
 
  野球は好きだし、対戦カードにしても、別段ファンの球団ではなかったけれど、人気チーム同士の顔合わせだから、せっかくのチケットも無駄にしたくはなかった。
  けれど、友之は数馬が何を考えているのか分からなかった。
  数馬が自分のことを嫌っているのは分かっていた。初めて知り合ったのは、中学3年も後半に差し掛かった頃で、丁度学校に行かなくなったあたりだったと思う。光一郎と中原が、塞ぎこんでいる友之を外に連れ出そうと、結成したばかりの草野球チームに入れてくれた。その時に、数馬もいた。中原の昔馴染みということだったが、友之には初めて見る顔だった。
  数馬は出会った始めの頃から、友之に冷たかった。

『 何、君。女のコかと思った』

  友之に対する初めての言葉がそれだった。

『 トモ君。中原先輩から聞いたんだけど、君ってトウコウキョヒしているんだってね。あ、最近じゃ、この言葉って使っちゃいけないんだっけ? フトウコウって言うんだっけ? ま、いっか、どっちでも』

  ずけずけとした奴だと思った。少しでも心を開くと、勝手に土足で自分の内側に入ってこられるような、そんな危険な感じがした。

『 トモ君、君は才能がないね。やめた方がいいよ』

  全然打てない時が続いて落ち込んでいた時も、数馬はそう言った。それも打てないことで苦しんでいる友之を見て、まるでそれが嬉しいかのような感じで言ってきたのだ。
  そんな事が続くうちに、友之は段々と数馬に対して苦手意識を持つようになった。嫌われているのに、わざわざ近寄りたくもない。だから、数馬に対しては余計に無口になった。すると、数馬の毒舌は更にひどくなっていった。悪循環だった。

「 友之」

  その時、不意に数馬が冷たくそう呼ぶのが聞こえて、友之ははっと我に返った。目の前には、えらく不快な表情を携えた数馬の顔があった。
「 どこの世界に行ってんのか知らないけど、そろそろ行くぞ。俺ね、お前のそういうところが嫌いだってーの」
「 ………」
  それなら、野球になど誘わなければいい。何故そんな事をする必要があるのだ。

  掴み所のない人間は、怖い。

「 あー、いけない、いけない。キツク言っちゃうと泣いちゃうからね。ごめんね、トモ君」
  そうして、数馬はバカにしたような笑みを閃かせてから、友之の頭をポンと叩いた。





  電車を1度乗り継いで水道橋に着いた頃には、すっかり辺りも薄暗くなっていた。それでも、会社帰りのサラリーマンや若い青年層が同じ場所へ向かおうとしている姿が多く見受けられ、喧騒とした雰囲気が周囲には張り巡らされていた。
「 もう1回は終わっちゃったかもね」
  数馬が何気なくそう口にし、ちらと横を歩く友之を見やってくる。友之はその視線から逃げるように先を見つめ、黙々と歩いていた。それについては、数馬も何も言わなかった。
  ファストフード店などが並ぶ店並を通り過ぎ、階段を上って球場を目指す。今日はホールでボクシングの試合もあるのか、野球チケットをさばく以外にも多くのダフ屋がうろうろとしていた。友之たちにもその中の何人かが「 チケットある? 良い席あるよー」と気安く声をかけてきたが、友之は目を合わせないように俯いて歩いた。
  そんな時だった。

「 あっれー? 数馬じゃない?」
  素っ頓狂な、明るい声が噴水のある前方から響いた。
「 あ、ホントだ! 数馬―!!」
  違う声もして、はしゃいだような黄色い声が2人、どんどんと近づいてくるのが分かった。顔を上げると、夕闇の中でも浮かび上がるかのような、えらく派手な格好をした女の子たちが数馬を見て嬉しそうな顔でこちらにやってきていた。一瞬由真かと友之は思った。そもそもこの2人自体の顔が似ていて、見分けがつかない。実際にはただ化粧の仕方と服装が似ているだけなのだが、友之には一緒に見えた。区別できるところがあるとしたら、髪が長いか短いかくらいのものだ。その髪の色にしても、2人とも金髪であった。
「 偶然! こんなトコで会うなんてー!!」
「 本当ッ!  超ッひっさしぶりじゃん!? 何してたのー、最近?」
「 ああ、真面目に学生ライフを送っていたよ、君たちと違って」
  数馬は軽く言い放ってからにやりと笑った。彼女たちはそんな数馬に別段害される風もなく、「うっせーなー」とか、「だって学校たるいんだもん」とか何とか言ってかわしていた。
「 ねえねえ、そんでそこのカワイイ子、何?」
  少女の1人が興味深そうな顔で友之を見やりながら言ってきた。長い巻き毛の髪をいじりながら、人懐こそうな笑顔を見せる。良く見ると目も細いし唇も厚い。その顔だちは由真とは全然似ていなかった。友之は黙ったまま視線をその少女に向けた。
「 あっ、ほーんと。エリ、結構好みだよね、こういう子」
  もう一人の、ショートカットの少女が言った。巻き毛の子は「もう、何言ってんだよっ」と強がって見せていたが、どうやら満更でもなさそうだった。見かけによらず、照れているようだ。
「 数馬、紹介してよッ」
  そうして、2人はまるで双子のように合わせてそう言った。
  それで言われた数馬の方は、にっこりしてから一言返した。
「 イヤ」
  まるで悪意のない顔なのだが、結局は拒絶である。2人の少女は不満を露に口を尖らせた。
「 えー、何ソレー?」
「 何でー? イイじゃんー」
「 ねえねえ、これから何処行く予定だったの? どうせなら、4人で遊ぼうよ」
「 あ、いい! それ!」
「 こらこら、勝手に決めるなって」
  数馬は子供をあやすように今度は優しく言ってから、巻き毛の子の方に近づくと、その少女の額を指でぴんと弾いた。
「 やー! いったーいぃ。もう数馬、何すんのー?」
「 あー、いいなあ。数馬、アタシにもやってぇ」
「 はいはい」
  数馬は言ってからショートの子にも巻き毛の子と同じ事をした。嬉しそうな顔をする友人に巻き毛の方は「アンタ、バカじゃないの」と言いながらも、やはり楽しそうに笑っている。
  数馬はそんな2人にあくまでも笑みを見せたまま言った。
「 まったく、君たちこそ、こんな所で何をしているわけ? こういうお金のかかるところには普段は来ないでしょう?」
「 そうなんだけど」
「 何かアヤの友達がさ、男紹介してくれるって言うから」
「 社会人だって! 25歳の銀行マン!」
「 でも来ないんだ?」
  数馬がおかしそうに目を細めると、2人はまたぶうと口を尖らせた。
「 そうそう、ホント、マジむかつくんだけど!」
「 アイツ、いっつも適当な事言うしね!」
  その後、依然話が止みそうもない2人に、数馬がぴしゃと言葉を出した。
「 そんな事はボクには関係ないし。じゃね、さよなら!」
「 えっ、何でー! だから一緒に遊ぼうよ!」
「 ね、キミもいいよね! 一緒に遊ぼうー?」
  そう言って、先ほど友之のことを「カワイイ」と言った少女の方が、友之の腕をいきなりぎゅっと掴んできた。友之は驚いて反射的に身体を仰け反らせた。
「 だめだっての、さっきからお前は」
  数馬は友之の腕を掴む少女の手を振り払ってから、ややしかめ面をして見せた。それから、戸惑う友之の背中を押して歩き出した。
「 気安く触ってんじゃねえよ」
「 え、な、何よ…?」
  いきなり乱暴な言われ方をされて戸惑う少女に、しかし数馬は次の瞬間にはもう温和な笑みになって、軽い口調で言った。
「 コイツはお前らみたいな奴には免疫ないんだからさ。怯えるからよしてくれない?」
「 何、その言い方! アタシたちが汚れてるみたいな言い方じゃん!!」
  数馬に腕を払われた少女の方が気分を害したように言った。けれど、数馬はちっとも動じないで 「え、違うの?」 など返してきた。
  そうしてふっと鼻で笑ってから友之を先に行かせ、ぐるんと身体全体を2人に向けて、不満気な彼女たちにあっさりと言った。

「 そんな怖い顔するなって。……また遊ぼうな」
「 ……数馬。アンタの方がよっぽど汚れてるじゃないよ」
  数馬に押されたようになりながらも、1人が負けじとそう言った。数馬は、最初は何も言わなかったが、やがていつもの声で言った。
「 ああ、そうかもね」
  友之はちらと振り返って、そんな数馬の背中を見つめた。数馬は多分笑っているだろうと思った。



To be continued…




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