(8) 「 あっ! おっはよー!!」 突然、駅の改札付近で声をかけられて、友之は足を止めた。 由真だった。 友之が住む町の最寄駅は、朝、通勤・通学の人で大分賑わう。しかし、そんな大勢の人込みの中でも、由真は特殊な存在だった。 ただ一人、個をアピールしているような。自分の存在を大袈裟に誇示しているような。そんな感じが友之にはした。 「 久しぶり! ねえねえ、風邪治った!? 治ったから学校行くんだよね?」 「 治ったけど」 「 良かった! アタシさ、これでも結構心配してたんだよ? ほら、この間電話したじゃん? あの後マジでお見舞いとか行こうと思ってたんだけど、何か色々面倒なこととかあって。友達がさあ、色々人間関係とかの相談してきてさ。忙しくって電話できなかったんだぁ。ごめんね!」 「 別に…」 人々が2人の間をぬって改札を通り抜けて行く。由真は「危ないよ」と言って友之を切符売り場の端の方へ引っ張っていき、それからえへへと愛想笑いを浮かべてみせた。由真はごちゃごちゃと色々な模様がプリントされた派手なTシャツに、紫のミニスカート、それに底の厚い靴を履いていた。化粧は相変わらずこれでもかという程塗ったくっていて、目の周りも唇も白い。マジックで描いてあるかのようなどぎつさだった。友之はまじまじとそんな由真のことを見やった。 「 何? あ、何で私服かって? 昨日ね、友達の家泊まってさ、その帰りだから! 学校は行っても行かなくてもどっちでもいいような感じだから今日はパス!」 自分が制服を着ていないことを不審に思われたのだろうと由真は先読みして友之に答えた。 「 友之、どうせ今くらいだと思ったしね、学校行くの! だからまたこうやって待ち伏せしちゃった。でもそろそろ面倒だから、今度家教えてね! 遊びに行くから」 「 ………」 またこの人は何のために自分を待っていたのだろうと友之は思う。別に学校に特別行きたいわけではないが、こうやって足止めされるのはあまり好きではなかった。 それでも由真は続けた。 「 ねえねえところでさ。この間、電話出たの神部裕子だったって言ったじゃん! もうすっごいびっくりしちゃったよ。どうりで態度悪いと思ったよ。何あの話し方って思ったもん。こっちは友之のこと心配して電話してんのにさ、何か迷惑そうに言っちゃって。かなり性格悪い女?ってカンジ」 「 ……そんな事ない」 「 え? あ。ごめん、あの人友之の幼馴染だもんね。悪い、ごめん! んーでもさ、まあ声とか聞けて良かったよ。ね、あの人ってああやってしょっちゅう友之の家行ったりするの」 「 うん」 「 ええー、何かそれって……」 由真は思わせぶりな笑顔を見せてから、わざと言葉を切った。それからにやにやと笑って友之の肩を叩いた。 「 ま、いいか。ね、それよりさ。荒城さんから連絡とかない? あの人、居候してた友達の家からいなくなっちゃったんだ。携帯かけてもつながらないしさ。実家も知らないし。だから友之に教えてもらおうと思って」 「 家を?」 そうそう!と由真は頷いて笑った。 友之はどうしたものかとさすがに躊躇した。そんな事を自分が勝手に教えていいものでもないだろうと思ったのである。それに、以前途中で切れてしまった修司からの電話。ヘンなのに付きまとわれているというようなことを言っていたが、多分それは由真のことなのだろう。だとしたら、自分が由真に修司の家を教えてしまうのは悪い気がした。 「 何ィ? 何悩んでんのぉ? あ! もしかして友之まで教えられないとか、言わないよね!?」 察し良く由真がそう言って口を尖らせた。 「 その荒城さんが居候していた友達にも訊いたんだ。何処行ったのかって。そしたらさ、その人アタシには教えられないって! もう超ムカつくんだけど! 何でアタシには教えられないのって詰め寄ったら、『ストーカーには教えられない』だって! ちょっと、ストーカーだよ、ストーカー! アタシこんなバカにされたことないんだけど! そこまでアヤシイ女じゃないっての!」 由真は一人で憤慨してから改めて友之を見つめ、今度は懇願するような顔を見せた。 「 ねえ、お願い! 荒城さんの実家教えてー! この近くなんでしょ? 友之には迷惑かけないからさ。ね、ね、いいでしょ?」 「 ………駄目」 「 ええっ! ひどーい、何でー!!」 「 彼女なんだから連絡くるの待てば…?」 「 あ、イタッ! かなりイタッ! ひどい、友之!!」 由真は今度は大袈裟に胸を打たれたような格好になり、それからまたぶうと膨れて友之を恨めしそうに見やった。 「 あのさあ、こんな恥な話してんだから分かるでしょ? ……彼女候補なの、アタシは! どうせ! 分かってるくせにさあ、ひどいよ、そんな風に言うなんて」 「 ………」 「 カワイイ女の子を傷つけた罪は重いよ。罰として荒城さん家教えて!」 「 ………」 どうも由真のペースに乗っていると、いつまでもここから動けないような気が友之にはした。それでも、この破天荒な少女を振り切ってまで学校に行きたいとは思わなかった。由真という少女が友之にとって煩わしいという以上に、珍しく、不思議な存在に映ったからというのもあるかもしれない。 どうしてこんな風に生きられるんだろう。 「 ねえ、何ぼーっとしてんの?」 何の反応もない友之にしびれを切らせたように、由真は不満の声をあげた。しかしちらと携帯を見てから、「あ、学校遅刻しちゃうね」などと律儀に言い、大きくため息をついてから友之を諦めの目で見つめた。 「 あーあ。じゃあさ。教えてくれないならいいや。そうだよね、よく考えたら神部裕子の幼馴染がアタシの応援なんかしてくれるわけないもんね。ごめんね、何かイロイロとさ」 「 ………」 「 じゃあね。バイバイ、友之!」 そう言って由真は一人、町の中へと歩いて行こうとした。友之は思わずそんな由真を呼び止めていた。 「 何処行くの…?」 由真はそんな友之に振り返って怒ったように言った。 「 探すの。荒城さん家」 「 どうやって?」 「 どうやってって…。まあそこらへんの人に聞いたりとか、電話帳見て片っ端からかけたりとか。いずれ見つかるでしょ」 「 ………」 何で。 何でそんな事までするんだろう。 「 何でそんなに修兄のこと…?」 「 はあ?」 由真は今度は心底イライラしたような声を出してから、しっかりと友之の方に身体を向け、偉そうに言った。 「 好きだからに決まってんじゃん。好きだから会いたいの。会いたいから探してるの。いけない?」 「 どうしてそんなに好きなの?」 「 そんなの分かんないよ。気づいたらすっごく好きになってたんだから。友之だって付き合い長いんだから荒城さんがどんな人か分かるでしょ? モテる理由くらい分かるでしょ?」 それは分かると友之も思った。同性の友之から見ても、修司はさっぱりとしていて、男らしくて、「自分」をしっかりと持ったカッコいい存在だった。優しくて、楽しくて…。 一緒にいてラクな人。 「 荒城さんがさ、アタシのことあんまり見てないの分かってる。でもさ、アタシまだ全然自分のイイところあの人に見せてないもん。絶対アタシの全部分かってもらってないもん。それで相手にされないまま終わっちゃうなんてのは、アタシは絶対イヤ!」 「 ………」 「 友之はそういう風に誰かを好きになったことある?」 友之は答えられなかった。 正直、由真の考え方も頭では分かっていても、実際に本当に理解することはできなかった。そして心の中では2つの気持ちがせめぎあっていた。 由真をすごいと思う気持ちと。 疎ましいと思う気持ち。 こんなに真っ直ぐに自分を出せる由真を、友之はずるいと思った。 思ったのに。 「 ……探すの手伝う」 「 え?」 由真が怪訝な顔をするのに、重ねて言っていた。 「 修兄に電話してみる。つながらなかったら、実家にも聞いてみるから」 「 ホント?」 途端にぱあっと顔を明るくする由真に友之は頷いた。由真はだだっと駆けてきて、友之の両手を力強く握ってぶんぶんと振った。 「 ありがとう! ホントありがと、友之! もう超ウレシイ!!」 「 ……学校終わってからでもいい?」 「 いいよいいよ! 全然いい! あ、じゃあさ。いる場所とか分かったら電話くれる!? それか、アタシが今夜友之ン家電話しようか!?」 「 ……どっちでもいいけど」 「 ホント!? あ、でもかけてもらうのは悪いから、やっぱアタシが電話するね? 夜とかいる?」 矢継ぎ早に由真は言い、それから何度も友之の手を振ってから、「超ウレシイ」を連発した。友之はそんな由真に翻弄されながら、それでもそう言った自分の言葉に後悔はしていなかった。 由真と話をしていたせいで、朝のHRには間に合わなかった。 それでも何とか1時間目が始まる間際に友之は教室に入った。相変わらず橋本が元気に友之に挨拶をしてきて、「珍しいね、遅れちゃうなんて!」と害のない言い方をしてきた。友之は休むか来るかはっきりとしている人間だったが、登校する時は、大抵定刻出席なのだった。 席についてから、痛いほど感じる視線の方へと目をやると、遠くから沢海がこちらを見ていた。友之が自分の方を見たことで、沢海はいつもの優しい表情で笑いかけてきたが、直接席の方にまでは来なかった。昨日友之に言いがかりをつけてきたクラスメイトもちらちらと友之の方を見ていたが、何も言ってはこなかった。 すぐに授業が始まり、友之は内心でほっとした。 朝からいやに騒がしい時間を過ごしてしまい、友之はここにきてようやく一人だけの時の中に身を沈めることができた。教師たちは友之の中学時代を知っているのか、授業中、友之を指名することはめったになかった。繊細な生徒。無闇やたらに触ると壊れてしまう生徒。だからそっとしておこう。きっとそんな風に考えているのだろうと思った。それはそれで気にはなるけれど、楽だと思う時もあった。 ふと、昨日のことが思い出された。 『 君、ちゃんと話せるじゃない』 あの数馬の不敵な笑顔。 『 そういうのは好きだよ』 バカにされていると思った。思ったけれど、何だか抵抗できなかった。 数馬が何を考えているのか分からなくて、怖かったのかもしれない。 『 友之……?』 昨夜。数馬と別れた後。 何だか無性に心細くて、気持ちが落ち着かなくて、友之は眠れないままにベッドの中にいた。 もう何時だか分からなくなっていたが、玄関のドアが静かに開く音がして、ああ光一郎が帰ってきたのだなとぼやけた思考の中で思った。 洗面台の方で水の流れる音がして、それからリビングに明かりがついた。わざと部屋の襖は少し開けておいたから、その光がベッドの方にまで漏れてきた。友之はひたすらその光に視線をやっていた。 「 友之……?」 しばらくして、光一郎が友之がいる寝室に入ってきて、どうやらまだ起きているらしい弟の様子に気づいて名前を呼んできた。普段だったらもう眠っているから、驚いたのだろう。光一郎は明るいリビングから、目を細めて友之の方を見やっていた。 「 まだ起きていたのか」 友之が無言で頷いてから身じろぐと、光一郎は怪訝な表情をしてからやはり訊いた。 「 どうかしたか?」 どうして分かるんだろう。友之は不思議で仕方なかった。どうしていつもと同じ表情のないこの顔で、こちらの感情の揺れが分かるんだろう。 光一郎はそんな事を考えている友之には構わずにすぐ傍まで来ると、ベッドの端に腰を下ろしてからじっと見やって再び声を出した。 「 何か……あったのか?」 首を振った。けれど、嘘だと思われているようだった。それでもまるで挑むように光一郎の方を見つめていると、兄の方は少しだけ戸惑った顔をしてから静かな声で言った。 「 困った奴だな。言いたいなら言えばいいだろう…」 心意を見抜かれて、友之はくぐもった声を出した。 「 何もない」 「 何もないわけないだろ」 「 ない」 「 じゃあ何で……」 言いかけて光一郎はやめた。頑ななこういう姿は見慣れていた。だから無理強いしても無駄なことも知っていた。仕方なく、友之の髪を優しくなでてから、光一郎は言った。 「 だったらもう寝ろ。明日起きられなくなるぞ」 「 ………」 光一郎はそう言ってリビングへ戻ってしまった。友之はその背中を黙って眺め、部屋の襖が閉められるのをじっと見つめていた。 あの時多分。 自分は光一郎に行ってほしくなかったのだと思う。 「 友之」 1時間目が終わった時、不意に声をかけられてはっとすると、沢海がいた。 「 何ぼーっとしてたんだ?」 「 あ……」 「 授業終わったのも気づいてなかった?」 沢海が微笑して友之の顔を覗きこんできた。友之は正直に頷いてから、夢から覚めたように辺りを見回した。ざわついた教室。友之は改めて沢海を見て、それから急に現実に引き戻されたような気がした。 「 あのさ、友之」 沢海はそんな友之に気づいているのかいないのか言った。 「 昨日の…ことなんだけど」 「 ………」 「 あの香坂って奴、さ。友之の知り合い?」 「 ………うん」 「 そ、そうだよな。そう言っていたもんな。それでさ……」 沢海は珍しく言いよどんだようになってから、しかし意を決したように言った。 「 どういう…知り合いなんだ?」 「 ……入っている野球クラブで一緒の人」 「 あ、あの光一郎さんの友達がいるってチームの?」 友之が頷くと、それでも沢海は煮えきらぬ顔で続けた。 「 それだけ?」 「 ………」 「 あっ…。あのさ、何ていうかさ。昨日ほら、ヘンな事言っていただろ、あいつ。友之のことお姫様とか何とか言ってさ。わざわざ学校まで来るし。あの後、あいつと何処行ったんだ?」 「 ………何で」 「 え?」 「 そんな事訊くの」 「 え………」 沢海は友之の質問に押し黙った。 休み時間の終わりを告げる鐘が鳴った。橋本が遠くから「沢海君、早く席についてください!」などとわざとらしい声をあげた。それで沢海は友之に何か言いたげな顔をしつつも、何も言わずに席に戻って行ってしまった。 それで友之はまた一人、自分の殻の中に入っていった。 |
To be continued… |