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今日1日店を開けてもいいかと訊くと、オーナーの藤堂は理由も聞かずに「いいとも」と答えた。
涼一と2人きりの外出。断る理由はこれでもうなくなってしまった。
「あれ」
のろのろと身支度を整え部屋を出たところで、雪也は隣室の創とドアの前でばったり顔を合わせた。今朝、創とうさぎは朝食を摂っていない。そもそも昨日から出かけて一体いつ帰ってきたのかも気づいていなかったから、突然目の前に現れた友人の姿に雪也は驚きを禁じえなかった。
しかしそんな雪也に対して創は相変わらず平静な様子で静かな微笑を湛えている。
「おはよう。こんな時間から外出? 珍しいね」
「うん…。創はいつ帰ってきてたの」
「ああ…ちょっと遅かったかな」
答えにもならない答え方をして、創は部屋の奥でばたばたと駆けずり回っているようなうさぎをちらりと見やり苦笑した。
「荒れててね」
「……どうかした?」
心配そうな視線を送ると創は肩を竦めてかぶりを振った。
「気にしないでいいよ。昨夜から君の手料理が食べられないもんだから禁断症状が出ているのさ。朝食…俺たちの分もあるかな」
「うん。下に用意してあるよ。キッチンのところ」
「分かった。ありがとう」
「出しておこうか?」
しかし雪也が気を利かせて創にそう申し出た時だった。
「雪也」
階段を挟んで向かい側の部屋から涼一が雪也を呼んだ。いつから外に出ていたのだろう、昨晩と同じような不機嫌な顔で創と対面している雪也を睨みつけている。
「もしかして彼と出掛けるのかい?」
そんな涼一をちらっと見やってから創は雪也に訊いた。
「う…うん」
「そう」
淀みながらも頷く雪也に創は意外だという顔を閃かせたが、眼鏡の奥の目はどことなく柔らかい光を発していた。そうして何を思ったのかすっと雪也に近づき、耳元でこっそりと囁く。
「気をつけて」
「創…?」
「雪也! 行くぞ!」
きょとんとしている雪也に涼一がまた叫んだ。余程虫のいどころが悪いらしい。2階中に響き渡るかのような声が雪也の耳に響いた。
「まったく面白い奴だ」
雪也には意味の分からない台詞を創が呟いた。





ホテルを出てすぐに涼一は雪也にきっとした視線を向けた。
「あいつ。好きなのか」
「え?」
何の事を訊かれているのか分からず雪也は涼一の顔をまじまじと見つめた。
「だから」
すると涼一の方はひどく居心地の悪い顔をするとそれを誤魔化すように声を荒げて繰り返した。
「創のことが好きなのかって訊いてんだよ!」
「創を…? それは勿論好きだけど…」
「……ッ!」
ぎりと歯軋りしたようになり、涼一はより一層眉を吊り上げ雪也のことを見下ろした。背の高い涼一とは肩を並べるとどうしてもそういった角度で見られる事になるのだが、雪也はそれが窮屈で逃げるように俯いた。
「何処行くんだよ」
「え? 何処って」
「創と出掛ける時は何処へ行くんだって言ってんだよ!」
「………」
こんな調子で涼一と一日一緒にいなければならないのだろうか。正直雪也は眩暈を感じた。
淦の連中は皆好きだ。同じ心の痛みを抱えている者同士だし、望まなければ土足で人の心の中に踏み込んでくる事もない。安心である。だからこそ、雪也も相手のことを敬ったり心配したりする心の余裕を持つことができるのだ。
けれど実際に相手がまっとうにこちらを見据え、真剣に対話を望んでくると、もう雪也の足は竦んでしまう。元々人とコミュニケートする事が好きではない。
いや、苦手なのだ。
「何黙ってんだよ」
ますますくぐもった声になる涼一に雪也ははっとして顔を上げた。これ以上事を悪化させたくなくて必死に言葉を継ぐ。
「創とは…買い物に付き合ってもらったり…」
「買い物?」
「夕飯の買い出しとか」
「あとは?」
「あと?」
「自分の物買いに行ったりとかは? 何処かへ遊びに行ったりとかは?」
「創とも誰とも、個人的にそういうのした事はないよ」
「何故」
「何故…? だって…」
ここはそういう所だから。そう雪也は言いかけたが、涼一が先を読んだように頷いた。
「そりゃ…そうだよな。元々ここは独りになる為のホテルだもんな…」
「うん」
「………」
何事か考え込むような涼一に雪也は途惑いながらその顔を伺い見た。自分ではどうして良いか分からなかったし、何か言って相手の機嫌を損ねるのも嫌だった。


『アンタって子は、本当に気が利かないんだから…!』


昔吐かれたその台詞は、今もまだ雪也の記憶に鮮明に残っている。こんな遠い土地まで逃げてきたのに、まだ胸に刺さったナイフは抜く事ができない。
「雪也」
どれくらいお互いに黙っていたのだろか。涼一がようやく口を開いた。
「行こう」
「あ…うん」
何処へ行くのか訊きたかったが、やはり訊けなかった。もっとも涼一に当てがあるとは思えない。涼一は雪也よりこの町のことを知らないし、知っていたとしてもここに遊びに行って楽しいような娯楽スポットがあるわけでもない。
それでも颯爽と歩き始める涼一に遅れないよう、雪也は急いでその後を追った。



涼一が最初に入ったのは、表通りの繁華街でも一番大きく際立った様相を呈した貴金属店だった。
「あ……」
いつも埃っぽい裏通りや近くのパン屋、後はせいぜい食品市場を覗くくらいの雪也は、その煌びやかな店内の装飾に茫然と立ち尽くした。涼一はそんな雪也にお構いなしで、店の主らしき人間と何やら話し始めると、そのまま店の奥へ消えてしまった。
雪也は所在無く店の端に移動し、光輝く宝石やそれらを眺める着飾った人間たちを遠巻きに眺めた。どう考えても場違いだ。オドオドとこんな所で小さくなっている自分が情けなくて先に店を出てしまいたいとも思ったが、後で涼一に怒られる事を考えるとそれもできなかった。
仕方なく雪也はきょろきょろと店内を彩る装飾品に目をやった。
壁に掛かる時計や置物すら普段自分が見ているものとは違う。
「あ…」
その中で、雪也は自分が立つ傍のガラスケースから真っ先に目に入った物をじっと観察した。店の中央に整然と並んでいる指輪やネックレスとは違い、ここにあるのは主に置時計やオルゴールなどだ。
そしてその中にちょこんと並んでいた銀の水中花を雪也は綺麗だなと思った。小粒の宝石に縁取られたそれは、恐らくこの店の中では安物の部類に入るのだろうが、元々装飾品に興味のない雪也にとってはそれが一番目を引いた。
母なら絶対に中央の陳列ケースにある一番大きなダイヤのリングを欲しがるだろうと思いながら。
「それがいいの」
「え?」
その時後ろから声が掛かり、はっとして振り返るとすぐ傍に涼一が立っていた。そのまた後ろには店の主らしき細身の中年男が手揉みしながらにこにこと愛想笑いを浮かべている。
涼一はその主には構わず、雪也の後ろからケースを覗きこみ、不満気に言った。
「こんな安物がいいのか。まあ…お前の趣味っぽいか」
「え…あの…」
「これを。あと、さっき言ったやつもな」
「ありがとうございますっ。あちらにもお連れ様にぴったりの指輪などありますが…?」
「ああ。はめて見ろよ、雪也」
「ちょ、ちょっと待って、俺は―」
「知り合いの物買うついでだから気にするな」
「気にするなって…」
1人あたふたとする雪也には構わず、店の主は陳列ケースの鍵を開けてもう商品を表に出してしまっている。涼一も何という事もない顔をしてむしろ雪也のことを訝しげに見つめた。
そして実に横柄な態度で涼一は言った。
「買ってやるって言ってんだから、お前は素直に貰っておけばいいんだよ」
「い、いらない! こんな高い物―!」
「いらない?」
珍しく強く拒絶され、涼一は怒りとそして驚きの色を含んだ目を雪也に向けた。
雪也は構わず必死に言った。
「悪いよ。貰う理由がない」
「理由? ……そんなものが必要か」
「だ、だって…」
「……指輪はいい」
すっかり困惑している雪也に妥協したように、やがて涼一はため息と共にそう言った。
「よろしいので?」
主は安物の水中花と一緒に自分が持ち出したリングを残念そうな顔で見やったが、怯えるような顔をして今にも逃げ出しそうな雪也にこれは駄目だと思ったのか、割とすぐに引き下がった。そして先ほど店の奥で涼一が手に入れると言った物の話をし始め、涼一もそれに相槌を打ちつつ雪也から視線を逸らしてしまった。
「………」
雪也はまた独り取り残された格好で、ただ荒く息をついたままその様子を眺めるよりなかった。



To be continued…


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