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その後も涼一は次々と雪也をやたらと高級な店へと連れまわした。何かにつけては「知人に送るついでだから」と称してジャケットやズボンなど、雪也に似合う服を店員に見繕わせて買いたがったし、昼食も雪也にとっては居心地が悪くて却って胸焼けしてしまうのではないかというような一流レストランへ引っ張って行った。
元々自己主張のできない雪也は唯々諾々とそんな涼一に従い、ただ恐縮した。自分が金を払うと言っても涼一は馬鹿にしたように「金のない奴が無理すんな」と言うだけだったし、それで雪也が嫌な顔をしても敢えて知らないフリをしているような節があった。
何故涼一がそんなことをするのか、雪也には理解できなかった。
ただ困らせたいだけなのだろうか。そして自分の怒る顔が見たいのだろうか。以前涼一が言った言葉を思い出しながら、雪也は釈然としない気持ちのまま涼一との時間を過ごした。



「雪也。疲れた?」
涼一がそう訊いてきたのは夕暮れ時、そろそろホテルに戻らなければと雪也が思った頃だった。
2人が来たのは繁華街から15分程離れた場所にある見晴台で、整備された舗道の敷石を暫く進んで行くと、先ほどまでいた街並を一望できる所に辿りついた。立ち寄ったカフェで「何処か景色の良い所はないか」と訊いた涼一に、その店の支配人が少し急な坂を上っても良いのならと地図を添えて教えてくれたのだ。
周囲に雪也たち以外、人はいない。
「結構歩いたな」
「うん…。でも大丈夫」
ごつごつした大きな石を避けながら、草地に直接腰を下ろして雪也は涼一に笑んでみせた。本当のところは心身共に大分疲弊していたけれど、涼一にそういったところを見せたくはなかった。
もっとも雪也のそんな気遣いは涼一にとってかなり見え透いたもののようだったが。
「嘘つけ」
自分も雪也の隣に座り込むと涼一はそう言って鼻で笑った。
「今日一日お前がどれだけ俺の行動に辟易してたかなんて見てれば分かるよ。…でもああいうの、めったにしない経験だっただろ」
「……うん」
「ああいう連中はさ。相手が金を持ってるか否かで人間を判断するから、ある意味楽なんだぜ。お前にあれこれ着せ替え人形させたがったあの女店員だって可愛いもんだろ」
「………」
「ああ、でも。あの女の場合はマジでお前の事気に入ってたのかもな。やたらと可愛いだの綺麗だの連発して、おべっかにしちゃ熱が入ってたから」
「……俺にはよく分からないよ」
涼一はやはり自分を困らせて楽しんでいるのだ。それが何となく分かって雪也はここでようやく表情を曇らせた。どうせ一日一緒にいるのなら相手を不快な気持ちにさせたくない。けれども雪也がそう思っていても涼一の方はどうやら違うようだ。彼が何をもって自分にこんな関わり方をしてくるのか、雪也には全く分からなかった。
だから苦しかった。
「いっぱい買ってもらっちゃったけど…」
俯きながら声を出すと涼一が先走るように言葉を被せた。
「返すとか言うなよ」
「え…」
「違う? 言おうとしてたこと」
「……ううん」
今更そんな事を言っては涼一に失礼だろう。本当に困るならどの店でも立ち寄った時点で頑なに拒否すべきだったのだ。それをしなかったのは勿論雪也の弱さ故だが、だからと言って今ここでそれを悔やみ、涼一に「貰った物全部、実はいらない物だったのだ」と言うわけにはいかない。
しかし、美しい水中花やたくさんの服…今頃ホテルに届けられているだろうそれら涼一からの贈り物を思うと、雪也はただ困惑した思いに駆られた。
どうしようと逡巡した後、雪也は堪らなくなって涼一に向かいようやっと訊いた。
「でも、どうして俺に?」
「ん…」
問い質す雪也の方は見ず、涼一は眼下に見下ろせる景色を眺めつつ曖昧な返答をした。
だから雪也はもう一度訊いた。
「どうしてあんなにたくさん…」
「雪也はどう思う?」
「え…」
逆に聞き返された事で雪也は思い切り動揺した。涼一はこちらを見ない。ただ遠くへと視線をやっている。そして淡々と言葉を紡ぐ。
「どう思うんだよ? お前にあれだけしつこく物買い与えた俺。金持ちの気紛れって? 何でもない事って思う?」
「そ、そんな風には…」
「思わないから訊いてんだよな。なら…どう思うんだよ」
「………」
「お前はどう思うんだよ?」
そう言って涼一は不意に雪也を見つめてきた。その所作に雪也は思わずびくりと肩を揺らし、無意識に身体を後退させた。震える唇で何とか声を出す。
「わ、分からない…」
「分からない?」
「うん…」
「……嘘だろ。お前はそうやって逃げてるだけだよ」
涼一はきっぱりとそう言い、イラついたように眉間に皺を寄せた。
「近づかれるのは困るんだろ」
「ど、どうしたの…急に…」
嫌な空気を感じ、雪也は精一杯虚勢を張って涼一に言った。
嫌だ。
探らないで。
入ってこないで。
「剣…俺…」
「……そんな…不安そうな顔するなよ」
涼一の台詞に雪也はどきんと心臓を鳴らした。隠そうとしても露呈してしまう。こんな状態を嫌がっている事は、やはり当にこの涼一には見破られてしまっているのだ。咄嗟に立ち上がろうとして、けれど雪也はその瞬間涼一に腕をぐっと掴まれた。
「あ…!」
「どうすると思う?」
顔を寄せられ雪也はいよいよパニックになった。
「やっ…」
「何だよ…その顔は…」
どんどん涼一は近づいてきた。唇に涼一の吐息がかかる。じっと見つめられてそのまま金縛りにあったように、雪也は自分の指先すら動かす事ができなくなってしまった。
「やめ…」
「だから何がだよ。お前は俺が何をすると思ってるんだ。答えろよ」
「お願…っ」
「ち…だから何をそんな―!」
再度強く腕を掴まれ、そのまま唇同士が触れそうになったところで。

「嫌だっ!」

雪也はめいっぱい叫んでいた。自分でも驚くくらい大きな声が出たと思った。
「……っ」
「あ…ごめ…! で、でも、俺…」
すぐに我に返ってがくがくと表情を崩して謝った雪也は、しかし涼一の次の言葉で凍りついた。
「ば…っかじゃねえ…?」
叫ばれた瞬間はさすがに茫然としていたようだが、すぐに雪也から距離を取ると涼一は怒ったようにそう言った。
雪也はゆっくりと顔を上げてそんな涼一を見た。目の前のその顔はひどく憤っていて、厳しい眼が真っ直ぐにこちらを射抜いてきていた。
そして。
「……はっ…何なんだよ。キスするとでも…思ったかよ…? 俺は…俺はな、そっちの趣味はねーんだよ…!」
「………」
雪也が声を出せず、ただ泣きそうな顔をしていると涼一はますますカッとしたようになって声を荒げた。
「何勘違いしてんだよ! 冗談だろ…! ったく、シラけるような反応すんなよ。馬鹿だよなホント!」
「………」
「ホント…ばかみてえ…」
「………」
「気持ち悪ぃ…」
「………」
「……? おい……」
堰を切ったようにつらつらと雪也を責めていた涼一は、しかしまるで反応のない相手をはっとした目で見据えた。ぎくりと肩を揺らし、そして一旦口を閉ざす。
「おい…雪也…」
「……っ」
「雪也…っ。おい、何で…!」
「うっ…っく…」
雪也自身とてこんなのは最低だと思った。
知らない間に落ちてしまった涙を必死に拭うのに、後から後から新しいそれが止め処なく自分の目から零れてしまった。
悲しい悲しい。
胸を占めるその想いで雪也は自分自身をコントロールする術を完全に失ってしまった。
「雪也…」
涼一が困っている。それが分かっているのに、雪也は暫くの間、声をかみ殺しつつもその場でぼたぼたとみっともなく涙を落とし続けていた。
自分が気持ち悪いなんてこと、もうとっくの昔に知っていた事なのに。



To be continued…


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