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ホテルに戻ってきた雪也は、その顔を見たオーナーの藤堂から開口一番「今日の夕食の支度はいい」と言われた。そして驚き途惑う雪也には構わず、藤堂は後からやってきた涼一を睨むと立て続けにきっぱりと言った。
「涼一。あんた、もう休暇は終わりにしたらどうだい」
「……何それ。暗に出てけって事」
「どう受け取ろうがアンタの自由だよ」
むっとする涼一にはまるで動じず、藤堂はそう言った後再度雪也を見つめた。
「今日はここの事はいいから部屋でお休みな。こんな我がまま小僧の相手をして疲れただろう?」
「何だよそれ!」
すかさず文句を言う涼一に藤堂は無視を決め込む。
「夕飯はアタシが美味しいのを作ってあげるよ。何が食べたい? 雪也の食べたい物を作ってあげる」
「おい、このクソオーナー! お前、人の話聞けよ!」
横でガーガーと喚き続ける涼一に藤堂は一瞥をくれるだけでやはり何も言わなかった。どうやら、相当頭にきているようだ。
何も訊かずとも泣き腫らした雪也の目を見れば事態は一目瞭然なのだろう。元々気まずい2人が一緒に出かけたのだ。結局反りが合わずに気の弱い雪也が傷くつ羽目になったとは、藤堂でなくとも推し量って然りというものだった。
「ちっ…何なんだよ…」
涼一が吐き捨てるように言う声が聞こえる。雪也は再び痛む胸に眉を寄せ、そこから逃げるように顔を背けると返事もそこそこに自室へと上がった。
疲れた。
「お帰りなさい」
「あ……」
しかしすぐに部屋に入ろうとしたところ、階段を上ってすぐの所に那智がいた。
「た、ただいま…」
「今日はお出かけだったのですね。どちらへ…?」
「あ…。ちょっと」
「……そうですか」
何も答えていないのに那智はそれ以上追求する気はないようで、胸に抱えていた本をぎゅっと掻き抱くと俯き背中を丸めたままぼそりと言った。
「あの…先ほどオーナーが雪也さんに届けられた包みをお部屋に運んでいるのを見ました。まるで誕生日みたいにたくさん…リボンが綺麗で」
「………」
それは今日1日かけて涼一が雪也に買ってくれた物に間違いなかった。涼一がすぐにホテルに届けるように言った為、店の者たちも相当に気を遣ったのだろう。藤堂も驚いただろうか。
何と言って良いか分からず雪也は途惑ったように口篭った。
「でも、雪也さんのお誕生日は確かもう少し先でしたよね。春先の…」
「そうです」
正直早く部屋に入りたかったが、那智を無碍にもできず雪也は律儀に質問に答えた。
自分の誕生日などどうでもいいのに。
「雪也さんの一番欲しい物って何でしょうね」
「え…」
何気なく訊いているのが分かるのに、雪也はその問いに真剣に詰まってまじまじと目の前の那智を見つめた。那智は俯いたままなので視線が交錯する事はなかったが、それでも気まずい空気が流れたのは事実だった。那智がこんな風に雪也に接近する事はとても珍しかったから。
「あの…」
恐らくは那智が持っているその本のせいなのだろうと雪也は思った。
「俺…すみません、よく分からないです」
「あっ…。す、すみません、私…。ぺらぺらと勝手に話しまくってしまって」
「いえ」
「すみません、本当に…。私…さっきのキラキラ光る包みを見ていたら…何だか嬉しくなってしまって」
「……? どうしてですか」
雪也が訊くと那智はようやく顔を上げて、疲れた目をしつつもにっこりと笑った。
「雪也さん、いつも私たちの為に頑張ってくれてますから。ご褒美をたくさんもらえたみたいで、良かったなあと思ったのです」
「ご褒美…」
「あっ! す、すみません、私が贈った物というわけでもないのに勝手にはしゃいで…っ」
「い、いえ…」
本当にすみませんと、那智は何度も謝りながら急いで階下へ降りて行った。
雪也はそんな那智の姿を見送りながら、その先のフロアに立ち尽くしている人物を認めてはっと息を呑んだ。
涼一が下のフロアから雪也のことをじっと見上げていたから。
「………」
何を言ってよいか分からず、雪也はただ眉をひそめると逃げるように部屋へ駆け込んだ。
あの、鋭く射るような涼一の眼。
やはり怖いと思った。
「……はあっ」
部屋に入ると、雪也は急いでドアをしめ、そのままそこに背中を預けて息を吐いた。
どきどきと高鳴る鼓動。涼一のあの蔑んだような怒ったような眼がただ辛かった。

キモチワリィ…。

あの時の声もまだ頭の中でじんじんと響いている。
「……っ」
ハアともう一度大きく息を吐いた後、雪也はゆっくりと目を開いて入り口のすぐ傍、自分の足元近くに置いてあるたくさんの包みに目をやった。大小様々、色とりどりのプレゼント。雪也はもう一度固く目を閉じ、唇を戦慄かせた。
「雪也」
「!」
その時、突然ドアのすぐ外で涼一の声がした。
「雪也。そこにいるな」
「あ…」
ぎくりとして背中を浮かしドアのノブに手を掛ける。鍵を掛けていなかった。入って来られたら嫌だと思い、雪也は咄嗟にそこに力を込める。
しかし静かな声で涼一は言った。
「入ったりしねえよ。けど、そこから離れるな。俺の話を聞け」
「………」
「聞いてんのか? お前が聞いてなくて1人で話してるんだとしたら間抜けだからな…。聞いてるかどうか、返答だけはしろよ」
「………」
「そこにいるな、雪也?」
涼一の再度の問いかけに雪也はごくりと唾を飲み込んだ。
「う、ん…」
「……まだ泣いてんのか」
「泣…いてないよ…」
「けどまた泣くだろ。俺がキツイ事言ったら」
「………」
声を出さずただ息を殺して外の様子を伺っていると、先刻自分が吐き出したものよりも深いため息が聞こえてきた。雪也の胸はそれだけでまたズキリと痛んだ。
「あんな風に泣…泣くなんて、お前反則…」
涼一はゆっくりと噛み砕くようにそう言った。
「あれじゃ俺、最低最悪の悪者じゃねーかよ…。藤堂の奴も悪魔見るみてーな顔で俺を見やがってよ…。後で創や康久にも何言われるか分かったもんじゃねえ…」
「………」
「ここ、追い出されるかもしれないし。『ホテルのマスコットを泣かした罪は大きい』ってよ。永久追放の危機だ」
「そんな…」
「俺、1人になりたくてここに来たんだよ」
雪也に喋らせまいとするかのように、涼一はぴしゃりと言って先を続けた。
「外の世界は色々メンドーでさ。俺、すげー忙しいんだぜ。一族ぐるみで会社なんかやってるせいで俺もこの年で好い様に使われてるし。だからもういい加減にしろ、ふざけんなって言って期間限定で休暇取って来たんだよ。殆ど無理やりにな。……だからこそ、ここにいる間だけは好き勝手しようって、今までやれなかった事…睡眠死ぬほど取るとか誰に気を遣う事もなくまったりするとか、とにかく呑気にしてようって」
「………」
「そう思ってたんだぜ。なのに、何でなんだよ…」
不意に苦しそうになって涼一は呻いた。
雪也が怪訝に思ってドアに顔を近づけると、そのすぐ向こうで涼一は言った。
「何で俺、男のお前に泣かれたくらいでこんな動揺してんだよ…。こんなムカムカした気持ちになってんだよ…。自分に腹立つ……くそっ」
「剣……」
「お前…お人よしだし、表情乏しいし。俺の一番苦手なタイプだよ。もしお前みたいなのが学校にいたら真っ先に苛めてる。なあ、お前。そうやって色んな奴にいじめられてただろ」
「………忘れた。そんな頃のこと」
「はっ、本当かよ?」
雪也の投げ遣りな言葉に涼一は微かに笑ったようになったが、すぐにそれを引っ込めたのか、また真面目な声で言った。
「俺…お前ともっと話したいんだ。お前があんまり深く突っ込まれるの嫌ならしつこくはしない。けど…なあ、駄目か? 俺、お前とこの休暇を楽しみたいんだ」
「休暇を…」
「ああ。今日は…思い切りしくじったけど」
苦汁を舐めるように涼一はそう言い、ごつんとドアに何かを当てた。恐らくは額だろう。謝るように頭をもたげているだろう涼一を思い、雪也は未だズキズキする痛みを抱えながらも精一杯声を返した。
「俺…別に怒ってなんかいないから…」
「……じゃあ俺はこれからもお前に関わっていいんだな?」
「どうせ同じホテルにいるんだし…」
そう、できる事なら仲良くしていたい。それは雪也の心からの気持ちだった。
「俺、こんな性格だからやっぱり時々キツイ事あると思うけど」
「………」
「それでもいいか?」
どことなく恐る恐る問いかけるような、そんな可細い声が雪也の耳に流れ込んできた。
涼一は悪い人間ではない。それは雪也にもよく分かっていた。
「剣は…悪くないから」
「え?」
雪也の台詞に涼一が不審の声を上げた。それによって雪也はようやく身体全身から力を抜き、改まった口調ではっきりと言った。
「あんな風にいきなり泣いてごめん」
「………」
「何か…急に涙が出ちゃっただけで」
「出ちゃっただけって何だよ。だからそれは俺が悪いからだろ」
「そんな事…」
「いや、もうそんな事何でもいい。今日のこと水に流してくれんなら」
涼一は何かを吹っ切るようにそう言い捨て、それからやっと笑みの含んだ声を発した。
「今度から泣く時は予告してくれよな」
「あ…う、うん…」
「馬鹿、冗談だよ」
馬鹿丁寧にそんな返事をした雪也を涼一はまたドアの向こうで笑ったようだった。ただそれが害のないものだとは雪也にも分かっていたから、自分にも自然な笑みが唇に浮かんだ。
「剣…」
それで雪也はゆっくりとだがドアノブにかけていた手をそっと回した。
「あ…!」
「仲直り」
けれどドアを開いて面と向かった瞬間、ぱっと安堵に満ちた顔が近づいてきたことで雪也は思い切り意表をつかれた。
「つ、剣…?」
いきなり抱きすくめられた事に固まって動けなくなっている雪也に、涼一はぎゅっとその腕に力を込めた後くぐもった声で言った。
「……焦った。ホント、最悪な気分だった…」
「ご……」
「泣くなよもう…。信じらんないほど…苦しくてさ…」
「ごめん……」
反射的に謝ると涼一の雪也を抱きしめる力は更に強まった。
雪也はどうして良いか分からず、ただ両手を宙に浮かしたままじっとその場に立ち竦んでいた。



To be continued…


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涼一くん、それは恋じゃないのかい?