―15― ホテル「淦」のオーナー藤堂は大抵の事には目を瞑る心の広い人物である。 それがここ最近はやたらと口煩くキツ目になったとは、宿泊客の全員が感じているところであった。 「だって腹が立つんだよ。アタシは人並の許容量しか持ち合わせてないんでね」 いつものカウンター席で編み物をしていた藤堂は、しかしここ最近の不機嫌を1号室の住人・創に指摘された事で子どものように頬を膨らませた。 「オーナーをそうやってムキにさせるなんて、剣君という人も実際大した人物だね」 珍しく日中店に顔を出した創は雪也が淹れてくれたコーヒーを楽しみながら済ました顔でそう言った。そのどことなくこの状況を楽しんでいるかのような創の態度に、藤堂はますます眉を吊り上げ不快な顔をする。 「創。そんな感心してどうするんだい。アンタはここ最近ずっとうさぎを連れて外出していたから知らないんだろうけどね。まったく金魚のフンみたいにどこへ行くにもあっちこっちついて回って…! それで終いには、今度は自分について来いって横柄な態度を取る始末さ。それをまた大人しく言う事聞いちゃうもんだから―」 「はいはい。そうまくしたてないで」 「創!」 「誰と仲良くしようがそんな事は当人同士の勝手だろう。ねえ雪也君?」 「えっ…?」 不意に話を振られて雪也は驚いて顔を上げた。 元々が鈍い性質と言われるだけあって、雪也は創に振り返って視線を向けられるまでこの話が自分と涼一の事だとは夢にも思っていなかった。せいぜいが何かと言うと藤堂につっかかる涼一を困ったものだと愚痴っているくらいのものだと考えていたのだ。 「あの…俺?」 「動くな!」 「あっ、ごめん…っ」 思わず身体を揺らして創たちの方を見た雪也に、うさぎがきっとなって叫んだ。 今、雪也の膝の上にはそこに頭を乗せてじっとしているうさぎがいる。うさぎは雪也の腰に小さな両腕を回してぎゅっと抱きしめ、まるで縋りつくような格好で目を閉じている。眠ってもいいよと雪也は言ったが、うさぎは何も言わない。身体を固くしてただ雪也にくっついている。 「重かったらすぐやめていいからね」 創が苦笑したようになって雪也に言った。雪也が大丈夫だと目だけで笑うと、それを半分目を開けて見上げていたうさぎが更にぎゅっと掴んできた。 「うさぎも寂しいんだよ。最近じゃあ、大好きな雪也をあの涼一に取られまくりだからね」 「それはオーナーもでしょ」 「創。アンタ、本当に憎らしいね」 「それはどうも」 「………」 2人のやりとりを困惑したように見つめながら、雪也はカウンター前のソファ席に腰かけたまま、自分にしがみつくようにして横になっているうさぎを見下ろした。 ここ最近、創に連れられて毎日のように外へ行くうさぎは、オーナー曰く「過度のストレス症」とやらで普段の仏頂面に拍車がかかり、かなり扱いにくい子どもになっていた。元々が無口な少年なのだが、黙っていても可愛らしい大きな瞳はどことなく淀み、きゅっと引き結んだ唇はカサカサに乾いていた。それに少し痩せたかもしれない。心配した雪也が創に事情を聞いても「あいつが言うなと言っているから」と詳しい事を教えてはもらえなかった。 「うさぎ。今日は何を食べたい? 夕飯食べるだろう?」 「………」 うさぎは黙りこくっていたが、やがて目をぱちりと開けて雪也を見上げた。 食べるという合図だろう。 「そういえばそろそろ買い出しに行くんじゃなかったかい。良かったらまた付き合うよ」 「あ、うん…。でも…」 創が言った言葉に雪也が答えようとした時だった。 「雪也。行くんだろ」 カラランと大きな鈴の音と共に、店の外から涼一が勢いこんでやって来た。走ってきたのだろうか、肩で息をしながら店内をぐるりと見渡した後、雪也を見つけて軽快に笑う。 「ここらへんさー。大分詳しくなってきたかも、俺。表通りまで行くと割と店多いのな」 「探検かい」 創がコーヒーカップに目を落としながら涼一に訊く。涼一はそんな創をちらと見てから、「まあな」と答え、それからソファ席へ向かってズンズンと歩いて行った。 「俺ってやっぱ1つ所にじっとしてるの性に合わないみたいなんだよな。ここへ来た当初は外に出るの面倒だったけど、最近じゃ一日中部屋にいる方が耐えらんねえ。割と面白いな、この街。好きかも」 余程機嫌が良いのだろう、ぺらぺらとよく喋った後、涼一は再度雪也を見てから誘うように腕を振った。 「雪也は買い出し行くんだろ。そろそろだと思って戻ってきたんだ。行こうぜ」 「あ、えっと…」 「ああ、そういうこと」 創は得心したようになって薄っすらと笑みを浮かべると、手にしていたカップを受け皿に置いた。 それからうさぎを見て諭すように声を掛ける。 「うさぎ、部屋に戻ろう。雪也君は出掛けるんだからね」 「………」 「うさぎ」 「なあ」 創の声とかぶさるように涼一が声を出した。 「うさぎって幾つなんだよ? 何かさあ、見る度に雪也にくっついてるよなあ。ブラコン? …の割に、創には懐いてないみたいだし」 「大きなお世話だよ」 創は対して気分を害した風もなく涼一にそう言い捨ててから再度うさぎを振り返り見た。 しかしそのうさぎは抗議するように、頑なに目をつむって雪也にしがみついている。 「うさぎ…」 雪也が困ったように声を掛けながらうさぎの髪の毛を撫でると、涼一がむっとしたように唇を尖らせた。しかし何か思うところがあったのか、堪えるように口を噤んだまま涼一は沈黙していた。 その代わりに声を出したのは創だった。 「雪也君、そういえばね。護さんが『たまにはうちにも寄るように言ってくれ』って言っていたよ?」 「え…」 創の言葉に雪也は驚いて顔を上げた。そして瞬間、意図せずカッと赤面し、身体の隅々までが熱くなるのが分かった。 創はそんな雪也を見ながら淡々と言う。 「買い物ついでに行ってきたら?」 「で、でも…」 「何の話だ?」 創と雪也のやり取りに話が見えないという風に涼一が憮然とする。それに雪也が何も言えないでいると創があっさりと言った。 「雪也君の神様だよ」 「……は?」 「は、創…」 「ちょっと大袈裟過ぎた? ……でも近いもんだと思うけどね」 創は呟くようにそう言った後、1人唇だけで笑った。 |
To be continued… |
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