―16― 雪也としては何故急に涼一が不機嫌になるのか、その理由がさっぱり分からなかった。店に戻って来るまでは街の周辺を色々見て回れて楽しかったと言っていたのに、自分と買い出しに出て来た今はもうむっつりと黙りこくっている。 あの初めて一緒に出かけた日から、涼一は雪也にはそれなりに気を遣っているのか、怒ったり無理を言ったりといった事は全くと言って良い程なくなっていた。そうして互いに良い友人と言えるほどには仲良くなったと、少なくとも雪也の方では思っていたのだ。 それなのに、である。 「……剣」 「………」 「剣!」 「……あ?」 「…こっち。この道を行った方が近道だから」 「ああ…」 「………」 雪也よりも少し前を歩いていた涼一は、背後からそう声を掛けられ方向転換を命じられてもどこか上の空だ。そしてやはり憮然とした顔つきを崩さない。 雪也はそんな涼一をちらりと見ながら途惑いがちに声を掛けた。 「あのさ…。俺、何か悪い事言った…?」 「………」 何も答えずただ後をついて来る涼一に雪也はますます焦ったようになって早口になった。 「さっきからずっと黙ってるし。剣が黙りこむのって珍しいから、急にどうしたのかって」 「別に」 「別にって…」 「神様って?」 「え?」 突然そう訊かれて雪也は眉を寄せて聞き返した。 「だから」 すると涼一は今までで一番むうっとした顔になるとぴたりと足も止めて雪也に向かって声を荒げた。 「雪也の神様って何? 何者?」 「あ…さっきの…。護先生のこと」 「何なの? どういう人? 雪也とどういう関係? その先生ってのは?」 「どういうって…別に…」 「別に何でもない人を神様って思う? 大体、雪也がそんな顔する相手がいるなんて俺は全然知らなかった」 「顔?」 一体どんな顔をしていると言うのだろう。 訳が分からず雪也が困惑したように涼一を見ると、目の前の涼一は更に気分を害したようになってふいとそっぽを向いてしまった。 そして一間隔後に。 「俺らって友達じゃねーの? 俺はそう思ってたけど、雪也は違うわけ?」 「そ、そんなこと」 「だったら何で言わなかったんだよ。俺がむかついてんのはそういう事。お前、結局自分のことは全然話さないし。そりゃっ…俺だってお前が言いたくないなら深くつっこんだりはしないって言ったけどさ…けど、やっぱり俺、そういうのはむかつくんだよ!」 「ご…ごめん…」 「そうやってすぐ謝るのも! 分かって謝ってんのかよ?」 「うん……」 「本当かよ」 「本当だよ…ごめん。別に隠してるつもりなかった。ただ…自分でも、あんまり会いに行かないようにしてたから…」 「な……何で?」 雪也の発言に涼一が初めて驚いたような顔になって聞き返した。 雪也はそんな涼一に面と向かって言うのが何だか恥ずかしくて、俯きながら何とか答えた。 「その…。俺はあの人の所に行くとどうしても甘えてしまうんだ…。自分にとって良くないって思っているのに、護先生の傍は何だか…安心だから…。でも、先生にとってはそんなの迷惑だと思うし…」 「………何なんだよ。全然分かんねえ」 ぶつ切れながらの雪也の説明に涼一は俄然納得がいかないという風に唇を尖らせた。 「雪也の説明なんかじゃ全然分かんねーよ!」 「うん…」 「でもこうやって買い出しとかで外へ出ると時々会いに行ってたんだろ」 「それは…創の付き添いで那智さんの薬を貰いに行ったりとかで…」 「薬?」 「護先生、お医者さんなんだ。俺…」 言いかけて雪也は不意に痛む胸に顔を歪めた。涼一が不審な顔を向ける。 「どうした?」 「う…ううん…」 「………」 それきり黙りこむ雪也に涼一も沈黙した。 けれどやがて思い立ったようになると涼一は先を歩き始め、何気なく雪也に言った。 「なあ。じゃあ俺にも紹介してよ」 「え?」 「その人。雪也の神様」 「だから神様なんて…」 「いいだろ。行く口実だってあるわけなんだから」 「………」 「創に頼まれてただろ? その那智さんの薬ってやつ?」 「う、うん…」 出掛けに見せた創の何もかも分かっているというような表情が雪也には嬉しくもあり、嫌でもあった。「行く理由がないと君はあそこへ行けないんだろ」。そう言った創の顔を雪也はまともに見られなかったから。 「何してんだよ雪也。早く来いよ」 「あ…待っ…!」 更にどんどんと先を行く涼一に雪也が慌てて見せても、涼一はもう返事もしなかった。だから雪也ももう掛ける言葉を見つけられず、ただ必死に後を追うしかなかった。 買い出しの前に訪れたその個人病院は、市街地にある中央広場を抜けた少し先にひっそりと建っていた。周囲に立ち並ぶ檜がその建物を優しく囲み、静かな佇まいを見せている。 「俺も…少しの間だけだけど、ここに入院してたんだよ」 雪也は涼一にそう言って無理に笑って見せた。それはホテル「淦」にたどり着いたばかりの頃の事だ。 「入院って。どこか悪くしてたのか」 「う、ん…。そういうわけじゃなかったんだけど」 眉を潜める涼一に雪也は言いにくそうに言葉を濁す。ただ涼一はそれ以上深くは追求してこなかった。 その代わり木々に囲まれた白い建物を見つめ、それからふと傍の看板に気づいて声を出す。 「内科と…産婦人科?」 「あ、うん。家族で経営している病院なんだ」 「那智さんって妊娠してんの?」 「ええ…? 違うよ。大体、そうだったとしたら薬って飲めないんだろ?」 「え、何で?」 「妊娠中って薬飲んじゃいけないんだろ?」 「へーえ。そうなの? まあ、いいけど。じゃあ何の薬―」 けれど涼一がそう言いかけた時だった。 「雪!」 病院の窓が大きく開いたかと思うとその声は大きく辺りに響き渡り、院内に入っていない雪也たちの耳にも容易に届いた。 「あ……」 雪也と涼一が声のする方を見やると、建物の二階から身を乗り出すようにして白衣の青年がこちらを見やって手を振っていた。 「雪じゃないか! 久しぶりだな!」 「護先生…」 「待ってろ、今行くから! 今下りる! いいか、絶対帰るんじゃないぞ! いいな雪!」 窓から落ちてしまうのではないかという程身体を外へ出してそう叫んだその青年は、実に晴れ晴れとした笑顔を閃かせながら雪也に向かってそう言った。それから外へ出て来ようとしているのだろう、あっという間に雪也たちの視界から消えてしまった。 「……何だあれ」 やがて最初こそ呆気に取られていた涼一が憮然としてそう声を出した。 「あれが医者かよ。テンション高ェの…。なあ雪也―」 しかし涼一は出しかけた言葉を再び引っ込める事になってしまった。 「………」 涼一は隣に立つ雪也の様子に気づいて愕然とした。 あの護という医師の姿を、声を確認した、恐らくその瞬間だろう。雪也は今までとは全く異なった表情を示し、落ち着かない様子で、それでもその場を立ち去れないままにじっと立ち竦んでしまっていたのだ。 顔を真っ赤にして。 「………何だよ」 ようやくそう言った涼一のつぶやきも、しかし雪也には届いていなかった。 もうすぐあの前方の扉が開いて護がこちらにやってくる。 それを考えるだけで、雪也は自身の煩く高鳴る鼓動を抑えるので精一杯だった。 |
To be continued… |
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