―18―



それから3日間ほど、涼一はずっと不機嫌だった。
「まだ引きこもってんのかい、あのバカは」
朝の淦。
カウンター席で新聞をめくりながら、藤堂が何気ない口調で言った。どうでもいいという素振りではあるが、元々の人の良さが災いしているのだろう、朝食の席に来ない涼一を心配している事は明白だった。
「知らねー。俺、今アイツには近づかないようにしてんの。お先っ」
最後のコーヒーを口に流し込むと、康久はそうぞんざいに答えて席を立った。
最近は仕事が特に忙しいのだと、康久は皆より一足先に朝食を済ませホテルを出て行く。そんな彼は涼一とはホテルの宿泊客たちの中で一番親しいとされているが、この頃はずっとそんな調子だから、ふてくされてロクに口もきかない相手の心配をする余裕はないという事なのだろう。
「康久…いってらっしゃい」
急いで店の外へ飛び出て行こうとする康久に、キッチンにいた雪也が慌てて声を掛けた。
雪也は外へ出て快活に働く康久を素直に尊敬しているし、あの明るさを好きだと思っている。康久が雪也に対して違う意味の好きで接近してきた時は正直面食らったが、それでも雪也は毎朝こうして康久に見送りの言葉を掛けるのを日課としていた。
「うん! 言ってくるな、雪也!」
康久は康久で雪也にそう声を掛けてもらえるのを心待ちにしているようで、自分から催促するという事はしないのだが、雪也から声が投げられると殊の外嬉しそうな顔で振り返る。そうして上機嫌で出勤していくのだ。
「幸せな男だよ、まったく」
さっさと卒業して出て行けばいいのにと暗に示しながら、藤堂はふうとため息をつき、新聞を畳んだ。
それから朝食の乗ったトレイを持つ雪也を横目でじろりと睨む。
「また運んでやるのかい」
「あ…はい」
「そうやってねえ…」
「オーナー」
藤堂が苦言めいた声を出すと、しかし向かいの席に座っていた創がすかさずそう口を開いた。
隣ではうさぎががつがつとパンを食らっていたが、創は静かにコーヒーを手にしたまま目線を寄越さず言う。
「いいじゃないですか。それで剣君の機嫌だって少しは良くなるんだから」
「だからそれが甘やかしてるって言うんだよ」
「甘やかしてくれるホテルじゃないんですか、ここ」
「いーや、違うね!」
藤堂がガンとしてそう言い切るのを雪也は困ったような顔で見つめた。
するとカウンター席にいた那智がおずおずと声を出した。
「で、でも…。私もこちらに来られない時、雪也さんから食事を運んで頂きました」
「あんたはいいの。あいつは駄目」
「で、でも…」
那智は珍しく食い下がるように声を出し、オドオドとした視線はそのままに続けた。
「何というか…。それはとても我がままな事なんですけれど、とても贅沢でとても高価な…嬉しいものだったように思うのです」
「ん…?」
怪訝な顔をする藤堂に創が口元に笑みを浮かべた。
そして言葉の足りない従姉をフォローするように言う。
「そういう気持ちになれる時間って大切だよね。特にここの住人は」
「む……」
「雪也君、早く行っておいでよ。スープが冷めるだろ?」
「あ…う、うん」
藤堂の憮然とした様子が気にはなったものの、雪也は創のその言葉でようやくその場を出る事ができた。





「剣」
雪也が部屋に入ると、涼一はベッドに横たわったままの態勢でジロリとキツイ視線だけを向けてきた。
「おはよう」
「………ああ」
挨拶をする雪也にくぐもった声だけで答える。
ここ3日、ずっとこんな調子である。そう、護に会って雪也が自分の気持ちをバラしてしまったあの日から。
雪也はテーブルにトレイを置きながら無理に明るい調子で言った。
「今日のスープはコーンとじゃがいもとベーコンを入れたんだ。あと卵とクロワッサンとサラダがあるよ。他に欲しいものあった?」
「コーヒーは?」
「淹れてきた」
雪也は言いながら窓際に進んで行き、これも自分の日課となってしまっている、締め切ったカーテンをさっと開いた。
途端、明るい日差しがパアッと2人のいる部屋に注ぎ込んできた。
今日は良い天気だ。洗濯物も早く乾くだろう。
そんな事を思いながら雪也は窓から見える外の景色に目を細め、それから振り返りざま声を発した。
「それじゃ、冷めないうちに早く食べー」
「なあ」
「……っ!?」
しかし、言いかけた言葉を飲み込んで、雪也は驚きで目を見開いた。
さっきまでベッドで横になっていたはずの涼一が、いつの間にか自分が立つ窓際のすぐ傍まで来ていたのだ。そして自分のすぐ背後に立ち、いきなり話しかけてきた。
「なあって」
「な、何…?」
驚きを消せないままに雪也が反応を返すと、涼一は真面目な顔をして言った。
「何であの医者が好きなの?」
「……え?」
突然のその質問に雪也はぽかんとして聞き返した。
「だから」
すると涼一はみるみるいつものむっとした顔になり、腹を立てたようになって視線を逸らした。
「あの医者のどこが好きなのかって訊いてんだよ。だって同じ男だろ?」
「………」
「たとえ顔が良くて性格が良かったとしてもだぞ…? お前を助けてくれた恩人だとしてもさ…。あいつ、お前と同じ男なんだぜ。好きって、恋愛感情の好きなんだろ?」
「うん……」
今更誤魔化す事はできず、雪也は項垂れながらもそう答えた。
すると涼一はますます納得いかないという風に棘のある声を出すと言った。
「その好きってのは、つまりキスしたりセックスしたいっていう好きなんだろ。同じ男に」
「………」
「男だぜ? 何でなの? お前って元からそういう性癖なの? それとも護だけ?」
「………」
「同じ男」、何度もその単語を繰り返されて雪也は堪らずそこから逃げようとした。
けれどそれを察した涼一に素早く手首を掴まれてしまう。
「あっ…」
「俺の質問に答えろよ」
「お、俺…」
「なあ、お前って他の男とそういう事した事あんの?」
「…!!」
あまりに露骨な質問に、雪也は頭にカーッと血が上った。
幾ら友達になったからといって、何故そこまでずけずけと訊かれなければならないのか。
友達としてじゃない、単なる興味で訊いてきているだけではないのか。
怒っているような偉そうな涼一のその態度に、雪也はここで初めて怒りにも似た感情を覚えた。
「そんなの、剣に関係ないだろ…!」
「なっ…」
いつもおとなしい雪也の反抗の言葉に、涼一はあからさまにぎょっとしていた。
「な、何だよ、いきなりデカイ声で…」
「関係ない!」
もう一度大きな声で雪也は言った。
「そんなの、答える必要…!」


可愛いねえ? ユキヤくん。


「……!?」
突然声が響いた。
「やっ…」
「? 雪也?」
「ひっ、触…ッ!!」
不意に脳裏に蘇ったその台詞に雪也は思い切り総毛立ち、その恐怖から自分に触れている涼一のことを思い切り振り払った。そうして驚く相手を気にする余裕もなく、雪也はがたがたと震え始めると、そのまま力なく床の上に座り込んでしまった。
「おい…おい、雪也…」
「……嫌だ……!」
面食らう涼一に雪也はただ拒絶の言葉を吐き、ただ逃げるように両手で両方の耳を塞いだ。
思い出したくないものが、何かおぞましいものが見えてくるような気がした。
「怖い…!」
雪也は涼一の足元でただひたすらに目を閉じて、そして震えた。



To be continued…


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