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「ど、どうしたの?」
開けた扉の先にいたその人物に、雪也は思い切り驚いて目を見開いた。
「雪が会いにきてくれないからな」
「……い、忙しいと思って」
「ふ…。別に責めてない。入っていいか?」
「あ、うん…!」
言われて雪也は慌てて掴んでいたドアノブを離し、身体を引いた。
護はそんながちがちになっている雪也を見て柔らかい笑みを向けた。
「また下で凄い戦いが繰り広げられてるぞ」
お茶を淹れてくると言った雪也に、護は「いいよ」とすぐに制した後、可笑しそうにそんな事を言った。
「俺の顔見た途端だもんな。『何しに来たんだ!』ってすごい睨みきかせて。恋する男ってのは怖いな」
「………」
「それを抑えつけようとしてるオーナーがまた面白い」
護は軽い調子で言った後、腰掛けているベッドの位置から所在なさげに窓際に立つ雪也を見つめた。
「雪、どうした? そんな所にいないでもっとこっち来いよ?」
「あ……」
「な?」
甘い声で誘われて、雪也は躊躇した挙句結局その差し出された手の方へ向かった。
「………」
黙って隣に座ると、護はひどく優しい眼差しでそんな雪也を見つめたまま、そっとその肩に腕を回してきた。びくりと震え、戸惑いを全身で表す雪也に「大丈夫」と声を掛けながら。
「雪は…本当強くなったなぁ」
そして護はしみじみとそんな事を言い、雪也を抱く腕に力を込めた。すると雪也はもう堪らなくなってしまい、そのまま傍の護にもたれかかり、その胸に縋った。護の心臓の鼓動が聞きたくて、そっと目を閉じ耳を澄ます。
ああ、やっぱり温かい。
あの日、もし護のこの腕の温もりがなかったなら、自分はとっくに壊れてなくなっていたに違いない。雪也は思う。ボロボロになってホテルを訪れた時、本当にもう何もしたくなかった。誰にも近づいて欲しくなかった。それなのに心のどこかで誰かに寄りかかりたくて助けて欲しくて仕方なかった。
そんな時、黙って安心できる居場所をくれた人。
「……駄目」
だからこそだ。
雪也は目を閉じたまま苦しそうに呟いた。この優しい懐が好きだと、安心だと思ううちは、まだ自分は駄目だと思う。
「…全然…強くなんかない…」
「強いよ」
すぐにそう返してくる護に、雪也は目を開くと抗議するような視線を向けた。ああ、やっぱりあの時と同じだと思う。あの、どうしようもなく苦しくて身動きが取れなかった時に見せてくれた笑顔と。
ぼうとして見惚れていると、護はそんな雪也の髪の毛を優しく梳きながら言った。
「雪が元気になってくれてるのは嬉しいけど、頼られなくなるってのは寂しいもんだな。だからまあ…自分から会いに来ちゃったんだけど」
「……忙しいと思ったから」
「それさっきも、この間も言った」
護はふっと笑んでから雪也を覗きこむようにして続けた。
「そうやって俺のことを気遣えるくらいに雪はもう強くなったって事だ。だから俺はそれを寂しいって言ってる」
「も、もしそうだとしても…面倒な患者が1人減るんだから…」
「ん…」
「さ、寂しくないでしょ…。嬉しいでしょう…?」
「面倒なんかじゃない」
即答する護に雪也はすぐに反応を示せなかった。
護はそんな雪也に立て続けに言った。
「俺にとって雪はただの患者でもないよ」
「……護、先生?」
どきんと心臓が跳ね上がって、雪也は思わず身体を離そうとした。いけない、これ以上この人と触れ合っていたら、きっと自分はロクでもない事を口走ってしまうに違いないのだ。
「あの…」
「ん……」
けれど今の体勢から逃れようとする雪也を護はがっしりと包み込んで離さない。
雪也は思い切り顔を赤くしてうろたえた。
勘違いしてはいけない。
どんな言われ方をされようと、この人はただ死に物狂いで自分にしがみついてきた人間を見放せないで情を感じてしまっているだけだ。この人は誰にでも優しい。誰にでも平等の笑みを向ける。だから、可哀想なこの病人に手を差し伸べてくれるのだ。
いや、たとえそうでなくとも、自分が少しだけ他の患者よりも特別だったとしても、自分はこの人にとってただの「弟」なのだから。
だから勘違いしてはいけないのだ。
「護先生…」
「先生はいらないって言ってるのに」
「だっ…」
「だって俺が雪に関わっているのは医者としてじゃないから。医者としての俺はもう雪には必要ないだろう?」
護は言ってから雪也の前髪を掻き揚げるようにしてその額をそっと撫でた。そうして、目を逸らしたいのにそれができないでいる雪也を真っ直ぐな瞳で見据えてくる。
「雪。最近、夢見るか」
「あ…」
反射的に首を振ると護は目を細め、そして笑った。
「息が苦しくなったり眩暈を感じることは?」
「ほ…とんど…」
そういえばそうだ。雪也は自分の身体の変化を思い出し、驚いたようになって口を噤んだ。
以前はしょっちゅう、それこそ毎日のように護にこうして肩を抱いてもらわなければ息が続かないほどに苦しかった。悪夢はほぼ毎日見ていたから眠るのが怖かった。だからもう限界だと思うとすぐにあの病院を訪れていた。護に甘えてばかりはいけないと思っていたのに。
それが今はどうだろう。
護に言われるまで思い出す事もないほど、雪也は随分と落ち着いた風になっていた。
「だから雪は凄いんだよ」
護が言った。
「出会った時から思っていたよ。雪は自分の弱さも強さに変えられる凄い奴だって。だから目が離せなかった。…俺は面倒見の良い医者なんかじゃないんだからな」
「………」
「雪を尊敬してる」
護はそう言ってまた穏やかに笑い、そして雪也の髪の毛を今度はぐしゃりとかき混ぜた。
ふわりと温かい気持ちが胸を過ぎって、雪也はそうしてくれた護をただじっと見上げた。
尊敬しているのはこちらの方だと言うのに。
「あの…」
「ん?」
「俺…本当にもう…大丈夫、かな…?」
「うん」
「……本当に?」
「うん」
「………」
護に言われて雪也はすうっと胸の奥が澄み渡った気持ちになった。
「あ……」
けれど雪也はたちまちふと不安な眼差しを向けて護に言った。
「で、でも…これからもこうやって時々は話をしてもいい…ですか?」
「ふ…だから医者として来たんじゃないって」
「……でも」
自分は邪な想いでこの人と接したいと思っているのだ。ずきんと痛む胸をぎゅっと抑え、雪也は唇を噛んだ。この想いはもう当に相手に知られているような気がするが、それでもまともな告白は一度としてしたことがない。もし言ってみたらこの人はどんな反応を示すのだろうか。
好きだと言ってみたら、この人はどんな顔をするのだろう。
「雪」
その時、逡巡していた雪也に護が言った。
「雪が元気になったのは雪自身の強さのお陰でもあるけど。でも、余計な事を考えなくても済むようになったのは、やっぱりあの恋する青年のお陰なのかな?」
「え?」

「雪! 開けろ、ここを開けろ!!」

雪也が怪訝な顔をして聞き返したのとほぼ同時だった。
「!?」
「開けろって言ってんだろ! でないとこのドアぶち破るぞ!!」
「やめなって言ってんだろーが、この大バカっ!!」
どんどんと激しくドアを激しく叩く音と、そしてオーナーの怒鳴り声と。
「つ、剣…?」
唖然として部屋の入り口を見つめる雪也に護は心底可笑しそうに笑った。
「凄い。このままの体勢でいたら俺はきっと殺されるな」
それでも護は挑むように雪也の肩を抱いて離さなかった。雪也が焦った風にそんな護を見上げていると、その笑いを含んだ声は割と真面目に落ちてきた。
「なあ雪。お前は彼のことをどう想ってるんだ?」
「え……」
「分からないなら考えてみなくちゃ駄目だぞ。だってお前、少なくともここ数日は彼のことばかり考えていたんじゃないか? それが振り回されていたせいでも何でも、それは凄く重要なことなんだよ」
「重、要…?」
「そうだよ」
「雪ー! 開けろ、開けろってのー!!」
「………そんなの」
護のその言葉とドア向こうで叫ぶ涼一の声に、雪也は困惑の色を隠せなかった。



To be continued…


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