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『俺、知りたいんだけど』
そう言って真っ直ぐに自分の事を見やってきた涼一に雪也は何も言えなかった。
そんな雪也の態度に涼一は思いきり気分を害した。涼一は以前「雪也が嫌なら立ち入った事は訊かない」と約束してくれていたはずだが、元々がオープンな性格の上、今では雪也にベタ惚れの身の上だ。口を噤んだまま何やら秘密を抱え苦しんでいるらしい雪也に、涼一としては「何故話してくれないんだ」という気持ちが強くあったのだろう。
そんな涼一に答えられなかった雪也。
結局その日一日、涼一はむくれて部屋に閉じこもったまま一歩も外へ出てこなかった。


「だからね。あれはガキなのよ。とんでもないクソガキ」
カウンター席で本を開いていた藤堂は雪也が洗い物を終えて自分の元へやってくると突然堰を切ったように話し始めた。先ほどから数ページも進んでいないと思ったが、どうやら雪也が来るのをただ待っていただけらしい。
「ねえ雪也。確かにあいつは顔は人並み以上に良いし、実家も大金持ちらしいけどね。でも、あれはやめときなさい。アタシは反対」
「べ、別に俺…」
「嫌いじゃないでしょ」
ぴしりと言って雪也を黙らせてから藤堂は大袈裟なため息を1つついた。それから雪也が淹れてくれたコーヒーを口につけ、眉をひそめる。珍しくブラックがいいなどと言ったが、どうやら苦過ぎたらしい。
それでも藤堂は意固地になったようにそのコーヒーに再度口をつけた後言った。
「ホテルのオーナーがお客に特別な思い入れをしちゃあいけないって分かってるつもりだったけどね。でも雪也。アンタはアタシにとって可愛い息子みたいなもんよ。そうね。護先生がお父さんなら、アタシはお母さん。どう、良い家族になれそうでしょ」
「あの…」
「護先生っていつ見てもとっても良い男。ねえ、雪也がいらないならアタシが貰っちゃうわよ?」
「………」
探るような目を向けられながらそんな事を言われ、雪也はすっかり困惑して俯いた。傍の椅子に座る気もせず、ただ流しの蛇口をじっと見つめる。こんな時、汚れた食器があったら喜んで洗うのに。間が持つし、自分自身の気も紛れる。
「雪也。そうやって逃げようとしても無駄よ」
しかしその日のオーナー藤堂はやや厳しい口調で視線を合わせようとしない雪也に言った。
「アタシはいつまでだってアンタにここにいて欲しいからね。さして煩い事を言う気もなかった。護先生を好きだって気持ちが肉親に抱く情だったとしても何でも、雪也がいいならそれでいいって。そう思っていたのよ。本当に」
「………オーナー」
「実際、護先生もあんな人だしね」
「……?」
意味が分からず雪也が顔を上げると、藤堂は相変わらず苦々しい顔をしたままこちらを見据えていた。
そうして肘を立て口元を抑えると、何やらもごもごと低い声で言った。
「でも、だからって何であの涼一に振り回される必要があるわけ? アタシはね、それでアンタがまた傷つく事になるんじゃないかってそれが心配なのよ。分かる?」
「………」
「雪也!」
「は、はいっ…?」
「分かるのかって訊いてんでしょーが。どうなのよ、一体?」
「お、俺…」
分かるような、分からないような。
実際どうして答えて良いか分からないから雪也は黙っていた。藤堂は事ある毎に涼一は口が悪い、すぐに雪也に対してキツい態度を取ると、2人が共にいる事に良い顔をしなかった。
けれども当の雪也自身は涼一の言動を心底憎んだり疎んだりという事はなかった。
ただ涼一のような人間は自分には眩し過ぎるとは常に感じていたのだが。
「大体、アンタは今他に考えなくちゃいけない事があるようだし」
「え…」
「手紙は開けたの?」
「………」
ああついに訊かれてしまったと思いながら雪也は力なく首を横に振った。藤堂は予測していたような顔をして黙っていたが、やがて「ここはもういいから寝なさい」と静かに言った。
部屋に戻って手紙を読めと言いたかったのだろう。雪也は黙って頷き、二階へ上った。



自室に戻ると、そこには当然のように涼一がいた。
「風呂借りた」
いつものように、けれどさすがに素っ気無く、涼一は濡れた髪の毛を拭きながら雪也のデスクに向かった格好のままそう言った。雪也は「うん」と生返事をした後、自分もいつもの習性でベッドにぽすんと腰をおろした。
デスクの上には相変わらず封の切られていない手紙がある。
涼一の身体のせいでその封筒は雪也の視界には映らなかったが、それでもその方向からちくちくとした何か得体の知れない痛みのようなものは感じた。自然ため息をつき、雪也はそれを誤魔化すようにそのままばたりと仰向けの状態でベッドに倒れこんだ。片腕で目隠しし、全ての視界を遮断する。
「なあ」
すると涼一が恐らくは雪也に背中を向けたままの状態でだろう、声を掛けてきた。
「雪」
「……ん」
仕方なく返事をすると、涼一は言った。
「好きなんだけど」
「え…?」
「俺、お前のこと好きなんだけど」
「………」
「そういうところはイラつく」
雪也が横たわったまま腕を外して涼一を見つめると、涼一もくるりと振り返って雪也のことを見つめてきた。暫し見詰め合い、そしてその間はずっと重い沈黙が流れた。否、「重い」と感じているのは恐らくは雪也だけだっただろう。涼一は堂々とした瞳を閃かせて毅然とした表情を保っており、どうして良いか分からずいつも迷っている雪也とは本当に対照的だった。
そして涼一は言った。
「雪は俺に嫌われてもいいわけ? お前がいつまでもそんな態度だと、俺いい加減キレるぜ。何を怖がってんのか知らねーけど、何でも1人で抱え込むなよ。そうやって閉じこもってたら何も始まらないだろうが。違うか?」
「………」
「まただんまりかよ」
舌打ちする涼一に雪也はくしゃりと表情を崩した。涼一の苛立ちは痛いほどに分かる。自分自身ですらこんな己にはほとほと嫌気が差しているのだ。だから責められて当然なのだ、そう思う。
けれど、ここ最近ずっと優しかった涼一の態度がガラリと変わってキツイものだったのにはさすがにダメージがないとは言い切れなかった。涼一の激情についていけるほど、今の雪也の心には余裕がなかったから。
「……もう出てって」
だから雪也はそう言った。涼一がそれで余計に頭にくると知っていたのに、雪也は再び腕で顔を隠すとハアと大きく息を吐き出し言った。
「いいよ、嫌っても…。俺、剣にふさわしくないから」
「……何だよそれ」
バカにしたように涼一は口の端だけで笑った。それからすっくと立ち上がり、雪也を通過して吐き捨てるように言う。
「そうかもな。俺もそう思い始めてきた。お前みたいにうじうじいつまでも訳分からない事で悩まれてても俺、付き合ってやることもできねーし。お前に必要とされてないみたいだし。バカみてえ、こっちだけが勝手に熱くなって…」
「………」
「邪魔したな」
涼一が本気で怒っているのだと実感したのは、バタンと乱暴に閉められたドアの音を聞いてからだった。
「剣…」
上体を起こしてそっと名前を呼んでみたがもう涼一はいない。
雪也は暗い気持ちのまま閉じられたドアをじっと見つめた。
あそこまで心を開いてくれている涼一に、自分はいつまでも殻に閉じ篭ったままで。それで涼一を呆れさせてしまった。怒らせてしまった。
「やっぱり駄目だな、俺…」
けれど雪也は自嘲しつつも立ち上がるとすぐ傍のデスクに向かった。
勢いのまま手紙を掴み取り、そのままびりりと封を開ける。

涼一に軽蔑されたのが悲しかった。
だから手紙を読もうという気持ちになった。



To be continued…


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