―41― その日、母はいつものように仕事を言い訳にして「今日は帰れないから」と雪也に言った。 雪也はその言葉を聞きながら「それを水嶋が知ったら、またあの男がこの家に来る」と、その事が不安で恐ろしくて仕方なかった。 「行かないでよ母さん…」 だから雪也は、その日遂に思い余って母の美奈子にそう言った。今まさにデート先へ出掛けようとしている母の背中に訴えた。何処にも行かないで欲しい。自分を護って欲しい。そんな気持ちでいっぱいだった。 玄関先で懇願するような目を向けたまま、雪也は自分にとってたった一人の肉親である母の背中をただ見つめた。 「何言ってるのよ」 しかし母はそんな雪也を振り返りもしなかった。 「アンタ、もう子どもじゃないでしょう。留守番くらいもっと小さい頃からちゃんと出来ていたじゃない。アタシはアンタを女手一つで養っていかないといけないのよ? 仕事しないわけにいかないでしょ」 「うん、でも…」 「我がまま言うんじゃないの」 もう一度確認とばかりに手鏡を手にし、ショッキングピンクの口紅を塗ったくった美奈子はそれだけ言うとさっさと雪也を置いて行ってしまった。 バタンと無情にも閉じられたドアを雪也は黙って見つめた。 ごとりと、何か重たくて黒い物が床に落ちた気がした。 案の定、その晩水嶋は雪也の家にやって来た。一体どこで嗅ぎつけるのか、母のいない日には決まって同じ時間に現れた。 そして自らのスペアキーで中へ上がり込み、部屋の隅でうずくまって震えている雪也を見つけると、水嶋はいつも獣のように爛々と眼を輝かせ、不気味な笑声を立てた。 「ほら雪也…。もっとお尻を上げるんだよ…? もっとよく見せて…」 「いっ…や、だ! 痛い、痛い!」 ベッドに連れ込まれるといつもすぐに全裸に剥かれ、身体のあちこちを弄られた。しかも水嶋は、最初の頃はお決まりのセックスしか強要しなかったのに、回数を重ねる毎に雪也の見えない部分に傷をつけるようになり、また様々な道具で中を酷使するようにもなった。 水嶋は雪也の泣き顔と悲鳴を殊の外喜んだ。 「言う事をきかないともっと酷くするよ…? これはね、雪也の為にわざわざ用意したものなんだ。雪也の為だけにだよ? ほら、こうやってスイッチを切り替えるとね、もっと激しく上下に動くんだ…」 「や…ああああッ、あっ、やああぁ――ッ!!」 「気持ちいいかい、雪也…?」 「ああっ、あ、あっ! やだ、やぁッ、許し…ッ!」 無理矢理尻を突き出した格好をさせられ、雪也は背後から攻める水嶋にただ懇願し声を上げ続けた。ブルブルと中で激しく動くバイブに全てを持って行かれる。全て壊されていった。 「ああ…雪也は本当に可愛い…可愛いねえ、雪也君?」 また、壊れて行くのは水嶋も同じだった。 雪也が嫌がれば嫌がるほど、自分に対して助けを求めてくればくるほどに、水嶋の嗜虐心は加速度的に増していった。貿易商である水嶋は商売柄数多くの価値あるアンティークや高価な宝石などを目にしていたが、それでも未だかつてこれ程までに素晴らしい「品」とは、ついぞお目にかかった事がなかった。 こんなに最高の玩具。 「ねえ雪也…抜いて欲しい、これ…?」 「お願…」 「すぐにお願いできるようになって、偉いねえ雪也は…。それじゃあ代わりに俺のモノが欲しいって言ってごらん」 「う…あ……」 「言わないとまたスイッチを入れるよ」 「! やめ…」 「なら言うんだ」 ゆるゆるとしたいやらしい動作で雪也の尻を撫でながら、水嶋は嬉々とした眼を向けて言った。正直自分のムスコも限界だ。パンパンに張ってしまったズボンを脱ぎ捨て、猛ったこの熱を早く雪也の中へぶちまけたい。思い切り抉ってやりたい。そうすれば雪也は今よりももっと、自分から離れられなくなるだろう。そう、あの母親との付き合いは悪夢以外の何物でもなかったが、この美しく可愛い雪也が手に入る事を思えば、あんな過去は実に何でもない事だ。 水嶋は雪也の身体に夢中になりながら、そんな事を考えていた。 「水嶋さん…」 雪也がすっかり枯れた声で微かに呼んだ。 「ん…。どうした雪也、おねだりする気になったかい…」 水嶋が聞く。しかしもう手はバイブを離し、いそいそとズボンを脱ぎにかかっていた。 「もう…やめて……」 「……何だまだそんなくだらない台詞が吐けるのか。仕方のないやつだな…」 望みの言葉が聞けずに水嶋は思い切り顔をしかめた。しかし今は責める言葉にも力が入らない。この時水嶋は自らのズボンをおろす事に必死になっていた。猛った性器のせいでチャックがなかなか下へいかない。水嶋はそんな自身を苛立たしく思いながら、しかし力任せにパンツごと全て下ろしてベッドの傍に投げ捨てた。 いや、投げ捨てようとした。 「何してるの」 しかしそれをしているその真っ最中に、ズボンを投げ捨てるはずの方向からひどく無機的な声が掛かってきた。 水嶋と雪也はほぼ同時に背後のそちら…部屋の入口へ視線をやった。 「随分と楽しい事してるのね」 「なっ、美奈…ッ!?」 ……その日を境に雪也の水嶋から与えられていた地獄は終わった。そのすぐ後にはもう別の地獄が口を開いて待っていたのだけれど。 そしてそれはある意味雪也にとってこれまでの苦痛よりももっと酷いものだった。 「な、何だとッ!」 何も言えずただ突っ立っているだけの雪也。 しかし部屋にいる大人2人は既に勝手な談合を始めていた。母の美奈子は「いらなくなった」息子・雪也を水嶋にやってもいい、ただしタダでは駄目だ、それなりのもの―つまり金を寄越せと言ってきた。水嶋はそれを快く承諾した。水嶋は母の美奈子より年は大分下だったが、商売は順調で美奈子が付き合ってきた男の中でも1、2位を争う財産の持ち主だった。 つまるところ美奈子のこの街に来た目的は金だったのだ。 息子である雪也に会う事ではなくて。 「ど、どういう事だ、それは…!」 しかし最初こそにんまり顔の水嶋が、美奈子との話を進めていくうちにみるみる顔色を変えていった。2人は窓際に置かれた椅子に向かい合わせで座っていたのだが、美奈子のある一言で水嶋は遂に激昂したように立ち上がった。 「バカな事を言うな! そんな大金が払えるか!」 「あら。あんた最近L証券の株で大儲けしたって周囲に吹いてたそうじゃない。それが嘘としても、羽振りがいいのは本当でしょ? 知ってるのよアタシ」 「お前が何を知っていようが関係ない! とにかくそんな破格な値じゃ取引できないって言ってるんだ!」 「アンタにとってこの子は今までで一番の品じゃないの?」 「そうだが…。だが、それは無理だ!」 勝手な会話が繰り返されている。 「………」 雪也は未だベッド脇に立ち尽くしたまま、そんな2人のやりとりをただ眺めていた。 よく分からなかった。 母が話している事も、水嶋の怒った顔も。聞こえているようで、見えているようで雪也にはちっとも分からない。分かりたくもなかった。 母が自分を売ろうとしているだなんて。 それでは、あれほど怒り狂って自分を殺そうとまでした事は何だったのか。こんな風にあっさり手放せるのなら、死ねと叫んであの錆びたナイフを突き立てた意味は何だったのか。 お前なんか大嫌いなんだよと、子どものように泣きじゃくって。 「じゃあこの取引はなしね」 その時、一通り話を終えたのか美奈子が言って自分も席を立った。呆然とする水嶋に迷惑そうな顔を向け、おもむろにバッグから扇子を取り出しパタパタと扇ぐ。 「アンタがそんな甲斐性なしとはガッカリだわ。アタシだってアンタとは仮にも昔はイイ仲だったわけだし、どうせならそんなアンタに売りたいわよ。でも、それっぽっちじゃてんで駄目。だってもっと出せる客がいるんだもの。だったらそっちに売るのが道理でしょう」 「何だと…!? お、俺の他にもいるのか!?」 「そうよ」 美奈子はフフンと鼻で笑い、得意気にそう答えた。ちらと雪也に視線をやり、どうやっても自分から逃げられない息子を嘲笑うようにして続ける。 「この子のそういう男を『咥え込む』技術には本当頭が下がるわ。しかも上等の男ばっかりでしょ。まあ時々アンタみたいな変態が寄ってくる事もあるけど」 「こっ…」 「最初は医者。優秀なエリート医で、ハンサムで優しくて。街の人にも神様のように崇め奉られている男よ。ただまあ、あんまり欲がないみたいで、本来ならもっと稼げるはずなのにそれをしないってのが玉に瑕だったわ」 「母さ…」 雪也の呼びかけを美奈子は無視した。 「でもね、今度の男はもっと凄いわ。医者も捨てがたいけど、やっぱりお金を取るなら実業家よね。しかも剣財閥のご子息様とはね。ふふ、一体幾ら出すのか楽しみ」 「母さん、何…」 「おい、一体何の話だ」 水嶋も怪訝な顔で問い質した。ただ、美奈子の商売相手が大物だという事は分かったのだろう。冷や汗を流し、突っ立ったまま動かない。 「剣涼一」 美奈子が言った。 「調べたのよ。この子のここでの恋人。タダで持っていこうったってそうはいかないわ。ふんだくれるだけふんだくってやる。もしごねたりしたら永遠に仲を引き裂いて、この事を世間に流しまくってやる」 「母さん…」 雪也はそれこそ水嶋などよりも顔色を失くし絶句した。 母はもうとっくにこの町に来ていた? そして自分の周辺を探り、そんな事を考えていた? そんな、そんなくだらないバカバカしいこと。 「いいこと雪也」 美奈子が言った。 「せいぜいあんたからもあの二枚目に頭を下げてよぉく頼むのね。ボクを高く買って下さ〜いって。でなきゃこの変態に落札されるわよ?」 「……っ」 涼一に迷惑がかかる、雪也は咄嗟にそれだけを思った。 あんなにあんなに良くしてくれた、優しく辛抱強く自分と向き合ってくれた涼一に、こんな事で迷惑が掛かる。自分なら母にどんな我がままや無茶を言われても構わない。お金が必要なら幾らでも働いて与えたいと思う。けれど、何の関係もない涼一にそんな事を持ちかけようとしている母は許せない。自分を売ろうとしている、その事実も勿論ショックだし悲しいけれど、今はそれよりも何よりも。 涼一に迷惑が掛かる事が耐えられない。 「……母さん」 雪也はこの時母と面と向かった状態で、初めて自らの拳を固く握り締めた。 |
To be continued… |
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