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「ここって昼間は喫茶店なんだよな? 客って来るの」
涼一は既にカウンター席に座って雪也を待っていたが、その2つ隣の席には珍しく創が座っていた。
オーナーは何故かいない。いつもならカウンターの一番端の席で読書なり編み物なりをしているはずなのに。
雪也が目だけで創に問うと、敏い常連客は「買い物」とだけ答え、再び涼一に向き直った。
「繁盛しているように見えるかい」
「ここが? ちっとも」
「でも君はここを見つけて来た」
創の問いに涼一はつまらなそうな顔をして「まあな」とだけ答えた。
雪也はそんな2人のやり取りを耳に挟みながらカウンターと隣接しているオープンキッチンに入り、涼一の為の朝食を用意し始めた。
すると涼一は創に答えつつも、姿勢は前にして雪也の作業を眺め出した。余程空腹なのか、料理人が雪也では心もとなくて心配なのか。どちらにしろそんな風に見つめられている雪也は居心地が悪くて仕方がない。努めて知らぬフリをしながら、冷蔵庫から卵やらバターやらを取り出し作業に没頭した。
「そういえば君の名前」
創が言った。その手元にあるカップからはコーヒーの良い香りと共に白い湯気がたゆたっている。雪也が淹れておいた物を創が自分で注いだのだろう。
「剣涼一と言うそうだね」
「それが」
「サムライの国の出?」
「……あんたに何か関係ある?」
「いいや。ただの興味さ」
「なら答える必要はないね」
冷たく言い放つ涼一にはまるで動じず、創は天井に向かってとぼけた声を出した。
「そういえばサムライの国にはツルギという名の財閥があったな。車だジェット機だロケットだ、はては人口脳を取り入れた喋るロボットだって、随分と色んな商売をしているようだけど。それがまたアコギな仕事をするとかで、その手の世界じゃ疎まれたり畏れられたり、だ」
「へえ」
「知ってるかい。そんな大企業も、昔はこんな小さなネジ巻式の張りぼてねずみを作っていたんだよ」
創が言いながら両手で小さく丸を作って説明する。
「……知らないね」
涼一は創の方は一切見ようとせず、ただ雪也の手の動きを見つめていた。
「どうぞ」
やがて雪也がすっかり用意した朝食を差し出すと、涼一はようやくかという顔を見せてから黙ってフォークを掴み、食事を始めた。もう創と会話をする気はないようだった。
雪也はちらちらと創の方を見やった。涼一の食事を見て何か言われたらどうしようという気持ちがあったからだ。
皆とは違い、雪也は涼一にだけフレンチトーストを作っていたから。
「ごちそうさま」
しかし創は別段それに気づいた風もなく、コーヒーを飲み終わるとガタリと立ち上がった。創は一日の大半を部屋で過ごす。今日もそのつもりなのだろうと思った。
しかし創は言った。
「今日は出かけるんだ。夕飯はいらない。申し訳ないけど」
「あ…うん、分かった」
「うさぎも連れて行くから。あいつは君の料理が食べられないと知ったら…怒るだろうけどね」
「もし早く帰ってくるようだったら、何か夜食を作っておくよ」
「そう? それは嬉しいな、ありがとう」
創は雪也の好意に素直に笑みを向けると、もう一度ちらと涼一の事を見やった。
何事か考えている風な瞳が眼鏡の奥で揺らめいている。雪也は怪訝な顔を向けたが、創は何とも言わなかった。
けれど、去ろうとする直前、思い出したように。
「夜食は…フレンチトーストがいいな」
「あ……」
「【シフォン】のクロワッサンも好きだけどね」
「わ、分かった」
やっぱりバレていた。
雪也は少しだけ気まずい思いをしながら笑う創の背中を黙って見送った。
「何なのあれ」
暫くして、食事を止めた涼一が不機嫌そうに声を出した。
「あれ、長い客なの?」
「え…あ、はい」
「あんたとどっちが長いの」
「創の方が…」
「気に入らねー奴」
「………」
むすっと答えてから、涼一は面白くなさそうにマッシュポテトをフォークで何度かつついた。
それから思い出したように言う。
「シフォンって?」
「え?」
「さっきあいつが言ってただろ」
「ああ…。この先に行った所にあるパン屋の名前です。そこのクロワッサンが美味しいんです」
「へえ…」
「食べますか? まだあるんで」
「いいよ。これで十分」
涼一は言った後、また食事を再開した。
雪也はそんな涼一を眺めた後、他の宿泊客たちが置いていった空の食器を片付け始めた。
「あ……?」
その時、その汚れた食器群の中に他とは違う皿があって雪也は思わず声を出した。
それは昨夜涼一の部屋にもって行った夕食を乗せたトレイで。
「……ああ。それ、そこへ置いておけば片付けてくれんだろ?」
雪也の様子に気づいた涼一が「今頃気づいたのか」という顔をして見せた。
雪也は途惑いながら頷き、もう一度トレイに乗ったままの昨夜の皿を見つめた。
どの皿も綺麗に空だ。
食べかすを傍の生ゴミ入れや流しの三角コーナーに捨てた形跡はない。
全部食べてくれたのだろうか。
「俺、疲れてるから当分外出はしない」
その時、雪也の意図を察したように涼一が言った。
「夕食、ここのを食べるから」
「あ…はい」
雪也は半ば茫然としながら頷き、それから涼一の手元を見つめた。
どうやら朝食も残さず食べてくれそうな勢いだった。



To be continued…