(6)



  誰でも一度は憧れることがあるのかもしれない。
  自分にしかない「何か」。
  自分だけが持ちうる《力》。
  でも、もしそんな能力があったとしても、それが何のためにあるのか考えることをしなかったら。何のために使うのかも分からずに一人で突っ走っていたとしたら。
  それは、訳も分からずに生きているのと似ている。





「 …お前、こんな所で何してんだよ」
「 何って…読書だけど…」
  昼休み。
  いつも知らず知らずに探してしまう「アイツ」がいないものだから、仕方なく校舎の屋上で昼寝でもしようと思ったら、その先に当の緋勇龍麻、その人がいた。京一は意表をつかれて、何だかふてくされた気分になった。
  それでも何かは話したくて、どかりと隣に腰を下ろす。
「 …何、読んでんだよ」
「 『江戸の歴史』第六巻」
「 けっ…」
  そういえば龍麻は自分などより余程頭が良かった。受験のために東京に出てくるくらいだから、かなり上位だろうと思う。本来なら、厭味を絵で描いたような存在のはずだった。
「 今、俺のこと『厭味な奴』って思っただろ?」
「 ああ!?」
「 そんな顔するなよ」
  龍麻は困ったように笑ってから、本を閉じて京一をまじまじと見やった。
「 京一って、俺のこと嫌いだよな」
「 な、何言ってんだよ…っ!」
  龍麻の科白に驚いて、京一は一層声を荒げた。龍麻は慣れたように先を続ける。
「 俺のこと見る度に怒鳴るじゃん。イラついたみたいにさ」
「 そ、それはお前がいっつも危ない場所にいて、独りでのうのうとしているからだ!」
「 心配してくれんのは嬉しいんだけど、そこまでされると却って考えちゃうんだよな。俺が京一たちの行く場所にいつもいるから、うざいって思われてんのかな、とか」
「 お、思ってねーよ!」
「 なら良いけど」
  ムキになる京一を軽くかわして、龍麻は再び読みかけの本を開いた。

  ふわりと、2人の間を涼やかな風が通り過ぎた。

  龍麻の横顔が京一の視界に映る。長い睫が伏し目がちの目にかぶさって、ひどく綺麗だ。風に流されるさらりとした髪も、細い身体も、自分にとってはひどく異質な存在のように感じられた。
「 …京一?」
  呼ばれて、京一ははっとして我に返った。
  知らぬ間に、龍麻の髪に触れていた。
「 お…」
「 どうしたんだよ…? 俺の頭に何かついてる?」
「 い、いや…その…」
  京一はそう言ったっきり、口ごもった。けれど触れている髪から手を離すことはできなくて。それどころか、力をこめて―。
「 きょ…京一…?」
  驚きに見開かれた瞳を見つめたまま、引き寄せて。

  キスを、していた。

  龍麻の横顔を見た時。声を聞いた時。そうじゃない、あの出会った時に。
  もう、感じていた。
「 ……」
  どうしてもっと近くにいないんだろう。何故、側にいない? 理不尽な苛立ちを感じていた。龍麻は、この緋勇龍麻という人間は、この街に来た時から、自分の元へと来ることが決まっていたはずなのだ。なのに、どうして。
  距離を感じて。
「 京一…離せよ…っ」
  触れるだけの口づけだったが、唇が離れてからも、京一は龍麻を引き寄せた腕の力は緩めなかった。近くに龍麻の吐息を感じたまま、京一は目の前の人間を離したくないと思っていた。
  しかし、当然といえば当然だが、された方の龍麻が強引にそんな京一を振り払って非難の目を向けた。
「 何するんだよっ」
「 イヤかよ…」
  京一は腕を振り払われて憮然としたままそう答えた。そんな京一に、龍麻もどうしていいか分からなくなる。
「 いいわけはないだろ、男にキスされてさ…」
「 俺だって、野郎なんかにしたいわけねえだろ…」
「 は、はあ?」
  京一の、依然ぼーっとしたような言い方に、龍麻は面食らった。
「 お、前…。じゃ、今のは何なんだよ!? 新手のギャグか?」
  初めて怒鳴るような龍麻の声に、京一はここでようやくはっとして、途端赤面しながら立ち上がった。
「 ばっ、馬鹿野郎! ギャグだろうが何だろうが、俺は男相手にキスなんかしねえ!」
「 い、今しただろっ!」
  龍麻も立ち上がって京一を睨みつけた。それでも京一の怒鳴り声はとどまるところを知らない。京一の方が背丈があるので、自然龍麻を見下ろす形になるから、強気に出られたのかもしれなかった。
「 うるせえ! お前のせいだろうがっ!」
「 なっ…!?」
「 お前が俺に、てめえのこと嫌いだろうとか何とかくだらない事訊きやがったせいだ! だから俺は―!」
「 嫌がらせでこんな事したのかよっ!」
「 アホかっ! お前のこと好きだからしたに決まってんだろ!」
「 …………え?」
「 !!!」
  自分で言って、京一は自分自身で驚いた。
  誰が誰を好きだって?
  俺が、緋勇龍麻を好きだって言ったのか? この俺が?
「 ……マ、マジで言ってんのか…?」
「 ……っ!」
  龍麻の顔を見た途端、京一は自分の身体が一気に火を吹くのを感じた。
  そこには思い切り困惑したような、どうして良いのか分からない戸惑った龍麻の顔があって。
  ここにはいられない。京一は赤面したまま、勢いよく屋上のドアを開けると、そのまま脱兎のごとくいなくなってしまった。
「 ………」

  一人その場に取り残された龍麻は、ようやく今頃になって訪れた心臓の鼓動の早さを実感して、自らの手をその胸に当てた。
「 ばっ…か、じゃないのか、あいつ…」
  そして、思わずそうつぶやいていた。



  あいつらはいつも一緒だ。戦う時だけじゃない。買い物も、飯を食うのも。下手をしたら一緒に住み始めるのじゃないかってくらいに、いつもセットで行動している。
  そんな4人をいつも傍で見ていた。
  あいつらのように「この街を護る」使命感に燃えて、同じ事件を追っているわけじゃなかった。だから、彼らに先んじて異形の物たちを滅してしまった時は、その悪霊たちにすら悪いと思ってしまった。何の迷いもないように見える彼らは、正直言ってカッコ良かった。

『 彼らに何故言わない』

  如月はそう言っていた。実際、自分が彼らに自分の力のことを話した時のことも想像してみたりした。でも。
  あの中に俺が入る? 今さら?

  そんなこと、できるわけがない。





「 …確かに、力になるとは言ったけどね」
  午後の授業をサボって、尚且つ相手にもサボらせて、龍麻は絶好の相談相手―壬生紅葉―に向かってふてくされて見せた。如月と同様、よく共に旧校舎などへ足を向けるうちに、龍麻は壬生とは随分打ち解けた間柄にはなっていた。もっとも、壬生の方が龍麻に決して自分のプライベートを明かさないので、「仲良くなった」と思っているのは、龍麻だけなのかもしれないが。
「 あー分かってるよ! でも、そんな迷惑そうな顔すんなよな! 友達だろー、俺たち!」
「 甘えたように言ってもだめだよ」
  ぴしゃりと言われて龍麻は再びふくれたようになって俯いた。会う度によく行く公園へと足を運んだ2人は、まだ日が高い中、ベンチに座って周りの景色の中に溶け込んでいた。
「 でも、龍麻は本当に気づいていなかったのか」
「 何が」
「 蓬莱寺君の気持ちだよ」
「 気持ち?」
「 彼が君のことを好きだっていう気持ちさ」
「 よせよ」
  龍麻は苦虫をかみつぶしたような顔をして、恨めしそうに壬生を見つめた。
「 あいつはそんな風に思ってなんかないよ。だってあいつだって俺に好きって言った後、自分でビビッてたんだぜ」
「 彼自身もその時気づいたからだろう、自分の気持ちに」
「 ……何それ」
  いやに自信満々にそう言う壬生に押し負かされて、龍麻はどうしたものかと視線をあちこちにやった。
「 君にはそういうところがあるんだよ」
  壬生が言った。
「 君が持っている《力》とは関係なく、ね。君には、人を惹きつける何かがあるんだ。だから僕だってここにいる。君のそばに」
「 は、恥ずかしいこといきなり言うなよなっ」
「 事実だよ。如月さんだってそうだ。君のそばにいたいから、我慢して僕みたいな人間とも付き合ってる」
「 何言ってんだよ、壬生…」
「 実際言われたことあるよ、そんなようなこと」
  しらっとして壬生はそう言いのけた。
「 龍麻、以前僕と如月さんが似ているって言ったことあるだろう? 僕もあの人もいつも独りで行動する。いつも独りで平気でいられて強いって」
「 あ、ああ…」
「 何言ってるんだよと思ったよ」
  壬生は微かに笑んで龍麻を見つめた。
「 確かに、以前の僕だったら君の前でも『それが僕だから』とその意見に同意しただろうね。でも、僕は君のせいで気づいてしまったんだよ。本当の自分―壬生紅葉にね」
  壬生の言いたい事を今イチ理解できなくて、龍麻は首をかしげた。
「 つまり…僕って奴が、自分で思っているよりも数段な寂しがりやだということにさ、気づかされたんだよ。今日みたいに、君が僕を頼ってくれれば嬉しいと思えるし、隙さえあれば僕も君を頼りたい。そんなことすら思ってしまう弱い人間なんだ。…でも、如月さんは違う。あの人は、本当に人と関わるのが嫌いなんだよ。興味がないって言い換えてもいいかもしれない。…そんな人が、何故いつも君と一緒にいると思う」
「 さ、さあ…。商品を調達するのに丁度いい人材だからかな」
「 ……」
「 な、何…?」
「 蓬莱寺君の話に戻るけど」
  勝手に話を進めて壬生はすましていた。
「 彼は、焦ったんだろうね。君に『俺のこと嫌いだろ』なんて言われてさ」
「 ……」
「 龍麻から蓬莱寺君って人のことを聞いていると、彼って本能で動く感じがするじゃないか? それで衝動のままに君にキスして、自分で驚いて。自分の気持ちに気づいたってところじゃない?」
「 …軽く言うんだなあ」
「 そういう君はどうなんだよ、彼のことが好きなのか?」
「 そ、そんなわけないだろ! そんなに親しくしてるってわけでもないよ。クラスだって違うんだし」
「 僕とは学校も違うじゃないか。如月さんだってそうだ」
「 で、でも俺の《力》のことは知ってるだろっ」
「 じゃあ、彼にも言えばいい」
「 ……」
「 何故言わない。如月さんには『あいつらに甘えた上に、正義の味方のフリはしたくない』みたいなこと言ったそうじゃないか」
「 ……」
「 言っとくけど、僕には…いや、あの人にだって、そんな言い訳通用しないよ」
「 えっ…。如月、何か言ってた?」
「 さあね」
「 くそう…」
「 さあ、白状しなよ」
「 ……」
「 龍麻」
「 ……だって、あいつらだって言わないぞ」
「 ……何だって?」
「 だからっ!」
  真っ赤になって龍麻は声を張り上げた。京一のようだった。
「 あいつらは、何かっていうとすぐに自分たちの《力》のことを俺に隠そうとするんだ! あんだけ色々な事件現場で出くわしてるんだから、いい加減言ってもよさそうなもんだ! なのに、自分たちだけの秘密みたいに俺の前だと口ごもってシラバックレてさ! すっげーヤな感じだ! 仲間外れみたいな気分になってくるんだよ!」
「 龍麻」
  どの事件の時だってそうだった。
  「偶然」現場で出くわしてしまうと、あいつらはいつも焦ったようになり、何とかその場を取り繕おうとした。4人で顔を見合わせて、4人だけが分かるような会話をした。
  それが気に食わなかった。
「 それなのに、いきなりあいつに好きだなんて言われたって困るってんだよ!」
「 …要するに、いじけてたわけだ」
「 うるさいな!」
「 でも、蓬莱寺君の告白で分かったんじゃないの? 要は蓬莱寺君も含めたあの真神の4人は、君のことが本当に好きで、だから君に余計なことを話して余計な危険をかぶってほしくないだけなんだよ。だから君に黙ってる」
「 ……」
「 秘密の共有を行えば、そりゃ仲は良くなるだろ。でも、敢えてそれをしなかった。…君のためにね」
  壬生はその言葉を口にした時、どことなく苦しそうな顔を見せた。
  ただ、龍麻はそんな壬生の表情に気づかなかった。
「 …そんなことしても意味ないのに。俺だって、この《力》がある以上は、これからも色々なことに関わっていくわけだしさ」
「 そう? 僕には君が好き好んで災いの渦中に入っていってる気がするけど」
「 はあ? 壬生〜、何言ってんだよ!」
「 戦っている時の君は怖がっている割には、楽しそうだからね」
「 …それは誤解」
  ここで一息入れて、龍麻は思い切ったように言った。
「 俺だってお前と同じだよ。すっげー弱い奴なんだからな、本当は」
「 そうなんだ」
「 そうなんだよ…はあ」
「 何でため息つくんだい」
「 …俺、何でこういうこと壬生にはスラスラ言えるんだろ。こんな情けないことをさ」
「 似たもの同士だからじゃない」
「 え? 似てる? 俺とお前が?」
「 寂しがり屋なとことか…得意技とかさ」
  本気なのか冗談なのかよく分からない笑みを向けて、壬生は龍麻を優しい眼差しで見つめた。そして改まって言った。
「 今日の蓬莱寺君とのこと…あの人には言うの?」
「 あの人って、如月?」
  聞くまでもないだろうと壬生は答えない。龍麻はまた「はあ」とため息をついて空を見上げた。
「 言うわけないじゃん。何か馬鹿にされそうだもん」
「 さっきの僕の話聞いてたの、龍麻は」
「 は?」
「 如月さんが何故君のそばにいるのかって話だよ」
「 ああ、聞いてたけど?」
「 なら、もう何も言わないよ」
  壬生の方もため息を一つついて、それから立ち上がった。
「 悪いけど、もう行くよ。これから用があるんだ」
「 バイト?」
「 …まあ、ね」
「 な、壬生」
「 何だい」
「 いつか、話してくれるよな? お前も、自分のこと」
「 ……」
「 さっき言ったじゃん。隙さえあれば俺に甘えたいって。大歓迎。お前なら」
「 龍麻」
「 たとえば、人にない《力》を俺たちは持っていて…。それを皆には言えないし、何でそんな力を持っているのかも俺は自分で分かってない。けど、そんな曖昧な存在の俺を俺自身は認めているし…同じようにそういう俺のことを認めてくれる壬生のことも好きだと思ってるからさ」
「 …僕の『本当』を知っても…君はそう言ってくれるってことかい?」
「 うん」
  壬生は屈託のない笑顔の龍麻を無表情のまま少しだけ見やっていたが、やがてふっと笑んでそんな友に背を向けた。
「 ありがとう、龍麻。それじゃ、また」
「 うん、バイトがんばれよ!」
  龍麻の最後の言葉には、壬生は答えなかったのだが。



  転校してきたばかりの頃は、根拠もなく、この街にいれば、自分のこの《力》は何故あるのか、すぐに分かると思っていた。実際、妙な事件が次々と起こるし、普通だったら信じられない、異形の物たちと何度も出くわして、その度にこの《力》が役に立った。
  だからあの悪霊たちを倒すのが《力》を持ち得た理由なのかとも考えた。自分のこの力は、あの4人組みたいにこの街の平和を護るために与えられたものなのかと。

  でも、旧校舎の地下に潜る度に分からなくなった。

  底へ下れば下る程、あそこはどんどん恐ろしい氣に包まれ…悪霊たちも倒しても倒してもキリがなくて…。まるで出口のない迷路みたいだった。あそこの異形たちは一度消えてもすぐにまた蘇る。
  そして戦闘が止むことはない。
  不安になった。あの場所に行くと、結局、自分の地上での戦いも、あそこと大差ない気がしたから。





「 如月ー。いるかー?」
  壬生と別れた後、龍麻は真っ先に如月の営む『如月骨董品店』に向かった。帰って独りになるのが嫌だったし、何より如月の、憎らしいけれど静かな声を聞いていると、とりあえずは安心したから。
  けれど、戸を開いた先にいたのは。
「 あ、いらっしゃいませ」
  いやに可愛い、そして控えめな声。
  いつものぶっきらぼうで氷のように冷たい声とはまるで対照的で。
「 あ、あの…?」
「 はい。何をご所望でいらっしゃいますか」
「 ご、ごしょ…」
  龍麻の目の前に立っていたのは、背中あたりにまで垂れている長い黒髪を赤いリボンで結わった、いかにも「いいところのお嬢様」という感じの、おとなしそうな女の子だった。害のない瞳は、全身全霊でもってお客様のために商品をお売りいたしますという感じでいっぱいだ。
  しかしそんな目で見つめられ続けても、龍麻の方としても困ってしまう。しどろもどろになりながらやっとの思いで言葉を出した。
「 あ、あの、如月は…?」
「 まあ、翡翠様のお友達の方でいらっしゃいますか?」
「 ひ、翡翠様!?」
「 翡翠様は只今留守をしておりまして。お帰りの時刻をおっしゃっておりませんでしたので、いつ戻られるのか…」
「 あ、あの…」
「 よろしければこちらでお待ちになっては如何でしょうか。今お茶をお持ち致しますね」
「 い、いえお構いなく!」
  しかし龍麻がそう言い終える間に、少女はぱたぱたと奥の方へと引っ込んで行ってしまった。
「 ……」
  一人店先に残されて、龍麻は石のように固まってしまった。
  誰だ?
  ただその一言が脳裏によぎる。
  翡翠様?
「 ……」
  お友達の方?
「 ……」
  何故か瞬時に、壬生の言葉を思い出していた。人と関わるのが嫌いな如月は、けれど自分とだけは一緒にいたがるって、壬生は確かそう言っていた。
  でも。
「 何が人間嫌いなんだよ…。あいつ、彼女を隠してたな」
  龍麻はつぶやき、それからむかっとしたようになって、側にあった壺を蹴り倒した。



To be continued…



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