(2)




  如月が龍麻に告白してから、一夜が明けた。
  誰かが自分を好きだと言ってくれたところで、龍麻の日常の何が変わるというわけではない。ただ京一の時に感じたものとは明らかに違う何かが、龍麻の心に残っていた。
  それが好意なのか、いつもの甘えなのかは龍麻には分からず…。
  如月が誘うままに、龍麻は放課後、彼と会う約束をしていた。
( まあいいか…)
  はっきりと自覚していることがある。少なくとも、自分は如月と会話することは苦痛ではないと。
  教室の席から見える窓の外の景色をぼんやりと眺めながら、龍麻は如月のあの真摯な眼を思い出していた。
「 ひーちゃんっ」
  その時、不意に京一が声をかけてきた。
「 どうした、ボーッとして。つまらん授業に眠くなったか?」
「 ん…そんなとこかな」
  龍麻は顔を上げて京一を見やってから、曖昧な顔で笑んだ。
  いつも不敵な笑みをして、自分を見下ろしてくる京一。一番自分の近くにいて、一番頼れる存在だと認識はしていたが、時々彼の視線に息が詰まった。
「 京一っ。ひーちゃんと君を一緒にするなよっ」
  そう言った桜井と、その親友・美里が2人の会話を目にして近づいてきた。
「 ひーちゃんは京一なんかと違って真面目なんだからね! ぐーぐー、きったないよだれ垂らして寝入ってた君なんかに同意させられてかわいそうだろっ」
「 あーん!? 何だそりゃー!」
「 だってそうじゃん」
  桜井と京一のいつもの言い合い。それを横で楽しそうに、優しい眼差しと共に見つめる美里。
  後から醍醐もやって来て、そんな3人の中に入った。
  また、いつもと同じ賑やかな日常…。
「 ねえねえ、あとマリア先生の英語だけじゃん。その後ラーメン行こうねっ!」
  桜井が弾んだ声で言う。龍麻ははっとして我に返った。
「 そうだな、俺は構わんが。京一も、もちろん行くだろう?」
  相変わらず落ち着いた口調でそう発したのは、醍醐。
「 ったりめーよ。それは俺のお決まりコースだぜ〜?」
「 ねっ、葵も行くよねっ?」
「 うふふ。ええ、そうね。行くわ」
  美里は桜井にそう言って頷き、続いて龍麻の方を見た。
「 龍麻、あなたも…」
「 もち、行くよねっ、ひーちゃん!」
  桜井もそれに続き、2人の女子は龍麻に害のない笑顔を見せた。
  胸が悪くなる。
  龍麻はそれを必死で抑え、力なく笑んだ。
「 ごめん、今日ちょっと用があって」
「 えー! だめなのぉ、ひーちゃん」
「 ホント、ごめん…」
  龍麻が再度謝ると、醍醐がいつものリーダー的な発言をした。
「 用があると言うのなら仕方ないだろう。だが、龍麻。それは俺たちの戦いとは関係のないことなんだな?」
「 ないよ」
「 フム。それなら…」
  そう言って、醍醐が何やら考えこむような仕草をした、その時。
「 龍麻」
  京一が急に龍麻を呼んだ。
「 ちょっと来いよ」
「 …何」
「 いいから、来いって」
  京一は半ば怒ったように言ってから、龍麻の腕を掴んだ。
「 お、おい、京一」
「 ちょっとぉ、京一! もう授業始まるよぉ!?」
  醍醐と桜井が焦ったように親友を呼んだが、京一は構わず龍麻を教室から連れ出して行ってしまった。





  京一は、無言で龍麻を屋上まで連れて行った。
  人気のない場所で2人きりになってから、京一はようやく、強く掴んでいた龍麻の手を離した。龍麻はじんとした手首をもう片方の手で掴んでから息をついて、自分に背を向けたままの京一を見た。
「 …どうしたんだよ、急に」
「 …………じゃ、ねえよ……」
「 え?」
  問い返すと、京一ががばりと振り返った。
「 どうした、じゃねーよっ! 何なんだよ、お前!」
「 ……何が」
  激昂しているような京一に、冷めた眼の龍麻。二人の表情は実に対照的だった。
  一瞬、しんとしてから、京一がゆっくりと口を開いた。
「 …変じゃねえか。最近特に変だ。俺らと距離とろうとしてるっていうか…何か、前と違うじゃねえか…」
「 そうかな…」
「 それとも」
  京一はそれだけをまずつぶやくと、挑むような眼をして龍麻に近づき言葉を出した。
「 それとも…俺と距離を取りたいだけか?」
「 ……何言ってんだよ」
「 けど、それで、あいつらにも冷たくするなんて間違ってねえか」
「 俺がいつ冷たくしたんだよ」
  龍麻は多少の目眩を感じながら言った。
「 ごまかすなよ! そんなに迷惑だったか、俺がお前のこと好きだって言ったことがよ!」
「 やめろよ、京一」
「 何がだよ!? 俺だって…最初はワケ分かんなかったよ。けど、好きになっちまったもんは仕方ねえだろ! お前のこと見てると、考えてると、どうしようもなくなっちまう…! すげー好きなんだよ! …なのに、お前は俺に、俺のことどう思ってるか何にも言ってくれねえ。好きも、嫌いも」
「 好きでも嫌いでもないよ」
  龍麻はきっぱりと言った。
「 京一のこと、良い仲間だと思ってるよ。みんなにも感謝してる。俺なんかに優しくしてくれて、嬉しく思ってるよ」
「 ……何でそんな誤魔化した言い方しかできねえんだよ」
「 それが、俺だから」
「 この…っ!」
「 何してるの、アナタたちっ!」
  京一が龍麻の胸倉を掴んだところで、担任教師のマリアが屋上のドアを開けて2人の前に現れた。
「 授業はとっくに始まっているのよ。それとも、私の授業よりも、男同士の殴り合いの方が楽しいっていうのかしら?」
「 ………」
  京一はやりきれない表情を見せながらも、龍麻から手を離し、荒々しく階段下りて行ってしまった。
  マリアは「仕方のないコね」とため息をついてから、龍麻に美しい笑みを見せた。
「 さ、アナタはどうするの? 私の授業に出る? それとも、この寒空の下、いつまでもここに居る?」
「 戻ります」
「 …ねえ、龍麻クン」
  すぐにマリアの横を通り、階段を下りて行こうとする龍麻に、マリアはひどく甘い声を出して自分の生徒を呼び止めた。
「 アナタ、蓬莱寺クンのことどう思っているの? …彼は真剣みたいだけれど」
「 聞いてたんですか」
「 人聞きの悪いこと言わないでちょうだい。京一クンの切羽詰まったあの声は、ドアを閉めていたって、聞こえるわよ」
「 ……放っておいて下さい」
「 待ちなさい」
  マリアが威厳のある声で言った。
「 龍麻クン、あなたは…自分の持っている力で、一体何を護りたいと思っているの?」
「 ………」
「 京一クンや美里さん、他の子達も、自分にとって大切な誰かの為に、大切なこの街の為に戦っているんだと言っていたわね。でも、アナタは?」
「 …何でそんなこと、あなたに答えなければならないんだ」
「 龍麻クン…」
「 俺、年上の女は嫌いです」
  龍麻はもう振り返りもせず、マリアの元から去って行った。





  マリアには「戻る」と言ったものの、また京一たちと顔を合わせるのもためらわれて、龍麻はそのまま学校を出た。
  京一のやつ。
  何なんだ。自分はきちんとみんなに合わせて、うまくやっているじゃないか。勝手にイラついて、勝手に理不尽な態度をとっているのはむしろ、お前だ。
  龍麻は抑えようのない怒りにも似た感情と共に、闇雲に歩いた。
  そうして。
  ふと、気づくと龍麻は「如月骨董品店」の前まで来てしまっていた。
「 ……………」
  どうして、来てしまったのか。
  確かに今日会う約束はしていたが、その時間にはまだ早すぎる。
  大体、如月だってまだ学校のはずだ。いるわけはないのに。
「 龍麻」
  そう思った矢先、しかし龍麻の耳に入ってきたその声は、紛れもなく如月翡翠のものだった。
  はっとして自分の背後を振り返ると、制服姿の如月が驚いたような表情で立っていた。
「 どうしたんだい、こんな時間に」
「 ……迷惑だった?」
「 ……ふ。面白いことを言うね、君は」
  如月は自分と目を合わせないようにしている龍麻に気づきながらも、敢えてそれには触れずに優しく微笑すると、店の扉を開けて龍麻を迎え入れた。
「 翡翠ってさ。学校行ってんの」
  突然、今の雰囲気に合わないようなことを、龍麻は訊いた。
  如月は素直に答える。
「 そりゃあ、行くさ。だけど僕はここの店主でもあるからね。ま、気が向いた時にしか開けないけど、今年は殊のほか色々なモノが入用になっているから、自然とまともな生活は送れなくなったね」
「 ……」
  如月の台詞に、龍麻は無意識のうちに眉を寄せた。
  それを見逃す如月でもなく、彼は店先に飾っていた長剣をさりげなく戸棚に納めると、龍麻を店の奥の部屋へ通した。
「 美味しいコーヒーを貰ったんだよ。飲むだろう?」
「 お茶じゃないんだ」
「 龍麻がそちらの方がいいと言うのなら、そうするが?」
「 …コーヒー」
  龍麻がぼそりという声を如月は心地良い気持ちで耳に入れながら、部屋から見えるキッチンへ向かい、ヤカンに火をかけた。
  それから如月が振り返ると、自分が殊のほか入れ込んでいる青年は畳の部屋の片隅で膝を抱えて座り、ぼんやりと、どこも見ていないような瞳を湛えていた。
「 龍麻」
  呼ぶと、そのくゆった瞳が軽く揺れた。
「 ……何」
  顔が上がる。如月はそんな龍麻に近づき、そっと片膝をついて龍麻の前髪に触れた。隠れていた瞳がより鮮明になる。
「 何だよ」
「 キスしても、いいかな」
「 ……そういう気分じゃない」
  龍麻がそう言い、顔を逸らした瞬間、しかし如月は有無を言わせずに自分の欲求を通した。
  龍麻の肩をつかむと強引に自分の方へ向け、唇を当てた。意表をつかれた龍麻は、もろにそれを受け止めてしまう。
「 ……っ…!」
  如月の舌が自分の中に侵入し、舌を絡めとられる。熱烈なそれに、龍麻の身体は熱くなった。
  けれど、龍麻がその熱に負けるままに如月に意識を預けようと思った瞬間、如月が龍麻から離れた。
  驚いて瞳を開けると、すぐ間近には如月の視線があり、龍麻は何故だかバツが悪くて俯いた。
「 龍麻、何かあったのかい」
「 …何で」
「 いつもの君なら、とっくに怒っているハズだと思ってね」
  龍麻が何も言わずにいると、如月はもう一度龍麻の前髪をさらりと優しく撫で、それからそっと触れるだけの軽いキスを龍麻の唇に施した。
「 君の物憂げなその表情も愛しいけれどね」
「 ……何だよ……」
「 どうやら、僕のことを考えてそういう眼をしているわけではなさそうだから」
「 うるさい……」
「 そんな風に言われる筋合いはないはずだが」
  如月がそうつぶやいた途端、お湯の沸く音がキッチンから聞こえてきた。如月が立ち上がってそちらに向かうと、龍麻はここでようやく如月の方へ視線を向けた。
  コーヒーを淹れる、美しい男の横顔が見える。
「 翡翠」
「 ん?」
「 お前は…俺を救える…?」
「 ……」
  如月の手の動きが止まり、ゆっくりと向けられてきたその視線に、龍麻はやや気圧された。
  だが、止めることもできなかった。
「 何でだか、イライラして……。もう、こんな街には一時だって居たくない…。でも、逃げる気も起きない…。自分で自分のことが良く分からないんだ…。翡翠、俺―」
  夢中でまくしたてて、はっと我に返ると、すぐ傍に如月がいた。
  気づいたと同時に、そんな如月に龍麻は強く抱きしめられた。
  それは痛い程激しい抱擁だったが、驚きの後にはただもう何も考えたくなくて、龍麻は黙ったまま自分を抱きしめてくれる如月の胸に顔をうずめた。
  しばらくして、如月の腕の力が弱まり、こちらを見つめる視線に龍麻は瞳を開いた。
  その刹那、如月の唇が自分のものと重ねられる。
  優しい接吻。自分は如月がきっとこうしてくれると思ってここに来たのだとこの時初めて理解した。
「 龍麻」
  如月の唇が至近距離にあることを感じながら、呼ばれて龍麻は如月の方を見た。
「 愛してるよ」
「 翡翠……」
「 君を愛してる。誰よりもね。君のことなら、僕が全部分かっているから、君は何も不安になることはないんだよ」
「 え……」
  龍麻が訳も分からずに如月をだた見ていると、如月はふっと笑んだ。
「 大丈夫。君のことは僕が護るよ。僕はいつでも、君の傍にいる」
「 ごめん……」
「 どうして謝る」
「 お前に甘えてるから…」
「 いつでも、喜んで」
「 …何もしてやれてないのに」
  龍麻がそう言うと、如月は再び優しく微笑した。そしてそう言った龍麻の頭をそっと労わるようにして撫でた。
「 君がね」
  龍麻の戸惑った瞳が如月の瞳と交差した。
「 この戦いを終えて…その時にも、君が僕のところに来てくれた時は…。その時は、遠慮せずに君を僕のものにするとするよ」
「 翡翠……」
「 君の気持ちがはっきりするまで、僕は待つよ」
  如月はそう言い、龍麻に誰にも見せない笑顔を向けた。



To be continued…



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