(4)



  京一が、龍麻の病院を訪れたのは、朝も早い頃だった。
「 よお…起きたか。何かうなされてたみたいだけど…平気かよ?」
  いつからそこにいたのだろうか、龍麻が目覚めた時には、そこにはとうに彼の姿があった。
「 へへ…聞いたぜ。今日の午後、退院だってな。おめでとさん」
  京一はそう言って笑った。退院のことは岩山は誰にも言わないと言っていたはずなのにと龍麻はちらとだけ思ったが、あまり深く考えないことにした。
「 でさ。誰にする?」
「 え…」
  京一の唐突な問いに、龍麻は意を飲み込めずに言葉をなくした。
「 ばっか。今日はクリスマスイブだろうが。まさか知らなかったわけじゃねえだろ?」
「 うん…。でも、それが?」
「 だからー。午後までは動けないお前のために、今日という日の特別イベントを共にする女の子を俺が予約してきてやるって言ってんだよ」
「 ……何を言ってるんだ?」
  京一の言葉を理解できず、龍麻は怪訝な顔をした。しかしそんな龍麻の態度にも、京一はあっさりと返してきた。
「 分からない奴だな。デートだろ、デート! お前なら選り取りみどり、誰でもOKするだろうしよ。俺も別に苦労するもんでもないと思うし、お前が気になるコのとこに行って、約束をとりつけてきてやるよ」
  龍麻は飄々とした表情のままそんな事を言う京一をしばらくの間黙って見つめた。それでも、京一の態度に揺らぐものは見られなかったが。
「 ほれ、さっさと言えよ。遅刻しちまうだろ?」
「 俺は別に…」
「 美里か、桜井か? …ってまあ、小蒔の奴だと、醍醐がちいっとばかしかわいそうだけどよ」
「 ちょっと、京一…」
「 うちの学校でなくても色々いるだろ。雛乃ちゃんとか、藤咲とかよ? あっ、でも、さやかちゃんだけは、ちょっと勘弁して欲しいぞ、俺的には」
「 京一」
「 年上狙いで絵莉ちゃんとか、それとも、大穴でマリア先生とかどうだ!? けど、案外とイケそうではあるよな! マリアセンセのお前を見る時の目って、時々妙にやらし〜もんあるからな! このっ! 憎いよ、色男!」
「 京一」
  初めて怒ったような顔を見せると、ここで京一はようやくおどけたトーンを下げ、まじまじと龍麻のことを見つめた。
「 …何だよ、そんな怒ることねえだろ? じゃ、やっぱ本命、美里でいくか?」
「 いい加減にしろよ」
「 あいつ、お前に惚れてんだぜ」
「 …………」
  黙りこくる龍麻を京一も黙って見つめた。しかし、ふっとため息をつくと、ぽんと親友の頭を叩く。
「 悪ぃ…」
  そして、やや視線を逸らしてぼそりと言った。
「 何か…したかったんだよ…。一番最初に会った時みたいに、お前と馬鹿言い合ってるような…そんな時みたいな感じで、お前に何かしてやれたらって…」
「 京一…」
「 ホント、どうしようもねえな、俺…」
  京一の苦しそうな感情が龍麻の中に流れ込んできた。厄介な感情だった。叫び出したくなる気持ちを必死に抑え、龍麻はつぶやいた。
「 俺…誰とも会う気、ないからさ…。悪いけど」
「 ああ…分かった」
  京一は言い、それから木刀を持ち直すと、病室から出て行こうとした。
  しかし、瞬時思い切ったように振り返って。
「 龍麻…っ…!」
  顔を上げこちらを見る龍麻に、自然と自分が紅潮するのを京一は感じた。しかし勢いに乗って言う。
「 じゃあ俺と…どっか、行かねえか…?」
「 え……」
「 どっかって行っても、快気祝いにラーメン奢るくらいしか思い浮かばねえけどっ」
「 ………」
  必死の顔をしている今の京一と、あの時自分の手を握ってくれていた京一の顔が龍麻の中で重なった。
「 うん」
  思わず、返答していた。
「 ホントかっ!?」
  頷いた龍麻に、ぱっと明るい笑顔を見せる京一。
  その時、不意に如月の、自分に向けた笑顔が思い返されたが、龍麻は敢えて考えないことにした。





  久しぶりに吸う外の空気は、ひんやりと冷たく、しかし同時にすっとするような爽快感も与えてくれた。
  街はすっかりクリスマスムードに酔いしれている感じで、多くのカップルの往来とサンタクロースの衣装に身を包んだ人物に群がる楽しそうな人々の姿が視界に映し出された。
  明るいネオンの光が、いやに眩しい。
「 龍麻」
  京一が来た。いつもの、明るい堂々とした親友の顔だった。
「 待ったか? 急いで来たつもりだったんだけどよ」
「 今来たとこだから」
「 そっか。…せっかくだから、その辺、ちょっと歩くか?」
  京一はそう言った後、すたすたと先を歩き始めた。
「 こういう風景とか見てると、何か信じられねえよな、俺たちがやろうとしていることがさ」
  龍麻に背を向けたままで、京一は言った。
「 どいつもこいつも楽しそうじゃねえの。カップル共の、浮かれた顔と言ったらよ…」
  京一はひがみめいた言葉を吐きつつも、自身が一番浮かれたような声を出していた。龍麻は京一の自分への感情について、ちらとだけ考えた。
  自分の何を知っていて、こいつは俺のことを好きだと言うのか。
  今まで、一度だって見せていない。一度だって話していない。
  俺のこの気持ちを知ったら、お前はどんな顔をするんだろう。
  不意に、桜井の思いきり心配した顔が脳裏に浮かんだ。

  誰の為に、戦っているの?

( 誰のために…だって?)
  龍麻は、改めてその問いについて考えを巡らそうとした。
  が――。
「 あっ、龍麻!」
  京一が突然、立ち止まって龍麻を見た。はっとして我に返ると、京一は申し訳なさそうな顔をして言った。
「 あのよ、ちょっとここで待っててくれるか? 知り合いのガキにクリスマスプレゼントでもと思ってたんだ。今、丁度いいヤツ、見つけたからよ!」
「 あ、ああ、いいよ…」
「 いきなりどっか行ったりするなよ!」
  京一は釘を刺すように強くそう言った後、慌てて近くの店へと駆けて行ってしまった。
  京一がいなくなったことで、自分に向けられていた「音声」が消え、龍麻は突然何もない空間に置き去りにされたような錯覚に捕らわれて茫然とした。
  周囲の音も何も聞こえず、何も感じられなかった。
「 翡翠……」
  心細くなって、知らぬ間にまた名前を呼んだ。
  しかし、彼は現れてくれなくて――。
「 きゃっ!」
  突然、龍麻にぶつかって倒れた者がいた。
  黒髪の、見慣れない制服を着た少女だった。
「 あ…ご、ごめんなさい、私…」
  大した事ないと伝えようとして、しかし相手がひどく脅えたような顔をして自分の背後に隠れるのを龍麻は驚いて見つめた。
「 私…あの…」
「 おっ! こんな所にいやがったのか!」
  見ると、いかにも柄の悪い学生たちが数人、この少女に向かって何やら怒りに満ちた様子で叫んできていた。
「 逃げられると思ってたのかよ!? ああ!?」
「 あ…あ…」
  身体を震わせて、少女は声も出ない様子だった。
  代わりに龍麻が連中を見据えた。その眼光に学生たちも一瞬ひるんだ。
「 …何だ、てめえは…。俺らの邪魔をするのなら…」
  龍麻の力にも気づかずに、学生たちはいきりたった。
  龍麻は仕方なく、彼らの相手をすることにした。





  病み上がりとはいっても、彼らは龍麻の相手ではなかった。
  軽く埃を払い助けた少女を見ると、相手はぽかんとしながらも龍麻の視線に気づき慌ててぺこんと頭を下げた。
「 あ、ありがとうございました…」
「 …怪我、なかった?」
  相変わらず、「いい人」のフリをし続ける自分に、龍麻は心の中で苦笑した。
「 はい…。あの…もしかして…真神学園の、緋勇龍麻さんですか?」
「 ……何で俺のこと?」
「 や、やっぱり! あの…私、逢魔ヶ淵高校の六道世羅っていいます。緋勇さんに、私、ずっとお会いしたくて…」
  こちらの質問には答えずに世羅と名乗った少女は嬉しそうに言った。そうして、龍麻が何かを言う前に、彼女は自分についてぽつぽつと語り始めた。
  自分には人にはない、何か「怖い」力があること。
  それを誰も信じてはくれなかったこと。一人でずっとつらかったこと。

  そんな自分を、助けてくれた人がいたということ。
「 …その人が、俺のことを?」
「 はい。紅い学生服を着た人…。あの、またお会いできますか?」
「 ……うん」
「 あっ、ありがとうございますっ!」
  少女は頬を紅潮させて満面の笑みを浮かべた後、再びお辞儀をして去って行った。
  その後ろ姿を見送りながら、龍麻は彼女の心の中にある「何か」を思って眉をひそめた。紅い学生服といったら、もうあいつしかいなかった。
  柳生…。
「 おい、龍麻! こんなとこにいたのかよ!」
  その時、前方から京一が声をかけてきて、こちらに向かってくるのが目にとまった。待っていろと言われた所から龍麻がいなくなっていたので、焦って探していたらしい。息がひどく乱れている。
  龍麻は先刻あったことを簡単に告げ、それから突然いなくなったことを謝った。京一はすぐに事情を飲み込んで頷くと、改めて龍麻の顔をまじまじと眺めた。
「 何だよ」
  それがあまりにも長かったので、多少居心地の悪さを感じた龍麻は、京一から視線を逸らして訊いた。
「 ん…いや。ああ、そうだこれ」
「 何」
「 クリスマスプレゼントってやつだよ。…大したもんじゃねえけど」
  京一がそう言って強引に龍麻に渡したのは、中身は何だか分からないが綺麗に包装された小さな包みだった。
「 …知り合いの子にあげるんじゃなかったのか」
「 ああ、それも買ったよ。お前のは、ついで」
「 …そう」
「 …ウソだよ、馬鹿」
  すぐに納得した龍麻に京一はむっとしたのか、自分の台詞をあっという間に否定して決まり悪そうに髪の毛をかきむしった。
「 お前にやるもんがついでのわけないだろ。その…俺はさ…」
「 ありがとう」
「 …なあ、龍麻」
  相変わらず自己の表情を崩さない龍麻に、京一は意を決したようになって真摯な視線を向けてきた。
「 ホントのところさ…。お前、好きなヤツっているんだろ?」
「 …何で」
「 勘だよ。お前に惚れてる、俺の勘」
「 ……いないよ」
「 誰も好きじゃないのかよ? じゃあ、お前はさ…」
「 もういいだろ、そんな話」
  京一の追及から何とか逃れたくて、龍麻はわざとぶっきらぼうな言い方をした。
「 よくはねえよ。俺は、お前に惚れてんだぜ。お前が誰か好きな奴がいて、俺の気持ちが迷惑だっていうなら、俺はもうお前には構わねえよ。お前がそいつと幸せになるっていうなら…」
「 …そんな話なら、もう帰るよ」
「 待てよ、龍麻!」
  ぐいと肩をつかまれて、ここで初めて龍麻は京一に心底怒りを覚えた。この、自分には決して持ち得ることのできない正直さ、純粋さが、龍麻にはただ苦しかった。
「 いるよ、好きな奴。それで、いいだろ」
「 ………」
「 これでお前はもう俺には構わないんだろ。構わないでくれ。もう、何も訊いてくるな」
「 龍麻、何でお前は…」
  京一の声を聞きたくなくて、龍麻はただ走った。絶対に振り返りたくなかった。京一の追ってくる気配がなくなるまで、龍麻はただ走り続けた。
  そして。
  龍麻は、気づいた時、「如月骨董品店」の前にいた。



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