(5)



  彼が病院に運ばれたと聞いた時、息が止まった。
  医師が予断を許さない状態だと静かに言った時も、どこにぶつけることもできない怒りが自分の体内を激しく暴れ回るのを感じながら、どうすることもできなかった。
  護ると言った。約束したのに。
  一体、自分は何をやっていたのか。
  傷つき、倒れた愛する者に対して、ひどく無力な自分を呪った。
  敵にではなく、自分自身に腹が立った。
  今の自分は、彼に…龍麻に会う資格などない。どんな顔をして会えるというのだろう。何とか命を取り留めたと聞かされた時も、喜び、涙して、早く龍麻の顔が見たいと願った仲間たちを尻目に、自分だけ病院を後にした。
  逃げ出したと言っても良かった。
  傲慢で、孤独で、けれど彼自身も気づいていない、あの純粋さを護るためには、今よりも自分は強くならなければ。
  如月は強くそう思った。





「 翡翠」
  龍麻は店先のドアを叩きながら、如月の名を呼んだ。
  もうなりふり構っている余裕はなかった。いたたまれない気持ちで、あの如月の落ち着いた声、龍麻を理解しているという目を見て、安心したかった。ただ、会いたかった。
「 翡翠!」
  もう一度呼んだ。扉を開けて、自分を見て。

  どうしたんだい、こんな時間に……

  ――…そう言ってくれるだろう、如月の顔を、龍麻は想像した。
  それでも彼は龍麻の前に姿を現してはくれなかった。
  耳をそばだてても、人のいる気配は感じられない。如月は何処かへ行っているようだった。
  脱力して、その場に座り込んだ。
  静かな、暗い夜。ひどく寂しい気持ちがした。
「 何で…いないんだよ…」
  如月のことを初めて憎いと思った。自分が必要としている時にいてくれないなんて。いつでも傍にいると言っていたのに。護ると言っていたのに。あいつもやっぱり嘘つきの他人だ。誰も信用なんてできない。寂しさが増すにつれ、如月に対する怒りが龍麻の心を支配した。そうでもしなければ今の自分を奮い立たせることもできそうになかった。
  ゆっくりと立ち上がって、店先から門を出た。もう一度振り返って邸宅を見やる。けれど家主のいないしんとした佇まいだけが、龍麻の視界には残るだけだった。





  一人暮らしのアパートへ帰る道のりは長かったはずだが気づくともう着いていた。歩くことは苦痛ではなく、ぼんやりと足を前に出すだけの作業に何も感じる事などなかった。所詮、無意識に帰りつく場所は独りきりのあの空間しかなく、龍麻はひどく疲れた身体を引きずるようにして、部屋のある2階への階段を上った。
  すると、自分の部屋のドアの前に座り込んでいた人影が龍麻の気配に気づいて身じろいだ。
「 …よお…。やっと、お帰りかよ」
  京一だった。
「 どこ行ってたんだよ…? 退院したばっかで、一人でこんな時間まで出歩いてんじゃねえよ。心配するだろ」
「 何で…」
  今、一番会いたくない人物だ。だから走って振り切って、如月に助けまで求めて。なのに、どうしてまたこいつがいる。
「 そんなに、嫌いか…? そんなにイヤか、俺のことが」
「 …京一、どいてくれ」
「 俺も入れろよ」
「 頼むから…今日はもう、一人にしてくれ…」
  掠れる声でそれだけ頼んだ。京一はゆらりと立ち上がって、龍麻の部屋のドアから身体を離した。
  龍麻がカギを出して、ドアを開ける。しかし、その瞬間、京一は龍麻の身体を突然拘束したまま自分も中に押し入った。
「 京一…っ!」
「 うるせえよっ! この馬鹿やろうがっ!」
  京一は怒りに満ちた、やや震えた声でそう叫んだ。龍麻を半ば投げつけるかのようにして部屋に押し込むと、自分もずかずかと中に入っていき、制服の上着を脱ぎ捨てた。
「 お前が何を考えてるのか、何が欲しいのかなんて、俺はもう考えねえよ。いくら想ったって、考えたって、お前は答えなんかくれないだろ。一人で背負って、全部自分だけのせいにして…何悩んで、苦しんでいるかなんて、お前は絶対に俺には教えてくれねえ! それで…やってられるかよ! 親友ごっこなんか!」
  京一は無我夢中でそれだけを言い、後は倒れている龍麻の上にまたがってがんじがらめにすると、そのまま龍麻の唇に乱暴なキスをした。抵抗する龍麻に何回も自らの唇を当て、龍麻のそれだけでなく、頬や目や、やがて首筋にもキスをし続けた。
「 やめろ…よ…っ…! 京一…っ!」
  ひどく疲弊した身体に、京一は容赦なく自らの身体を乗せ、乱暴に龍麻のシャツも縦に引き裂いてきた。露になった龍麻の胸にも京一はキスをし、そして舌を這わせた。
  龍麻は許しがたい感情を京一に覚えながら、必死に抗い、相手の動きを封じようと肩をつかみ、もう片方の手は髪の毛をつかんだ。無理やり自分からひきはがそうとした。それでも、京一は意地のように龍麻の身体に自らの唇を当て続けた。
「 いやだ…京一…やめろ…」
  何なんだ。一体、何でこんな目に遭わなければならない。京一は自分を好きだと言ったくせに、今は俺のことを憎んで、こんなことをしている。お前を許せないと想っているのは俺のはずなのに、今は京一が俺のことを許せないと、俺を支配しようとしている。
「 京一…何で…」
  そもそもどうしてこんな思いをしなきゃならない。
  全部俺のせいなのか。
  俺が、京一や、他のみんなに本当の俺を見せないから、みんながイラついて俺に嫌がらせをしてきているのだろうか。でも、どうしてわざわざ俺はそんなことをしてやらなきゃならない。
  どうして、言わなきゃならない。
「 龍麻…」
  京一が先刻とは異なる静かな、しかし戸惑った声を出した。
「 …そんな顔、しないでくれ…」
  次に聞こえたのは、心底つらそうな声。
  ゆっくり目を開くと、今にも泣きそうな京一の顔が間近にあった。
  目が合うと、京一は悲痛な声を出した。
「 お前のことが、好きだ…。お前に嫌われても、憎まれても…どうしても駄目だ…。お前のことが好きで…どうしようもねえ…」
「 京一…」
「 どうしたらいい…。どうしたら、お前のこと笑わせてやれる? どうしたら、お前のこと分かってやれる? 俺は何をすればいい?」
  京一はうめくようにそう言った後、龍麻の胸に額を当て、ぎゅっと抱きしめてきた。ただ乱暴に自分を抱こうとした京一が、やはりそれを貫く事ができなくて、拒絶する龍麻を見て傷ついていた。
  ずきりと、胸が痛んだ。
「 分かろうとなんて、しなくていいから…」
  龍麻は、やっとそれだけ言えた。そして、自らも京一の首に両腕を回した。
「 言っただろ…。お前のこと、好きでも嫌いでもないって。俺はひどい奴だから。お前にそこまで想われる資格なんかないんだから。だから、頼むからもう…」
「 ……嫌だ」
  京一が言った。顔を上げ、強い眼光をして龍麻を見つめるそれには、もうさっきまでの弱い表情はなかった。
「 お前のこと護るって俺は誓った。お前にも言ったことあるよな。俺はお前のことが好きだ。だからずっと傍にいる。お前が嫌がっても、俺はお前のために―」
  俺の、ために?
「 やめてくれ!」
  龍麻は半ばヒステリックに叫んで、京一から離れた。
  壁に背をつけ、脅えたように京一を見つめる。
「 龍麻…?」
「 俺のために、戦う? 絶対に言うな、そんな事! 二度と、言うな!」
  迷惑だ。
  瞬時にそう思ったが、声にならなかった。代わりに違う言葉が口をついて出た。
「 大体…お前は俺の何を知っていて、俺のことを好きだなんて言うんだ…。俺のことが分からなくて、苦しんでいるお前が、俺のどんなところが好きだっていうんだっ!?」
  龍麻は京一には喋らせないでまくしたてた。
「 俺のために? こんな訳の分からない奴のために、お前は命を捨てるのかよ? みんなもだ。誰かのために? この街のために? どいつもこいつも、頭おかしいんじゃないのか! 俺は、俺は…」
  ひどく喉が渇いたが、龍麻は必死になって続けた。
「 俺は誰のためにも戦ってなんかいない! 俺は、俺自身を護るためだけに戦ってる…! 自分のためだけに、生き残るために戦っているだけだ! 何を勘違いして、俺に…」
  言いながら、自然と涙がこぼれた。
「 勝手に…期待、しやがって…」
  もう京一の顔は見たくなかった。
  そのまま、自分の部屋を飛び出そうとして、龍麻は京一をすり抜けてドアの方へ行こうとした。
  けれど、そんな龍麻の腕を京一が強くつかんだ。
「 離せよっ!」
「 龍麻……」
「 離せって…っ!」
  けれど、その瞬間、龍麻は京一にがんじがらめにされ、後ろから痛いほど強く抱きしめられた。首筋に京一の唇を感じ、龍麻はびくりと身体を揺らした。
「 離……」
「 好きだ…龍麻…」
  もう何度聞いただろう。龍麻は京一の言葉を聞き、抗う身体を大人しくさせた。京一の抱擁はますます強くなり、押し殺したような声が微かに聞こえた。
「 好きだ……」
「 俺は…好きじゃない……」
  龍麻は言った。それでも、京一は抱きしめる力を緩めなかった。
  龍麻は目をつむった。
  あの時も、心細くて、本当は誰かに自分の気持ちを分かってほしくて、許してほしくて如月の所へ行った。

「 僕は基本的に、自分以外の人間は信じないことにしているんだよ。…悪いけど」

  初めて会った時、如月はそう言って冷たく笑った。
  あの時から、魅かれていた。
  如月なら、自分と同じことを考えているあいつなら、この汚い気持ちすら理解してくれるはずだと思ったし、そしてそんな人間にこそ、自分というものの存在を認めてほしいと龍麻は思った。
  案の定、如月は龍麻のことを全部分かっていると言ってくれた。
  そして、優しく抱きしめてくれた。
  愛しているとも言ってくれた。
  そんな彼に、龍麻は自分に安心をくれる代償として自らの身体を預けてもいいとすら思った。なのに彼は「この戦いが終わるまでは」待ってくれるとも言ってくれた。自分が「好き」という感情で如月に寄りかかっているのかどうか迷っていることすら、如月は分かってくれていたのだ。
  あの時の如月の気持ちが龍麻には嬉しかった。
  でも。
  今、あいつはいない。
「 好きだ……」
  京一の声が聞こえた。
  龍麻はそっと京一の、自分を抱きしめる手に触れた。





「 ん…っ…!」
  京一が、龍麻の中にゆっくりと入ってきた時、覚悟はしていても、その痛みに意識が失われそうになった。
「 うぁ…ああっ!」
「 龍…麻…っ!」
  両足を割られ、その間に京一の身体が差し込まれる。その勢いのまま、ひどく上気した京一のものが龍麻の深奥を貫いた。龍麻は苦痛の声をあげ、京一は余裕のない声で、けれど必死に龍麻の名前を呼んだ。自分の方を見るようにと促した。
「 龍麻…動く…ぜ…」
  始めは龍麻の身体を気遣いながら、少しずつ攻めていった。
  しかし次第に京一の動きは激しいものとなり、何度も腰を動かし、龍麻を容赦なく追い詰めていく。
「 やっ…! ぅあ…あっ!」
  龍麻の身体も同時に揺り動かされ、龍麻は京一の所作に堪えようと、必死に相手の首筋にしがみつき、息をつく。
「 あっ、あっ…! きょ…いち…っ」
「 す…げぇよ…っ…龍麻っ」
  京一が興奮したように言った。うっすらと目を開くと、京一の自分の身体に夢中になっている姿が映る。激しく自分を貫いてくる京一の身体をより強く感じる。
( 何…で…。俺、こんなこと、してんだろ……)
  龍麻は、ぼんやりとそんなことを思った。
  自分のことを強く抱きしめてきた京一が、再び自分を押し倒し、口付けをしてきた時。
  ゆっくりとだが、京一が確実に自分の身体を貪り始めた時。
  龍麻はそんな親友の行為を止めることができなかった。
  龍麻が思わず自分の「本当の気持ち」を口走ってしまったのに、京一は尚「好きだ」という言葉を吐いてきた。龍麻は、自分は誰を護る気もない、ただ己のためだけに戦っているのだと言ったのに、京一はそれでも強く抱きしめてきた。
  あいつは馬鹿だから、俺が心にもないことを言って苦しんでいるとでも思ったのかもしれない。それとも、どんな俺でも構わない、ただ俺の身体が欲しいだけだと考えたのかもしれない。
  どちらにしても、龍麻自身は京一のことを「好きではない」と言ったのに、それでも「好きだ」を繰り返す京一に、龍麻ももうどうして良いか分からなくなってしまったことは事実だった。
  考えるのも面倒になってしまった。
  考えるのは、苦しいから。

「 綺麗だぜ…龍麻…」
  夢に溺れたようにうつろな声で京一は囁き、顔を近づけると龍麻の唇に自らのそれを重ねた。舌を差し込み、龍麻のそれを絡めとると、しつこく何度も貪ってきた。
  龍麻の中で京一は果て、その後も何度か、京一は龍麻の中で自らの欲求を吐き出した。
「 もう…京一……」
  龍麻が先に音を上げると、京一はそんな龍麻の髪の毛を撫でながら、それでも離してはくれずに、半ば狂ったように愛しい親友の身体を拘束し続けた。
  もう枯れてもいいはずの涙が、何度目か龍麻の目からこぼれた。
( 翡翠……)
  名前を、呼んだ。あいつはいないのに。俺の傍にはいてくれないのに。
( 痛いよ…翡翠…)
  如月に会いたい、と龍麻は思った。



To be continued…



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