(6)



  『 助けてー 』

  遠くの方で声が聞こえた。か細くて、今にも崩れそうな声。

  『 助けて 』
  『 「それ」は、私じゃない…っ! 』

  必死に訴えている。誰に? 俺に?
  龍麻は声の主を探そうと目をこらしたが、視界に映るのはただの闇だった。
  けれど、尚も声は悲痛な叫びを繰り返す。

  『 やめて…お願い…! 』
  『 いらない…。私…私は、そんな力、いらない! 』





「 おい、龍麻」
  はっとして顔を上げると、そこには心配そうな表情を携えた京一の姿があった。
「 どうかしたか? 顔色、悪ぃけど」
「 何でも…」
  無理に答えようとしたが、声が掠れた。京一に指摘されるまでもなく、身体がだるく、熱っぽかった。
「 …昨日の今日だし、やっぱり休んだ方が良かったんじゃねえか」
  京一が小声でそう言うのに、龍麻はかっと赤面してしまった。その後、そんな反応を返してしまった自分自身に腹が立って、余計に声が出なくなる。
  学校は今日で2学期も終了。この日は終業式に出席するだけだったから、京一の言う通り休んでしまっても良かった。けれど、自分がそうすれば京一もあのまま傍にいると言い張っただろう。京一と二人きりになるのは嫌だった。

  昨晩、求められるままに、龍麻は京一に抱かれた。

  もうどうでもいいと思った。何に苦しくて、何に我慢ができないのかも、龍麻は自分自身で分からなくなっていたし、唯一自分を救ってくれそうな如月も、龍麻の前から姿を消していた。だから、自分を求める人間がいると言うのなら、もうその通りにしてやろうと思った。厄介な自分の存在など、消してしまえばいいと思った。
  そうすれば、苦しまなくて済む…。
「 ホント、平気か? 熱…あるんじゃないのか?」
  言って京一が龍麻の額に手をかざしてきた。ぞくりとして、龍麻は思わずその手を勢い良く払った。
「 たっ…龍麻…?」
  京一が戸惑った声を出したが、返事をするのがつらかった。
「 どうかしたの、龍麻?」
  その時、二人の異様な雰囲気を察して、美里が龍麻の座る席に近づいてきた。続いて桜井と醍醐も。
「 龍麻、何だか具合が悪そうだけど…大丈夫なの?」
「 ホントだーっ! ひーちゃん、病み上がりだし、無理したんじゃないの!?」
「 うむ。退院したばかりだしな。式は出ないで、保健室ででも休んでいたらどうだ?」
  傍に来た3人が立て続けに気遣いの言葉を投げかける。
  耳を塞いで、今すぐにでもここからいなくなりたかった。
「 ……大丈夫」
  それでも何とか声を出しのそのそと立ち上がると、龍麻は席を離れ「でも式はやっぱり無理みたいだから、保健室に行く」と言った。
「 じゃあ、俺が…」
  と、京一が言いかけたところに、美里と桜井と醍醐が。
「 私、一緒に行くわ」
「 ひーちゃん、一緒に行くよ」
「 俺がついて行こう。足元も定まってないしな」
  一斉に声を出した。あまりのタイミングに4人はしらっとした空気の中で、ただその場に佇んだ。
  そんな中一番に立ち直ったのは醍醐だった。
「 ご、ごほん…。何も皆で行く必要はないだろう。5人で式を欠席するわけにもいかんからな。ここは、俺が行こう」
「 何でだよっ!? 龍麻の一番の親友は俺だろうがっ! 俺が行く!」
  ムキになってそう叫んだのは、京一。
「 京一っ! 勝手にひーちゃんの一番を名乗るなっ! そんなの、みんな一緒だろっ。ひーちゃんを心配で、傍にいてあげたいのは、ボクだって同じなんだからなっ!」
  そう言って反論したのは、桜井。
「 みんな落ち着いて。龍麻が困っているじゃないの。ね、ここは私に行かせてくれない? こういう時にこそ、私の力を使いたいの」
  静かに、しかし有無を言わせぬ雰囲気で言ったのは、美里。
  4人のただならぬ空気に、クラスメートたちは半ば興味深気に、半ば慣れたようにその光景を静観していた。
  龍麻は疲れた身体により一層疲労を感じて、教室の外からその風景を面白そうに眺めている人物に声をかけた。
「 遠野」
「 えっ!」
  いきなり声をかけられて、アンコは驚いたように視線を呼ばれた方向へ向けた。それと同時に、自分が注目していた人物たちが一斉にこちらを見るのも感じた。
「 な、何かしら、龍麻君」
  しらばっくれた態度をとろうとしたが、いやに素っ頓狂な声になってしまったと、アンコは心の中で舌を出した。やはり龍麻の前で演技をするには、自分はまだ修行が足りないと思う。
  彼女の最近の「目指せスクープ」は、学園のお姫様・緋勇龍麻をモノにするラッキーな王子様は誰か!?…なのであるが、最有力候補の取り巻き4人組が、最近はいつになく熾烈なデッドヒートを繰り広げているので、自分的には退屈するに事欠かなくて喜ばしい限りだと思う。もちろん、その王子様に自分がなれたらそれが一番良いのだろうが、とてもじゃないがこの人たちには敵わないと、最近ではすっかり諦めて本来の記者の側に回っているのだ。
「 ……面白そうに見てないでさ。付き合ってよ」
「 えっ!? な、何が!?」
「 保健室」
  龍麻はそう言ってアンコの横を素通りして、4人には目もくれずに教室を出て行ってしまった。
「 あっ!? ちょ、ちょっと待ってよ龍麻君! み、みんな、じゃ、そういうわけだから! ごめんね〜!」
  アンコは慌ててそれだけ言うと、龍麻の後を追って行ってしまった。
  後に残された4人はただぽかんとして、その場に取り残される形となってしまった。





「 よ、良かったの? あの人たち置いていって?」
「 だって、5人で保健室行くの、変だろ?」
  龍麻がだるそうに言葉を出す。ようやく追いついて龍麻の顔を覗き見たアンコは、本当にけだるそうな顔をしている「お姫様」の姿に、さすがに同情した。ただでさえ世界の救世主だの、選ばれた人間だの、運命だの使命だのと押し付けられて、その上、同じように選ばれたはずの力ある人間たちにまで、様々な期待を一身に受けさせられて。これが自分なら確かにたまらないだろうと思う。
  一般人な分だけ、アンコは京一たちが十分に感じ得ることのできない、龍麻への重圧を思って同情した。
  保健室に着き、保険医はいなかったのでそのまま勝手にベッドに横になった龍麻は、一緒に来てくれたアンコに礼を言うと、もう戻っていいよと軽く笑んで言った。元から自分が必要とされていないことを知っていたアンコはすぐに頷き、その場を去ろうとした…が、彼女の、「どうしても訊きたい」という本来の虫は、それを良しとしなかった。
  アンコは去りかけた体をぐるんと逆戻りさせ、ぼんやりとした目を向ける龍麻に問いただした。
「 ねえ、龍麻君。べ、別に答えたくなければ答えなくてもいいのよ!? あなたには黙秘権があります」
「 …何それ」
「 でも、訊いておきたいのよ。君、好きな人っていないの?」
「 ………」
「 どんな人間だって構わないのよ!? 龍麻君にまったく釣り合わない、とんでもないブスだろうが、性悪女だろうが、もしかして同じ性を持つ男だったとしても、私的には構わないわ。むしろ一人もいないって方が、ヘンかなって思うから」
「 ……ヘンなの?」
「 えっ!? い、いや〜別にヘンじゃないかもしれないけど、それって、今の龍麻君の境遇を考えると、可哀想だし……」
「 可哀想なんだ……」
「 えっ!? う、ううん! 別に可哀想とも言えないけど、その〜、ほら、傍には美里ちゃんや小蒔なんていう可愛い女の子もいるわけだし」
「 ………」
  必死に取り繕うアンコがおかしかったが、龍麻は笑う気になれなかった。
  一体、何回同じ質問をされたんだろう。
  皆、自分を好いてくれていて、自分が誰を一番にしたいと思っているのかを、知りたいと思ってくれている。それはきっと嬉しい事なんだろうけれど、同時にひどく重たいとも思う。
  自分は今までみんなが気に入るだろう「緋勇龍麻」を演じていただけで、誰も本当の俺を好きだと言って傍にいてくれるわけじゃないと感じるから。
  唯一、分かってくれる人…。分かってくれそうな人と言ったら…。
「 好きな人…いるよ」
「 えっ!?」
  龍麻の小さいがはっきりとした台詞に、アンコは目をむいた。
「 ほっ、ホント…!?」
「 これって、オフレコ…?」
「 も、も、も、もちろんよ! で、だ、誰なの!?」
「 ……誰かは、内緒」
  龍麻の台詞に、アンコはずっこける。
「 そ、そんなあー。じゃあ、それって私が知っている人!?」
  興奮したように、ベッドに横になる龍麻に乗りかからんばかりの勢いでアンコは問い詰めた。
  しかし、そんなアンコの身体をぐいとつかんで龍麻から引き離した人物がいた。
「 何やってんだ、てめーはっ!」
  背後から見たら、アンコが龍麻を襲っている図に見えないこともなかった。だからかもしれない、後から保健室に入ってきたその人物は、突然目にした光景にぎょっとし、思わず駆け寄って、仮にも女性であるアンコの髪の毛を無遠慮につかんで引っ張ったのだ。
「 いっ! いったー! な、何すんのよー!」
「 それはこっちの台詞だっ、このエロ女! 龍麻に何する気だったんだよ!?」
「 なっ、何ですってー!」
  とんでもない言いがかりにアンコは怒り心頭で振り返った。強引に引っ張られた髪の毛も、抜けるかと思うほど痛かった。一言、この無礼な奴にビンタの一つもくらわせなければ。
  しかし。
「 …な、なによ、京一…」
  相手の顔を見て、アンコはすっかりひるんでしまった。
  いつものケンカ相手の顔ではなかった。その形相は、真剣に自分に対して怒っているものだと見てとれた。
「 …あんた、何勘違いしてるのよ。私はね…っ!」
「 うるっせーな! いいから、行けよ!」
「 な、何よ、その言い方…っ! 私はっ!」
「 行けって言ってんだろーがっ!」
  京一はぴしゃりと一蹴し、そのままアンコの肩先をどんと押して保健室から追い出してしまった。
  たったそれだけの動作だというのに京一は肩で荒く息をし、アンコを追いやったところで、くるりと振り返って龍麻を見下ろした。
「 ……式は?」
  龍麻がゆっくりと言葉を出すと、京一はそれには答えず、ベッド脇に近づきいやに落ち着いた動作で龍麻に近づいた。そしてベッドに肩肘をつき、龍麻に顔を近づける。
  龍麻にはそれが息苦しく、嫌だった。不平を漏らす。
「 ……何だよ…?」
  けれど、京一は。
「 …………うるせ」
  それだけつぶやくと、そのまま龍麻に自らの唇を重ねた。
  龍麻が逆らう暇もなかった。
「 んっ……!」
  京一の口付けはしつこく繰り返され、いつの間にか舌も絡めとられる。ただのキスではなかった。龍麻を力で抑えつけてしまおうという京一の乱暴な意思表示のように、龍麻には思えた。実際に京一によって掴まれた手首がじんと痛みを感じ、またその締め付けは京一のキスが終わるまで強いままだった。
  やがて京一は少しだけ唇を離し、龍麻を見つめた。龍麻が目を開くと、もろにその視線と交差した。
「 ……何でだ、龍麻」
  京一が囁くように言った。
「 何で、俺に付いてこいって、言わなかった」
  その傲慢な言い方が癇に障った。
「 ……嫌だったから」
  龍麻がそう答えたと同時に、しかし京一はまた龍麻の唇を奪った。そんな台詞は許さない、という感じだった。
「 くっ…!」
  けれど、その京一の拘束も長くは続かなかった。
  意表をつかれたように京一は龍麻から離れ、片手で自らの唇を拭うと、そこについた赤い血を見つめてイラついたような瞳を向けた。
「 お前は、最低な奴だ」
  京一が言った。
「 善人ぶって、みんなが思っているような奴なんかじゃねえ。いつも相手を嘲笑って、冷淡で、自分の事しか考えてねえ。お前の事を真剣に想ってる人間のことだって、平気で踏みつけにする」
「 ……そうだよ」
  京一に負けない瞳を宿して龍麻は言い返した。
「 ……けど、俺はお前が好きだ」
  京一は行って龍麻の頬にそっと触れた。
「 絶対にいつかお前にも言わせてやる。俺のことが好きだってな。それまで、俺は絶対お前から離れねえ」
  龍麻に言葉を挟まれたくないのか、京一は龍麻の唇に指を当てて尚も続けた。
「 お前を知っているのは俺だけだ。お前を分かってやれるのも俺だけだ。そうだろ龍麻」
  龍麻は強い光を自分に向ける京一をただ見つめた。
  自信に満ちた顔だった。
  昨日、一時でも自らを京一に預けたことを、龍麻は後悔した。京一が嫌いではない。むしろ、この真っ直ぐな心根に惹かれる事だってある。でも、自分にはまぶしすぎるのだ。絶対に相容れない世界の人間だと思ってしまう。
  だから。
  早く、早く会いにきてほしいと思う。この勢いのある波に飲み込まれないように。自分が隠れてしまわないように。
  会いたい。
  翡翠…。

  『 助けて… 』

  その時、またあの声が聞こえたと思った。

  『 助けて…こんな力、私はいらない…! 』

  泣いているのだろうか。声は消えそうで…けれど、強い「音」。


  『 これは、「私」 じゃない…っ…! 』



To be continued…



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