(7) 彼女と戦うのは、嫌だと思った。 初めてだった。相手を淘汰してしまうことにためらいを感じたのは。いつもの自分なら、どんな相手だろうと容赦はなかった。敵である彼らの人間としての弱さや、自分に似通っていると思えるところさえ、情けもかけずに打ち砕いた。 いや、「自分と通じるところがある」、そう感じたからこそ、龍麻はより残酷に相手を倒していったのかもしれない。 だが、今回の相手は勝手が違った。 「 うふふ…まさか、こんなに簡単に引っかかってくれるとはねえ」 終業式の後、これ以上他の者に心配をかけたくなくて、龍麻はもう大丈夫だと告げていつもと同じように彼らと行動を共にしていた。京一だけがどことなく憮然とした表情を携えていたが、気にしないフリをして新宿の街並を歩いていた。 その時に世羅の作った時空の狭間(?)に、龍麻たちは誘いこまれた。 「 君は……」 龍麻のつぶやきに世羅は無反応だった。不敵な笑みを浮かべ、冷徹な表情のまま龍麻たちの前に立ちはだかっているだけだ。 「 龍麻、知っているのか?」 醍醐が不審の声を上げる。 龍麻は世羅の顔をじっと見つめ、醍醐の問いには答えなかった。 すると、世羅がけけっと、甲高い声で笑った。 「 あははっ! よおく分かっているようだねえ。そうさ、あんたがあの時会ったあいつは、ここにはもういない」 「 どういうことだ」 龍麻が問うと、世羅はただイミもなく笑っていただけだったが、やがてきっとした眼を向けると、憎悪とも悲しみとも取れる目でこう言ったのだ。 「 あの人が…あの人だけが、あたしの存在に気づいてくれた! あたしを見てくれた! だから、だからあたしは…っ!」 「 何だ、こいつ…?」 京一が眉間に皺を寄せ、つぶやく。桜井も醍醐も、そして美里も、世羅の訳の分からないつぶやきに翻弄されているようだった。 けれど、龍麻は。 「 君は……」 イブの日に出会った、黒髪の少女・六道世羅。 あの時の彼女のはかなげな表情が思い出された。自分には「何か」怖い力がある。それを誰も信じてくれずに孤独の中で脅えていたと、少女は語った。 そして、また会えるかと世羅は恐る恐る龍麻に訊いた。 会える、と龍麻が頷いた時の、彼女の笑顔――。 「 もう、出て来ないつもりなのか…?」 うわごとのように龍麻は世羅に訊いた。 「 龍麻……?」 「 ひーちゃん?」 皆が龍麻の反応に戸惑って、動けずにいた。けれど龍麻は彼らには構わずに、ただ世羅の姿を見つめ続けた。 「 俺…また君に会うって、言ったじゃないか…」 「 ………」 「 こんな力…いらないって思っているのは、君だけじゃない」 「 ………」 「 どれが自分なのか…分からないって思っているのも…」 「 私…私は……」 龍麻の声に、世羅は何か苦しそうに声を出そうとした。 しかし、その刹那――。 空間に入り込んできた、邪悪な光。 「 柳生…?」 「 ふ……」 龍麻が戸惑い、一瞬だけ世羅から目を離した、その瞬間。 「 ひ…ふ…ふひゃはははは!」 世羅は再び狂ったように笑い出した。そして、更に恐ろしい眼をして龍麻と対峙する。 「 うるさい! お前なぞ、お前なぞ、ただそうやって偽っているがいい! 私は! 私は、ただ、あの人のために!」 世羅の中の自我が崩壊したのが見えたと同時に、辺りの景色もまた一変した。 「 戦闘だよっ、ひーちゃん!」 桜井の声で、龍麻は堅く目をつむった。 「 ひゃはははは! 真っ二つになっちまいなっ! 時空拗!」 柳生に精神を乗っ取られ、別の人格を完全に覚醒させてしまった世羅に、あの時の面影はなかった。 思い通りに動けない戦場。メンバーもバラバラになりながら、近くの敵を確実に倒すことに専念して、なかなか前へ進めずにいる。ただ龍麻だけが相変わらず移動力の非凡さを生かして世羅の元へと接近していく。その度に世羅も何らかの威嚇をしてくるが、はっきり言って彼女は今の龍麻の敵ではなかった。じりじりと追い詰めていく龍麻に、世羅も自らの形勢不利を感じているようだ、強引に無理な攻めは仕掛けてこない。 「 ふふふ…消えろ、みんな、消えてしまえっ!」 それでも世羅の不気味な笑声は消えることがなかった。まるで己をどんどん壊していくかのように、自虐的に、世羅は自らの感情とは関係なく笑い続けているかのように龍麻には思えた。 「 何やってるんだ、龍麻! もうお前の至近距離だろっ!?」 やや遠方で京一が叫んだ。美里のフォローもあって遅れたのか、龍麻とは大分離れた距離にいる。それでも常に龍麻の動向には目を向けていたのだろう。明らかに勝てる相手に龍麻が躊躇している姿を見て、思わずそんな声を飛ばしてきたのだ。 「 龍麻! そいつを倒せばこの時空からも脱出できる! 桜井が怪我をしてるんだ、早く…っ!」 今度は醍醐が声をかけてきた。龍麻がちらと振り返ると、確かに桜井の額から血が流れているのが見えた。近距離で攻撃されたようだ。 「 俺は……」 龍麻は、目の前の世羅を改めて見つめた。つりあがった眼。無理に引き上げたような口の端。総毛だった髪。あの時の彼女ではない。 あの時の世羅は、もういないのだろうと分かる。 分かるけれど。 「 君は…気づいていたんだね……」 龍麻は目の前の「世羅」にではなく、消えたはずの世羅に向かって語りかけた。 「 俺が…あの時君に出会った俺が…君のことなんか、ちっとも見ていなかったってこと」 「 死ね…死ね死ね死ね…」 世羅が呪文のようにつぶやいてくる。龍麻は構わずに続けた。 「 俺はあの時も、他の奴らと同じように、君の話を聞いてあげてるフリをしてた。いい奴を演じて、君のこと心配しているんだって、君に思わせるつもりだった。実際、うまくいったと思った…」 「 緋勇……龍麻ァ――!」 世羅が今までで最大級の攻撃を仕掛けてくる。 けれど、龍麻は無防備で。 「 でも、君は気づいてた…。自分は独りだって。誰も自分を見てくれてないって分かっていたんだ。だから柳生に…」 「 龍麻っ! 何してんだ! よけろーっ!」 遠くから京一が叫んだが、龍麻の耳には届かなかった。 「 ごめん…ごめんな……」 龍麻は目をつむった。彼女になら、殺されてもいいと思った。 自分のことを見抜いてくれた、彼女になら。 「 龍麻!」 京一とも、誰ともとれぬ声が世羅の攻撃から流れる波動に重なる。 いずれも、龍麻には感じられなかったのだが。 『 こんな、力――! 』 あの、悲痛な声。 『 こんな力、私はいらない!』 強く訴える声。 『 助けて! 誰か、助けて!』 胸が苦しい。助けられるものなら、どうにかしてやりたい。でも。 一体、自分に何ができるんだろう。今まで、普通に生きてきた。他の誰とも変わることはない、普通の学生だったのだ。それを――。 救ってほしいのは、助けてほしいのは、むしろ…。 「 誰か…助けて……」 つぶやいていた。声に出していた。 その時。 「 龍麻」 あの声が。 「 飛水流奥義、瀧遡刃…!」 「 ぎ…ぎやああああああ――!」 同時に聞こえてきたのは、世羅の断末魔の叫び。時空が揺れ、辺りの物が軋む音――。そして、足元のふらつく自分を支える温かい誰かの腕の感触。 「 翡翠……?」 瞳を開くと、そこには自分でそう呼んだ人物がいた。龍麻を優しく抱きかかえてくれる、その人。 「 翡…翠……」 「 話は、ここを脱出してからだ」 龍麻の方をちらとも見ずに、如月はそう言った。 「 一体、あいつは何だったんだ…?」 気づくと全員、中央公園にまで飛ばされていた。辺りは既に暗く、人気もあまりない。突然現れた高校生たちを不審に思う人物がいなかっただけ、ありがたかったのだが。 それでも、どことなく後味の悪い戦闘に、皆、あまり声を出すこともなかった。 「 柳生の仕向けた刺客だったのだろうな。奴に精神を乗っ取られていたようだ。かわいそうだが……」 それでも醍醐が京一の問いに義務的に応えた。一瞬、しんと静まり返った後、美里が親友に近づく。 「 小蒔、傷を見せて」 「 あはは、大丈夫だよ、これくらい」 桜井が努めて明るい声を出す。 しかし、その雰囲気を京一が壊した。 「 龍麻。お前、何ですぐに攻撃しなかったんだ」 「 よせ、京一」 「 小蒔が怪我していたの、知ってたんだろう? 何を迷ってたんだ」 「 よせよ、京一っ! ボクは何ともなかったんだからいいだろっ!」 「 お前のことなんか心配してねーよ。龍麻の様子が変だから、訊いてるだけだ」 「 ちょっと、京一君。その言い方はないと思うわ」 「 そうだぞ、京一。何をムキになってる。結果的に如月が奴を倒してくれたんだから、いいだろう」 「 良くはねーよ! 大体、如月!」 京一はそう言って、自分たちからやや離れた所にいた龍麻と、その傍に立ち尽くしている如月に近寄った。 「 いきなり現れて、お前は一体どうしてあん中へ……」 「 そんなことより」 しかし如月は京一の質問に答える気がないのか、すぐに自分の傍で放心したかのような龍麻を見下ろして言った。 「 龍麻を休ませたい。桜井さんも怪我しているようだし、今日はもう解散すべきだと思うが? 醍醐君」 「 ん? あ、ああ、そうだな…。その方が賢明だろう。おい、京一」 リーダー格の醍醐が京一に近づいて言った。 「 もう遅い。俺は桜井を送っていくから、お前は美里を送って行け」 「 ……馬鹿言ってんじゃねえよ……。龍麻は……」 「 龍麻は僕が送るよ」 如月の台詞に、京一がきっとなった。けれど、声を出す前に美里が声をかけた。 「 京一君。今日はもう如月君に任せましょう。だって、龍麻がそれを望んでいるわ」 言われて京一はぎょっとして如月の足元に座り込んでいる龍麻を見据えた。うなだれて、抱えた膝に顔を埋めてはいるが、片手は確かに如月のズボンの裾を掴んでいた。 まるで、置き去りにされた子供のようなすがり方だった。 「 ………」 如月は黙ってそんな龍麻のことを見下ろしていたが、やがて自分も龍麻と同じように膝を曲げて姿勢を低くすると、龍麻にそっと囁いた。 「 龍麻、立てるか」 その声に、龍麻が微かに反応した。頷いたようだ。 それを合図とするように、醍醐は桜井を連れて、そしてもう一組は、どちらかと言えば美里が京一を連れて、2人の元から去って行った。 4人が消えて、辺りは静寂に包まれる。 「 龍麻」 改めて如月が龍麻を呼んだ。 龍麻がここで初めて顔を上げる。今にも泣き出しそうな顔だった。 如月がそんな龍麻の頭をそっと撫でた。子供に対するようなそれだったが、不思議と嫌な気持ちがしなかった。 「 何で……あそこに?」 京一が先刻した質問をしてみた。 如月はあっさりと答えた。 「 君の声が聞こえたからね」 そう言って、如月は再び戯れのように龍麻の髪を自らの指に絡めた。 「 ……嘘つき」 それに対して龍麻がつぶやくように言う。 「 ずっと、来てくれなかったくせに」 けれど、もう我慢できなくなって、龍麻はそのまま如月に抱きついた。 |
To be continued… |
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