(8) 久しぶりと言ったって、一週間程離れていただけだ。 大したことはない。そのうちの5日間ほどは、自分は病院のベッドで眠り続けていたのだし。 けれど。 ずっと会いたいと思っていたからか、「久しぶり」に再会した如月は龍麻の知っている彼とはどことなく違ったように見えた。 以前よりも、精悍としていて。 眼が――。 「 龍麻、熱があるんじゃないか?」 龍麻のアパートまで共に来てくれた如月はその部屋の住人を半ば押し込むようにして中へ入れてから、憮然とした声を出した。 「 別に…。朝、ちょっとだるかっただけだから」 龍麻はそうつぶやいてから部屋の隅に座ってふっと息をついた。 今日も無事に、ここへ帰ってきた。 そんなことを考えてから、不意に世羅のあの表情を思い返した。 悲しみが入り混じった、憎悪の――。 「 龍麻」 はっとして顔を上げると、如月が眉間に皺を寄せて龍麻のことを見据えていた。玄関を上がったすぐ右隣にある簡素な台所で湯を沸かしていた彼は、先ほどの戦闘に思いを馳せる龍麻を責めているような目を向けてきていた。 「 ……翡翠」 その視線に耐えられなくなって、龍麻は頼るように如月を呼んだ。何を言おうとも考えてはいなかったのだが、ただ名前を呼びたかった。いつも彼は優しく応えてくれたから。 けれど、如月は黙ったままで。 その反応に戸惑いながら、龍麻はもう一度名前を呼んだ。 「 翡翠」 「 何だい」 冷たい声。どことなく、距離を置こうとしているように、龍麻には感じられた。何故かずきりと痛む胸を抑えて、龍麻は言葉を出していた。 「 あ、あの子…六道って子は、さ。俺のこと、分かってた」 如月がこちらを真っ直ぐに見ているのは分かっていたが、目を見ることができなくて、龍麻は俯いた。 「 俺が、ひどい奴だって気づいてた。自分のこと助けてくれる人間じゃないって分かってた」 「 …………」 「 あんな子、初めてだったから…。だから、桜井が怪我しているの知っていたけど、どうしても…攻撃できなかった。あの子の自我は当に崩壊しているって頭では分かっていたけど…」 如月は必死にそんな話をする龍麻を、最初は黙って見やっていた。 が、やがて沸かした湯をカップに注ぐと、あらかじめ入れていたインスタントの紅茶を、わざとばちゃばちゃと乱暴にかき混ぜ、更にイラついたように粒上の砂糖をどばどばと入れた。そうしてスプーンでかきまぜるのも程ほどに、乱暴な足取りで龍麻の所に近づくとそのカップをずいと差し出す。 「 翡翠……?」 「 飲むといい。君の家の物だから、遠慮はいらない」 「 あ、う、うん」 勢いに押されるように龍麻はカップを受け取り、それをそのまま口につけた。瞬時、あまりの味にカップを手から離しそうになる。 「 あ、甘…っ!」 「 疲れている身体には、これくらいが丁度いいさ」 ぶっきらぼうに如月はそう言い、それからくるりと踵を返してドアの方へと歩いて行く。龍麻は意表をつかれて再びカップを手から落としそうになった。 「 ひ、翡翠…?」 「 …何だい」 「 帰るの、か…?」 「 ああ。君を無事に家まで送り届けたし、もうここには用はないからね。またいつ戦闘になるかも分からない。準備も整えておかないといけないし、店の方へ戻るよ」 「 …………」 何故。そう思ったけれど、声が出なかった。確かに戦闘の後の自分はいつも必ず独りになりたいと思っていた。 でも、今夜は。 「 ひす―」 が――。 龍麻が呼ぼうと思ったその時、突然電話の音が激しく部屋中に鳴り響いた。 驚いて顔をそちらに向ける龍麻。けれど、出ることができない。 その姿を見た如月が静かに龍麻に言う。 「 鳴っているよ、龍麻」 「 ………」 「 …出ないのかい。蓬莱寺か誰かじゃないのか」 「 いいよ」 「 ……良くはないさ」 如月はそう言って、龍麻の代わりに電話を取った。何度か相槌を打ち、それから龍麻が休んでいる旨を簡単に告げる。 電話を切ってから、如月は素っ気無く言った。 「 蓬莱寺からだったよ。君のこと、ひどく心配していた」 「 ………」 「 他の皆もそうだろう。…だからといって彼らの為にとは言わない。君自身のために、今日はもうゆっくり休むべきだ」 言って、如月は再び踵を返すと龍麻に背を向けた。 そして、そのまま。 「 それから…彼女のことは、忘れるべきだ」 静かに言った。龍麻は驚いて如月を凝視した。 「 翡翠…?」 「 責めるのなら、自分ではなくこの僕を責めるんだね。彼女を殺したのはこの僕なのだから」 「 何で…翡翠……」 「 じゃあ、僕はこれで帰るよ」 「 待てよっ、翡翠!」 龍麻は思わず立ち上がると、あくまでも冷たい態度の如月に声を荒げた。如月が振り返り、玄関先で龍麻を見やってくる。 「 何で…何で…。俺の声が聞こえたから来たって、さっき言っただろう?」 「 ああ」 「 じゃあ、何でそんな風に俺から逃げるんだよっ? 何で俺に、お前を責めろなんて、そんなこと言うんだよ」 「 ………」 「 傍に…いて、ほしいんだよ…」 消え入るように龍麻は言った。初めてだった。自分から、本心で誰かを求めたのは。助けを必要としたのは。 「 君にとって、僕はどんな存在なんだい」 「 え……」 唐突な問いに、龍麻は面食らって言い淀んだ。 「 寂しい時にだけ必要な、自分の気を紛らわせてくれるだけの、都合の良い存在? それとも、少しは護衛の役になると思ってくれているのかな」 「 何、言ってるんだよ、俺はっ…」 龍麻の声を掻き消して、如月は自身を嘲笑するように口の端を上げた。 「 そんなわけはないか。僕は君が柳生に斬られた時、傍にいなかった役立たずだ。…もっともその場にいたとしても、どうともできなかったかもしれないけれどね。君が桜ヶ丘に運ばれたと聞いた時は、正直生きた心地がしなかったが…それ以上に、己の力量に腹が立ったよ」 「 だから…腕を磨いてた…?」 龍麻の問いに如月は答えなかった。けれど冷たい声で違う言葉を口にした。 「 僕にとって最も怖いことはね、龍麻」 如月は真摯な眼を龍麻に向けて言った。 「 君が死ぬことさ。君の存在がこの世界から消えてしまうことなんだよ」 「 ………翡翠」 「 なのに、君は……」 如月はここで初めて、怒りにも似た感情の光を自らの瞳に宿らせた。 「 死んでもいいと思っただろう。彼女になら、殺されても良いと思っただろう」 「 あ……」 如月の言葉に、龍麻は声を失った。 確かに、あの時の自分は――。 「 僕はね、龍麻。君を生かすためなら、君自身がどんなに傷つこうが構わない。誰が死んでも、どうということもない。だから僕は、彼女の死など何とも思わなかったよ。躊躇わず剣を振るえた」 「 ………」 「 でも君は何度も言っていたね」 「 翡翠……」 「 『 彼女を助けてくれ 』 と」 「 俺は……」 「 君は自分のことをひどい奴だと責めるが、誰も君を責めることなどできない。君は優しいよ、龍麻。それに気づけなかった彼女の方が愚かなのさ」 「 違う……俺は……」 「 でも僕は、そんな君を許せない」 如月の言葉に、龍麻はびくりと肩をゆらした。胸に突き刺さる言葉。如月の口から出たものだったからだと認識する。 「 いつまでも彼女のことを考えている君が許せない」 如月の声はひどく冷たい。自分に対してひどく怒っているのだと分かる。胸が痛い。 「 ご、めん……」 やっと、それだけ言えた。身体が熱いのか冷たいのか、良く分からない感覚に襲われる。とにかく、このまま如月にいなくなられるのだけは嫌だと思った。それだけは分かった。 「 謝るから…頼むから…行くなよ。傍に、いろよ」 「 ………」 足元を見つめたまま搾り出すように言った。けれどそれに対する如月の返答がない。かっとなって、声を荒げた。 「 俺の言うことがきけないのかよっ。俺のこと守りたいんだろ。だったら、勝手に何処かへ行くなよ!」 「 何処にも行かないさ」 やっと返ってきた、けれど冷めた声。 「 君が戦う時は必ず傍に行くよ。必要ないと言ってもね。元々、僕はその為に生まれてきたんだから」 「 何で、そんな言い方…っ!」 龍麻は怒ったようになって、ここで初めて顔を上げた。 「 翡翠は馬鹿だ! 京一なんかより、ずっと、もっと馬鹿だ! 何で俺が好きなら、俺が大切なら、俺を、自分のものにしようとしないんだよ! そんなの、そんなの…っ」 「 蓬莱寺は、そうしたのかい」 「 ………!」 はっとして黙りこくる龍麻に、如月は何の表情も見せなかった。 けれど今度こそ龍麻に背を向けた。部屋を出て行こうとする。 嫌だ、と思った。 「 翡翠っ…!」 だっと駆けて、如月の身体を押しのけ、ドアの前に立ちふさがった。ドアを背にしたまま、きっと如月のことを見上げた。 けれど如月の表情は乾いたままで。 その眼を見ているだけで、龍麻はもうたまらなくなってしまった。 「 どいてくれ、龍麻」 「 嫌だ!」 「 龍麻……僕は今、君と一緒にはいたくないんだ」 「 何でだよっ、何で…っ」 返ってこない声。たまらなくなって、龍麻は視線を逸らせた。 「 何で…そんな眼……」 しんとした空間の中で、龍麻はやがてずずずとくずれ落ちるようにしてその場に座りこんだ。 「 馬鹿…やろう……」 そうしてうずくまり、やがて小さな嗚咽を漏らした。 「 分からない…自分でも分からないんだよ、翡翠…。だから、だから、お前に傍にいて、ほしい…のに……」 そう言って泣きじゃくる龍麻の姿を、如月はひどく静かな気持ちで見つめていた。 龍麻の弱さは知っていた。龍麻の強さも知っていた。 どう言えば彼が喜ぶのか。どう言えば彼が安心するのか。 どう言えば彼が傷つくのか。 分かるから。如月は敢えて龍麻を傷つけた。そうして、少しは自分のために苦しめばいいと思った。 他の者のことばかり考えるくらいなら。 「 好きだ…翡翠…」 その時、龍麻が言った。 如月の身体が微かに揺れた。龍麻は気づかなかったが。 好き…。 その言葉を反芻して、如月は黙って身体をかがめると龍麻の頭をそっと撫でた。それで龍麻が顔を上げる。泣きはらした目が真っ直ぐにこちらを見つめてくる。 好き、か…。 如月は感情を押し隠したまま龍麻を見つめ、もう一度その言葉の意味を考えた。 龍麻のことは分かっている。分かっているけれど。 自分に対する彼の感情にだけは、確信がもてない。恐らくは今ここに自分を繋ぎ止めたいが為の言葉なのだろうと思う。思うが、それを容易に認めたくない気持ちがもちろんあった。 「 翡翠……?」 恐る恐る龍麻が話しかけてくる。如月ははっとして、改めて龍麻を見やった。綺麗だと思う。 龍麻の頬に落ちる涙を優しく指で拭ってやり、それから彼の唇にその指を持っていく。ゆっくりとした動作でなぞり、そして自らのそれも近づける。 「 あ…」 龍麻が何か言いかけたが、そのまま唇を重ねた。 「 ん…っ……」 軽くするつもりが、久しぶりということもあって、つい激しいものになっていく。龍麻が苦しそうに目をつむる。けれど、決して逆らいはしない。逆に如月の腕にすがってきた。 そっと離して視線を合わせようとすると、龍麻はかっと赤面してうつむいた。それからそんな自分を隠すように、如月にぎゅっと抱きついた。 「 龍麻……」 愛しい。素直にそう思った。このまま、自分のものにしてしまえれば…そう、思った。 その時。 「 ……!」 ぎくり、とした。 龍麻の首筋につく、紅い痕。 不意に心臓を鷲掴みされたような感覚に陥る。どくんと胸が高鳴り、それから言いようもない感情が内を巡った。 「 翡翠…?」 心配そうな声と瞳が、その時、如月に語りかけてきた。如月の殺気を感じとったのだろう、びくびくとして、けれど決してすがる腕の力は緩めずに、龍麻がそっと見上げている。 如月は心を鎮めようと努めながら、静かに声を出した。 「 今夜は、傍にいるよ」 「 本当に…?」 龍麻の顔に安堵の色が広がる。 「 君が望むなら……」 「 あ…りがと…翡翠……」 心底ほっとしたような笑顔を見せる龍麻。そんな龍麻に気取られないように、如月はひたすら感情を押し殺して言った。 「 疲れているんだろう? 僕は傍にいるから、龍麻は安心して眠るといい」 「 え…でも……」 「 もう怒っていないから」 龍麻の言葉をわざとかき消し、如月は龍麻を無理に押しのけると、自分から先に部屋に戻って押し入れから布団を運び始めた。 蓬莱寺…。 その名が浮かび、如月の中で何かが弾けた。 |
To be continued… |
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