(11)



  いつもは一旦眠れば朝まで起きる事などないというのに。
「 う…。何だぁ…?」
  京一は寝ぼけた声を発し、むくりと上体を起き上がらせた。がしがしと髪の毛をかきむしり、何気ない調子で視線を横へ向ける。
  隣にあるベッドでは龍麻がすうすうと穏やかな寝息を立てていた。
「 ………」
  龍麻は京一からは背中を向けた格好、壁際へ頭を押し付けるような姿勢で眠っている。横になった時には肩まで掛かっていたはずのタオルケットがもう腹の辺りまで下がっていた。徐々に温かくなってきているとはいえ、まだ4月だ。京一は龍麻を起こさないように乱れたそれをそっと再び肩まで掛けてやった。
( 何時だ…?)
  心の中で思いながら辺りに目を凝らすが、暗い室内で時計の針はよく見えなかった。仕方なく立ち上がり、京一はこの寝室と隣接しているリビングへと出た。こちらも同様に薄暗いが、窓際に掛かるカーテンの隙間からほっそりと差し込む月の光の影響もあり、視界も少しは開けていた。
  ガランとした広い空間に立ち尽くし、京一は何ともなしに片手で腹をさすりながら壁に掛かっていた時計を見上げた。
  まだ3時を過ぎたところだった。
「 しょうがねェなあ…」
  何とも中途半端な時間に起きてしまったものだ。
  京一は台所まで歩いて行き、水道の蛇口を捻った。そのまま顔を近づけてコップも使わずに流れてきた水を飲む。顎先に滴った水滴を手で拭い、京一はようやく人心地ついてから改めて息を吐いた。
  友人の家に泊まるのは初めてではない。
  それなのに、どうしてか落ち着けなかった。
「 ………」
  大して美味くもない夜食と共にこれまたぽつぽつとつまらない話をし、順番に浴室で汗を流した後は早々に布団に入った。龍麻は京一にベッドを譲ると言ってきかなかったが、京一も「俺は床でいい」と一歩も引かなかったから結局じゃんけんで寝床を決めた。そこだけは唯一普通の高校生みたいにムキになっていたような気もするが、そもそもどちらがベッドで寝るかであそこまで互いに意地を張るのも、何だか妙と言えば妙だった。


  俺…もしかしたら変な寝言言うかもしれないけど……


  気にしないでくれと龍麻は言った。寝言なら京一もバカな事の1つや2つ覚えがあるので軽く受け流したが、やはり「おやすみ」と言って背中を向けた龍麻はどこか物憂げだった。
  どうしてあんな顔を見せるのだろう。
「 ちっ…。ったく、しっかりしろ…」
  ぐるぐると考えても答えの出ない迷路に彷徨いこんだようで京一は舌打ちした。こんな風に一緒にいても何も聞き出せない、ただ気まずい。
  泊まるべきではなかったのかもしれない。


  チリリン……。


「 ん……?」
  その時、不意に窓の外から微かな鈴の音が聞こえたような気がして、京一は俯いていた顔を上げた。
「 何だ…?」
  チリリン、チリリン、チリリン…。
  京一が気づいたと同時、まるでそれを喜ぶようにその音は更に2度3度と鳴った。気のせいではない、その音は確かな意思を持ってすぐ傍で鳴っている。誘われるようにして、京一は一歩二歩とその音のする方へと近寄った。
  チリリン、チリ、チリリリン…。
  音は京一が近づいてくると分かるとやがて不規則な音色を奏で出し、早く早くとまるで急かすように鳴りだした。おかしい、これはただ事ではない。急に胸に迫る危機感を胸に抱き、京一は咄嗟にテーブルに立てかけていた木刀をがしりと手に取った。
  そしてカーテンを開き、その勢いのまま窓も開けた。
「 ………?」
  何もいない。そして音も消えていた。
「 何―……」
  けれど京一がその静寂に一瞬気を削がれた時だった。
『 キシャアアアアアーッ!!』
「 ぐっ…!?」
  突然、頬を切り裂くような烈風が過ぎったと同時、不気味な奇声が京一の耳を激しくつんざいた。反射的に振り返り、木刀を構えたまま部屋の中へ視線を戻す。
「 な…ッ…」
『 キシュウゥ……!』
  そこには未だ嘗て見た事もない「生き物」がゆらゆらと部屋を漂っていた。
「 何だ…コイツは…!」
『 シュウゥルル…!』
  蝙蝠? いや違う。 化け猫? それも違うだろう。
  鋭い鍵爪にキバ、薄いギザギザの黒い羽だけを見ればそれは街中へ彷徨い出た蝙蝠だと思ったかもしれない。けれどその生き物は体毛にハリネズミのような棘をまばらに張り巡らせ、更に真っ赤な瞳を三つ持ち。
  明らかな意思を持って京一の事を睨みつけていた。
「 シャレになんねえ…。何なんだ…!」
『 キャシャアアアア7!!』
「 くっ!!」
  その化け物は途惑う京一を嘲笑うかのように、予測の出来ない動きで第一撃を仕掛けてきた。最初からその形を認め捉えていた京一は何とかそれ祓う事に成功したが、それでも第二打、第三打と、相手の攻撃が緩む事はない。こんな事は初めてだが、京一が防戦一方だった。
「 くっそ、ちょこまかと…!」
  苛立ちが京一の胸を過ぎった。まるで攻撃を与えていないわけではない、何発かは当たっているはずなのだ。それなのに化け物の動きは鈍る事がなく、京一の打撃など何とも思っていないかのようだった。
  その事に猛烈な屈辱を感じながら、京一は一方で冷静に思った。
  違う。コイツは、この世の生き物とは明らかに違う。
『 キャキャキャシャアアア!!』
「 うっるせえ…ッ!!」
  面倒臭い。
  頭に一瞬その単語が過ぎった。セオリー通りの攻撃はやめだ、何でも良いから力任せにぶちのめしてやる。
「 喰らえ…ッ!!」
  相手の動きを正確に見極め、京一は手にした木刀をめいっぱい振り下ろした。他には何も考えていない、ただ当たればいいと思った。
『 ギャー!!』
  果たして、その大雑把な攻撃は見事に功を奏した。

  チリ…リン……。

  はじめに聞いたあの鈴のような音が微かに聞こえたと思ったと同時、その化け物は京一のたった一撃によってそのまま床にぼとりと落ち、そしてそのまま水蒸気のようになって消滅した。
「 ハァ…ッ…」
  詰めていた息を吐き出し、京一は依然として驚きを隠せないままにその化け物が消えた床板を見据えた。今のお粗末な戦いを師匠が見たら一体どう言うだろう、「何て雑な剣だ」と呆れるだろうか。
「 ………」
  そんな事を考えながら、京一は咄嗟にはっとして隣の寝室へ目をやった。
「 緋…!」
  この騒ぎにアイツは何をしている。もしやそちらにも今のような奴が。
「 緋勇!!」
  けれど焦って寝室へ入った京一を待っていたのは、相変わらずの闇だけだった。
  特に変わった様子はない。龍麻もベッドの上にいる。
「 な…んだよ」
  がくりと肩を下ろし、京一はほっと全身に込めていた力を抜いた。思えば奴は窓から入ってきたのだ、ここは無事か。それにしても龍麻はこんな時まで寝ているなんて、何て眠るのが好きな男なのだろう。
「 ったく、呑気な奴…。………?」
  けれど京一が頭の中でそんな厭味を浮かべながら、ゆるりと改めて視線をやった時だった。
「 ん…う、うぅ…」
「 緋勇…?」
  その呻くような声にぎくりとした。
「 緋勇…おい…」
「 う…う、う……」
「 緋勇! おい、どうした!」
  目を凝らしながら更に近づくと、龍麻は胸をかきむしるようにしながら苦しそうに顔を歪め、うなされていた。眉間に皺が寄り、唇から荒い息が漏れ出ている。肩に掛け直されていたタオルケットはベッドからずり落ち、何にも縋れない龍麻は足掻くように身じろいだ後、白いベッドシーツをぎゅっと掴んだ。
「 緋勇! おいって!」
  尋常ではないその様子に京一は手にしていた木刀をその場に落とすとそのまま龍麻の両肩を掴んだ。ゆさゆさと身体を揺らし、相手を起こす為更に呼ぶ声を大きくする。
「 おい、緋勇!」
「 う…あ…ッ」
「 起きろ! おいっ、おい緋勇! テメエ、何て夢見てんだ!?」
「 あ……」
「 …っ!!」
  そうして、ようやく。
  何度目かの呼びかけに初めて龍麻が答えるように瞳を開いた。
  ただその瞬間、開かれたその先からぽろりと透明な滴が無造作に零れ落ちていくのを京一は見た。
「 緋……」
  ズクンと、京一の腹の底で何かが激しく突き動いた。
「 あ…あぁ…」
「 緋勇…気がついたか…」
  それでもその不可解な何かを無理やりに抑え付け、京一はなるべく優しい声で龍麻に声を掛けた。両肩をしっかと掴んだまま顔を寄せると、龍麻は何度かその濡れた瞳をゆらゆらと彷徨わせた後、ようやっと相手を認めたかのような光を発して唇を動かした。
「 ……っ」
「 ん? 何だどうした。どこか苦しいのか? 水でも飲むか?」
「 きょ……」
「 え…」
「 京…一…」
「 …ッ!?」
  震える唇が京一の名前を呼んだ。
「 京一…」
  そうして龍麻は自身でも確かめるかのようにもう一度そう繰り返すと、今度はぶらりと下げていた両腕をしっかと京一の首筋に回してきた。
「 緋勇…?」
「 京一…!」
  龍麻は何かに怯えている。それが何かは分からないが京一は咄嗟にそれを「理解」した。
「 何だよ…」
「 ……っ」
「 何……」
  もうそれ以上問い質せなかった。
  何も言えないし、何をするべきなのか分からなかった。
「 緋―…龍、麻…」
  だからその代わり、京一は殆ど無意識のうちに自分に必死に縋りついてきた龍麻をその背中ごとぎゅっと抱き返してやった。
「 大丈夫だ…」
  何が大丈夫なものか。一体何が起きているのだ。
「 大丈夫だ…」
  けれど京一はその言葉をバカみたいに唱え続けた。
「 大丈夫だからな…」
  そうしていないと、この懐にある温もりが今すぐにでも消えてなくなってしまう気がした。



To be continued…



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