「 蓬莱寺…ちっとツラ貸せや」
  京一が生物室を出た途端、その不快なしゃがれ声は不躾にやってきた。
「 へえ…。お前1人かよ?」
  それでも、いつもつき従えている舎弟たちを伴っていない事には意外な気持ちがした。京一がそれに半ばからかうような声を上げると、当の相手―佐久間は廊下に唾を吐き捨てるかのような勢いで「ケッ」と舌打ちした後、太い首をくいと横へやった。
「 テメエなんざこの俺1人で十分だ。来るのか来ねェのか」
「 はいはい…」
  まあ、いい。今日はとことんツイていないのだ。
  京一は適当な返答をした後、ただ肩を竦め頷いた。いずれこの男とはきっちりと力の違いを知らしめておかねばと思っていた。少しばかり帰りは遅くなるが、この際だ。
  京一はそんな事を考えながら、のっしのっしと偉そうに歩く佐久間の後ろを気だるそうについて歩いた。



  (13)



  佐久間が京一を連れてきたのは生徒の姿もまるきりない旧校舎で、ご丁寧に辺りには決闘の雰囲気よろしく冷たい強風まで吹いていた。
「 ここかよ…」
  少しマズイかなと思った。
  ここには近づかないと約束して以来、京一は本当にこの辺りには一切足を踏み入れていなかったし、当然校舎の中へ入ろうと試みる事もしていなかった。別段守る義理もないのだけれど、京一は人と交わした約束は大事にしようと決めている。
  だからこそ、今のこの状況は何となく「ヤバイ」と思った。勿論、ここへは佐久間とタイマンを張る為「偶々」連れてこられただけで、京一自身に非はないのだけれど。
  それでも根拠のない直感が「ここにいてはいけない」と京一に告げていた。
「 ヘッ…今更怖気づきやがったか」
  そんな京一の想いも知らず、佐久間がバカにするような笑みを浮かべた。それからペッと唾を地面に吐き捨て、両の拳をガシガシとぶつけ合わせる。
  そして不敵な調子で言い放った。
「 テメエはエモノがねェと駄目なんだろ。その屁の役にも立たないだろう棒切れ、使ってもいいぜ。ヘッ…俺にはそんなもん、通用しねえがな」
「 …しっかしお前、典型的な悪者だよなァ」
「 ああッ!? 何だとテメエ!!」
  ぽりぽりと頭を掻きながら言う京一に佐久間はさっと怒筋を浮かべ声を荒げたが、その迫力に慄く者は不幸な事にこの場には1人もいなかった。
  京一は自分よりも数段背の低い固太りの男を呆れたように見下ろし言った。
「 まァ、今の俺には理由なんかどうだっていいんだけどよ。一応訊くと、何だってお前、俺にこんな因縁つけてきてんだ? 俺のカッコ良さに嫉妬したとか?」
「 ああ!?」
「 それ以外に俺に喧嘩ふっかける理由でもあんのかよ?」
「 理由だあ…? 理由はあるぜ」
「 ん…」
「 緋勇だ」
「 は?」
  ぽかんとする京一に佐久間はぎりと歯軋りし、更に自らの拳同士をがつがつとぶつけた。
  そして言った。
「 テメエは、緋勇にとって害なす者だろ」
「 ……何で俺が」
「 俺はあいつに恩があるからな…。1度は捨てた命を拾ってもらった。だから俺はあいつを苦しめる奴には容赦しねえ」
「 おい…」
「 目障りなんだよ。テメエはよ…。さっさと消えろや…」
「 ………」
  すっかり据わった眼をしてそんな事を言ってくる佐久間に、京一は「一体俺は今どんな顔をしているのだろう」と思った。
  佐久間が他の連中同様龍麻に入れ込んでいる事は分かっていた。転校早々喧嘩を吹っかけてきたコイツは、龍麻の「学校で喧嘩をするな」という一言で大人しく引き下がった。その後も龍麻と何かと接触を持つ自分に怒りと嫉妬の篭った視線をぶつけてくる。他の仲間たち以上に強いその「念」のようなものには、さすがの京一も日々辟易していたのだ。
  けれど、実際にこうしてその想いを向けられると、京一はより一層心に途惑いを覚えた。よくは分からないけれど、モヤモヤとした得体の知れない靄が胸の中をいっぱいに覆い、それだけで息が出来なくなるような、そんな心持ちがした。
「 俺が勝ったら、テメエこの街を出ろ」
  そんな京一の心意を知る事なく、佐久間はニヤリとした笑みを浮かべて言った。
  じりと一歩足を動かし、京一に近づく。ぎゅっと握られた拳は更に強く握りこまれた。
  京一は微動だにせず、そんな佐久間を見やった。
「 もう二度と緋勇には近づくんじゃねえ。テメエみてえな何の《力》もない奴が、偉そうにあいつの隣にいるんじゃねえよ…!」
「 ……お前にはあるわけか?」
  美里や壬生、それに如月のような《力》が。
「 あァ!?」
「 ………」
  けれど京一はその問いを最後まで発する事なく、ただシンとして口を噤んだ。何故だか無性にイライラしていた。廊下で待ち伏せされ、ここへ連れて来られた時も、ここまでこの男に苛立ちを感じはしなかったのに。
  ひどく黒い気持ちだった。謂れの無い言い掛かりや相手の勝手な言い草にむかっ腹が立っているというのとは、また別の感情。
「 ……ところで俺が勝ったらお前はどうするんだ?」
  それでも京一は表情と声色は努めて軽い調子でそう言った。木刀を肩に乗せ、とんとんとそこを叩くようにしながら佐久間を見据える。
  すると佐久間は卑下するような笑みを浮かべ、また唾を吐いた。
「 フン…。ンな事はありえねえよ。テメエがこの俺に勝つだと? 悪い冗談だ」
「 随分な自信だな。そんな強そうにも見えねえけど」
「 るせえッ! 御託は終わりだ、いくぜッ!!」
  言うと同時に、佐久間が強く踏み込み京一に向かって拳を振り上げてきた。
「 ……ん」
  意外に早い。
「 オラァッ!!」
  京一が片手で木刀を前に掲げると同時、佐久間の激しい第一撃が容赦なく襲い掛かってきた。強い衝撃が刀身からびりりと京一の手から腕、全身にまで行き渡った。
「 オラ、オラァッ!!」
  そうして京一がそれを受け流しながら反撃に入る前に、佐久間は更に第二、第三の拳を向けてきた。確かこの男はプロレス同好会にいると聞いていたが、この動きはまるでボクサーだ。迫力は口とまずい顔だけではなかったのかと京一が呑気に思っていると、その余裕を感じ取ったのか、佐久間がぎらりと眼を光らせて握っていた拳を一旦開いた。
「 ……ッ!?」
  その瞬間、はっとした京一が反射的に飛び退ると。

「 ゴ…ラアァッ!!!」

  しゃがれた叫び声を上げた佐久間の拳から、見た事もない光が突然発せられた。
「 む…ッ!?」
  咄嗟に下がっていたものの、その光と同時に向かってきた正体不明の衝撃破に、京一は思わず声を上げた。前に掲げていた木刀が更にピシピシと揺れ、両手で握り直してやっとその場に留まるという感じだった。
  明らかに眼に見えない《力》が発せられた。
「 ……お前」
「 くっく…。どうしたよ、顔色悪いぜ?」
  佐久間がにやりと口の端を上げて笑った。こきこきと手首を捻りながら、余裕ある態度で京一を見やる。

  どうだ、お前にこんな事ができるか?

  佐久間のそう言った声が京一の耳に聞こえたような気がした。
「 ……佐久間」
  けれど京一がぎりと唇を噛み、佐久間の次に来るだろう新たな攻撃に構えようとした時、だった。

《 キシャアアアア!!!!》

「 な…!?」
  それは昨夜龍麻の部屋で見た「モノ」とまるで同じだった。
《 キシャアアア!! ガアアア!!!》
「 ぐわあっ…!?」
  突然、旧校舎の下から湧いて出て来たソレに佐久間が面食らった声を上げた。その無数の化け物は辺りの強風にそのまま乗るようにして自らの羽を閃かせ、真っ直ぐ迷う事なく佐久間に向かって攻撃を仕掛けてきたのだ。どのくらいの数かは分からない。黒いそれらの集団は1つの大きな塊となり、意思を持って佐久間の身体を食いつくそうと牙を向け、爪を光らせて一斉に襲い掛かってきた。
「 ぐっ…ぐおおっ!!」
「 佐久間!!」
  あまりの事に京一も一瞬呆気に取られたものの、すぐに我に返って木刀を振り上げた。黒い化け物の塊を無作為に攻撃し、それに覆われ姿が見えなくなっている佐久間に当たらないようにしながら、京一は昨夜同様訳も分からないままにその生き物に剣を振り下ろした。
《 キシャアアアア!!!》
《 ギャアアア!!!》
  しかし化け物はバサバサと激しい羽音をはためかせながら、一向に攻撃の手を緩めない。ただ佐久間目掛けて鋭い牙を向け、自分たちを払い除けようとしている京一の事にはまるで頓着がないようだった。
「 くっそ、何なんだこいつら…!!」
  無我夢中で剣を振り上げている京一は昨日の晩、ただ「面倒だ」と思いながら力を振るった自分を思い出しながら、先刻感じた胸のイラつきを蘇らせていた。

  訳の分からない生き物たち。
  訳の分からない《力》。
  そして訳の分からない、自分のこの感情。

「 ……ったく、ちょこまかと……!!」
  そしてその苛立ちと焦りがピークに達しようとした、その時だった。


「 京一!!」


  ふと、背後から「その声」が聞こえたような気がした。
「 ……ッ!!」
  その刹那、京一の頭の中がぱっと一気に真っ白になった。
  何もない世界。
  それなのに。
「 う…るせえ…ッ!!」
  京一は不意に聞こえた化け物たちの羽音にカッと頭に血を昇らせ、気づくとそう叫び、再度木刀を振り上げていた。
「 ぐ…あ…ッ!?」
  直後、自分の身体から今まで感じた事のないような感覚が全身を駆け巡って行ったが、それを意識する間もなく、それは四方へ無造作に飛び散った。そしてそれと同時、夥しい数の化け物たちの断末魔の声が白い世界の向こうで聞こえたような気がした。


  あとはもう、気づいた時には風もぴたりと止んでいた。





「 ……お前、あいつらと一緒に帰ったんじゃねえの」
「 今はそんな事どうでもいい」
  京一の問い掛けに龍麻はむっつりとしたままそれだけ言った。
  ぐったりとその場に足を伸ばして座り込んでいる京一から目を逸らし、龍麻は傷だらけになって気絶している佐久間の身体を校舎の壁にまで引きずるようにして運んだ。それから携帯で誰かに電話を掛け「すぐ来て」と言った後、龍麻は京一に背中を向けたままハアと1つため息をついた。
「 言っとくが、俺はここに入ろうとはしてないぜ」
  沈黙が嫌で京一は何でもない風にそう言った。
「 俺をここに連れてきて喧嘩売ってきたのはソイツだ。そんで、いきなり襲い掛かってきたあの化け物も、俺じゃなくてソイツ…佐久間を狙ってた。俺は関係ない」
「 ………煩いな」
「 一応言っとこうと思ってな」
「 煩いって」
  龍麻が疲弊したように言うのに京一は眉をひそめ、ちっと小さく舌打ちした。
「 ああそうかよ…。けどよ、俺は何も悪くねーのに、またお前に意味不明な厭味言われるのもむかつくと思ったんでな」
「 ………」
「 俺が来たせいでこんなんなってるとか言うなよな。俺だって訳分かんねーんだからよ。…ったく」
「 お前は…」
「 ん」
  ようやく龍麻が振り返ってきたのに気づき、京一も他所へやっていた視線を上げた。
「 緋……」
  その龍麻の表情に京一は思わず息を呑んだ。
  あまりに儚く、そして綺麗な顔をしていたから。
「 お前は…。もう、戻れないから」
  その龍麻がそう呟くのを京一は黙って聞いていた。
  龍麻は続けた。
「 目醒めた…。折角眠っていたのに…。《力》、出せるようになっっただろ…」
「 ……ああ、今さっきの変な光の事か? 佐久間も出してたけど。これってお前とか醍醐たちとかも持ってる《力》なんだろ?」
「 ………」
「 それが何なんだよ。……だから何だってんだよ」
「 ………」
「 緋勇!」
「 ……決まってるだろ」
「 あぁ…っ? 何だよ!」
  わざと乱暴に声を返しつつも、京一は何だか気が気ではなかった。怒っているような様子の龍麻は反面今にも泣き出しそうで、そしてどことなく崩れ落ちそうな目をしていたから。
「 決まってる…」
  そんな龍麻は京一から視線をずらすと、自嘲するようにぽつりと呟いた。
「 自分の眠っていた《力》に目醒めた正義のヒーローはさ…。悪者を倒す為に戦うんだよ。そんなの、当たり前だろ」



To be continued…



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