(15)



「 くっ……」
  ハアハアと荒い息を吐きながら京一はぐいと唇の端を拭った。その後すぐにそうした手を見て舌打ちする。自分のものではない、相手の飛散した血をまた浴びてしまった。
「 うらああッ!」
  ただその感触の悪さには極力気づかないフリをして、京一は立て続けにやってくる「敵」とひたすらに向かい合った。一体どれほどの数を相手にしたのかは、もう分からなくなっていた。真っ暗な闇の中で己の視力に頼る事なく、京一は≪力≫を屈指し向かい来る異形に剣を振るった。
「 剣掌!」
≪ キシャアアアア!!!≫
  自身が発する怒声と交じり合う、その奇妙な「音」。
  未だかつて見た事のない様々な形をした未知なるモノがそこ――…旧校舎の地下には溢れかえっていた。
「 喰らえッ…!」
  夕刻、龍麻に連れられてそこへ下りた京一は、その現状に驚く間もなくいきなりの戦闘を強いられた。恐らくは「奴ら」にも京一たちが自分たちとは異なる排除すべき「モノ」だという認識があるのだろう。その血を欲するように、或いはその想いを露骨に口にしながら、そのおどろおどろしい異形たちは絶え間なく京一たちに襲いかかってきた。
「 はっ!」
≪ キエエエエエ!!!≫

「 ……ッ!? 緋勇…!」

  けれどそんな異常な空間において龍麻の≪力≫は別格だった。京一はここへ下りてからもう一体何度発したか分からない驚きの声を上げた。
  旧校舎に潜る前から少なからず覚悟していた事だ。ここが危険で、龍麻の部屋で見たようなモノや佐久間を襲ったモノたちがはびこっているだろうこと…。だからこれが突然の戦いでも京一はそれなりに己の剣を振るい、目醒めたばかりの≪力≫を使えた。突発的な事に対処する能力にはそれなりに自信があった。
  だがそれでも、龍麻の姿には驚愕を隠せない。
「 蓬莱寺、下がれ!」
「 お、おう…!!」
  地上にいる時とは別人だ。
「 龍星脚! はっ!」
≪ ギシャアアアア!!!≫
「 ……ッ!!」
  次々と繰り出される龍麻の美技に京一は見惚れた。その≪力≫も圧倒的なら、敵を見据えるその視線も至って隙がない。
  ゾクゾクした。
「 強ェ……!」
  思わず呟いた時、京一はふと辺りがしんと静まり返っている事に気づいた。
「 ……終わったのか」
  あれほど大量にいた異形のモノたちは完全に一掃されていた。背後には更に下へと続く細い道があり、恐らくそこを行った先にはまだ見ぬ異形も大量にいるのだろうが、それでも――。
  今、自分たちが立っているここには何もいない。全て蹴散らしたのだ。
  たった2人で。
「 ………緋勇」
  まるで息を乱していない龍麻の後ろ姿に京一は声を掛けた。そして思った。

  これが、こいつが俺に隠したがっていた「世界」か……。

  なるほど奇怪な化け物の群れに、果て度もなく広がる闇と混沌。一方ならぬ≪力≫がなければこんな所には数分といられないだろう。龍麻は嘘だと言ったけれど、如月が話していた事もあながち適当などではないのかもしれない。普通の人間ならばこんな所には足を踏み入れないし、仮に踏み入れたとしたら間違いなく大変な事になる。≪力≫ある者ならば、いや、良識のある者ならばこんな世界に誰かを関わらせる事には多少なりとも抵抗を感じるに違いない。
「 けど、俺は……」
  京一は手にした木刀をぎゅっと握り直し、先ほどの戦闘を思い返した。
  確かに息は乱れ、初めて体験した死闘に動揺もした。けれどこの胸の昂ぶりはどうだろう? 興奮している。己の中に眠っていた何かがむくむくと湧きあがってきたような、何ともいえない高揚感。
  そしてこの≪力≫ある者――緋勇龍麻と肩を並べて暴れられた爽快感。
「 緋勇。お前強ェな!」
  京一は純粋に感嘆していた。龍麻にとっては不本意なのかもしれないが、あの≪力≫は凄い。いっそ芸術ですらある。
「 確かに面食らったよ。東京の、しかも学校の地下なんかにこんな場所があってあんな化け物どもがうじゃうじゃしててよ。けど、俺はどっちかってーとお前の≪力≫の方に驚いた!」
「 ………」
「 俺にも≪力≫があるってのは分かったが、お前のそれとはどうにも違うな。うまく言えねえけど、お前のはよ、何か―…」
「 ………」
「 ……? おい? 緋勇?」
  立ち尽くしたまま依然として振り返らない龍麻を京一はやっと不審に思い首を捻った。少しはしゃぎすぎただろうかと咄嗟に思う。……当たり前か、龍麻は自分をここに連れて来たくはなかったようなのに、こんな能天気な態度では気分を害されても仕方がない。
  京一はそこまで思い至ると、苦笑しつつがしがしと乱れた髪の毛を更にかき回した。
「 おい…緋勇? 悪ィ、ちっと調子に乗った。お前はもしかしなくても、あんまここに来て戦うとかってヤだったんだよな。なのによ、何か浮かれちまって」
「 ………」
「 ……おい。おいって。怒ってんのか?」
「 ……っ」
「 ? 緋――…」
  しかし京一が再度声を掛けようとしたその時だった。
「 う……」
「 !? 緋勇!?」
  ぐらりと龍麻の体勢が傾いて、その華奢な身体はそのままごつごつとした地面に倒れ伏した。
「 おいっ!? おい緋勇!? どうした、大丈夫か!?」
  慌てて駆け寄った京一はそのまま龍麻の元にしゃがみこむとその身体を抱え起こし、声を上げた。
「 !?」
  ぐったりとした龍麻の顔を見てぎくりとした。
「 何で…」
  どうしてだ。京一は混乱する頭で必死に自らが抱いた問いの「正解」を求めようとした。
  龍麻は掠り傷をあちこちに負ってしまった自分などと違って無傷だったはずだ。圧倒的な力であの異形たちを倒し、平然としていた。
  それなのに。
「 緋勇…!」
  なのにこの顔色のなさは何だというのだ。
「 おいっ。おい、しっかりしろ!!」
「 う……」
  眉を寄せ、唇から苦しそうな声を漏らした龍麻に京一はドクンと自らの心臓が跳ね上がるのを感じた。同時に、自分の意識とは関係なくカッと身体全身に熱が上がり、京一はらしくもなくぶるりと肩を震わせた。
「 ……ッ」
  こんな時に一体何を考えている。
「 緋勇……」
  憔悴しきいっている龍麻の顔を食い入るように見つめ、京一は自身が更に燃え上がるのを感じた。ぎゅっと身体を抱く手に力がこもった。
「 京……」
「 ……っ!」
  するとゆるりとその瞳が開き、半ば気絶していたような龍麻が微かに声を漏らした。
「 おい! 緋勇! どうしたんだよ一体!?」
「 ……あ」
「 大丈夫か? なあっ!? どうしたってんだよっ!」
「 京、一……」
「 !」
  また名前を呼ばれた。朦朧としている龍麻がしっかりとした意識の下で京一の名を呼んだのかは分からない。それでも京一はもう龍麻から一時も目が離せなかった。
「 ………」
「 緋勇…っ」
「 京一……」
「 どうしたんだよ!? お前、さっきまで元気だったじゃねえかよ。あいつらをビシバシ倒しまくってたくせに、何いきなり弱ってんだよ!」
「 うん……」
  京一の問いに龍麻は今度ははっきり答えた。それからゆっくりとした動作で拳を上げると、それをボー然と眺めながら「大丈夫」と答えた。
「 ごめん…。俺は、戦った後は必ずこうなるんだ」
「 何……?」
「 ……ずっと…息止めて戦ってるんだよ。だから」
「 何だ…。じゃあ、怪我とかじゃねえのか…」
  あからさまにほっと息を吐く京一を龍麻は目を細めてじっと見つめた。
  それからもう一度固く目を閉じ、ふうと自らも大きく吐息する。
「 ……苦しいのか?」
  その後、ほんの小さくだがはっはっと断続的に荒い息を吐く龍麻に京一はそっと訊いた。龍麻が楽になるようにもう少し深く懐に抱え直して、京一は龍麻の、今やすっかり普段のものに戻ってしまっている儚い顔を覗きこんだ。
「 大丈夫……」
  けれど龍麻はもう1度京一を安心させるようにそう言い、やがてたどたどしい口調ながらも話し出した。
「 あのな…。お前がこの学校へ来る1年前…。ここはもっと、酷かった」
「 え……」
「 ここだけじゃない…。東京中が不穏な氣に包まれていて、おかしな事件が続いた…。さっきみたいな異形が氾濫し…陰氣に取り憑かれた人間までが破壊を繰り返すように…なった…」
「 何だって……?」
  こんな異形が地上にはびこっていた? 普通の人間までもが破壊を繰り返した?
  そんな大事件が本当に起こっていたのなら、如何に東京にいなかった自分とて知っていそうなものだ。いや、世界中の人間が大混乱に陥るだろう。
「 異形は…普段は≪力≫ある者にしか見えないから…」
「 あ…そうだったな…」
  京一が焦ったように言うと、龍麻は力なく頷いた。
「 それで俺……俺たちは、それらと戦ったんだ…1年前。……そしてその混乱を作った元凶も断った…。俺たちは勝ったんだ…」
「 元凶……?」
「 ただ、この地下だけは封じる事ができなかった。それでも…あの異形たちは、余計な刺激さえ与えなければここから出てくる事は滅多にないから…。時々見張って…数を減らしていれば、俺たちは共存できるから…」
「 ………」
「 それが出来れば…」
「 ……なら、何故俺にここへ入るなと言ったんだ?」
  暫し考え込んだ後、京一は龍麻を見つめながら憮然として言った。
「 確かに俺は面倒事を更にでかくするような奴だけどよ…。ちゃんと言ってくれりゃあ、俺だってこうやって協力できたじゃねえか。こうやって時々こいつらを減らしておかなきゃいけないなら、俺だって手伝ってやれるだろ」
「 ………」
「 お前だけがこんな疲れる必要もないだろ」
「 ……お前の≪力≫は……強過ぎる」
  龍麻はようやく京一の腕から離れ、辛そうな動作ながらも上体を起こした。急になくなったその感触に京一が途惑うと、龍麻はそれには気づかずぽつりと漏らした。
「 強過ぎる陽の氣は…今の均衡を破る恐れがある…」
「 陽の氣…?」
  京一の疑問には答えず、龍麻は自嘲気味に続けた。
「 京一…ここは危険な所だ。お前は平気で戦っていたけど、潜れば潜る程これからお前は魅せられていく…自分のその≪力≫に。……本当に恐ろしいのはそこなんだ」
「 ……お前の言いたい事は俺には分からねえ」
「 ………」
「 緋――…」
  ちらと振り返った龍麻の瞳は寂しげだった。京一がその視線に思いきりたじろぐと、龍麻は物憂げな表情のままふっと唇を緩めた。
「 そう言うと思った…。きっとお前は止めてもこれからここへ来る。今日みたいに戦って…これからもっと強くなるんだろう」
「 ……いけない事か?」
「 ……ううん」
  ゆるゆると龍麻は首を横に振った。
  けれど後は何も言わず、龍麻はふらりと立ち上がると先刻まであった氣を消し去り、完全な「無」となった。
  少なくとも京一にはそう見えた。
「 緋勇……」
「 今日はもう帰ろう。……俺は忠告はした。ここは危険で、≪力≫に目醒めたお前はここに魅せられる事になる。そして大いなる敵に……睨まれる」
「 ……龍に、か?」
「 ふ……」
「 !?」
  京一の問いに龍麻は小さく笑っただけだった。その笑みがいやに妖艶で、京一は思わず息を呑んだ。ここに潜ってから、どれだけ自分の知らない龍麻の顔を見ただろう。知り合ってまだ半月だ。知らない面があったとて、何ら驚くべき事でもないのかもしれないけれど。
  でも。
「 お前……」
「 疲れた…眠い。帰ろう…。今日は、もう…」
  京一の声を掻き消すようにして龍麻はそう言った。またふらりと体勢が崩れかけて京一は慌てて龍麻に近づき、その肩を支えた。そんな京一に龍麻はそのまましなだれかかったが、最早それは己の意思ではないものだった。
「 緋勇…?」
  声を掛けた京一に龍麻は答えなかった。


  龍麻は再び気を失っていた。



To be continued…



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