(17)



「 絶対おかしい」
  偉そうに腕組をしてそう言う桜井に京一は今の今まで浮かべていた笑みを引っ込めて眉をひそめた。
「 何が」
「 キミたち。キミたちの態度がッ! 最近ぜーったい変!」
「 変ってのは何だよ?」
「 でも私もそう思うわ」
「 美里もか。実は俺も」
「 あのなあ…」
  そろそろ何か言われるかとは思っていたので京一もそれ程は怯まなかったが、その予想自体が元々嬉しいものではない。だから浮かべた表情は自然げんなりとしたものになってしまった。
  きょとんとしているのは京一の前に座っている龍麻だけだ。
  京一にとって長い長い退屈な授業が終わり、今は放課後。しかしすぐに帰る事はしない。この頃は龍麻といつもくだらない話をして笑いあったり、CDや漫画、普段はあまりやらないゲームなども交換しあったりして「至って普通の高校生活」を楽しんでいた。
  そう、皆のアイドル緋勇龍麻と。
「 何でそんなに仲良しなのさッ!」
  そんな2人を周囲の連中は暫くの間ただ遠目に見ていた。つまり何も言って来なかった。それが4月が終わり、5月の連休が明けた後すぐに、桜井の怒りは爆発したのだ。
  爆発するには勿論それなりの理由があったわけだが。
「 いつもいつもいーっつも! 2人だけしか分からない話とかしちゃってさっ! ボクたちに内緒でラーメン食べに行ったりもしたでしょこの間なんか! 特に特に許せないのが〜!」
「 んだよ、煩ェなあ。一体何だってんだよ!」
  キーッとヒステリー気味に叫ぶ桜井に京一は思い切り引いてみせたが、ここにそんな自分の味方をする者はいない。むしろ傍に寄ってきた美里も醍醐も桜井を支援する体勢を取っていたので、京一はすっかり居直って逆にふざけたような顔で耳をかっぽじる仕草までして見せた。
「 お前らは俺らが仲良くしちゃいけないってわけか? んな事言う権利がどっこにあるって言うんだよ? なあ、龍麻?」
「 うん」
  すぐに頷いた龍麻は、しかし桜井の尋常ではない怒り方には京一より引いた思いがしているようだ。珍しくたじろぎながら、宥めるような目で桜井を窺い見る。
「 桜井…。どうしてそんなに怒ってるの?」
「 ひーちゃん…。キミまでもそんな風に訊く?」
  京一にならともかく、龍麻に厳しい眼は向けられないのか、桜井はすっかり脱力したようになって美里の肩にもたれかかった。わざとらしく泣く真似までしているが、これは見え透いている。
  ただ代わりに美里が京一に言った。
「 京一君、連休の時に龍麻と遊びに行ったでしょう?」
「 あん?」
「 その帰りに龍麻の家にも行ったでしょう?」
「 ……ああ…まあ…」
「 きょ、京一、お前…! まさか泊まったんじゃ…!?」
  これには醍醐が身を乗り出すようにして迫ってきた。京一はそれをうざったがるようにして片手で押し戻した後、思い切り眉をひそめて唾を飛ばした。
「 そ、そん時は泊まってねえ! 飯食って帰っただけだ!」
「「「 その時!?」」」
「 うっ…」
  ヤブヘビだった。
  3人同時に声をあげられ、京一はすっかり固まってしまった。本当ならば何故2人で遊んだ事を知っているのか、龍麻の部屋に行った事まで何故知られているのかと問い質したかったのだが、今はそれどころではない。
「 けど…何でんな事で責められなきゃなんねーんだ…」
  ぽそりと文句を言った京一に、しかし早速立ち直った泣き真似桜井がぎっと睨みをきかせて言った。
「 当たり前だろっ! ひーちゃんはボクたちみんなのひーちゃんなんだっ! 抜け駆けして1人だけデートに誘うとか、そういうのは絶対っ! 絶対にやっちゃ駄目なんだから!」
「 デ、デートって、お前らな…」

  俺はお前らとは違うんだ。

「 ………っと」
  しかし、咄嗟にその台詞を言おうとして、何故か京一は頬に当たる強烈な視線に気づいて押し黙った。彼らに視線を向けていた京一を龍麻がじっと見ていたのだ。それが何だか今発しようとした台詞を嫌がっているようで、何とも先を続けられなかった。
「 ……とにかくね。ひーちゃんと遊びに行く時はみんなで。これは絶対」
  逆らってくると思った京一が突然静かになった事でふと冷静になったのか、真神の元気娘は声のトーンを先刻のものから一つ下げた。
「 それにさ…それに…。ひ、ひーちゃんの部屋に行くなんて、そんなの…。ひーちゃんがいいって言ったの?」
「 は?」
  桜井のその質問に京一は思い切り怪訝な声で返した。
  その質問の答えは至ってシンプル、そう龍麻が「ちょっと寄っていかないか」と言ったのだ。
  あの旧校舎へ共に潜り、「2人だけの秘密」を共有してからの京一と龍麻の関係は明らかに変わった。未だ京一は龍麻の内に秘めた暗い闇には触れられていないし、龍麻も京一には何も語ろうとしない。けれど、龍麻が京一に病院で言った言葉。

『 今度からさ……《京一》って呼んでもいい?』

  それによって間違いなく京一の中で、そして恐らくは龍麻の中でも、2人は互いにとって親しい間柄になったのだ。名前の呼び方ひとつでそんな風に変わる、変われる事には京一自身とても驚いたのだけれど。
  だから放課後だって用がなければこうして話して帰るし、休みの日には一緒に遊びにだって出掛ける。だって一緒にいると楽しいのだ。
  部屋にだって来いと言われて断る理由などないではないか。
「 龍麻」
  しかし、その事を京一がありのまま桜井に伝えようと思った時だった。美里が先に口を開いた。
「 ねえ龍麻。龍麻は…今まで自分のお部屋に誰かを呼ぶなんてした事なかったわよね」
「 え?」
  咄嗟に聞き返したのは京一だった。美里はそんな京一の方はちらとも見ていなかったが、それは桜井や醍醐も同じ事だった。
  京一はそんな3人を見やりながら、そういえば初めて龍麻の部屋に泊まった時も龍麻がそんな事を言っていたなと思った。

『 俺、自分からここに人を入れるなんてしないよ』

  龍麻はそう言っていた。この部屋に誰かを呼ぶ事はしないと。それはこの学校であれほどいつもくっついている美里や、そしてあの如月という男でもそうだったのだろうか。それは、そんな事は訊く機会も意思もなかったので京一はすっかり忘れていたのだが。
「 小蒔が訊いていた事…逆よね。龍麻が言ったのじゃなくて、京一君が龍麻のお部屋に行きたいって言ったんでしょう?」
「 違うよ」
  美里の問いに龍麻はすぐに答えた。その顔はどんな事を考えているのか分からない、全くの無表情だった。
  珍しい。いつも美里にはただ柔らかく笑って見せている龍麻であるのに。
「 違うの…」
  しかし美里はそんな龍麻の態度に失望はしているようだったが、別段驚いているようには見えなかった。ただ俯きがちに何事か考えているような仕草をした後、再び顔を上げる。
「 京一君は龍麻にとって特別なの?」
「 ひーちゃん、そうなの!?」
「 龍麻!?」
「 お、お前らな…」
  そんなに矢継ぎ早に責めるなよ…と、京一は自分が訊かれているわけでもないのに間に入ろうとした。勿論、これも見事に無視されたのだが。
  それに龍麻も別段そう問い質されても構わないようだった。
「 京一は俺の友達だよ」
  龍麻はにこりともせずそう言った。
「 友達…」
「 うん」
  そうして美里が呟くのを見つめながら龍麻はまたすぐ頷いた。
「 京一と一緒にいると凄く楽しいから。一緒に遊ぼうと言ったのも俺だよ。京一が美里たちも誘うかって言ったのに、俺が嫌だって言ったんだよ。京一と2人で遊びたいって思ったから」
「 ひーちゃん…そんな…!」
「 た、龍麻……」
  淡々とそう説明する龍麻に桜井と醍醐は失神寸前だった。それはそうだろう、ずっと慕ってずっと一番近くにいる者だと自負していた自分たちの事を除け者にしたのは他でもない龍麻だったのだから。しかも龍麻はそれを全く悪びれる事なく堂々と告げた。
「 龍麻。そんなに怒らないで」
  ショックで動けない2人に成り代わり言葉を出したのはまたしても美里だ。桜井たちよりは余裕があるのか、静かな微笑すら湛えて美里は龍麻に向き直った。
「 私たち、別に責めていないわ。小蒔だってちょっと妬きもちをやいただけよ。龍麻を京一君に取られたように思ってしまったの」
「 俺は誰のものでもないよ」
「 ええ、勿論よ。分かっているわ」

  龍麻は怒っているのだろうか?

( ………分かんねえ)
  京一は4人の一連の様子を今やすっかり傍観しながら美里の言った台詞を反芻していた。恐らくは桜井と醍醐も気づいていないだろう。龍麻は怒っているようには見られない。けれど美里がそう言うと、実は怒っていたのかと改めて見直してしまう。龍麻の表情には依然として「色」がなく、話し方も何の感情も含まれていない平坦なものだ。それを美里は「怒っている」と言う。

  抑えているのか? 怒りを?

「 私たち、龍麻が楽しければそれでいいの。そうよね、2人とも?」
「 う、うん…」
「 ああ…それは勿論…」
「 そうよね」
  渋々頷いた2人に美里は今度こそにっこり笑い、改めて龍麻に言った。
「 でも時々は私たちとも一緒にいてね。龍麻が嫌でなければ」
「 嫌じゃないよ」
  これにも龍麻はすぐに答えた。そしてここで初めてふっと自重したように目を伏せた。
「 美里。ごめんな」
「 いいえ、いいの」
( 何なんだよ……)
  京一には何が「ごめん」で、何が「いいのか」さっぱり分からない。龍麻が自分で言った通り、龍麻は誰のものでもないし(勿論京一のものでもない)、誰といつ何処で遊ぼうが自由だ。美里が言っていたように、それを咎める権利など誰にもない。
  それなのに龍麻は謝り、美里は許している。
( 面白くねえ…)
  結局は自分が悪者のような気がして、京一はすっかり興の削がれた想いで一人立ち上がった。
「 ! 京一、何処行くの?」
  それを真っ先に見咎めたのは龍麻だ。自分も慌てて立ち上がり、何故か縋るような視線を送る。
  京一はそんな龍麻に妙にうろたえた。
「 いや…帰ろうと思って、よ…」
「 ………」
「 ……今日はよ、お前らみんなで帰れよ。俺は遠慮するわ」
「 京一君も一緒に帰りましょうよ」
  すかさず美里がそう言ったが、京一はそれには思い切り厭味な目を向けてしまった。
「 はっ…。いや、俺はいーよ。それに、今日はこれから行きたい所もあるしな。また今度にするわ」
「 そう…。龍麻はそれでいいの?」
「 ……京一がそうしたいなら」
  明らかに顔はそれを良しとしていなかったが、龍麻は割とすぐに了承した。京一がどう行動しようが京一の勝手で、それを美里が龍麻に許可を求める事自体おかしな話なのだが。
「 京一」
  しかし先に廊下を出た京一に龍麻が後を追ってきて呼び止めた。
「 ……おう」
  後ろを見たが3人はまだ教室だ。遠慮したのかもしれない、何となくそう思った。
「 ごめんな」
「 何でお前が謝るんだよ」
「 うん…」
  龍麻は口篭りながら俯き、そのままぽつりと呟くように問いかけた。
「 今日さ…潜るのか」
「 あ? あ、ああ…。連休中はあんまり行けなかったし、な」
「 ………」
「 お前の分まであそこの数減らしてきてやるから。その方がお前だって楽だろ? それに、そんなに無茶はしねえよ、俺だってまだ潜り始めたばっかだし」
「 ………」
「 何だよ」
  何も言わない龍麻に京一は気まずそうに自らも先の言葉を詰まらせた。京一が旧校舎へ行く事を龍麻はもう最初の頃のように止めたりはしなかったが、あまり行って欲しくないと思っている事は明らかだった。だから京一もなるべく龍麻が気づかないようにこっそり行っているつもりだったが、潜った翌日は必ず「行ったんだ」と見抜かれた。
  そう、それでも京一は潜り続けていた。初めてあそこへ行ったその日から、ずっと。
  あそこで剣を振るい、《力》を上げ続ける事に言いようのない喜びを感じていたのだ。自分がどんどん強くなっていくのが分かって止まらなかった。
  血が滾って仕方がなかった。
「 京一……気をつけてな」
  どれくらい2人は黙って廊下に立ち尽くしていたのだろう。
  気を取り直したように龍麻がやっと口を開いた。
「 一人で潜るのは危険なんだから。本当にあんまり…奥には行くなよ」
「 あ、ああ。分かってる。サンキュな」
「 ………」
「 そんな心配すんなよ。俺は大丈夫だからよ!」
「 うん…。分かってる」
  京一のわざと発せられた明るい声に龍麻もようやく顔を上げた。そうして無理に笑い、頷いた。
「 行ってらっしゃい」
「 お、おう」
  京一はそんな龍麻の顔はやっぱり可愛いなと思った。



To be continued…



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