(19)



  たとえ岩山が他言しなくとも桜ヶ丘病院には龍麻に心酔している高見沢がいる。恐らく今回の「決闘」は瞬く間に他の仲間たちにも知れ渡る事となるだろう。
  けれど病院の待合室で頭痛を堪えて座っていた京一の元へやって来たのは、龍麻と見知らぬ長髪の青年、それに表情のない黒髪の女性の計三人だけだった。
「 京一、大丈夫?」

  ここで誰かに会ったら自分は一体どんな罵倒を浴びせられるだろう。特に真神の「仲良し3人組」からは何があったのか、何故こんな事になったのかと厳しく詰られる事は間違いない。

 ……けれど、そう思ってある程度の覚悟をしていた京一に、龍麻は開口一番「大丈夫か」と言って駆け寄ってきた。心配そうな顔を全面に押し出し、京一が怪我をしていないか焦った風に見やっている。
  そんな龍麻の態度に京一は自分でも驚くほど安堵した。ぐっと固くなっていた肩先からも力を抜く。
「 俺は平気だ…。ちょっと擦りむいて血が出た程度だな」
「 良かった。村雨は?」
「 あいつは…まだ治療中だ。大丈夫だって事だけどな…」
「 ………そう」
「 あのな、ひーちゃん、俺――」


「 情けない。不意打ちで腕の一本も取れないとは」


「 ……は?」
  弁解の言葉を継ごうと口を開きかけた京一に割って入るようそう言ったのは、龍麻と共にやってきた長髪の青年だった。居丈高な様子で扇子を口元に当てたその人物は村雨と同じ白い学ランを身に纏っている。同じ学校の人間だろうか。

  それにしても今その男から何だかとんでもない言葉を聞いたような気がするが……。

「 御門。そんな言い方ってないだろ」
  呆けたように何も返さない京一に龍麻が代わって諌めるような口調で言った。けれども御門と呼ばれたその人物はそんな龍麻に対しても眉一つ動かさず、勿論京一に謝罪するでもなく、自分の背後に控えていた女性にただちらと何事か目配せした。
「 御意」
  すると女性は一言そう答えて頭を下げると、待合室の端に立っていた高見沢の方へと歩いて行き、共に奥の廊下へと消えて行った。診察中の村雨の容態を確認に行ったのだろう。
「 龍麻さんもお行きなさい」
  そして御門なる男は彼女らを見送っていた龍麻にやがて一言そう言った。そこには妙な間があったが、京一がそれを不自然だと感じたように、龍麻も明らかに気分を害したような顔を見せた。
「 どうして」
「 村雨が心配ではないのですか」
「 心配だけど…。でも、京一だって」
「 彼は見ての通り、かすり傷を負っただけですよ。本人だって大丈夫だと言っているじゃありませんか。それよりも岩山医師が掛かり切りの村雨の方がよほど重体と見ますが、どうですか」
「 ……なら……御門が行けば?」
「 冷たいですね」
  御門はふっと笑ってからぱちりと開いていた扇子を閉じた。そうしてまた何程の事もないというような冷徹な顔で龍麻を厳しく見据える。どうやらこの男は今までの仲間たちとは少しばかり勝手が違うらしい。京一にとって、この龍麻に甘い顔を見せない人間を見るのはこれが初めてだった。
「 私などが行っても、あの男は己の不甲斐なさを露見してしまった悔しさで歯軋りするだけですよ。私に情けない自分を見られ、さぞ後悔の念に苛まれる事でしょう。……ま、それを見るのも面白いですが、今の私には他にやる事がありますので」
「 ……何」
「 この蓬莱寺と話がしたい」
「 なら俺も残る」
「 迷惑ですね」
  龍麻の申し出をきっぱりと拒絶し、御門は依然として顔色ひとつ変えず龍麻を見下ろした。龍麻はそんな御門にますますむっとしたような顔をし、それから何かを言いたいのに言えないという風にぐっと拳を握り締めた。
  京一はそんな龍麻を長椅子に座ったまま黙って見上げた。
「 あれでも、あの男は私の友人ですので」
  御門が龍麻に言った。
「 貴方が見舞ってやればあれもすぐに良くなるでしょう。行ってやって下さい。そして、あれが余計な事をしたと思うのならば叱れば宜しい。殴りたいのならば殴っても構わないのですよ」
「 ……怪我人殴ってどうするんだよ」
「 自分から望んだ事ですよ」
  ねえ?と、御門は突然京一に目線を向け、いきなり馴れ馴れしい態度で話を振ってきた。
「 は?」
  京一はそれに思い切り意表をつかれて結局何も返せなかったのだが、御門は別段京一の反応など期待していなかったのか、もう視線は龍麻に戻していた。京一はそんな御門の横顔を胡散臭そうに見やった後、次いで何となく漏れたため息と共にその横の龍麻に声を掛けた。
「 ひーちゃん。俺が言うのも何だけどよ。その、あいつのとこ行ってやってくれや」
「 京一…」
「 何かしんねーけどよ。あいつ、俺とのタイマンはお前の為にやったらしいぜ。闘ってる最中に言った。『先生の為なら命懸けられる』ってさ。先生ってのは…つまり、お前の事だろ?」
「 ………」
「 あいつ。マジで俺を殺しに来てたぜ」
  平静と言ったつもりでも京一はそれを自ら口にして、また空寒い思いがした。村雨の攻撃は本当に容赦がなく、「ああ」でもしなければきっと自分の方こそが今頃はあの手術室に入れられていたのだ。いや、最悪の場合、病院ではなく直接墓穴に入っていた事とて考えられる。
  それくらい村雨が仕掛けてきた突然の勝負は鬼気迫るものがあった。
  京一は生まれて初めて生身の人間と命の削りあいをした。これまでも剣の師匠から強烈な大怪我ものの攻撃を喰らったり、ちょっと悪い奴らを相手にたった一人で大立ち回りをしてきた事はある。現在も旧校舎では異形たちから命を狙われる本気の戦いを繰り返してもいる。けれど所詮師匠は加減というものを知っていたし、チンピラ相手の遣り取りはあくまでも喧嘩だ。異形は京一にとって「異形」でしかなく、実際こちらも命を狙われた攻撃をされているわけだから、そこに余計な感情が入った事はない。
  しかし、見知った人間を相手にしてあんな風に……このまま心臓が止まるのではと覚悟しなければならないギリギリの中で刀を振るったのは初めてなのだ。
  動揺していた。怖かった。
  ただ、だからかもしれない。京一は今、龍麻と面と向かうのは嫌だった。もし今龍麻と2人きりになったら、自分は何を言い出すか分かったものではない。きっと激しく問い詰めてしまうと思った。一体どういう事なのかと。村雨がお前の為に俺と戦うというのは、どういう意味なのかと。…現在のこの精神状態で龍麻にそれをする気力は、京一にはなかった。
  何かまずい事を言ってしまいそうで。
  それならば。
「 俺もこの兄さんと話があるしよ」
  それならば、この自分にとって全く関係のない第三者から訊いた方が良い。自分も冷静になれる。
  京一は自分の傍に立つ御門なる男を見ながら龍麻にそう言った。龍麻はそれに対しますます不快な表情をして見せたのだが、2人に組まれてしまってはもうどうにも出来ないと悟ったのだろう。「分かった」と短く応え、龍麻は高見沢らが向かった先…村雨がいるだろう処置室の方へゆっくりと歩いて行った。
「 ……懐かれていますね」
  龍麻が廊下の奥に消えたのを確認してから御門が言った。
「 あ?」
「 懐かれていますね、と言ったのですが」
「 誰が」
「 貴方がですよ」
「 誰に」
「 龍麻さんにです。……貴方、あまり賢くないようですね」
「 はああ!?」
  さらりと毒を吐く御門に京一はただでさえおかしくなりそうな自分を必死に堪えながら、何やら口元をひくつかせて腰を浮かしかけた。何だかんだでコイツも俺に喧嘩を売る気なんだろうか、そう思って全身が刺々しくなった。
「 私は村雨の二の舞は御免です。遠慮しますよ」
  しかし御門は京一のそんな態度にすぐに気づいてふっと首を振った。それからおもむろに自分も京一の腰掛けていた長椅子に座ると、またぱちりぱちりと持っていた扇子を開いたり閉じたりし始めた。
「 ………?」
  それを怪訝に思った京一だったが、自分だけが中腰でいるのもおかしいと仕方なくどすんと再び椅子に座り直した。そうして横で未だぱちぱちやっている男を怪しげな目でじっと見やる。
「 ………」
  けれど、ふと気がついた。
  この男は実は冷静でいるようでいて、実は自分同様物凄く動揺しているのではないか?と思ったのだ。落ち着かないから、何かに焦っているから、こうやって無駄に扇子で遊んでいるのではないだろうか、と。
「 ……鋭いですね」
  すると御門がすかさず京一の意を読み取ったようにそう口を開いた。
「 確かに私は冷静さを欠いている。情けない事です」
「 あんた…俺の考えが読めるのかよ」
「 他人の考えなど読めませんよ。ただ単に貴方は単純だから、きっとそう思っているだろうと推測しただけです」
「 なにぃ…?」
  いちいち引っかかる奴だと思いながら、それでも京一はぐっと怒りを抑えて口を閉じた。
  それからスーハーと息を整え、もう一度と話しかける。
「 それで? 俺に話ってのは?」
「 貴方も私に話があるようですが」
「 あんたが先だ。言え」
  京一の有無を言わせぬ態度に御門は素っ気無く「分かりました」と頷いた。今度こそパチンと扇子を閉じる。
「 村雨は龍麻さんの為に貴方と戦うと言ったのですね」
「 あ? ああ…言ったぜ。最初は何の説明もなくいきなり突っかかってきたんだけどよ。何回かやりあってる時、合間にふっと言ったんだ。俺がいるとひー…龍麻には良くないから、俺を消すか東京から追い出すかしたいってよ」
「 ………」
「 俺よ。最初コイツ何とち狂ってんだって思ってただ頭きた。あいつとはまるっきりの他人ってわけじゃねえぜ? それなりに知り合いだぜ? 仮にも一緒に卓囲んで、俺なんかそれでパンツまで取られそうになったんだぜ、あいつに」
  確かあの時は如月と壬生からもさんざこっぴどくカモにされて酷い目に遭ったが、一番痛い目を食らわせてきたのはあのギャンブラーだった。そんな事をふと思い返しながら、しかしあの時と先刻戦った男とはどうにも何かが違うような気がして、それも気になった。
  それに、気になる事と言えばまだ一つ。
「 今日初めて会ったお前にこんな話しても仕方ねェけどな。実は俺、村雨の奴にああ言われた時、ふっと違う奴の事も思い出したんだよ。そいつも昔、村雨と同じように言いやがったんだ。俺がいるとひーちゃんにはよくないって。だからどっか行けってよ」
「 誰です」
  だんまりを決めこんでいた御門がふっと口を開いた。それに京一は一瞬は驚いたものの、すぐに答えをやった。
「 お前の知らない奴。うちの学校の佐久間ってロクでもねえ不良だよ。そいつも俺らと同じような《力》を持ってるんだが」
「 佐久間という男の事なら私も知っていますよ。昨年、龍麻さんを殺そうとした輩です」
「 は?」
「 陰の氣に晒され過ぎて己を失くしかけていました。もともと陰の氣に支配されるのは己の欲望の為に周りを破壊しようする自我抑制の出来ない弱い人間たちです。しかし、そういう者たちの《力》を目醒めさせ、彼らを操っていたのは別の人間です。その者を倒したので…佐久間も元に戻ったようですが」
「 ……えーっと、ちょっと待て? 話が読めねえ」
「 別に分からなくても良いですよ。もう終わった事です」
  本当に興味がないように御門はそう言い、それからふっと京一に視線をやると冷たい眼光そのままに告げた。
「 そう、殆どの人間たちにとってもうあの戦いは過去のものです。しかし貴方が東京へ来た事で……あの戦いを精算出来なかった者がまた戦う事になった」
「 俺…?」
「 本人はそんな事を望んではいない。それでも、龍は止まらない。もう止まれないのですよ」
「 おい…何の……」


「 蓬莱寺」


  その時、御門に詰め寄ろうとした京一にぴんと通った声が聞こえてきた。
  その聞き覚えのある声に京一が咄嗟に目をやると、相手はあのいつもの静かな目を湛え、そしていつもにはない殺気を燻らせてそこにいた。
「 壬生…何だよ…」
  京一がその名を呼ぶと、呼ばれた相手…壬生紅葉は、ちらとだけ御門の方を見た後、感情の見えない声で言った。
「 疲れているところを申し訳ないけど、少し付き合ってくれないか。君に話があるんだ」
「 ……話? 話ならここですればいいじゃねえか。何処行く気だ」
「 御門さんがいない場所だ」
  京一の疑問に壬生は厳として答え、それからそう名指しした当人にも牽制するような眼差しを向けた。
「 ……そういうわけにはいかないでしょうね」
  しかし御門は途惑う京一の代わりにすっくと立ち上がると、再びぱんと扇子を開いて目の前に立ち尽くす壬生を真っ直ぐに見つめやった。
「 生憎と私は龍麻さんだけの味方をする貴方たちとは違うんですよ。公平に、この宿星の行方を見届けたい。お供させてもらいますよ」
「 ……死ぬかもしれませんよ」
「 どうぞ、狙えるものなら?」
「 お、おい…」
  京一を抜かした2人の間で何故か見えない火花が飛ぶ。
  一体何が起きているのか京一にはさっぱり分からない。分からないけれど、たった一つ感じ取っている事がある。壬生を見て剣士としての勘がそれを気づかせた。

  どうやら壬生は村雨と同じらしい。俺と戦う為にここに来たのだ、と。



To be continued…



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