(20)



「 お前らはつくずく、こういう人のいない所を知ってるな…」
  村雨同様、ひどく寂れた廃墟―建設予定が潰れて工事が中途で投げ出された場所だ―へやって来た壬生の背に、京一は呆れたような顔で声を掛けた。そのすぐ後ろには病院から一緒についてきた御門がいるが、こちらは先ほどから一言も口をきかない。もともと無口な男なのだろう、前方にいる同じく無言な壬生に挟まれて、京一は心底げんなりとした気持ちに陥っていた。
  村雨から与えられた目に見えないダメージも加速度的に増している。一見かすり傷程度に思われた身体の各所も、今はみしみしとゆっくりした痛みに襲われ始めている。
  まずいな、と思った。
「 僕は村雨さんのように優しくはないから」
  鉄材が積んでいる所を通り抜け、敷地中央のやや広いスペースまで辿り着いた時、ようやく壬生が振り返ってそう言った。木刀を肩に掛ける京一を冷めた目で一瞥した後、素っ気無く続ける。
「 たとえ貴方が手負いの状態だろうと、手加減はしない」
「 ああ、そうかよ…」
  半ば自棄気味に京一は応えた。何を言っても無駄だと思ったし、何故こんな事をと問いかけたところでどうせ返事はないだろうと諦めていた。今までこの連中に何かを質問してまともな答えが返ってきた試しなどない。最近になってようやくそのイラつきとも縁が切れたと思っていた矢先だったし、尚の事しつこく追及するのは面倒だった。
「 蓬莱寺」
  憂鬱そうに髪の毛を掻き毟る京一に壬生が再び口を開いた。
「 君は僕とは正反対だ。常に光の当たる場所にいる。発する《力》そのものも、僕が持つそれとは完全なる対を成す。……でもだからこそ、君みたいな奴が今ここにいるのが許せない」
「 はぁ? ……ああ、そうかよ!」

  どうせ何だそりゃとか、意味が分からないと言っても答えないんだろ。

  壬生の言葉は独り言と一緒だ。京一は抑えようとしていたイライラがどうしてもこみ上げてくるのを感じて舌打ちした。ちらと背後の御門を見やる。この男は壬生が闘いを仕掛けてくる理由が分かっているようで、至極平然とした顔をしてその場に佇んでいる。
  口を開くのもいよいよかったるくなった。京一は代わりに木刀を壬生の前に構えて見せた。
「 御託はもういい。どうせ俺に話なんかねェんだろ。お前も村雨と一緒だろ。闘るのか闘らねえのか? 俺はどっちでもいいんぜ」
「 ………」
「 どうしたよ?」
「 君が…」
  壬生は能面のように変化のない表情のまま告げた。
「 君が龍麻の元から…この東京から離れると言うのなら、このまま見逃してあげてもいいよ」
「 ……はぁッ!?」
「 二度も言わせないでくれ。君が龍麻から離れると言うのなら、君を殺しはしない。君がそれを選ぶなら…そこにいる御門さんだって、無理に君を引き止めたりはしないはずだ。――そうでしょう?」
  最後の問いかけは京一の背後にいる御門に向けられたもののようだった。京一がちらりと振り返ると、御門はやはりそんな壬生同様、無表情のままで扇子をぱちぱちとやりながら頷いた。
「 そうですね。貴方にも選択する自由はあるでしょう。貴方がこんな厄介事とは早々に縁を切りたい、切ると言うのであれば…。まあ、貴方もその程度の人間という事で、私も別段引き止めたりはしませんよ」
「 ……何か引っかかる言い方だな」
  まったく…と呟いた後、京一はぎゅっと握り締めていた木刀から一瞬力を抜いた。
  厄介かそうでないかと言われれば、そんなものは厄介に決まっている。
  何の恨みもない村雨や壬生(向こうはそうでもないようだが)に意味もなく剣を振るい、傷つける事を元より京一の方は望んでいないのだ。無駄な闘いほど愚かなものはないし、幾ら自分がバカとてそれくらいの弁えは持っている。そしてもし彼らが何らかの理由を持ってこうした戦いを仕掛けてくるのであるのなら、それを避ける為に自分が退いて済むのなら……勝負を投げるのが妥当なのかもしれない。それは逃げではない。自分は負けてはいない。
  けれど……。
「 なあ。お前らはひーちゃんの為に俺と戦うって言うんだよな」
  京一の問いに、これには壬生も眼だけで肯定した。
「 俺にはそれがどうしても分かんねェ。俺はひーちゃんとはダチのつもりでいる。最初はそりゃ…ちょっと訳分かんねー奴って思ってたけどな、今のお前らと一緒で! けど今は、もしあいつが困ってる事があんなら助けてやりてェって思ってるし、実際あの旧校舎の化け物達だって…あいつを行かせるんじゃなくて、俺が代わりに殲滅してやれればいいって思ってるよ」
「 それが…余計な事だと言うんだ」
「 ……何?」
  壬生の押し殺したような声に京一が怪訝な顔をした。
  けれど壬生は応えない。代わりのように御門がそっと囁いた。
「 来ますよ」
「 ……ッ!?」
  言われなければ京一もすぐさま反応できなかっただろう。
「 くっ…」
  いつの間に接近されたのか見えなかった。壬生の足取りには音がない。まるで瞬間移動のように気づくとすぐ間近までやってきていて、そこから繰り出された蹴りは確実に京一の急所を狙ってきていた。
「 てめ…!」
  ごろごろとみっともなくその場を転がりながら移動し、壬生から距離を取ろうとする。けれど、顔を上げるともう壬生はそこにいた。無機的な表情のままに第二陣の蹴りがやってくる。しかし何故か彼は手を使わない。全て足技のみだ。
  似ている、と思った。
「 お前のその技…! ひーちゃんのにそっくりだな!」
  初めて龍麻と一緒に旧校舎へ潜った時見た技と動きや形が酷似していた。ただあの時は龍麻から発する淡い陽光に目が眩んだが、今壬生から感じられる氣は闇そのものだ。
「 ……似ているかもしれないね。僕たちは師匠が同じだから」
  壬生は自分から距離を取ってその死角に入ろうと走る京一を横目でゆっくりと見やりながら言った。
「 でも、僕と龍麻には決定的な違いがある。彼の技は人を生かす。でも…僕は相手に確実なる死を与える」
「 ……ハアハアッ!」
  壬生の話などまともに聞いてはいられなかった。壬生は話しながらも決して隙を作らず、それどころかいつ攻撃を仕掛けてきてもおかしくはない不穏な氣を容赦なく放出していた。辺りに放置されていた資材がブルブルと震え、硬いはずの地面にも僅か亀裂が入っている。
  とにかくまともに構えられる場所で体勢を整えなければ。
「 蓬莱寺」
  そんな京一に壬生はあくまでも静かだった。静かな中に、強い怒りを秘めた眼差し。
「 龍麻は僕の全てなんだ。龍麻が僕を暗い、たった独りだけだった闇から救ってくれた。彼は僕の光だ」
( よし、あそこから一撃を喰らわせてやる…ッ!)
  土管の積み重なった背後へ回り込み、京一は壬生から姿を隠せる場所にまで移動した。そこまで行ってようやく壬生以外の全体に目を向けると、いつの間にか御門の姿は消えていた。一人とっくに避難したのかもしれない。
「 蓬莱寺」
( バカ野郎…! 誰が返事なんかするか…!)
  緊張で吐く息を必死に整えながら、京一は木刀を握り直した。本当ならこんな風にこそこそ隠れた位置から攻撃するなど好みではない。真正面からやりあって、思い切り己の力をぶつけて。そうして相手を圧倒し、戦意を喪失されるやり方が一番自分にはあっていると思っている。
  けれど分かる。強さを得たからこそ、京一には分かっていた。
  やはりこの壬生は村雨同様、自分を殺そうとしているのだと。
  しかも、村雨に微かあった躊躇いがこの男にはない。この男はいつも誰かの死と隣合わせに生きてきたのだ。攻撃を仕掛けてきていたあの足取りからも感じていたが、奴の動きは言うなれば暗殺者そのものだ。
「 龍麻は僕の光なんだ」
  それにしても分からないのは壬生が相変わらず自分の姿を晒し続けているという事だった。あれではどこもかしこも狙われ放題だ。それすらかわして返り討ちにする自信があるという事なのかもしれないが、闘いが始まってから何やらぺらぺらと話し続けている事も不可解だった。
  それでも壬生はそんな京一には構わず言葉を投げ続けた。
「 だから」
「 ……な!」
  けれど、ふとその声がすぐ背後に聞こえたと思い振り返ったその瞬間。
「 さよなら」
「 てめ…!?」
「 龍閃脚…ッ」
「 ぐはっ!」
  いつの間にか京一の背後に回っていた壬生が強烈な一撃を放ってきた。京一はそれを受けとめる間もなく、もろにその攻撃を喰らってその場にドサリと倒れ伏す。
「 ……龍麻にはずっと傍にいて欲しいんだ。――僕の傍に」
  壬生が冷めた顔でそんな京一を見下ろす。
「 だから。だから僕は、龍麻がどんなに変わろうとも……龍麻を殺させない。龍麻が黄龍の器だからとか、そんな事関係ない。僕は龍麻に生きていて欲しいだけなんだ」


「 ……その言い方」


「 な…っ!?」 
  その突然の声に壬生は驚愕で目を見開いた。初めて見せた感情のある顔だ。
「 何故…?」
  壬生が驚くのも無理はない。不意をつかれ倒されたはずの京一が、何故か壬生の背後に立っていて眉をひそめていたのだから。息は乱しているが、与えたはずのダメージを喰らった様子はない。
「……っ」
  すぐさま足元に転がっていたはずの京一を探す。勿論いない。壬生はぐっと唇を噛み、すぐさま今度は自分が京一と距離を取ろうとした。
「 おっと」
「 !」
  しかしそれを京一は許さなかった。すかさず剣をぬうっと差し出し、壬生が一歩でも動けば一撃必殺を繰り出すと言外に訴える。
「 ………」
  壬生は黙ってその場に立ち止まった。
「 なあ。焦るぜ、お前凄ェ技持ってるから」
「 ……君も同じ事だろう」
「 人って死ぬって思った時は何でも出来るのかもしんねェ。お前がやった事、咄嗟に真似てた」
  実際京一はこんな器用な真似が出来る人間ではなかった。けれど姿を消したと思った壬生が瞬時気配を断っていたはずの自分の背後に回りこみ壮絶な蹴りを発してきた時、京一はそのゼロコンマ何秒かのスピードで今壬生がやった同じ事を咄嗟にやってのけたのだ。壬生に自分がやられたかのような残像まで作って。
「 それよりさっき呟いてた事繰り返せよ。龍麻を殺させないってどういう事だ。黄龍の器って何だ?  それと俺に何の関係がある?」
「 僕が話すと思うのかい」
「 思わねえ…。おい、御門! いるんだろ、出てこい!」
  京一は剣を壬生に向けたまま、警戒したように辺りに向かって怒鳴り声を上げた。
  すると姿を消していたはずの御門がすうっとまるで亡霊のように2人の前に現れた。しかし京一も今さらもうそれくらいの事では驚かない。
「 おかしな奴だなテメエも。人間じゃねえだろ」
  冷静なその口調に御門はふっと小さく笑った。
「 失礼な事を。貴方たちの方がよほど化け物です。私にはこんな非常識な闘いはできませんからね」
「 まあいい。おい、こんな真似したくはねえけどな…。こいつをぶちのめされたくなかったら教えろ。ひーちゃんが一体何だっていうんだ?」
  京一の威嚇するような声に、しかし御門はふっと一つ笑みを零した。
「 おやおや…。言っておきますが、私にはそこの方がどうなろうが全く構いませんよ。無論、貴方がこの男に殺されようが、ね。私には関係のない事ですから」
「 ……お前な。俺はともかく、こいつはお前の…ひーちゃんの仲間なんだろうが? いいのか、ひーちゃんが怒るぞ」
  本当にやるぞという風に京一は声を荒げながら木刀の先を壬生に突きつける。しかしそれをされている壬生は勿論、御門もやはりびくりとも動揺した様子を示さなかった。
  むしろ呆れたようなため息が一つ漏れ、御門はゆるりとかぶりを振った。
「 それなら貴方も同じ事でしょう。いいから刀を納めなさい。そんな事をしなくても話してあげます」
「 ! …本当か?」
「 元より、貴方がここにいる壬生に勝てれば話すつもりでした。壬生、お前も文句はないでしょうね」
  御門のすうっと流れるような視線を受け、壬生は皮肉気に唇の端を上げた。
「 さあどうかな。腹が立ったら貴方を殺すかもしれない」
「 ……ならば、何処へなりとも飛んでいきなさい」
「 な……!?」
  それは壬生の憎まれ口に御門が扇を揺らした直後に起きた。
  小さな光の粒がぽうっと壬生の身体の周りを漂ったかと思うと、それはあっという間に巨大な白い繭のようになって壬生を包み、やがてすうっと魔法のように消えてしまったのだ。まるでどこか別の次元へ入り込んでしまったように。
「 な…何だ……?」
  京一が唖然として何度も瞬きをすると、横に立つ御門は口元にその扇を当てて答えた。
「 貴方が彼の気をひきつけて下さっている間に結界を張り巡らせておいたんですよ。どうせ話の邪魔になると思いましたので」
「 ………」
「 殺してはいませんよ。少し遠くへ行ってもらっただけです」
「 ……お前、何者だよ」
「 私の事などどうでも良いでしょう。それより…」
  御門は自分を不審な目で見やる京一を何ともない風に見返した後、相も変らぬ感情の見えない声で告げた。
「 村雨、壬生…。これで終わりだと思わない事です。これからもまだ貴方を狙う輩は出て来る。貴方が龍麻さんの傍から離れないという限りね」
「 ………」
「貴方は今、とんでもない責任を負おうとしている。それを受けとめる勇気がおありか」
  京一はそう言う御門の顔を暫し黙って見つめやった。
  と同時に、自分を優しげな笑顔で見やる龍麻の笑顔を思い返していた。



To be continued…



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