(2)



「 あ。あ〜あ、もう寝ちゃった」
「 うふふ…。龍麻ったら気持ち良さそう」
「 まったく仕方ないな…。美里、これを掛けてやってくれ」
「 ………おい」
  昼休み。
  屋上の一角で龍麻たち「仲良しクラブ」と昼食を摂っていた京一は、その一種異様な光景に思い切り顔を引きつらせた。
「 お前ら、いつもこうなのか?」
「 こうって?」
「 いや、だから…。何つーか…」
「 蓬莱寺君、どうかした?」
「 いや、だからだな…」
  きょとんとして聞き返す桜井小蒔と、醍醐の上着を龍麻に掛けてやっていた美里は、もごもごと口を動かし結局黙りこくってしまった京一に不思議そうな顔を向けた。
「 蓬莱寺。いつもこう…というのは、俺たちの龍麻に対する態度の事か?」
  すると逸早く相手の心意を量った醍醐がやや苦い笑いを浮かべながらそう言った。
  春とは言っても、風の強い屋上で半袖シャツ一枚は寒かろう。しかし屈強の大男・醍醐雄矢はまるで何という事もないという顔をしながら、美里を挟んだ自分の右隣ですうすうと寝入っている龍麻を眺めながら続けた。
「 いつもこうだな」
「 ………」
「 どうも…俺たちは、ついつい龍麻には過剰な世話を焼いてしまうんだ」
「 はあ…?」
「 ああ、そういう事!」
  醍醐の台詞でようやく京一の質問の意が分かったのか、元気娘・桜井はポンと勢い良く自らの手を叩いてから楽しそうな笑みを閃かせて言った。
「 そっかそっか。ボクたちにとってはこんなのもういつもの事だから何の違和感もないケド、よく考えたら初めて見た人とかはびっくりするかもね!」
「 うふふ…そうね。確かに私たち、みんなして龍麻の事構い過ぎるものね」
「 いや、構うっていうかな…」
  ぐしゃりと髪の毛をかき混ぜながら、京一はそれでも何の照れもなく、むしろ半ば嬉しそうな顔をして笑う3人のクラスメイトたちを順繰りに見やった。それから自分たちの中央で依然として深い眠りに入っている龍麻を見つめる。午前中の授業を全て放棄してあれだけ眠っていたくせに、よくもまあまたこんな風に寝てしまえるものだ。
「 ひーちゃんの寝顔っていつ見ても可愛いよねえ」
「 うふふ…そうね。睫も長いのよね」
「 まったく、こうして見ると本当に小さな子どもみたいだな」
「 いやだから。お前らな…」
  万事が全て、先刻からこんな調子だった。
  そもそも一緒に昼食を摂り始めた時からこの3人はおかしかったのだ。龍麻は自分の昼食は自分できちんと用意しているというのに(コネで先買いしていたという焼きそばパン)、美里も桜井もこの無骨そうな男・醍醐まで、龍麻に自らのおかずを我先にと分け与えたりお茶を淹れてやったりした。またそれだけではない、龍麻の口にソースがついたと言えば皆すかさずハンカチを差し出したし、こうして龍麻が昼寝体勢に入ろうものなら、醍醐がさっと上着を脱いだ。
  一体何なのだ。何だというのだ。普通に考えておかしいと思う。
「 あのねえ、蓬莱寺クン」
  すると妙に納得がいかず憮然としている京一に桜井が言った。
「 ひーちゃんはボクたちのアイドルなんだよ。それと、救世主」
「 救世主…?」
「 うんっ!」
「 ……アイドルってのは?」
「 その言葉の通りッ! だってすっごく可愛いじゃんッ! だからねー、もう大変なんだよ。皆で取りっこだよ! ひーちゃんの事はさあ!」
「 うふふ。狙っているの、私たちだけじゃないものね?」
「 そうそう! 学校の中でも十分凄いけど、外に出ても凄いから! ひーちゃんってすっごくモテるから〜!」
「 ………」
  転校初日の京一としては、そんな話をいきなり振られても「ああそうですか」としか言いようがないが、この時はその台詞すら出てこなかった。客観的に見て確かに龍麻は割とイイ顔をしていると思うが、だからといってこうまで彼らが心酔する理由は理解できない。美里や、多少おてんばの感はあるが桜井も、一般的な女子高生の中では上位に入る綺麗どころと言えるだろう。にも関わらずそんな彼女たちが半ば盲目的にこの緋勇龍麻に入れ込む訳……京一にはそれがどうしても分からなかったのだ。
  ちなみに傍にいるだけでもかなり暑苦しそうなこの醍醐雄矢までもが美里たち同様龍麻を気に入っているらしいという点は、京一は敢えて深く考えない事にした。
「 蓬莱寺クンも、きっとすぐひーちゃんの事好きになると思うなあ!」
  京一の途惑いなど全く意に介さず桜井が底抜けに明るい声で言った。
  京一はそんなクラスメイトにただ曖昧な笑みを張り付かせて見せた後、龍麻が「歓迎のしるし」と言ってくれた焼きそばパンにかじりついた。





「 おっ。いたいた! キミが噂の転校生・蓬莱寺京一クンね!」
「 あ…?」
  放課後。
  何やら転校初日から異様に疲れてしまった京一が早々に下校の支度をしていると、半ば突進する勢いで教室に入ってきた女子生徒が物怖じせずそう声を掛けてきた。
「 ふんふん、顔はまあまあ、スタイルもまあまあ…と」
「 な、何だあ?」
  メモを取りながらいきなり人の事をじろじろと値踏みし始めたその人物に京一は思い切り眉をひそめた。長い黒髪に眼鏡を掛けた、快活そうな表情が何とも印象的な女生徒だ。「この学校は変な人ばかり」という龍麻の台詞に嫌な予感を抱きながら京一が固まっていると、相手はメモを仕舞ってからさっと顔を上げ、にやりと笑った。
「 はじめまして。アタシは新聞部の部長で3年の遠野杏子。皆はアン子って呼ぶわ。よろしくね、蓬莱寺クン」
「 新聞部?」
「 そうよ。アタシはこの学園の皆が知りたいと思っている情報を逸早く掴んで、それを即座に提供するっていう、それはそれは崇高な仕事をしているワケ。って事で、早速インタビューに答えて欲しいんだけど…」
「 インタビューって…あのなぁお前、こっちの都合も―」
「 蓬莱寺クンってすっごくカッコイイじゃない? 3年の女子は勿論、後輩の女の子たちも興味津々で〜。是非とも詳しいプロフィールが知りたいのよね〜」
「 お前、さっきは人の顔見て<まあまあ>とか言ってなかったか?」
「 あら、そんな事言ったっけ?」
「 ………」
  京一が露骨に引いて沈黙すると、素早くその空気を呼んだ遠野杏子ことアン子はケラケラと笑って片手を振った。
「 あっはは、ごめんごめん! さすがに初対面でそれは失礼だったわよね。でもほら、アタシたち学園の女の子たちってカッコイイ男の子の平均基準が異常に高くなっちゃってんのよ。何てったって、傍にあんな凄いのがいたら…ねえ?」
「 凄いの?」
「 あれあれ」
  そう言ってアン子が指し示した方向には、午後の授業も全て爆睡しきり、現在も机に突っ伏したままの龍麻がいた。
「 ……あれがお前らの最高基準なわけか……」
「 そうそう。あ、もう美里ちゃんたちから聞いてるかもしれないけど。龍麻クンはアタシたち真神学園の天使ちゃんだから! もう〜あんなカッコ可愛い子をいつも拝んでたら、ちょ〜っとカッコイイ男子が来ても、みんな<まあまあ>になっちゃうのよねえ」
「 はあ」
「 なあに、その気のない返事は? あ、折角新しい学園生活で新たな出会いを期待してたのに裏切られたって? うんうん分かるわー。あ、でもちなみに蓬莱寺クンって今彼女とかいるの?」
「 そうやってさり気なくインタビューに入るな」
「 あ、ばれた」
  ぺろりと舌を出したアン子は悪びれもせずにその後も楽しそうに笑っていたが、京一の方としてみれば何が可笑しいのかさっぱり分からない。また、彼女も結局はこの教室に来て龍麻の顔が見たかっただけなのか、京一がロクに返答しないと知ると、後はもう龍麻を起こしに掛かっている美里たちの方へたーっと走って行ってしまった。
「 天使ちゃん…ねえ」
  ぽつりと呟いた京一の声を聞いている者はその場にはいない…はずであった。

「 おい」

  しかし。
「 おい。テメエだテメエ。シカトしてんじゃねえぞ」
「 あ…?」
  ふと背後から耳障りな声を掛けられて、京一は咄嗟に迷惑そうな声で返した。
  そこには、朝から京一のことを殺気立った眼で睨みつけていた「佐久間」と数人の子分たちが立っていた。
「 蓬莱寺。テメエ、ちっと面貸せや」
  ドスの効いた声でそう言ったのは当の佐久間だった。その如何にもな悪人面には思わず笑みが零れた京一だったが、「ああ俺が待っていたのはこういう、くだらなくも楽しいイベントだったんだ」と、今日初めて胸の高鳴る思いがした。
「 テメエ! 何スカしてやがんだ!」
「 遊びじゃねえぞ!」
  佐久間の威嚇にまるで動じない京一に痺れを切らしたように数人の舎弟たちが声を荒げた。それによってクラスメイト数人がぎょっとしたようになって遠巻きにその様子を眺めていたが、京一はそちらをちらと見た後肩を竦めた。
「 まあ何処でもいいぜ。ここじゃ他の皆さんの迷惑になるしよ、場所移ろうぜ」
「 ケッ…面白ェ…! その強がりも今だけだぜ」
「 お前がな」
「 テメエ! 佐久間サンに何て口利いてやがんだッ!」
「 知るか。どうでもいいが、耳が痛ェんだよ。黙れ」
「 コ…コイツ…!」
「 よせ。行くぞ」
  京一に飛び掛ろうとする舎弟を片手で制し、佐久間は教室の床にぺっと唾を吐き捨てた。そして先導するように肩をいからせ歩き始める。その背中を眺めながら小さい男だな、と京一は思った。
「 おい待て! 佐久間!」
「 ……チッ」
  するとその時、今まで龍麻の席近くにいた醍醐が威厳のある声で呼び止めてきた。何気なく振り返った京一を横切り、つかつかと佐久間の近くにまで歩み寄った醍醐は眉間に皺を寄せ責めるような声を出した。
「 佐久間。お前、蓬莱寺を何処へ連れて行くつもりだ?」
「 醍醐…テメエには関係ねえだろう」
「 そうはいくか。大方またくだらん喧嘩を売る気なんだろう。部長としてお前の意味のない暴力を放置しておくわけにはいかん」
「 部長?」
「 醍醐クンと佐久間クン、同じレスリング部なんだよ」
  いつの間にかすぐ背後に来ていた桜井が声を潜めて京一に教えた。別段今のこの状況を怖がっている風でもないが、佐久間という男には良い印象を持っていないのだろう、怒ったようにやや唇を尖らせている。
  そんなギャラリーを前にし醍醐が腕組をして先に言葉を発する。
「 蓬莱寺がお前たちに何をしたというんだ? しかも多勢に無勢でお前らは…」
「 ケッ!」
「 佐久間!」
「 いや〜俺なら別にいんだけどよ…」
「 良くはない!」
「 あ、そ…」
  やはり見たまんまの優等生だ。
  京一は落胆を隠せず、「余計なお節介」で自分たちの間に入ってきた醍醐に心の中だけで舌打ちした。勿論、京一とて意味のない喧嘩を買うのは嫌いだ。相手と自分との間に力の差がある時は尚更で、下手したら弱い者苛めになってしまうような状況はむしろ避けたいと思う。しかしこの佐久間以下数人の男子生徒たちの横暴な態度は鼻についたし、ましてやそんな彼らとこれから1年間仲良く机を囲む身としては、最初に自分の力を見せつけておくのも良かろうと、そう思っていたわけなのだ。
  それに何より、今日は何だか虫の居所が悪かった。
  しかしそんな事を考える当の京一を置いてけぼりに、醍醐と佐久間が決着のつかない睨み合いを続けていた時、だ。

「 佐久間」

  凛とした声にその場にいた全員がそちらを向いた。
  いつ目が覚めたのだろう、机から顔を上げ上体を起こした龍麻が席に座ったままの姿勢で京一たちの方に視線を向けていた。
「 佐久間」
  そして龍麻は渦中の男の名前を二度呼んだ。
  それは静かだが、惹きつけられずにはいられない、そんな美しい音だった。
「 学校で喧嘩すんなよ」
  ぴたりと動きを止めた佐久間を真っ直ぐ見返し龍麻は言った。
「 な…?」
「 ……ケッ! 分かったよ!」
  暫し沈黙したまま龍麻のその瞳を見ていた佐久間は、しかし数秒後そう言った。
「 はあぁ…?」
  京一はそんな佐久間の態度にぽかんと口を開いたまま呆気に取られてしまったのだが、その様子を気に留めている者はその場には1人もいなかった。
  どすどすとわざと大きな音を立てながら教室を去っていく佐久間を見送った後、美里以下クラスメイトたちは一気に和やかな雰囲気に戻って、この気まずい空気を収めてくれた龍麻にそれぞれ感謝の意を述べた。特に醍醐は恐縮しきりで、「帰りにラーメンでも奢ろう」などと言い出している。
「 な……ったく。何なんだ」
  京一は呆然としてただそう呟いた。アホらしい。そんな思いだけが頭の中をぐるぐると忙しなく駆け巡った。
「 帰るか…」
  だから京一は気づかなかった。
  皆に囲まれていた龍麻が、京一にさり気ない視線を寄越してきていた事に。 



To be continued…



1へ戻る3へ