(3) コイツらのモットーは「誰とでも仲良く元気良く!」……なのだろうか。京一は1人心の中で呟いた。 「 ねえねえ蓬莱寺クン、本当に一緒に行かないの? おいしいんだよ、この近くにあるラーメン屋さんッ! 特に味噌ラーメンが最高でねー」 「 ああ、悪いな。また今度誘ってくれよ」 勢い良く放課後の「寄り道」に誘ってくる桜井に対し、京一は人の良い笑顔を向けつつも「冗談じゃねえ」と心の中でバッテンマークを作っていた。彼らが悪い奴らでない事は分かる。どちらかといえば根っこの明るい自分には実に丁度良い、楽しくてうまくやっていけそうな性格をした連中だ。 しかし今日は。 今日だけは「もういい」というのが京一の正直な気持ちだった。ボケきったような1人の男子高校生を取り囲む「アイドル渇望症候群」みたいな集団をさんざ見せ付けられた挙句、モヤモヤした気持ちを振り払おうと受けて立った喧嘩は取り上げられる。元々今日はいつも行動を共にしている「相棒」を置いてきているし、恐らくはそのせいでツキも落ちているのだろうと、京一は早々の帰宅を既に心に決めていた。 「 引越しの片付けも終わってねえしよ。ま、次はきっちりつき合わせてもらうぜ」 ただ勿論、そんな事を口にしたりはしない。努めて笑顔を作りながら、京一は心底残念そうにする桜井たちにもう一度「悪いな」と言った。 「 そう…残念ね。それじゃあ蓬莱寺君、また明日ね」 「 さっきは佐久間が本当にすまなかったな。またな、蓬莱寺」 「 ああ。じゃあな」 引越しの後片付けがまだとなれば彼らもそうしつこくはできないのだろう。 口々に別れの挨拶をして教室を出て行く美里たちを相手に、京一は適当にひらひらと手を振った後、ようやく1人になってはあぁ…と、大きく息を吐き出した。こんな状態は本当に自分らしくないと重々承知しているのだが、どうにも調子が出ないのだ。もし「相棒」を置いてきた事以外に原因があるとすれば、それは一体何なのだろうか? この教室を取り巻く異様な甘ったるい空気に汚染でもされたのか? 空気。 「 ……そうか」 京一ははたとなり、既に人気のなくなった教室でぴたりと動きを止めた。 そう、この学校はやはりおかしい。 「 氣…か」 ぽつりと呟き、京一はだっと窓際に駆け寄ってそこから見下ろせる校庭に視線を走らせた。 夕闇の迫る時間だが、活動日となっているクラブにしてみれば今はまさに練習が盛り上がる頃なのだろう、窓を開くとあちこちから元気の良い掛け声が響き渡ってきた。野球部、サッカー部、陸上部。 それに。 「 蓬莱寺は剣道部に入るの?」 「 ……ッ!?」 突然掛けられたその声に京一は驚いて振り返った。 教室の入口には、もうとうにここを出て行ったはずの緋勇龍麻が立っていた。京一をしきりにラーメン屋へ誘った3人と離れ、いつの間にか先に教室を出て行ったはずの龍麻が。 龍麻がそこにいるという気配など全く感じられなかった。一体いつからそこにいたのか。 「 気づかなくて当たり前だよ。俺には佐久間たちみたいな殺気…なかっただろ」 「 何…」 朝のHRからこの放課後の時間に至るまで、京一にとってこの緋勇龍麻は「悪い奴ではない」という事と「ただ寝ているだけ」という、そんな印象しかない。周囲の奴らはアイドルだの天使だの、そういえば救世主だなどとも言っていたけれど、実際はただ目を瞑って机に突っ伏していただけだ。 取り立てて特別なところもない、ただのクラスメイト。 「 ………」 けれどどうした事だろう。京一の全身に一瞬嫌なものが走った。誰もいない教室でこうして改めて面と向かい合ってみると、どうにもタダ事ではない雰囲気をこの龍麻から感じる。それは幼い頃から剣の道を極めんと修行を重ねてきたた自分だからこそ分かる直感だと京一は思った。 「 ……どうしたの。そんな目、して」 黙りこくる京一に先に龍麻が声を出した。こちらに来ようとはしない。向こうも様子を窺っているのか。 それで京一は1度だけわざとらしく咳き込み、何でもないと首を振った。 「 あー…いや。お前こそどうしたよ。あいつらとラーメン屋行ったんじゃねえの?」 「 うん。ちょっと忘れ物」 「 忘れ物?」 「 うん。俺、明日英語で当たるから、今日は教科書持って帰らなくちゃいけないの忘れてたから」 「 ……英語、ねえ」 全ての授業を寝倒していた人間の言う台詞じゃねえな、と至極最もな感想を抱いた京一であるが、そう言った龍麻にどうやら嘘はないようだった。張り詰めた空気を消した京一に安心したのか、 龍麻はようやく自分も教室の中に入ってくると、窓際にある席から無造作に仕舞ってあった教科書を取り出し、それをカバンに入れた。 京一はそんな龍麻の後ろ姿を窓際に寄り掛かった姿勢のまま何となく見やった。 「 ……蓬莱寺」 すると龍麻が言った。 「 蓬莱寺は何か武道とか…やってるんだよな?」 「 あ…? あ、あぁそういやさっき剣道がどう…って言ってたよな。何で分かったんだ?」 「 勘」 「 ……っと」 くるりとこちらを振り返りそう言った龍麻の目に、京一は何となく気圧された。 だから反射的に背中を逸らせ身体を引いたのだが、そのまま沈黙するのも何だか癪だったので、京一はすぐに再び口を開いた。 「 ガキの頃からやってるからな。剣にはちっと煩いぜ、俺」 「 剣…」 「 ああ」 何事か考えこんでいるような龍麻を見ながら京一は続けた。 「 いつもならよ、何処へ行くにも愛用の木刀は手離さねェんだけどな。俺って家族からイマイチ信用がないっつーか、いつでもそれ振り回して暴れてるって思われてんだよなぁ。んで、『転校初日の今日くらい頼むから持っていってくれるな』って親に泣きつかれちまってさ。ったく、あいつら人の事何だと思ってんだって!」 「 へえ…」 意外にもぺらぺらと動く舌に、「お、何だかいつもの調子が出て来たのだろうか?」と思いながら、京一は自分の話に興味深そうな顔をする龍麻に口の端を上げてみせた。 「 まあ、けど何だ。俺も初日からいきなり剣道部の奴らに勧誘とかされんのも勘弁だったしな。ここがどのくらいの強さか見極めてから入るのも悪くねえし」 「 うん」 「 あの佐久間…か? あいつらくらいの相手にはモノなんかなくても余裕だしな」 「 ………」 「 何だ?」 「 ううん」 突如としてシン…となった相手に京一が途惑うと、当の龍麻はすぐに「何でもない」と言ってから小さく笑い、言葉を継いだ。 「 ここの剣道部は最弱だよ。エースらしいエースもいないしね」 「 ん? 何だよ緋勇、もしかしてお前も剣道やってんのか!?」 「 ……ううん」 一瞬同士なのかと目を輝かせた京一に、反して龍麻は途端暗い顔になり俯いた。 「 ……?」 「 ……俺は違うよ」 「 はあ…」 「 ………」 「 あー…。俺、何かまずい事でも言ったのか?」 何なのだろう、この気まずい空気は。 京一は心の中だけで何やら冷たい汗を掻いたが、如何せん今の会話の中に相手の何を落ち込ませる要素があったのかが分からない。もし、こういった「理由不明の悲嘆」を見せた相手が女の子だったならば、京一とて幾らでも慰めるなり何なりができる。その術を知っている。だが残念な事にここで下を向いたまま黙りこんでいるのは、緋勇龍麻という今日会ったばかりの男子生徒だ。そういえば今日はもうこの龍麻をはじめとした妙なクラスメイトたちに関わるのが嫌だから早く帰ろうとしていたのに、今何故こんな展開になっているのだろうと今更に思った。 「 あ…」 しかし、そんな京一の困惑しきった疲弊しきった態度にようやく気づいたのだろう。 「 あの、蓬莱寺…」 足元を見つめたまま動かなかった龍麻が、ようやく何かに弾かれたようになって顔を上げた。 「 ん…」 「 悪い、俺。ちょっと…ぼうっとしてた」 「 は…?」 「 ごめん」 そして今までの間を誤魔化すように、龍麻は京一に向かってふわりとした柔らかい笑みを向けた。 「 ………」 それが。 あぁなるほど確かに可愛いかもなと、京一が思った一瞬だった。 「 ごめん、さっきの話の続き。俺は帰宅部。入学した時から部活とか何もやってないんだ」 淡々と龍麻は言った。 「 醍醐の付き合いでレスリング部を見学に行ったりとかはたまにあるけど。剣道とかは一回もやった事ない」 「 ……ふうん。そうか」 「 うん。……それに、俺は」 そして龍麻は真っ直ぐに京一を見やり、はっきりと言った。 「 蓬莱寺みたいに強くないしね」 「 は…?」 その半ば確信を持った相手の言い方に、京一は自然目を丸くした。 「 お前、何で俺が強いとか分かるんだ?」 「 強くないの?」 「 む…いや、強いけどよ!」 咄嗟に勝ち気な性格が働いてすぐに答えたものの、そんな京一に今度は龍麻の方が目をぱちぱちと瞬かせ、やがて可笑しくなったのか目を細めて笑い出した。 「 ……おい。何でそこでそんな笑うんだ?」 京一が子どもっぽくむうと頬を膨らませると龍麻はいよいよ破顔した。そんな相手に依然怒ったフリをしつつも、何だこんな顔も出来るのかと京一は思った。 「 まだ残っていたのか」 その時だった。 「 う…!」 まただ。 龍麻の笑顔で抜けかけていた力が再度緊張を思い出したように強張った。 先刻の龍麻同様、またしても何の気配も感じさせずにその人物はそこにいた。教室の入口、眼鏡の奥から気だるそうな濁った眼を向けてきている白衣を纏ったその男は理科系の教師だろうか、京一は自分たちに声を発してきた男をまじまじと見やった。 「 B組担任の犬神先生だよ。生物の先生」 カバンを抱えた龍麻が京一を促すようにして先にそちらへ歩き出した。それで京一も仕方なく龍麻の背後から犬神の傍に寄ると、相手はあの新聞部・遠野のような人を品定めする視線をちらと向けた後、口を開いた。 「 昇降口の所で奴らが騒いでいたぞ。お前らを待っているんだろう。さっさと連れて帰れ」 「 蓬莱寺は行かないです。俺を待ってるんだと思う。先に行っていいって言ったのに」 「 フッ…そうか。モテる男は辛いな?」 「 ………」 からかうような口調を発した男に京一は「おや」と思った。龍麻自身はこの犬神なる教師の戯言に気分を害したのか沈黙していたが、この見るからに厳しそうな教師の方は、意外にもいやに穏やかな空気を纏ってそこにいる。言うまでもないが、その温かい視線は自分に向けられているものではない。ここにいる龍麻にのみ向けられたものだ。 まさかとは思うが教師まで「そう」なのだろうか…忘れかけていた嫌な予感が京一の身体全身に素早く染み渡った。 「 お前は転校生の蓬莱寺京一だな?」 その時、京一には向けられていなかったはずの視線と声が当の犬神によって放たれた。 「 は…? ああ、まあそうだけど」 突然の事に京一が曖昧な返事をすると、その瞬間相手の無機的な表情が音もなく割れた…ような気がした。 「 ……どうやらお前は目上に対する口のきき方を知らないらしい」 「 む…」 「 特別に言い直しの機会を与えてやるが」 「 あ、あのなあ…別に俺は―!」 「 先生がいけないんだよ」 けれど京一が抗議の声を上げかけた途端、龍麻がすかさず口を挟んだ。 「 気配消して試したでしょう。駄目だよ意味ないよ。今日は蓬莱寺、持ってないんだ」 「 ……そうか」 「 モノは剣だって。俺、相性悪いんだよな、剣とはさ…」 「 そうか。俺もだ」 「 な…に、言ってんだ、お前ら?」 会話の内容についていけずに京一が不快な気持ちを露にすると、つい先刻まであんなに楽しそうに笑っていた龍麻が、今はもうふいと視線を逸らしその表情を消してしまった。そうしてさっと犬神の背に隠れるようにして歩き出すと、「さよなら」も言わず教室から出て行ってしまった。 「 お、おいっ。緋勇!」 「 待て」 「 むっ…何だよ!」 しかしそんな龍麻の後を慌てて追おうとした京一の前に、すっと犬神が立ちはだかった。そうする事を許さないというような絶対の雰囲気があり、京一は反射的に身体を止めた。 そのまま行ったら攻撃される、そんな根拠のない危機感が脳裏を過ぎった。 「 何…なんだ、テメエら…?」 「 ………」 たったの1日だ。その短い間に感じたこの違和感。この学園を、そしてあの緋勇龍麻という男を取り巻くその異様な雰囲気に京一は堪らず呟いた。 「 あいつが…何だってんだ?」 「 ……やはりお前は感じるのか」 「 ああ?」 「 この学園を取り巻く氣を…緋勇から発せられるあの未知なる《力》を」 「 ………」 「 怪我をしたくなければせいぜい大人しくしている事だ…。そうすれば龍はお前を噛み殺したりはしない。この学園もこの土地も…平穏を維持できる」 「 ……龍?」 「 お前は…ここへ来るのが遅過ぎたな」 依然として意味を掴めない京一に、犬神がふっと嘆息するような言葉を漏らした。 その言葉に京一は思わずはっとした。昼休み、裏密が謳うように言ったあの台詞。 遅れてきた赤き剣聖は。 龍の御魂に、どれだけ…… どれだけ――… 「 それから、あいつにも言われたと思うが…旧校舎には近づくな」 何故か金縛りにあったように動けなくなってしまった京一に犬神が素っ気無く言った。そうして後はもう全ての興味を失くしたように、その白衣の生物教師は踵を返すと誰もいない廊下を静かに歩き去って行った。 「 ………」 京一は何も言えず、ただ暫くその夕闇迫る教室の入口に立ち尽くしていた。 どうして今日、俺は剣を持ってこなかったのか。 何故か今、その事がひどく悔やまれた。 |
To be continued… |