(21)



  京一としてはなるべく自然を装い、「ここ」へは一人で来たつもりだった。けれど砂利を蹴る音と背後に立ったその影に気づいた時、やはり自分には嘘をついたり何かを隠したりする事は無理なんだなと苦笑が漏れた。
「 ひーちゃん」
  名前を呼んで振り返ると、その影の主―龍麻―は無表情のまま黙って京一を見やっていた。だから京一もすぐに無理に出した笑顔を消した。
「 趣味悪ィな。尾けてたのかよ」
「 一緒に行くって言ったら連れてってくれたの」
  龍麻の棘のある口調に「ああコイツ、怒っていやがる」と思い至り、京一は一歩だけ歩み寄ると言葉を続けた。
「 俺には何もやましいところはねェよ。ひーちゃんが訊いてきたら素直に答えたさ」
「 嘘」
「 何が」
「 もし俺が何処へ行くと訊いてたら、ここへは来なかっただろ」
  きっぱりと言い切る龍麻はどこか苦しそうな顔をしてはっと一つ息を漏らした。それから改めて自分たちが立ち尽くすその場所を見上げる。

  そこは上野・寛永寺――。

  夕刻の、しかも平日のせいか人の姿は本当にまばらだ。特に2人が立つ境内奥には誰もいない。2人の会話を聞いている者はいなかった。
「 何でそんな決め付けるんだよ」
  だからというわけでもないが、京一は声を潜めるでもなく龍麻に向かって張りのある声色を出した。
「 いつだって俺に何か隠し事してるのはひーちゃんの方だろ。ここの事…いや、ここであった事だって1度でも俺に話した事あったか? 何で俺はお前の事を昨日会ったばかりの気障野郎から聞かされなくちゃなんねーんだよ」
「 ……やっぱり御門が話したんだな」
  龍麻のため息交じりの言葉に京一はすぐに頷いた。
「 ああ、聞いたぜ。去年の冬、お前らはここで東京を…いや、世界を揺るがすほどの凄ェ《力》を持った奴と戦ったってな」
「 ………」
  無表情のままこちらを見やる龍麻を京一もじっと見つめ返した。
「 世界の危機だの何だのって…そんな話、前までの俺だったら何バカな事言ってんだって歯牙にも掛けなかっただろうけどよ。あの世界を知っちまった今は信じるしかねェ…。というよりも、それで合点がいった。ひーちゃんの《力》の事も、奴らのお前への妄信ぶりも」
「 ……京一なんかに何が分かるんだよ」
  ぎゅっと拳を握りしめ、何故かひどく気分を害したような顔を見せる龍麻を京一は半ば奇異の目で見やった。やはり何かを押し隠し堪えている。もっと出してみろ。全部俺に見せろ…と。京一は酷く冷静な思いを抱きながら龍麻をひたすらに見つめ続けた。
  そして言った。
「 お前が話してくれなきゃ俺だって分からねーよ。分かりたくてもな。けど、納得がいったってのは本当だ。もし世界を揺るがす程の脅威があったとして、それをひーちゃんが倒したってんなら…そりゃあ、奴らがひーちゃんの事を救世主だの何だのって言うのは当然だ。お前を大事にするのも分かる」
「 ……煩い」
「 煩い? そんなに隠す事でもねーだろ。それともやっぱりあれか? 御門が言った通り、お前は――」
  早口にそこまで言って、京一は敢えてぴたりと口を閉じた。龍麻の反応が気になった。ここまでついてきたという事は、龍麻は京一が御門から自分の事を何をどこまで聞いたのか、それが気になって仕方なかったに違いない。そういうところが龍麻に人間臭さを、ひいては自分と同じ高校生なのだと感じさせて、京一はやはり御門の言う事全てを信じる気持ちにはなれなかった。
  だから龍麻自身に確かめたかった。
  あの時、御門は言ったのだ。


  『 あの壮絶な戦いに勝利し、龍麻さんは確かに世界を救いました。ですが今は……その彼こそが、この地の脅威となりつつある 』


  壬生を何処へとも知れぬ場所へ飛ばした後、2人きりになってから御門は京一にそう告げた。
  はじめはどこの御伽話なのだというような語りから始まった。昨年…それは龍麻たちが高校2年の時だ。東京を揺るがす奇怪な事件が次々と起こり、真神学園の地下で蠢いているような異形たちが街中に出没し、世の中に混乱を招き始めた。また中にはそれらの氣に当てられて我を失くし犯罪に走る人間や、それこそ異形に変生して龍麻たちに襲い掛かる者たちも現れたと御門は言った(佐久間はその一人であった)。
  しかしそれらの事件全てを秀でた《力》で解決していったのが龍麻だった。美里たちの力も借りつつ、龍麻は陰の氣に支配されていた者たちを正常に戻し、彼らを操っていた黒幕…柳生宗崇なる男をこの寛永寺で滅ぼしたというのだ。戦いは熾烈を極めたが、龍麻は勝利した。それと共に不穏な空気は全て地上から払拭され、東京は元の平和な街に戻った。
  皆、龍麻を崇拝し、慕い、彼の功績を讃えた。皆、彼を愛した。
  けれど話はそれで終わらなかったのだ。


 『 時に…強大に過ぎる《力》というのは破滅を呼びます。たとえそれがはじめは正しいとされていた《力》だったとしても 』


「 俺は、……」
  京一は喉を詰まらせたようになって一旦ごくりと唾を飲み込んだ後、俯いてこちらを見ようとしない龍麻に声を出した。
「 何者かも知らねェ偉そうな陰明師とやらの言う事よりもよ。ひーちゃんの言う事を信じるぜ。ひーちゃんがあいつの言った事が嘘だって言うなら―」
「 嘘だよ」
  龍麻は京一の言葉を最後まで聞こうともせずに言った。まだ顔は上げない。
「 御門が京一に言った事、聞かなくても分かってる。俺が危険だって言うんだろ。今度は俺が柳生のような脅威になるって言いたいんだろ。……あいつは俺が嫌いなんだよ。だからそんな意地悪言うんだ」
「 ………」
「 あいつは東京が平和ならそれでいいんだ。俺がどんなに苦しんでるかなんて考えてない。俺の事なんてどうでもいいんだ」
「 ……そうは見えなかったけどな。まあ、いい。ひーちゃんが苦しんでるってのは何だ?」
  御門の、強気ながらもどこかふっと陰鬱になった表情を思い返しながら京一は龍麻に先を促した。それでも龍麻に悪く言われる御門を頭の隅で哀れには思った。確かに奴は壬生や村雨のような分かりやすい愛情表現で龍麻に接してはいない。けれど彼が京一に向かって、龍麻がひた隠しにしようとしていた「秘密」を暴露しようとしたのは、詰まるところ龍麻のその「苦悩」とやらを解放させる為なのではないかと思ったのだ。
  だから京一は龍麻から直接聞きたかった。
  龍麻が一体何に苦しんでいるのかという事。
「 ひーちゃん。何が苦しいんだ。言ってみろよ」
「 ………」
「 言ってくんなきゃ分からないだろ」
「 俺は……」
  龍麻は未だ京一を見ようとはせず、それどころかくるりと背中を向けると本当に小さな声でぼそりと言った。
「 煩わしいんだ」
「 煩わしい?」
  鸚鵡返しで京一がその単語を繰り返すと、龍麻はぴくりと肩先を揺らしながらもゆっくりと頷いた。
「 俺には感情ってものがないんだよ、京一」
「 ……どういう意味だ」
「 いや…全くないってわけじゃない。ただ、みんなが持ってる当たり前の情みたいなものは…よく分からない」
「 ……?」
  その台詞にふと引っかかるものを感じて京一は眉をひそめた。
  そしてその数秒後に思い至る。それは以前にも龍麻から聞いた台詞だった。あれは確か初めて龍麻の部屋へ行った時の事だ。両親のいない自分には情というものがよく分からないのだと。龍麻は京一にそう言っていた。
  あの時は親がいるとかいないとか、そういう事とは関係ないだろうと言っただけで深く龍麻の真意を探ろうとはしなかったが、確かに龍麻はそう言い、そしてどこか寂しそうな顔をしていた。
  何故あんな話をしたのだったかと考えながら、それでもこの時の京一ははっきりと言った。
「 そんなわけねーだろ。情のない奴がわざわざ正義の味方になって悪者を倒すか? 人を助けるか? お前はみんなを…いや、世界を救ったんだろ? それは周りの奴らが皆認めてる。お前が悪く言ってる御門だってそう言ってたぜ。そんなお前が情がないわけがないだろうが」
「 京一」
  龍麻は顔だけちらりと京一の方を向いて微かに笑った後、首を振った。その唇の端にちらついている笑みは無理矢理そこにくっつけただけのような、飾りの笑顔だった。
「 そんなものなくたって世界は救えるよ。《力》さえあればね」
「 ………」
「 人を助ける事だって出来るよ。皆の真似して、『陰の氣にやられて苦しんでる奴らは本当は悪くない、可哀想なんだ』ってフリをして。助ける事なんて簡単だよ。俺はその簡単な事をしただけ」
「 ……世界を救った事は本意じゃなかったって言いたいのか?」
「 そういうわけでもない」
  ふふふと龍麻は突然不気味な笑声を口元から出すと、再び京一から背を向けて身体を揺らした。まだ笑っているようだった。
「 やりたくない事をわざわざしたりはしないよ。助けてもいいかなっていう想いくらいはあったと思うよ。一年も前の事だ、詳しい事なんか忘れちゃったけどね」
「 ………」
「 でも、皆の俺への期待や羨望の眼差しってやつは……煩わしかった。俺は皆の事を嫌いじゃないけど………好きでもないからね」
「 それ……本気で言ってるのか?」
  京一は眉間に酔った皺を戻す事が出来ず、乾いた声で龍麻の背中に言葉を投げた。空寒い思いがした。昨日の出来事なのだ。村雨が、そして壬生がこの龍麻の為に自らの命を懸けて自分に戦いを挑んできたこと。未だに何故自分がいなくなる事で「龍麻が救われる」のか、それはハッキリとしていなかったが、それでも彼らの想いは本物だったし、それだけ連中はここにいる龍麻を愛しているのだという事を京一は痛いほどに感じていた。
  それなのに龍麻は。
「 ……なあ。答えろよ。今の、本気か?」
「 本気だって言ったら京一はどうするの」
  あっさりと応える龍麻に京一は思い切りカチンとした。それが龍麻の京一を不快にさせる為の意図的な態度だったとしても、京一はその罠にまんまと嵌まった。
  露骨に不機嫌な声が出た。
「 俺の性格もう分かってんだろ。……気に食わねえ」
「 ふっ…」
  すると京一のその返答に龍麻は再び嘲笑うようにしてくっくと口元を歪ませると、ようやくくるりと振り返った。
「 ――……」
  けれど京一はその龍麻の表情にハッとした。本人は気づいているのだろうか、否、恐らくは分かっていないだろう。声は笑っているくせに、言葉は酷いものばかりなくせに、その顔は。
  京一を見つめるその瞳には、やはり悲しさばかりが満ち溢れていた。
「 ひーちゃん…」
  ボー然として京一がたちまち怒りを鎮め呼びかけると、龍麻はそれを振り切るようにして言った。
「 京一はそういう奴だから」
  京一が反応を返す間もない、それはまくしたてるような早口だった。
「 京一は真っ直ぐだろ。本当に、嫌になるくらいさ。京一の《そういうところ》は、いずれ俺の《こういうところ》とぶつかる事になる。……皆が心配しているのはそこだろ」
「 どういう意味だ…?」
「 御門の言ってる事は嘘だよ。俺は別に世界の脅威になんかならないよ。そんな器じゃないよ。ただ…やっぱり普通の人としてはどこか欠けているから、俺の持ってないそれを持ってる京一とはいずれ衝突して…この地にも被害が及ぶとか考えたんじゃないか」
「 ………」
「 けど、考えてもみなよ。むかつく奴がいたからって、世界を滅ぼすバカがいるか?」
「 ………俺がむかつくのかよ」
「 今はそういう話じゃなくてさ」
  龍麻は「ははは」と軽く笑った後、再び下を向いて目を伏せた。
「 御門や壬生たちの心配の話をしてあげてるの。俺も京一も《力》を持ち過ぎた。それがぶつかりあったら……やっぱり、それは怖いだろ」
  京一が何も言わないでいると、龍麻は「だから」とはっと息を吐いた後、気を取り直したように笑った。
「 だから京一にはあんまり強くなって欲しくなかったし。もしそれが無理なら、仲良くしてなくちゃいけないなって思ってた。みんなが心配するからね」
「 ………義務かよ」
「 え?」
  低く押し殺したような声を出した京一に龍麻はきょとんとして聞き返した。そんな様子も京一の気持ちにじりと再び落ち着きかけていた怒りの火をつけた。
「 俺とつるんでたのは、お前の中では義務だったのかよ…? 性格の合わねー奴と無理矢理付き合ってんのも、余計なごたごたを作らない為って? 御門みたいな奴がありえねえ心配までし始めるからって?」
「 ………」
「 答えろ、龍麻!」
  京一が初めて怒鳴りつけるように大声を上げると、辺りの木々に止まっていたらしい鳥たちが一斉に飛び立った。声だけではなく、京一の発する氣そのものが怒りに震えて辺りに見えない衝撃波を飛び散らせたせいかもしれない。
  もっとも、目の前にいる龍麻は動じた風でもなかったが。
「 そうだよ」
  そして龍麻はそう答えた。
「 俺には元々好きな奴なんかいない。仲良くしたいって思うような奴もいない。言っただろ、俺にはそういう感情はない。だけどあんまり周りの奴らが煩いから……色々な意味でお前と仲良くしてるのは丁度良いって思っただけだよ」
「 ………テメエ」
「 怒るなよ? 今までの苦労が水の泡だ」
  ぴしゃりと言って龍麻は踵を返した。そして素っ気無く言う。
「 明日も学校だけど、またこれからもいつも通り……ってわけには、もういかないかな。でも、俺はお前と喧嘩する気はないから。……それだけは、本心だから」
「 おいっ! ちょっと待て、龍麻!」
「 待たない」
「 龍麻!」
「 また明日ね、京一」
「 ……ッ」
  1度も振り返ろうとしない龍麻に京一はぎりと唇を噛み締めながら、それでもすぐに後を追う事は出来なかった。態度をガラリと変えた龍麻に面食らった事もあるし、何より信じられない思いでいっぱいだったから。
  裏切られた、とは思いたくなかった。

  大体、俺を追いかけてきたのはお前のくせに、何だその言い逃げみたいな真似は!?

「 くそっ!!」
  足元の小石を悔し紛れに蹴っ飛ばして京一は舌を打った。
  身体が燃えるように熱い。
  龍麻から言われた何もかもがショックだった。好きじゃない、好きな奴なんかいない……その言葉がいつまでも頭の中を繰り返しエンドレスで流れ続けていた。
  そして龍麻のあの悲しそうな顔がただただ脳裏に焼きついて離れなかった。





  翌日、学校へなど毛頭行く気のなかった京一は、母親からどやされようが呆れられようが頑として半日布団の中から出てこようとはしなかった。別に眠くはなかったし外傷もないのだが、村雨や壬生との戦闘のせいで身体に負荷がかかっていたのは間違いない。龍麻との言い合い(?)も京一の頭を重く憂鬱なものにしていた。

  知るか、という気持ちもあった。京一は文字通り不貞寝していた。

  しかし午後になって階下から焦ったように叫ぶ「綺麗なお嬢さんがお見舞いに来てくれたわよ!」という母親の声には起き上がるより他なかった。
「 風邪なんですってね」
「 ………」
  部屋にまで上がられては堪らなかったので、京一はトレーナーにジャージ姿、サンダルをつっかけた格好で玄関の外に出た。鬱陶しそうな目で相手を睨みつけると、にこにことしたその聖女は持ってきたケーキの箱を突き出しながら「大丈夫?」とわざとらしい猫撫で声を出した。
「 気持ち悪ィな」
  京一は露骨に嫌な顔をしてみせた。美里のこういう時の表情はロクな事を考えていない。数ヶ月の付き合いでさすがにそれくらいの事は分かっていた。
「 風邪じゃない事くらい分かってんだろ。ひーちゃ…龍麻の奴から聞いてるだろ」
「 聞いてないわ。龍麻、今日は学校へ来ていないもの」
「 何…?」
「 てっきりまた2人でイイ事して遊んでいるのかと思ったわ」
「 何だよいい事って…」
  ウンザリしたように顔を逸らす京一に、けれど美里は依然として眩しい微笑を湛えたまま言った。
「 京一君。貴方は龍麻が自分に何も説明してくれないと不満に思ってるんでしょうけど。それは私たちも同じなのよ」
「 ……あ?」
「 龍麻は誰にも何も説明したりなんかしないわ。あの人、自分の事は何も話さないの」
「 ………」
「 京一君にだけよ。あんなに喋ってみせるのは」
  美里の滑らかに動く唇をじっと眺めながら、京一は何も言えずに黙っていた。
  すると美里はくるりと踵を返して言った。
「 ここでは貴方のご家族の目もあるし…。行きましょうか」
「 は…? 何処へ?」
「 人のいない所」
「 おい待てよ、まさか…」
  京一がぎくりとして思わずケーキの箱を取り落とすと、美里はそれを振り返り見ながらただ小さく笑った。



To be continued…



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