(22) さすがにサンダルはやめてスニーカーに履き替えたが、美里の後をついて歩きながら京一は険のある声で言った。 「 言っておくが、俺は女とは戦らねえぞ」 冗談ではない。村雨、壬生ときて次は美里か! 確かに美里は他の者たちとは明らかに異質な《力》を持っている。その強大さは、種類こそ違えど同じくらいの能力を身に付けた今の京一にはよく分かる。犬神が以前、龍麻にとって美里はこの学校での唯一の居場所というような事を言っていたが、龍麻が「本当に強い者しか自分の傍に置かない」と決めているのならば、彼女はまさにうってつけであろうと思う。 何故強い者しか傍におかないのかという事は今もって謎だが。 「 それに昨日、龍麻の奴も言ってたが、俺らは互いに戦う意思なんざ持ってねえんだ。お前らが何を考えて何を心配してんだか知らないが、俺たちは――」 「 京一君」 言いかけた京一の言葉を塞ぐようにして、美里が初めて歩を止めた。 また人のいない場所だ。一体何処をどう歩いてきたのかは記憶にないが、雑草がところどころに生え伸びているような空き地にまでやって来て、美里はようやく振り返った。 「 言ったでしょう。龍麻は私たちには何も話してくれないの。話してくれたとしたら……それは大抵が嘘ね」 「 ………俺に言った事も嘘だってのか」 「 貴方に言った事は本当よ。少なくとも龍麻の本心には違いない」 「 なら…」 むっとしながら口を開こうとする京一に、しかし美里は首を振った。 「 でも、貴方たちにその意思がないから戦いは避けられるのかというと、恐らくそれはもう不可能だわ。……貴方の《力》が大きくなり過ぎたせいよ」 風になびく美里の黒髪は本来ならとても美しいもののはずだった。その場に佇む美里自身も。 そんな美里は、本来なら京一の好みに当てはまった女であったかもしれない。普通に出会い、普通に楽しく会話のしあえる仲であったのなら。……けれど、この時の美里は京一にとってただの怪しげな「魔女」にしか見えなかった。 「 ねえ京一君。考えた事なかった? どうして龍麻がいつも眠っているのか。どうして特に悪いところも見当たらないのに、定期的に岩山先生の所へ行っていたのか」 「 ……それは」 「 龍麻は何も言ってくれない。小蒔たちにはあの戦いのせいで消耗した身体がまだ完全には癒えていないから、だからどうしても休息が必要なんだと言ったみたいだけれどね。……それもある意味では本当の事なのかもしれないけれど…でもどうして龍麻はいつも目を瞑っているの? 横になっていないとキツいのだと思う?」 「 キツいのか…?」 京一が掠れた声でそう訊くと、美里はすっと目を細めて頷いた。 「 そうよ。いつだって苦しそうよ。私には分かるわ」 貴方は分からないの?……蔑むようなその視線に、京一はぐっと息を呑んだ。 分からない。京一の知っている龍麻はいつも笑っていた。穏やかに、優しく。時にはふざけたように。それがあまりに心地良くて、その隣にいる事が嬉しくて、京一はいつしか転校してきた当初、あれほど必死に探ろうとしていた龍麻について考える事を放棄してしまっていた。 深く突っ込んだ真似をして、また龍麻に煙たがられるのが嫌だったから。 「 あの戦いの時…私たちは私たちなりに龍麻の手伝いをしたつもりよ」 京一の思案に気づいているのかいないのか、美里はくるりと背中を向けると一人話し始めた。 「 でもね、龍麻はいつも独りで戦っていたの。私たちの《力》なんて、却って龍麻には邪魔だったかもしれない。むしろ私たちを傷つけないように気を配りながら戦う事は、彼の精神をより消耗させたんじゃないかと思うわ。……勿論こんな事、小蒔や殆どの人たちは気づいていないけれど」 「 気づいていたのは…お前や村雨…それに壬生か?」 「 御門君もね」 美里はちらと目線だけ背後の京一に向けた後、微かに頷いた。 「 たった独りで陰の氣と戦ってそれをその身に多く取り込んで……自らを犠牲にして他を解放していたんですもの。龍麻が多少おかしくなっても仕方がない。むしろそうなっても私たちを救おうとしてくれた龍麻に全てをあげても良いと思うのは普通でしょ。……私は龍麻に私の全部をあげてもいいって思ったわ。でも龍麻は…いつもほんの少ししか私の《力》を取ろうとしない。――私を殺さないように」 「 な…何の話だ…?」 美里の言葉に最初こそカッと赤面したが、《力》を取るとか殺すとか言う下りでは途端ぎくりとして京一は身体を強張らせた。瞬間的に、学校で龍麻が折に触れ美里の膝の上で眠っていた事、時には縋るようにして傍についていた姿を思い出して戦慄した。 まさかああして美里に接触する事で、龍麻は美里に何らかの被害を与えているのだろうか? 「 言ったでしょう。私は何でもない」 京一の心を読んだのか、美里はさっと言ってから再びふいと視線を逸らした。 「 何て事ないもの。私が出来るのは私の中にある陽の氣をほんの少し龍麻に与えるだけよ。それによって崩れ掛けた龍麻の《力》のバランスが僅かでも保たれるのなら…」 「 おい、陰の氣だ陽の氣だって……何なんだッ。龍麻の中にはその…陰の氣とやらが溜まり過ぎているってのか?」 その言葉の概念こそ詳しく分からずに疑問を投げ掛けたが、しかし京一はそう口を継ぎながらも龍麻の中にある《力》のバランスという意味については、薄っすらと理解し始めていた。 確かに旧校舎で初めて見た時の龍麻の戦闘は、美しくはあったが逆に恐ろしくもあった。御門や他の仲間たちが崇拝しているように、あの《力》があれば龍麻が過去あったという危機を救ったという事も理解できる。それほどに龍麻の《力》は偉大だと感じた。 けれど一方で龍麻がそんな己を否定し、正義心などなくとも「力さえあれば世界は救える」と言った言葉も心のどこかで納得していた。龍麻の全身から発する氣は、少なくとも京一が知っている「正しい氣」とは違う……何か禍々しいもののような感じがしていたから。 今の龍麻の全身に漲っているエネルギーはどちらかといえば暗く、どこまでも沈んでいきそうな闇色に近い。 それが陰の氣か。 「 柳生という脅威は去ったはずなのに……相変わらずあの場所には異形が絶えないわ」 美里が言った。 「 御門君はまだ龍脈が不安定だから異質なものたちが沸いて出てくるのだと言っていた。時折壬生君や他の人たちが潜ってその数を減らして…ああ、今は京一君も潜っているわよね。でも、あれたちは一向にいなくなったりしないでしょう」 「 ………」 「 龍麻が潜る度に、あれの数は増えるのよ」 「 !」 京一が目を見開くと美里はようやく身体全身で振り返ってきて、表情の見えない眼差しを向けてきた。そうして何やら片手をすうっと差し出すと、出し抜け強大な光の線を京一に向け発してきた。 「 うっ…!?」 それが来たと思った瞬間、京一は殆ど反射的に身体を横へと移動させたが、全てを避けきる事は出来なかった。美里の発した光の線に左腕を撃たれて、じりと肌の焼ける音がする。舌を打ってそちらに目を向けると、いつも鍛えていた逞しいその腕は赤黒くただれて出血していた。 「 ひでェ事しやがる…」 いつも聖女だマドンナだと持てはやされているはずの優しい笑顔の同級生。訳もなく引きつった笑みが頬に張り付いて、京一はハッと小さく声を漏らした。 それでも右手に持っている木刀を構える気にはなれない。 京一は依然として静かな様子でその場に佇む美里をじっと見つめやった。 「 俺は女とは戦らねえって言ってんだろうが」 「 ……それならこのまま大人しく私に殺されるのね」 「 お前な。龍麻は…ひーちゃんはこの事知ってんのかよ。それに、醍醐や小蒔、他の奴もだ!」 仲間の名前を呼ぶところで京一が大声になった事に美里も気づいたのだろう。ふっとその端麗な唇に笑みを作ると、美里は何という風もないと緩く首を振った。 「 言ったでしょう。龍麻の異変に気づいているのはほんの一部の人間だけ。小蒔たちは何も知らない。そしてそれを知らせようとしない龍麻が……私たちのやる事を許すわけがないわ」 「 なら…やめろ! くだらねえ、こんな事何の意味があるんだよ!」 「 意味はあるわ」 「 何でだ!? 俺は、ひーちゃんが何だろうが危険だろうが、とにかくあいつと戦う気なんかねーんだよッ! ひーちゃんもそうだ! それで何で俺がお前らにつけ狙われなきゃならねーんだよ!」 「 分かっていないわね」 「……っ!?」 美里は無表情なのではない。京一はこの時初めて気がついた。 美里は静かに怒っていたのだ。そこにはいつもの穏やかな笑みすら見えるようなのに、瞳の奥に宿るその光には明らかに京一に対する憎悪があった。それは龍麻にとって害なす存在だからという事以上に、もっと別の暗い感情が含まれているようだった。 「 駄目なのよ、京一君。貴方が傍にいるというだけで駄目なの」 「 くっ…!?」 声と同時に、先ほどの光の線が再び京一に向けて発せられた。音のない白い攻撃。それは眩いばかりに神々しくて、いっそその美しさに立ち止まり見惚れてしまいかねないが、腕の痛みが必死にそこから逃げろと訴えていた。防戦一方の京一はひたすら美里から距離を取ろうとした…が、彼女の攻撃範囲はとてつもなく広い。このままではまずい、出血の止まらない状況下で京一はごちゃごちゃする頭を懸命に奮い立たせ、考えた。美里をかわし、己を生かし、何とかこの場から逃れる方法を。 「 貴方が本気を出さなくても、私は本気よ」 けれど美里はそんな京一にまともな思考を練る時間を与えない。いつの間にか草地の端にまで追い詰められ、京一は道路を隔てて背後に続いている民家の存在にぎょっとなって足を止めた。石塀で仕切られているものの、そんなものは美里にとって何という事もないだろう。このままでは自分以外の全く関係のない誰かが犠牲になる。美里もまさかそこまでするとは思えないが、既に尋常ではない攻撃を繰り広げているのだ。我を失って何かしでかしても何の不思議もない。 「 おい…!」 けれど声をあげかけてすぐに悟った。前方の美里はやはり京一しか見えていない。差し出した片手からはあの光が既に集まっていて、今にも発せられようとしている。 「くっ…!」 まずい、やばい。 けれど京一がそう思って握る木刀にぐっと力を込めた時だ。 「 そこまでだ」 不意に美里の手首を掴む人間が現れた。 「 な…!?」 「 離して!!」 京一が幻でも見たのかと何度か瞬きをしている合間に、美里の相手を非難するような声が耳に届いた。 「 何をしているんだ」 けれどその人物は美里の手首を離そうとはせず、彼女が完全に戦闘の氣をしまったと確認するまで厳しい眼差しを湛えたままその場に留まっていた。 「 お前…」 やがてしんとした辺りに美里の暗い情念が去った事を知り、京一はふっと肩から力を抜いて相手の顔を見やった。 知っている。勿論、京一はこの男を知っている。けれど彼はこうして京一に襲い掛かる美里を止める側の人間ではなく、むしろ彼女や村雨や壬生同様、戦いを仕掛けてくる存在だと思っていた。 「 如月…」 京一がぽつりとその名前を呟くと、美里を押さえていた相手―如月翡翠―はここで初めて真っ直ぐな視線を向けてきた。その鋭さと冷徹さを感じさせる眼光は、やはり京一の味方という風には感じられなかったが。 「 どうして! 如月君、離してちょうだい、龍麻が!」 「 龍麻なら今は僕の所にいる。……疲れたんだろう」 如月は叫ぶ美里に短く答え、そうしてもう一度京一を見やった。 「 ……ッ」 京一はそんな如月にらしくもなく鼻白んだ。そして何故だかは分からない、不意に猛烈な怒りの感情に見舞われた。「それ」が何かは謎だ。ただぐらぐらと胃の底から煮立つような激しい想念が渦巻いて、美里の比ではない、何かこの男がとてつもなく許せないもののように感じられた。 その己の不可解な感情に惑いながら、京一はふと以前、龍麻がこの如月にもたれかかるようにして眠っていた姿を思い出していた。 |
To be continued… |