(23) 誰かの後をつけるのはもういい加減ウンザリだったが、そうも言っていられない。 「 ここかよ…」 京一が如月によって連れてこられた場所は、真神学園の旧校舎その入口であった。 「 ………」 思えばここが全ての始まりだった気がする。転校初日、親切に学園の案内を買って出てくれたのが、ボーッとしているけれど人の良さそうな龍麻だった。その龍麻が何やらいわく有り気な様子で「ここには近づかないように」と言ったのだ。そんな事を言われれば余計に気になるのが人の常というか京一の性である。そう、全てはそこから動き出したのだ。 もっとも京一本人の意思はどうあれ、元よりこの場所は初めから京一を呼んでいた。たとえ京一自身がそれを望まなくとも、ここから発する強大な氣がずっと「ここまで下りて来い」と誘っていたのだ。 「 龍脈を制した者は――」 まだ学生の下校時刻までには間がある。自分と戦闘する気ならばここへ潜るのだろうと思っていた京一の意に反し、如月は旧校舎の入口へ目を落としたまま口を開いた。 「 本来龍脈を制した者は陰と陽の太極を知り……森羅万象を司るほどの力を得ると言われてきた」 「 ……?」 「 龍麻は強大な《力》を持つ父に《菩薩眼》の女性を母に持った選ばれし《黄龍の器》だ。ましてや、その彼は長年東京を危機に晒してきた《凶星の者》を倒した。……彼が我々の絶対者となったのは必然だ」 「 ……悪いが、俺には何の話かさっぱりだ」 京一は如月の背中に冷たい言葉を浴びせた。まだこの男に対する胸のむかつきが治まったわけではなかった。 「 大体の事は昨日お前らの仲間の御門って奴から聞いたがな。ひーちゃんがその《黄龍の器》っていう…まあ何だかよく分からねェが、とにかく凄ェ《力》を持った選ばれし勇者で、東京と言わず世界をどうにかしちまおうってやべえ奴を倒したって話を、な。……今度はひーちゃんがそのやばい奴になるかもしれねえって事も聞いた」 「 ………」 「 だけどな、俺は――」 「 君は」 京一の言葉を掻き消して如月はようやく振り返ると、相変わらずの冷たい目をしてぴしゃりとした声を返してきた。 「 君は龍麻とは戦わない、と? たとえ龍麻が御門の言うその《凶星の者》に成り代わろうとしていても。彼とは戦わないと―…そう言いたいのか?」 「 ……ああ、そうだぜ」 如月の圧するような雰囲気に多少途惑いつつも、京一はしっかりと頷いた。村雨、壬生、そして美里。今後も増えるかもしれない龍麻の仲間たちによる攻撃は、京一に思いの外強烈なダメージを与えていた。それは肉体的にも精神的にも、だ。 京一は毅然として言った。 「 俺は理由の分かんねえ事でこの刀を振るう気はねえ。ましてや相手はひーちゃ……緋勇龍麻だ。俺の……親友だぜ」 「 彼がそうは思っていなくとも?」 「 あ…?」 その問いに京一がさっと眉をひそめるのも構わず、如月は再度追い討ちを掛けるように繰り返した。 「 龍麻は君の事を親友とも何とも思っていないかもしれない。それどころか彼は君を邪魔な存在として疎んじているかもしれない。それでも…君は彼とは戦わないと言えるのか」 「 龍麻の奴がそう言ったのかよ。お前に」 ひどく喉が渇いていた。 龍麻がこの如月を仲間の誰よりも傍に置き信頼している事は知っている。この男になら話しているのかもしれない…自分の心の内を、葛藤を。 「 ……ッ」 それを思うとやはり京一の胸中は穏やかではなかった。何故こうまで身体の隅々までが焼かれそうになるほど苦しいのか、その理由も分からないままに。 「 答えろよ。龍麻がお前にそう言ったのか」 「 もし言ったとしたら?」 そんな京一には構わず、如月は更に容赦のない言葉を発する。京一は思わずぎりと唇を噛んだ。 「 それでも…」 それでも京一は全身を熱くさせるその怒りを寸前で鎮める事に成功した。手にした木刀を強く握り締めながら如月に笑顔さえ見せてやった。 「 ああ。たとえあいつが俺をどう思っていようが、俺はあいつとは戦わねえ。何回も言わせるな。俺は理由のない戦いはしねえ」 「 理由ならある」 「 何…?」 如月は再び旧校舎への入口に目を落としながら低く押し殺したような声でそう言った。そうしておもむろに京一にも底を探れと言わんばかりに顎でしゃくると、「君だって分かるだろう」と後を継いだ。 「 ここ最近の地下の異形たちの数は異常だ。龍脈が不安定だからじゃない、それを御するはずの龍麻が不安定だから、ここの氣が乱れて異形の数が増えているんだ。このままでは非常にまずい。再び地上が不穏な氣で満たされるのも時間の問題だ」 「 ……化け物が増えてるなら倒せばいいだろ? 現に今までだってそうしてきたんだろうが」 「 ああ、今までもそうしてきたさ。君がここへ来る前からね」 腹立たしそうに如月はそれを肯定し、彼にしては珍しく荒っぽい口調で吐き出すように言った。 「 蓬莱寺。僕は君の事をよく知らない。知りたいとも思っていなかった。一年前の戦いの時ならいざ知らず、こうなってから今さら遅れてやって来た君が僕はむしろ憎らしかったんだ。まるで君は…龍麻を倒すべくしてこの地へ遣わされた人間のようだから」 「 何…言ってんだよ?」 言われた事に京一が目を見開くと、如月は自嘲するような笑みを浮かべた。 「 本来なら喜ぶべきところだろう。残念だが今の僕の《力》では龍麻を殺す事はできないからな。だが君なら出来る…。力の面でも、気持ちの面でもね」 「だから、何言ってんだッ! 俺はあいつとは戦わねーって言ってんだろうが! お前、人の話ちゃんと聞いてんのか!?」 如月の突拍子もない発言に加え、何故かゾクリとした背筋の震えを誤魔化す為に、京一は肩をいからせながら大きな怒鳴り声をあげた。幸い周囲に誰かが来る気配はない。勿論、誰が来ようが今の京一には何ら関係のない事ではあったが。 1度声を荒げただけで乱れてしまった息を整えつつ、京一はぎろりと如月を睨みつけた。 「 いいか、よく聞け…。何回も何回も言わせやがってテメエらは…! 俺はっ! いーや、龍麻の奴もそうだ! 互いに戦う気なんかねえんだよっ。龍麻がどんだけやべえ《力》持ってるのか、そんな事は知らねえ! けど! あいつも言ってるぜ、お前らの心配なんかくだらねえってな! 自分は世界を滅ぼす気はないし、勿論俺と無駄な戦いをする気もねえってよ! たとえ……たとえ親友じゃなくてもな…あいつは俺とは仲良く無難にお付き合いするって言ってるぜ。お前らみたいな勘違い野郎がバカな暴走しねえようにってさ! ははっ!」 「 ………」 「 分かったか…!? 分かったら、もう金輪際くだらねえ話してくんじゃねえよ。異形が増えてるだ!? 今までも減らしてきたってんなら、これからだってそうしていきゃいいじゃねえかよ。お前らが面倒だって言うなら、俺が全部引き受けてやるよ。俺がここの奴ら全部ぶっ倒してきてやる! それだって何回も言ってんだよ、俺は!」 「 それでは根本的な解決にはならない。いや、事態は一層悪くなる」 「 あぁ!?」 息巻く京一に如月は露骨に嫌悪感を示しながら1度だけ首を振った。 「 分からないのは君だ、蓬莱寺。……君がここへ現れ、龍麻に並ぶ程の《力》を得てしまったからこそ、一時一定のバランスを保っていた龍脈が再び乱れ始めたんだ。龍麻が内に抑えこんでいた破壊衝動を呼び覚ましたのは君なんだぞ」 「 破壊衝動だ…?」 「 蓬莱寺」 如月は最早京一の方を見ていない。じっと何もない地面を見やりながら、普段なら何者にも己の感情を見せない彼が微か苦渋の色を浮かべている。 「 ……龍麻がああなってしまったのは、ひとえに彼の力になりきれなかった僕達の力不足故だ。もし一年前、君があの戦いに加わっていたら…きっとこんな事にはならなかっただろう。それは本当にそう思うよ」 じっと口を噤んでいる京一を前に如月はここで初めて厭味ではない儚げな笑みを浮かべた。 「 御門か、恐らくは他の誰かからも聞いたかもしれないが。一年前の…そして半年前に終わりを告げたあの戦いはほぼ龍麻独りで乗りきったといっていい。恐らく陰と陽の理から外れ、彼の《力》の均衡が崩れたのはそのせいだ。……たった独りで強大な陰の氣を抑え続けてきたんだ、それも当然だな」 「 み…美里の奴が、龍麻に陽の氣を分けてるって言ってたが…」 先刻美里が自分に見せた怒りや苛立ちを思い出しながら京一が反射的に言葉を出すと、如月はすぐに頷いて見せた。別段驚いた風ではない、先ほどの言い合いを彼は既にどこからか聞いていたのかもしれない。 「 彼が時折僕の家に来て身体を休めていくのもその為だ。《力》が暴発しないよう、今の龍麻は常に十分な休息を取る必要がある。むしろあの《力》を出させないようにする為には…本当はずっと眠り続けるのがベストなんだ。何もせず、何も……考えず」 「 な…! バカか、そんなのはっ!」 「 そうさ」 京一の飛び掛らん程の勢いにも何ら怯む事なく、逆に如月はぎっとした目を向けると強い口調で答えた。 「 そんな事は許されない。分かっているさ。龍麻は器である前に……1人の人間なのだからな」 「 ………」 「 だが、そうしなければ彼の破壊衝動はますます進むんだ。今までは己の莫大な陰の氣を鎮める為に、彼は実に限られた選択肢の中から僕達が望む最も安全な方法を取り続けてくれた。それは極力自分の中の陰の氣を抑え、陽の氣の強い者を自分の傍に置いてその均衡を保つというものだ。……だが蓬莱寺、君が現れた。美里さんや僕達の《力》とは明らかに桁の違う陽の氣を持つ君がね。その君が《力》をつけるようになってから、龍麻の陰の氣はそれに呼応するように力を増し始め、そのせいで旧校舎の異形も異常繁殖した。事態は最早龍麻の意思ではどうする事も出来ないところにまできている。彼はもう今までの方法では自分を抑えられない」 「 あいつの意思で抑えられない…?」 「 そうだ」 京一の驚愕に満ちた顔を見据えながら如月ははっきりとそう答えた。 「 分かったか。君たちがそれを望まなくとも関係ない。龍麻の行く末は最早2つに1つしかない。君という己の対となる存在を喰らい滅ぼすか――」 「 喰らう…?」 「 ……もしくは、自分が君の手によって滅せられるか」 「 !」 ごとりと、固く握り締め離さなかった木刀を京一は無意識のうちに取り落とした。それでもそれに気づかないくらい、京一は穴が開くのではという程に傍の如月を見つめ続けた。 如月もまた京一を見据えていた。抑揚の取れた声で続ける。 「 この地を護る為には恐らくそれが吉だ。君が緋勇龍麻という不安要素を消せば、この地下で増殖している異形を殲滅する事も可能だろう。……半年前、龍麻は《凶星の者》柳生が作り出した渦王須という《陰の器》を滅ぼした。今度は君がその使命を負っている」 「 使命だと…?」 「 《剣聖》という宿星を持って生まれた君には、龍脈を乱す者を倒す責任がある」 「 何を言ってる…」 掠れた声だった為、如月には届かなかったかもしれない。京一の声に何の反応も示さず、如月はあくまで冷えた声で言った。 「 壬生たちは今でも当時における己の力不足を悔いている。だから、間違った事だと知りつつも、彼らは龍麻が消えるのではなく君が消える方を選んだ。龍麻がどんなに変わろうとも苦しもうとも、彼がこのまま僕達の傍にいてくれる事を望んだ。全く勝手な話だがね」 「 ………」 「 御門はどちらにもつかない道を選んだようだが」 「 ……お前は?」 「 ………」 「 お前はどうなんだよ」 京一がようやっとまともな声を出してそう訊くと、如月は不快そうな様子で「言ったはずだ」と眉を寄せた。 「 僕には…飛水の一族たる人間にはこの地を護る使命がある。その為の最良の道は、君が彼に勝利する事だ。これまでは《黄龍の器》である龍麻を護る事こそが全てだったが…彼は最早理想の器たる役目を果たさない。彼はこの地にとって災厄でしかない」 「 何言ってんだよ…?」 「 器たる彼が消えれば暫くはこの辺りも油断できない状態が続くだろうが…そのうち代わりは立つさ。今までもそうして乗り切ってきたんだ」 「 何言ってんだって言ってんだよ!!」 がつりと如月の胸倉を掴んだ京一は、たった今耳に入れた言葉がただただ信じられず、ゼエゼエと息を切らして目の前の男を激しく睨んだ。龍麻を慈しむように、また龍麻もこの男を頼るように寄り添っていた2人の映像が思い返される。あんなところを見せておいて、自分をこれほどまでに苛立たせておいて、今この男は自分に一体何を言ったのだろうか? 「 お前、今のは本気か…? 本気で俺にあいつを殺せって…?」 「 彼を止められるのはもう君しかいない」 「 知るかよ!」 「 ぐっ…」 がつりと鈍い音が響き、同時に如月がその場に倒れ込む。京一が咄嗟に放った拳は見事如月の頬を殴打し、彼をその衝撃でその場に跪かせた。 「 ……随分と乱暴だな」 「 これくらいで済まねえ…! 許さねえぞ、テメエ…!」 「 どう許さないと言うんだ。まずは僕で腕試しでもするか?」 「 上等だ、テメエなんざこの俺が――」 けれど京一がそう言いながら傍に落とした木刀を拾い上げた、その時だ。 「 やめて」 それは本当に短い、けれどぴんとピアノの音のようにすっと耳に入り込んでくる綺麗な声だった。 「 ひー…!」 「 ……龍麻。何故」 如月が口元から出た血を片手で拭いながらその人物の名前を呼ぶ。京一もまたその名に反応して身体が微か震えたが、そんな2人に対して突然現れた龍麻は至って静かだった。 「 翡翠」 そうして龍麻は京一の傍に座り込んでいる如月に近寄り、口元の傷を気にしたようにさらりと撫でてからふっと笑んだ。直後その唇が「バカだな」と象ったのが見えて、京一ははっとして息を呑んだ。如月の表情が途端がくりと崩れ、その2人の様子に自分の行動がひどく愚かで早まったものだと知ったのだ。 「 ………」 京一は何も言えなかった。龍麻もまたそんな京一に一言も発しなかった。それどころか視線すらやらず、龍麻はただ如月の傷を見つめていた。 胸の中に燻っていた炎が再び燃え上がるのを京一は感じた。 何だ何だ、これは…何だ? 「 あ……」 そうか、恋か。 ( 俺は龍麻のことが……好きなのか) 京一はこの時初めて己のその気持ちに気がついた。気がついて……京一はその事実に余計に身動きが取れなくなった。 |
To be continued… |