(24)



「 あいつ置いてきて良かったのかよ」
「 うん」
  京一を先に部屋の中へ入れ、龍麻は無表情のまま素っ気無く答えた。
「 翡翠も全然寝てなくて疲れてるし。俺のせいで」
「 ………」
「 だから家帰らせて寝かしてやりたい」
「 あ、あいつは…嫌そうだったぜ?」
「 いいんだ。翡翠なら分かってる」
「 ……っ」
  それらの台詞に他意はなかっただろう。京一にだってそれくらいは分かる。
  けれども龍麻を「好き」だと瞬間的に察してしまった今の京一にとって、こと相手が如月だと思うとどうしても気持ちはぐらぐらと煮立った。
( 何であいつが眠れないんだよ…。2人で何してたってんだ…)
「 京一」
( それに…何だよ、『翡翠なら分かってる』って! 何なんだよ、普通そんな風に言うかよ、ただの同級生を。つか、あいつなんか同じ学校でもねえのに…)
「 京一って」
( やっぱりコイツら前からデキて……って、何考えてんだ、俺!!)
「 京一!」
「 あっ!?」
「 ……びっくりした。何だよその大声。もういい時間なんだから静かにしろって」
「 あ……ああ……」
  結局、如月と旧校舎の所で別れた京一と龍麻は、まるで昨日までの気まずい出来事が嘘のように「これまでの友人関係」のような形でもって龍麻の住むアパートへとやってきた。
  帰る前に龍麻が「何も食べる物がないから」とコンビニへ寄りたいと言えば寄ったし、「ここには食べたいお菓子がなかったから近くのスーパーまで行く」と言えば、そんな事している場合なのかと半ばイライラしながらも、京一は大人しく龍麻の背中を追った。
  そう、何をしているんだと思いながら。
  意味もなくぐるぐると歩いていた時間も多かったのだろう。気づけば龍麻の部屋へたどり着いた頃には夜の19時を回っていて、京一の腹の虫もいい感じに鳴き声を上げていた。
「 腹減っただろ。今お湯沸かすな」
  京一の考えを読んだかのようだ。
  龍麻は部屋の中央でボーッと意味もなく突っ立っている京一を素通りすると、そこと隣接している台所の電気をつけてヤカンの水に火を掛けた。
「 俺は塩味にするから。京一は味噌だろ」
  そうしてコンビニで買ってきた少し大きめのカップめんをビニール袋から取り出すと、テーブルの上でべりりと豪快に蓋を開ける。
  京一は龍麻のその所作をただ横目で何となく眺めていた。
  何もかもが嘘っぽい。そう思った。
「 なあ…」
「 お前、そうやって立ってるだけなら風呂入れてくるとかしてくんない。どうせ泊まってくんだろ、今日」
「 はあ…?」
「 泊まらないの?」
「 と、泊まる…」
  別段そんな事を考えてここへ来たわけではない。とういか、正味の話京一は何も考えていなかった。
  ただ、ただ頭の中には龍麻が好きだという自覚した想いが胸を占めていた。
  旧校舎で言葉を交わさずとも会話をしているかのような龍麻と如月の姿が脳裏を過ぎる。嫌だった。本当はそんなくだらない嫉妬心を燃やしている場合ではない、分かっている。それでも京一は龍麻と如月が自分を置いてきぼりのようにして見詰め合うところを見るのが嫌だったしむかついたし、すぐに「やめろ」と言って龍麻の事を自分の元へ引き寄せたかった。
  本当に驚きだ。つい先だってまで「気のいい親友」と思っていただけの相手に、こんなに激しい気持ちを抱いてしまうなんて。
  どうしようもなく龍麻に惹かれている。何故。どうして。そう思っていても答えはちっとも出てこない。
「 京一」
  そんな事をつらつらと頭の中で考えている京一を龍麻がまた呼んだ。
  いつの間にか湯も沸いたようだ。
「 食おうよ」
  龍麻はそう言いながら湯を注いだカップめんを二つそれぞれ手に取ると、京一のいる場所までやってきて座りこんだ。卓袱台にそれらを乗せ、やはり何でもない事のように「飲み物持ってきて」と京一に声を掛ける。
「 ……おい」
  不意に京一の頭にぴしりと何かヒビ割れる音が聞こえたような気がした。
「 何なんだよお前ッ!」
  だから京一はそう叫び、いきなり龍麻の肩先を掴むとその勢いのまま龍麻の身体をその場に押し倒した。
「 なんっで…! そんな普通の態度取ってんだよ!」
「 何が」
「 何がじゃねえっ! め、飯なんか…食ってる場合じゃねえだろッ!?」
「 だって腹減ってるだろ、京一だって」
「 減ってる! けどな、バカ! んな事はどうでもいいんだよ、何だよその態度は!」
「 だから、何が」
  今度は龍麻もむっとした顔を見せた。
  それに京一がはっとして息を呑んだ瞬間、龍麻はぐっと京一の身体を片手で押し返すと、そのまま上体を起こして思い切り気分を害した声で言った。
「 怒鳴るなよ」
「 龍……」
「 言っただろ。昨日言ったばっかなのにもう忘れたの? お前とは別に喧嘩する気もないし…。無難に仲良くやろうって言ってんだろ」
「 ……っ」
  龍麻の言葉に京一は双眸を大きく開いた。ぴりりと背筋が震える想いがして、同時に脳天に何か重い物を叩き落とされたような気がして、すぐには何とも答えられなかった。
「 美里が、翡翠が何を言おうがさ…。まあ無駄に色んな奴らに狙われてお前は迷惑被ったかもしれないけど…。でも、俺はお前と戦う気はないから。……大丈夫だから」
「 何が……大丈夫なんだよ」
「 抑えるから」
「 ………」
「 俺が何とかするから」
  龍麻は真っ直ぐな目を向けて京一にそう言った。それからまだ自分から離れようとしない京一の胸をもう一度押し返すと、龍麻は腰を後ろにずらして人一人分くらいのスペースを自分たちの間に作った。
  そうしてカップめんの表層に伝う温かい熱を両の手のひらで包みじっくりと感じ取るようにしながら、龍麻はハッと息を吐いた。
「 確かに…。いつも腹の底に何か黒いドロドロしたもんが溜まってるって感じる」
  京一がじっとした視線を向けているのは気づいているだろうに、龍麻はちらとも視線は向けなかった。
「 やばいな、と思う事がある。近くにある…何でもいい、動く物とか踏み潰して取り込んで…それやったら、自分はもっと凄い《力》がつくんだろうなって分かる瞬間があるんだ。別にそんな力欲しくないけど、それをやると一瞬だけ凄い快感だってのは経験から分かってるから。基本は苦しいんだけど、一瞬だけは本当に気持ちいいんだ。真っ黒になるのが気持ちいい」
「 き……」
「 ん」
「 基本は苦しいんだろ。意味ねえじゃねえか、そんなの」
「 ……苦しいっていうのは身体の事じゃなくて心の問題みたい」
  龍麻は皮肉気に笑った後、こつこつと胸のあたりを拳で叩いた。
「 俺がやばいなって思う時に、美里とか如月の傍で休むと真っ黒いのがグレーくらいになって、黒くいたいって気持ちがなくなって安定する。でも、それであいつらが消耗してるのは分かるから…罪悪感っていうの? そういうのを感じて苦しくなるの」
「 …お前、感情ってものが分からないって言ってたじゃねえかよ」
「 ………」
「 分からない奴は、そんな事で苦しいなんて思わないだろ」
「 ……そうか。うん、そうだね」
  凄いね京一は、と龍麻は訳の分からないところで妙に感心したような顔をした後、ゆっくりと笑った。
  京一は龍麻のその寂しげな笑顔を見ただけで、今すぐ龍麻の事を抱きしめたいと思った。
  けれど出来なかった。
「 グレーでいる事がみんなが安心する事だし、俺も面倒臭い事にならずに済むし平穏だし…それでいいんだって思ってた。犬神先生がさ、言うんだ。たぶん自分じゃお前には敵わないだろうけど、でももしお前が完全な《陰の器》になってここらを荒らすようなら…一応邪魔はしてみるって。俺、先生好きだし。そういうのはやっぱり悲惨じゃない。だから、グレーでいなきゃって」
「 ……犬神」
「 御門だって翡翠だって、俺が暴れる事を心配してるし」
「 ………」
「 村雨や壬生や美里は…何かもう、とことんまで俺についてきてくれるみたいだけど」
  バカだよな、と龍麻はまた寂しそうに笑った後、「本当にバカだよ」ともう一度言った。
  けれどそれは上野の寛永寺で京一を怒らせた時のような言い方とは違っていた。だから京一もその発言を責める気持ちは沸かなかった。
「 グレーでいるよ」
  龍麻がもう一度言った。
「 俺はグレーでい続ける。白くはなれないけど、黒にならないように頑張るよ。だから…京一は心配しなくていいよ」
「 ……何だよそれ…」
「 仮にもクラスメイトを殺すなんて、そんな嫌な役やらせるつもりはないからさ。俺が堪えれば…」
「 だからっ! 何でお前ばっか抱えようとするんだよ!」
  京一はダンッと拳でカーペットを叩き、同じく叩きつけるように言葉を出した。恐らく今の一撃は階下の住民の非難を浴びただろう。けれども京一のその剣幕に龍麻もさすがにそれを咎める余裕がなかったのか、すっと眉をひそめて「何」と呟いた。
「 何でそんな怒るの」
「 怒るに決まってんだろ!」
「 俺は京一の為に言ったんだよ。京一が俺を…厄介もんの化け物にさ…関わったりしないように、今のまま頑張るって。なのに」
「 誰が頼んだそんな事!」
  京一はもう一度龍麻ににじり寄るとその両肩を掴み、激昂したまま顔を近づけた。龍麻ももう京一から視線を逸らさない。思い切りむっとした顔で大きな瞳を真っ直ぐに向けてくる。
「 苦しいんだろうがっ」
  だから京一はその瞳に自分がよく映るようにしながら再度叫んだ。
「 何で無理すんだよっ。お前の身体が…お前自身にもどうにもならないとこにまできてるってあいつは言ってたじゃねえかよ! 本当は未だによく意味が分かんねえけど…。けど、お前が苦しいってのは分かってんだよ! それが、俺のせいだってのもな! なのに何でそれを…お前だけが抱えるって!?」
「 だってずっとそうしてきた」
「 あ!?」
「 ずっとそうやって乗り越えてきた。一年前からずっと」
「 ………」
  京一が黙りこむと龍麻は不意にじわりと瞳を潤ませた。
  ぎくりとしている間に龍麻はそんな京一からすっと顔を逸らし、悔しそうに頬を赤らめた。興奮して上気しているのだろう、そんな龍麻の姿を京一は初めて見たと思った。
  そして不謹慎ながら、こんな時なのにそんな顔をする龍麻を凄く可愛いと思った。
「 みんなが弱いとは言わない…。けど、柳生や他の強い異形を倒す時はみんなの《力》は却って邪魔だった。俺独りの方がマシだった」
「 ………」
「 独りで戦ってたら、そりゃあ経験も力も増すよな。ゲームで言ったらレベルアップっていうの? はは…もうそりゃあ凄いよ。独りでどんどん上がっちゃって……気づいたら……本当に独りだった。みんなには俺の見ている世界は理解できない」
「 龍麻……」
「 京一がいたらな。あの時、本当に京一がいてくれたらな。翡翠も言ってただろ。京一みたいな相棒がいたら、多分俺はこんな風に自然の摂理からも外れちゃうような異常な身体にはならなかったんじゃないかって思う。……心だって……何でも壊してやれ、とか、もうどうでもいい、とか、そんな風に思わなかったかも。俺はもう、一回死んだもおんなじなんだ」
「何だよ…それ…」
「俺はもうとっくに死んでるんだよ、京一」
「 今……今、俺はお前の前にいるだろ……」
  何とか掠れた声でそう言ったものの、龍麻はただバカにしたように笑うだけだった。
「 本当にな。凄い、眩しいくらい鬱陶しいくらいの陽の氣だ。純粋な…何も抱えてない、俺みたいに暗いもの何も持ってないむかつく氣だよ。………どうしようもなく壊したくなる」
  龍麻は京一に掴まれた肩を振り解こうとはしなかったけれど、それに甘えて寄りかかろうともしなかった。
  ただ顔を横に向け、龍麻は今にも涙を零しそうな顔をして何度か唇を噛み。
  そして言った。

「 京一を殺したくない」

  京一の返事など求めていない、何も言わなくて良いという様子で龍麻はさっと顔を上げた。
「 京一と戦いたくない」
「 ……龍麻、俺は……」
「 世界を滅ぼすからとか、そんなんじゃない。京一と戦いたくない。だって、京一は俺の友達だ」
「 ………」
「 初めて出来た友達だから。だから」
「………」
  龍麻の言葉に京一は何も言えなくなってしまった。
  肩を掴んでいる両手は、本当はそのまま抱きしめる所作に変えるか再び押し倒すか…そんな事を欲していた。今も欲しているのに、けれど金縛りにあったかのようにどうにも出来なかった。
  そして、またしても「そんな事」を思っている場合ではないのに。

  友達? 俺はお前と友達の関係でなんかいたくねェんだよ…!

  龍麻の葛藤はとても神聖で可愛らしくて悲しくて。
  とても愛しいもののはずなのに、それでも京一は「ショック」だった。
  そう、そんな風に思っている場合ではないのに……「友達」と言われた事がただ単純に衝撃だったのだ。何故なら京一は今、龍麻の事を友達以上の目で見て、そして好きだと思っているから…。
「 俺だってお前と戦いたくなんかねえよ……バカ」
  掠れた声で何とかそう返した言葉は、果たして龍麻には届いたのか。
  京一はズキズキとする胸の痛みに翻弄されながら、世界の危機とはまるで縁遠い事を真剣に悩み始めていた。



To be continued…



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