(28)



「 龍麻がそこに…って」
  どういう事だと訊こうとしたが、渦王須という少年を「そこにいる」とはどうしても感じられないせいで、またあまりに言われた言葉が突拍子もないせいで、京一は誤魔化すように唇の端を上げただけで残りの台詞を消してしまった。
  代わりにずいと一歩近づき、相手の顔をじろりと見やる。どうした事か背後の竜はぴたりと止まったまま動こうとしなかったし。
「 ふざけた事言ってんじゃねェ。龍麻の居場所。知ってんのか?」
「 龍麻はもういない」
「 テメエ!」
  カッとなってその胸倉を掴むと、危う気だったその存在が確かにそこにいると感じられて、京一はそんな場合でもないのにその事に心のどこかでほっとした。
  そしてその安堵感と共にますます渦王須に対する怒りの念を燃え上がらせて、ぐいと彼の身体を片手だけで締め上げた。
「 ふざけんなって言ってんだろうが。何者だ、テメエ」
「 渦王須」
「 名前はもう聞いた。何でここにいる? お前は何だ? こんな所で何してやがる」
「 ………」
  一度に訊いたせいだろうか。渦王須は表情を消したまま、それらの質問には何一つ答えなかった。
「 渦王須」
  そしてもう一度、まるでそれしか答えを知らないとでも言うように己の名前を唇に乗せ、それからぐっと京一の手を両手で掴んだ。
「 !?」
「 龍麻はいない」
「 てめ…ッ」
  その手があまりに冷たい事、そして同時にぴりりと走った小さな電流のようなものに京一はぎくりとなって相手から離れようとした。
「 もう僕のもの」
  けれど渦王須は逆に自分から手を離そうとした京一を己の両手で強く握り締めると、突然カッと両目を開き、薄く赤い唇を機械のようにパカリと開いた。
「 なっ…」
  その口の奥から生成されこちらに向かって放出されようとしているものに京一は目を見開き、咄嗟に身体を仰け反らせた。
「 カアァッ!!」
《 グオオオオォォッ》
  渦王須が発したそれは背後にいる竜が先刻から出していた青白い炎と全く同じものだった。と同時に、ぴたりとその動きを止めていたその竜が渦王須を真似るように自らも京一に再度の攻撃を仕掛けてきた。
  真っ暗だったその地、その場所が突然花火の上がった夜空のように真っ青になり、その眩しさに眼が霞む。
「 くっそ…」
  それでも京一は渦王須から距離を取りつつもその姿から目を離さなかった。 竜は渦王須が動いたと同時に自らも炎を出した。逆に渦王須が静かだった時はあの赤い瞳を動かそうともしなかった。
「 核は…お前か…!」
  連続して放出される渦王須からの白い炎を寸でのところで避けながら、京一は自らが仕掛けるタイミングを息を詰めて探った。恐らくチャンスは一度だけだ。竜が傀儡だったとしてもその威力だけは紛いものではない。落ち着いて息を潜めて、ほんの一瞬の隙を狙って奴を討つ。
「 覚悟しろよ…!」
  押し殺した声を発した後、京一はぎりと歯を食いしばり、木刀に最大の氣の力を込めた。こんな攻撃を仕掛ければ如何に強大な力を持つ相手だろうとただでは済まないだろう。死ぬかもしれない。異形や竜とは訳が違う、明らかに自分と同じ形をしたヒトだと言うのに、それでも京一は己で握り締めた木刀から迷いや情けを消した。
  そして渦王須が炎を吐き終えたその直後を狙って……。
「いくぜ、この野郎! 天地――」

《 ダメ……チガウ……》

「 がッ…!?」
  しかし「その声」に京一は向かっていた体勢をがくりと崩し、出しかけていた力を消した。
《 グオオォオオ…ッ!》
「 うわああッ!」
  その途端、逆にバランスの乱れたところを竜に狙われ、京一は木刀を持っていた方の手をその片腕ごと白い炎に焼かれた。そしてそれに怯んだほんの数秒、たて続けに攻撃してきた竜の尾に身体を横殴りにされ、京一は勢いよく吹っ飛んだ。
「 ぐあッ」
  殆ど脊髄反射でその打撃を受ける直前に氣の力でガードしたものの、受けたダメージは勿論半端ではなかった。絶対に離さなかった木刀を握る手にも力が入らない。必死に掴もうとしても無理で、京一は仕方なく右腕を捨てた。
「 ちィ…ッ」
  剣を左手に持ち替え、すぐに敵の方へと視線を向ける。竜はまた意味もない咆哮を始め、そして渦王須もまたゆっくりと遠方へ飛ばされた京一に歩み寄ってきていた。弱った獲物をじりじりといたぶって殺していこうというような、そこには妙な余裕も感じられた。
「 畜生…!」
  あの変な声のせいだ。
  折角渾身の一撃をお見舞いしてやろうとしていたのに、突然誰かが言ったのだ。「ダメ」だと。「チガウ」と。何が違うというのだ、今ここで奴を倒さなければ自分は死ぬし、龍麻を助ける事とて出来はしない。もし仮にあの渦王須の言う通り、龍麻があの中に取り込まれているのだとしても、それならば尚のこと奴の姿を昇華させる必要があるではないか。
《 チガウ……アレハ……ボク、ジャナイ……》
「 !?」
  その時、また声が聞こえた。
「 誰だ!?」
  辺りを見回すが竜と渦王須、自分以外に誰の姿も見えはしない。また、渦王須の声にも似ているが、こちらに向かってくる奴に口を開いた様子は見られない。
  けれど、その声は一番最初に京一に向かって「来ないで」と懇願した声にも似ていて、全く無視する事も出来なかった。
「 おい…! 誰なんだテメエ…!」
《 ボクは……カオス……》
「 何!?」
  名乗ったその声に京一は眉をひそめてもうすぐ傍にまで来ている渦王須を見やった。違う。この少年が言っているのではない。けれども声は自分を渦王須と名乗り、そして「チガウ」と言っている。
  あれは自分ではないと。
「 おい……おい、聞こえてんのか!? じゃあ、今、俺の目の前にいる奴は誰なんだ…!?」
《 モウ……イナイ……ボクは……》
「 ああッ!? もっとはっきり言えってんだよ、何だって…」
「 京一」
「 !?」
「 死んで」
「 くっ」
  実態の見える渦王須が遂に京一のすぐ前にまで来て攻撃を仕掛けてきた。
  しかし今度は炎ではない。片手を軽く突き出してそこから発する氣の光で京一の内臓を押し潰そうとした。
「 ……たっ…」
  その所作に京一は一瞬ぎくりとして目を見張った。慌てて距離を取ったものの、たった今こちらに技を繰り出した渦王須から目が離せない。
  信じられない気持ちだった。
  今の動きはあまりに龍麻に似ている。
「 まさか……おい……」
《 ボクハイナイ……モウ……タダノ、ウツワダカラ……》
「 !? ……渦王須!?」
  またどこからか語りかけてきたその声に京一はハッとし、木刀を握っている左手を僅か震えさせた。
  そしてふと、御門が以前の戦いについて話して聞かせてきた時に、柳生と共に現れた感情を失くした少年の話があった事を思い出した。事情の分からない京一には何の事か分からなかったが、柳生に操られ己を失くした少年は既に「空っぽ」で、龍麻が柳生を葬った時にその少年の魂は浄化させたのだと聞いていた。
《 コワシタクテ……ニクカッタ…。ナニモ、カモ……》
  実態のない渦王須が言った。
《 ゼンブコワセルナラ、ナニニカワッテモイイト……。クロイモノヲタクサンフクンデモ、キモチヨクテ、チカラガ、マシテイッテ……》
「 ………」
《 デモ、タツマガ………モウヤメナッテ……》
「 渦王須!!」
「 どこ見ているの」 
  見ていたはずなのに声に気を取られ過ぎていて、実態のある渦王須の素早い動きについていけなかった。再び片手で技を出され、京一はそれをもろに鳩尾に喰らいながらその場から数十メートルほど飛ばされた。それでも向こうはまだ京一を殺そうとはしていない。こんな状況ならばもう簡単にそれこそ一撃でやってしまえるだろうに。
「 ……龍麻」
  気づけば京一は「姿の見える渦王須」に向かってそう言っていた。
  そうしてゆっくりと立ち上がり、京一は左手に握っていた木刀を捨てた。
「 龍麻はもういない」
  それでも「渦王須」は武器を捨てた京一と再び距離を詰めていきながらそう答えた。それにあわせて竜も後をついてくる。竜は少年に支配されているのだ。それ故、一旦その鎖が解かれて外へ解放されれば地上はとんでもない混沌に落とされるだろうが、こうして「飼われている状況」ならば、上の世界は平安を保たれるのだろうという事が京一にも分かった。
  つまり、この目の前にいる「飼い主」の気持ち一つなのだ。地上の安寧は。
「 龍麻」
  見た目は渦王須な少年に京一はもう一度呼びかけた。
「 違う」
  相手はそう答え、やはりその瞳には何も感じ入るところが見られなかった。丸腰の京一にやはり何の感慨もないように、再度すうっと片手を挙げて技を出そうとする。
「 ………」
  それでも京一はもう恐れなかった。気づくのが遅過ぎると我ながら腹立たしかった。本当なら最初の一撃を喰らった時点で分からなければならなかったのに。
「 龍麻だろ。俺には分かる」
「 僕は渦王須」
「 違う。お前は龍麻だ。緋勇龍麻。俺の……ダチだ」
「 渦王須」
「 違ェよ。渦王須はお前を止めたがってる。お前に感謝してるんだな」
  渦王須だけではない。地上で龍麻を待っている仲間たちもだ。京一は今、その事をはっきりと理解した。
  龍麻がどのような想いで敵と戦い、彼らに対してどのような仄暗い意思を持っていたとしても……それでも、彼らは龍麻を慕う気持ちを失くしたりはしないだろう。
  龍麻の「本当の心」が彼らにはよく分かっていたからだ。
「 なあ。お前は真面目過ぎるんだな」
  京一は真っ直ぐの視線を向けてそう言った。
「 そりゃあ、誰だってテメエ一人に重い荷を背負わされたら、やってらんねェって思うのは当たり前だ。何もかも投げ出してどうでもいいって思う事だってな。普通だぜ、そんなの。宿星だか何だか知らねえがよ、そんなもんに振り回されてたまるかよ! そうだろ!?」
「 ………僕は渦王須」
「 違う。龍麻だ」
「 ……違う」
  渦王須…否、龍麻の上げかかった手がわなわなと震えている。表情は依然として能面のようなのに、そして声も抑揚の取れたものなのに、それでも明らかに目の前の「龍麻」は動揺していた。
  京一はそれに反してどんどん静かになる己の心を感じ取りながら尚も続けた。
「 お前の、皆を助けてやりてェって気持ちはやっぱり本物だった。それに嘘なんかねェよ、俺が保証してやる。何でそうやって必要以上に自分を責めるんだよ? 全部抱えてそんなに苦しかったんなら…なら、もういいぜ。荷物下ろせよ。俺が背負ってやる」
「 ちが……違う……僕は……」
「 俺が…龍麻、お前の分も背負ってやるよ、今度から。だってよ、俺は…俺はよ…お前の事が……くそっ! ホントはお前の顔見て言いたかったのに! 俺はな!」
「 違うッ! 僕は僕は僕は僕は……ッ!」
《 グオオオオオオオ!!!》
「 !? こら待て、お前! 最後まで聞けよ、俺は、お前の事が…!」
《 オオオオオオォォォ………!!》
  京一の声を掻き消すように竜が身体を揺らしながら激しい咆哮を上げた。と同時に辺りに再び地を揺るがす震動が起き、それに一瞬気を取られた京一の心臓目掛けて渦王須の姿となっている龍麻が拳を振り上げてきた。
「 死ね! お前なんか…!」
「 ……ッ! ――龍麻」
  けれど京一はその瞬間をまるでスローモーションのように確実に捉えながら、敢えてその攻撃を避けようとはしなかった。捨てた木刀の事も思い出しもしなかった。
  龍麻が好きなのだ。
  だから龍麻を助けたい。それだけだ。だから、そんな龍麻を相手に自分が危ないからと言って逃げたり、やり返したりなど出来るわけがない。
「 ――いいぜ。お前が地獄見てんなら……俺も一緒に行ってやる」
  京一はそう言って、渦王須の向こう側にいるだろう龍麻にニヤリと軽快に笑って見せた。


《 グオオオオオォォォォ……!!》


  真っ白な光が全身を、そして龍麻や竜の周りにも張り巡らされたと思ったのは、まさにその直後の事だ。
  温かい。
  これは何だろうと思いながら、けれど思考はどんどん鈍くなっていく。
「 ……龍麻。俺、お前のこと……好きなんだよなぁ……」
  最後にそう呟いた京一の声は、けれど京一自身すら聞く事が出来ず、その白い光に包まれて消えてしまった。










「 げっ!? 犬神先生…何でここに…?」
「 何だというのは何だ? お前らこそどうした」
  夕刻の真神学園。
  どたどたと忙しなく駆けてきた彼らの姿を無感動に眺めながら、犬神は京一を見送った旧校舎の入口前で煙草の煙をふっと吐き出した。
  昼間から断続的に起きていた地震を危惧して、学校側は部活動や補習で登校していた生徒たちにも速やかに自宅へ帰るよう、既に数時間前から繰り返し下校を促す放送を流していた。その為、もう殆どの生徒が校舎の内外からは姿を消しているはずであった。
  それでも彼らはやはり別なのか。桜井、醍醐、それに……裏密。校舎内からは自分のクラスの生徒である遠野の騒ぎ声も聞こえるから、下手を打てば彼女までここに来てしまうかもしれない。犬神は心内だけで盛大なため息をついた後、何事もないかのような顔でふいと横を向いた。
「 お前たちは下校の放送が聞こえなかったのか」
「 え、えーっと。聞こえましたけどぉ…」
「 はい…。しかし、ちょっと…」
  桜井と醍醐が物言いたそうにもごもごと口を動かしている。この地震にヒトならざるモノの存在を感じ取っているのだろう。旧校舎の地下へ様子を見に行きたい、彼らの眼はそう訴えていた。
  勿論それを許容する犬神ではないが。
「 さっさと帰れ。さっきの地震のせいででこのボロ校舎なんぞは最も危険だ。いつ天井が崩れてくるか分からんぞ」
「 え、でもボクたちは大丈夫って言うか…」
「 いいから帰れ」
「 先生、しかし…」
「 せ〜んせ〜い」
  尚も食い下がろうとする桜井と醍醐に、しかしそこで初めて背後に立っていた裏密が間延びした声を出した。……我が生徒ながら相変わらず気色の悪い女子生徒だと、犬神は嫌そうに目を細めた。つぎはぎだらけの人形をぎゅっと胸に掻き抱いたまま、不敵な少女はにたりにたりと唇にのみ笑みをはりつかせている。
  そして犬神が自分の言葉を待っていると知ると、彼女はやがてゆっくりと口を開いた。
「 赤き〜剣聖は〜。竜の御魂を救えた〜?」
「 ………」
「 剣を捨て〜。竜の心(しん)を見抜き〜……黒き竜を再び永劫の眠りに誘えた〜?」
「 ……さあな」
「 光の竜を起こせたの〜?」
「 俺は知らん」
  いいから帰れと言いかけて、それでも犬神は裏密がのそのと差し出してきたカードを不覚にも受け取ってしまった。
  そしてそれを見て思わず嘆息する。
「 裏密、お前な…」
「 美里ちゃん達や私達だと〜。色々面倒だもんね〜。なるべくしてなった配役〜」
「 って!? え、ミサちゃん、何処行くの?!」
「 帰るの〜。帰るよ〜。醍醐クン、帰らないとミサちゃん呪うよ〜? キシシシシ……」
「 ひっ! う、裏密、お前一緒にここへ様子を見に行こうと言ったのはお前だろう!」
「 そうだよ、もう! それに葵が何なの〜?」
  慌てた様子でばたばたと裏密の後を追って去って行く桜井と醍醐を見送りながら、犬神は再度大きく息を吐き、手にしていた煙草をつまらなそうに咥えた。
「 配役、か。俺は差し詰めあいつらを運ぶ馬車の馬、か?」 
  ピッとそのカードを捨てて犬神は踵を返すと旧校舎の中へと入って行った。


  そこには可愛らしい子ども2人をソリに乗せた大きな犬のイラストがカラフルな絵の具で鮮やかに描かれていた。



To be continued…



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