(4)



「 ふわあ…」
  大きな欠伸をひとつして、京一は学校へ行く道すがら、ぐんと大きく伸びをした。
  今日はしっかりと片手に「相棒」を持っている。さっとそれを肩に掛け、京一は転校2日目の学校へ向けて少し早くに家を出ていた。
  正直なところでは激しく気が進まないのだが。
「 ふ…ふわあ〜」
  またしても大き過ぎる欠伸。昨夜はどうにも寝付けなくて参った。
  放課後の教室で対面した緋勇龍麻。
  気配を消し、試すような視線を向けてきた曰くありげな生物教師・犬神。
  そして無条件な微笑みで他者を受け入れようとする底抜けに明るいクラスメイト達(若干例外もいたが)。
  それら不可解な、そして生ぬるい空気に京一はらしくもない途惑いを感じていた。おかしなものを感じた。
「 まったく、帰ってきた早々……」
  ランドセルが眩しい集団登校中の小学生たちを尻目に京一はため息交じりに呟いてから、自らの肩にある木刀を抱え直した。こんなに天気の良い晴れ晴れとした日、子どもの頃から慣れ親しんだ東京に帰ってきている自分に、今何故こんなモヤモヤとした気持ちが付きまとうのか。
  恐らくは。
「 あ、おっはよー!」
「 ……おう」
「 おはよう、蓬莱寺君」
「 蓬莱寺。おはよう」
「 あ、ああ。へへ…オッス…」
  校門付近で背後から勢い良く駆けて挨拶してきた桜井小蒔、続いて美里、醍醐らの姿を認めて京一は自然苦笑した。登校途中で偶然出会っただけなのだろうが、こうして並んでいる彼らの姿を見ると、どうしても先ほど出会った小学生らのように自宅からずっと一緒に来たのではないかという疑いを持ってしまう。仮にそうだったとしてそれをどうこう言う気持ちはないのだが。
  しかし。
「 ねーねー蓬莱寺クンッ! 昨日さ、ラーメン屋でキミの話になったんだよ!」
「 へ…?」
  ふと1人物思いに耽りそうになった京一に、さっと横に来た桜井が笑顔全開でそう言った。
  京一は驚いて目をぱちくりさせた。
「 俺の?」
「 そうそう! ひーちゃんがさ、蓬莱寺クンの事、凄く面白い奴だって言ってたよ!」
「 緋勇が…」
  昨日は何を突然不快に思ったのか、あの龍麻は自分に挨拶もせずふいと帰って行ってしまった。その事が面白くなかったのも事実だが、それ以上に京一は龍麻のあの去り際にちらりと見せた、どことなく沈んだ顔が気になっていた。
  そんなあいつが俺の話をしていた?
「 珍しいわよね、龍麻が誰かの噂話するの」
  美里も京一の傍に寄ってきてそう言った。
  続いて醍醐も相槌を打ちながら口を開く。
「 ああ。あいつは滅多な事では他人に関心を寄せないからな。よほどお前の腕に興味があったんだと思うんだが…」
「 腕?」
「 龍麻から聞いたんだが、蓬莱寺は相当な剣の使い手らしいな?」
「 ……ああ。その事か」
「 あ、そういえばその木刀! すっごい、何か強そうだねーそうしてると! なになに、蓬莱寺クン、 剣道部入るの? うちの剣道部はこういっちゃ何だけどあんまり強くないよ。その割に練習は厳しいらしいし」
「 はあ」
「 なあ蓬莱寺。良かったら今度俺と腕試しをしてみないか」
「 はあ?」
「 うふふ…また醍醐君の決闘好きが始まったわね」
「 んん?」
  次々と会話を振ってくる3人を忙しなく見やりながら、京一はただ「はあ」とか「んー」とかいう曖昧な返答を繰り返した。別段まともな会話をする気がないというわけでもないのだが、如何せん彼らがそれぞれのペースでそれぞれに喋り倒してくるものだから、それにいちいち反応を返していると自然自分の発言の機会が奪われてしまうのだ。
  しかしながら、賑やかな彼らの会話を1つにまとめるとするならば、この学園の剣道部は入ってもあまり益はない、醍醐は格闘マニア、そして。
  緋勇龍麻は普段他人にあまり関心がないという事だった。
「 あっ、いっけない! ボク今日日直だったんだ! 先行くね!」
  その時、桜井が急にはたと思い出したようになっていきなり校舎に向けて猛ダッシュを始めた。すると突然どうした事か、美里もそんな桜井を手伝いに行くと早足で先に行ってしまい、醍醐はレスリング部の部室に寄ってから教室に行くからと校舎とは反対の方向へ歩いて行ってしまった。
「 ………」
  お祭り騒ぎのような時間が一瞬にして終わっていた。
「 …マイペースな奴ら」
  半ば呆れたようにそう独りごちた京一だったが、内心では安堵していた。
  これで憂鬱ながらも早めに家を出て来た苦労が報われるというものだ。彼らがいてはこのまま大人しく教室に向かうしかないかと、正直落胆を隠せなかったから。
「 確かあっちの方だったな…」
  すうと息を吸って吐いた後、京一は校舎横を通り、真っ直ぐに旧校舎のある方向へと歩き出した。





「 おい京一。強さってのは何だ」
  以前、ふとそんな事を訊ねられて京一はぽかんとしたままその場に立ち尽くした。
「 なーにを間の抜けた面してやがる。さっさと答えろ」
「 イテ!」
  何の考えもなしに棒切れを振り回すしか能がなかった、当時は単なるハナタレ小僧の京一に。
  いきなりそんな質問を投げ掛けてきた人物は、京一の剣の師匠だった。ぐうたらで女好きで、基本的に能天気なその男は、その日も京一に竹刀を振らせるだけ振らせ、自分は傍の草っ原で昼寝をしていた。
「 何すんだよいきなり!」
  突然乱暴に足蹴りをしてきたその師匠に、京一は当然の事ながら抗議の声を上げた。自分はロクな指南もせず寝っ転がっているだけのくせに、たまたま思いついた気紛れの質問に弟子が何も答えられないからと言って蹴りをいれてくるなど横暴にも程がある。師匠とはいえ、理不尽な攻撃には黙っていられない京一だった。
「 そんなの急に訊かれても分かるわけねーだろ!」
「 おーおー、それじゃあ時間をやったらお前は答えられるのか。この問いに」
「 う……」
「 ふっ…」
  ぐぐっと詰まった京一を楽しそうに見やった後、男は唇の端を上げて嘲るような笑いを零し、もう何もかも興味をなくしたようになって眼を瞑ってしまった。両手を組んで頭の下に敷き、だらんと伸ばしきった身体は怠惰そのものだ。
  それでもこの師にまるで隙がない事を京一は知っていた。
「 なあ…師匠。じゃあ何なんだよ。答えは?」
「 ………」
「 ……一番になる、事か?」
「 一番?」
  ぱちりと片目だけ開いた男は、京一のその発言に微かな反応を見せた。しかし京一はそれだけでもうがっかりしてしまった。師匠のこの態度で「それ」が不正解だというのは明白だったし、また間違えたからと言って正解を教えてもらえる見込みがないという事も同時に感じ取ってしまったから。
「 考えろ、京一」
  男は言った。
「 考えろ…。強さとは何か…。お前が出すんだ。お前が見つけろ…」
  思えばつくずく不思議な男だった。素性から何から謎な部分が多過ぎたが、何よりも不思議だったのはその男の内から発せられる妙な《力》だ。人ならざる尋常な何かがその男には作用しているような気がして、またその氣に触れる事によって京一はこの世の中に目に見えない、けれど間違いなく存在している「モノ」が存在している事を知った。
  しかし、成長し剣の腕や氣の流れを読み取る力を身につけても、京一には未だあの師が出した問いの答えを導き出す事はできないでいた。





「 確か…朝だよな、今」
  旧校舎なる「廃墟」の前に辿り着いた時、京一は思わずそう声を出した。
  老朽化が進み近々取り壊し予定だと言うその建物は、正直見るからに「出そう」な雰囲気があった。たぶん、あと数週間もこの学校で過ごせばこの校舎にまつわる怪談話の1つや2つは容易に聞ける事だろう。もっとも京一はその手の話が好きではないが別段苦手でもなかったので、そういった不気味な感じを抱いても何の収穫もなくここから引き返そうとは思わなかった。
「 どっかに入るとこねえかな…」
  立ち入り禁止の看板に、入口らしき戸には大袈裟な錠前までついている。恐らくちょっとした探検気分を味わいたいが為にここにやって来る学生は割に多いのだろう。そんな彼ら彼女らを排除する為にこれ程厳重なバリケードが張られたのだろうと思った。
「 は…?」
  しかし当てもなく建物の周囲を歩いていた京一に、ふっと突然人の影が現れた。
「 あ…!」
  一体誰が穿り返したのか。そうでなければあんなに不自然な穴は開くまい。
  人の出入りが禁止されているはずの校舎の隅には、身体を潜らせれば大人1人はゆうに入り込めるだけの隙間があった。
  そしてその穴から見知らぬ人物がすうっと出てきたのだ。
  先刻まで建物内に侵入していたのか、その人物は立ち尽くす京一の姿を認めても別段驚く風もなく、身体のあちこちについた埃をさっさと払っていた。どこの制服だろうか、少なくとも真神のものではない。
「 ………」
  龍麻や犬神はここに近寄るなと言っていたが、他校の奴らが平気で行き来しているではないか。
「 どうも」
「 あん…?」
  不審な顔をしている京一に、向こうが先に声を掛けてきた。むかつく程の色男だが、無愛想な感じがするとは、京一の素直な第一印象だった。
「 ここに入るのかい」
  その相手は警戒しその場から動かない京一にゆっくりと歩み寄りながらそう訊いた。癖なのか、それとも意図せずの事なのか。顔をさり気なく横にやって、こちらとまともに視線をあわせようとしない。それも腹が立ったが、黙っていても埒があかないのでとりあえずは口をきいてやる事にした。
  ぐりぐりと耳を掻きながら京一はとぼけたように言った。
「 そのつもりだけどよ。確かここって一般生徒の立ち入りは禁止だよなぁ? 何でこんな朝っぱらから他校の奴がフツーに潜りこんでんだ?」
「 ………」
「 む…。無視かよ」
「 ………」
「 俺は単純な興味からここに来た。お前は?」
「 ………」
「 ……あのなぁ、話したくねえなら話しかけんなよ! お前だろうが、先に俺に話振ってきたのはよ!」
「 ……君は」
「 は?」
  やっと口を利いた。そう思って京一がややほっとした時だった。
「 壬生」
「 ……ッ!?」
  背後から突然声が掛かってきた事にぎょっとして振り返ると、そこには昨日同様気配を消している龍麻がいた。どうにも彼は人の意表をつくのが好きらしい。
  しかしそれを恨めしく思った京一が一言文句を言ってやろうと口を開きかけた途端―。
「 龍麻」
「 んっ!?」
  何だこの声。
「 ………」
「 龍麻。おはよう」
「 おはよう壬生…ってそうじゃなくて。何でこんな時間に、ここに?」
  どうやらこの他校生「壬生」と龍麻は旧知の仲らしい。さっと龍麻の方へ向かった壬生の後ろ姿を京一は黙って見送った。
  腑に落ちない。
  龍麻の姿を認めた途端、壬生は目の前にいた京一の事などまるで見えなくなったようだ。また、この壬生なる青年は先刻まで京一に向けていた声色とまるで違う、いやに甘ったるい口調で龍麻に話しかけていた。
「 昨日からこの辺りの氣の様子がおかしかったから…。龍麻に何かあったのかと思って来てみたんだよ」
「 何だ。俺なら平気だよ。心配してくれたの?」
「 当たり前だよ」
「 ………」
  完全に2人の世界になっている。
  ぽつんと1人取り残されたような状況の京一は、このまま放っておけばそのうち龍麻の手まで握りかねない壬生の嬉しそうな横顔をただまじまじと観察した。
  そういえば、龍麻は学校外でも大層モテると桜井が言っていたっけ。
「 蓬莱寺」
「 あ?」
  その時、ぼんやりとしていた京一に龍麻が声を掛けてきた。同時に、朝のHRを知らせる始業のチャイムが辺り一帯に響き渡った。
「 もう授業始まるよ。教室行こう」
「 ………」
「 大体、ここに近づいたら駄目だって言っただろ」
「 ……そいつはいいのかよ」
「 壬生も学校行けよ。また今度連絡する」
  京一の抗議の声は聞こえなかったのか、龍麻はただ優しい目をして自分の傍に寄り添うようにしている壬生にそう言っていた。



To be continued…



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