「 蓬莱寺、ラーメン食って帰ろう!」 「 ………」 「 蓬莱寺って!」 「 ……あぁ?」 「 ふっ…。もう、何だよその嫌そうな顔はさ。さ、帰ろうぜ」 「 嫌だ」 「 え、何で。もうしょうがないなあ、じゃあ奢る! 味噌ラーメン! どうよ?」 「 し…仕方ねえな…」 「 ははっ。よっし、行こ!」 龍麻の笑顔はいつでもキラキラと輝いていて何の害もない。 「 はあ…」 京一はそんな友人の顔をちらりと見やってから、こっそりとため息をついた。帰りのHRが終わり、担任が教室を出て行くや否や一気にざわめき立つ教室内。掃除当番や委員の仕事がある者、またクラブの活動日になっている者はそれぞれ忙しなく動き出すが、基本的に京一の周囲はのんびりとしている。 龍麻が京一を「帰りの寄り道」に誘ってから自席で帰り支度をしていると、わらわらとそれに群がって来るのはいつもの仲良しメンバーだ。そんな彼らに龍麻は実に惜しみない笑顔を振りまく。 京一がこの真神学園に転校してきてから1週間が経とうという今。 毎日は万事が全てこの調子だった。 (5) 「 ひーちゃんさあ、ホント蓬莱寺クンの事好きだよね!」 夕暮れに染まる校舎を背に、さくさくと前を歩く桜井が屈託のない笑顔と共にそう言った。 「 最近いっつもラーメンラーメンって。蓬莱寺クンがラーメン好きだって言ってから、ひーちゃんの寄り道ゴハン、全部ラーメンじゃない?」 「 うん」 俺もラーメン好きだし…と、付け加えつつも照れたように微笑む龍麻に、京一は限りなく胡散臭そうな目を向けながらもとりあえずは黙っていた。 「 それに龍麻。最近は授業中もあまり眠らなくなったわよね。時々背後の席の蓬莱寺君を気にしているじゃない?」 すると今度は京一とは反対側、龍麻の右横を歩いていた美里がそう言った。転校生活1週間で、この「学園のマドンナ」こと美里葵が桜井や醍醐以上に龍麻に対して熱を上げているという事はよく分かった。何を置いても龍麻優先、龍麻の為ならばどんな事でも…な雰囲気全開の美里。 そんな美人の聖女を放っておいて、半ば「異常」とも呼べる程京一に絡んでくる龍麻の事を、一体当の美里本人はどう思っているのだろうか。 「 龍麻の視線の先にはいつも蓬莱寺君がいるのよね…」 「 ………」 美里のそのどことなく物憂げな発言に京一はぎくりとした。 この何を考えているのか全く分からない、それでいて柔らかい笑みを絶やさない美里の事が時々怖いと、京一は心密かに警戒している。よくは分からないが妙な直感が彼女は危険だと訴えているのだ。 「 だって俺、蓬莱寺の事好きなんだ」 そんな美里には全く構う風もなく、龍麻はとんでもない発言をさらりとしてからにこりと京一の方に【愛】な眼差しを向けてきた。 「 ……お前な」 ここ数日の決まりきった「態度」とは言え、京一はこれのせいで今週はとんでもなく疲れ切ってしまっていた。思わずぴたりと足を止めると、背後を歩いていた醍醐ががしりと肩を掴んできて「大丈夫か」などと言って笑った。 「 蓬莱寺、そんなに迷惑そうな顔をする事はないだろう? 龍麻にここまで言わせるなんて、本当に大したものなんだぞ。俺はお前の事がいっそ羨ましいよ」 「 うんうん、ボクもー! ひーちゃんが蓬莱寺クンの何をそんなに気に入ったのかは、ボクは全然分からないけどね!」 「 まあ小蒔、そんな事言うのは失礼よ。でも正直に言うと、私もそれはよく分からないのだけれど」 「 お、お、お前らな…」 たらりと冷たい汗を流しながら京一は思い切り顔を引きつらせた。 繰り返すが京一がこの新宿の真神学園に転校してきてから未だ1週間だ。本来なら学校の雰囲気、クラスの雰囲気、前の学校とは違う授業進度…それら諸所の事柄に慣れるだけでも、普通の学生なら十分に参っているはずだ。 しかし京一はそんな普通の事柄以外にも実に厄介な問題を背負わされていた。 それは「学園の天使ちゃん」こと緋勇龍麻が「京一ばかり見ている」事が原因だ。 蓬莱寺、宿題やった? まだなら俺の写させてあげるよ。 蓬莱寺、昼飯行こう? またパンやるな。 蓬莱寺、ラーメン食って帰ろう? 俺、奢る。 仮にこれが京一の好みにあった可愛い女の子による行為だとしても、ハッキリ言ってうざったい。 龍麻は京一が学園にいる間はこれでもかという程ついて回り干渉し、人好きのする笑みを振りまいてきた。そして、あの転校初日に見せていただらけ切った寝姿をまるで見せなくなった。遅刻もしない。そうしてその事に驚く仲間たちには、「早く蓬莱寺に会いたいから」などと空寒い事を言ってのけるのだ。 「 俺だって知らねーよ。どっちかっつーと、もうこれ以上は勘弁って感じなんだよ!」 さり気なく妬み嫉みの目を向けてくる美里たちに「被害者はこっちなんだ」と言わんばかりの表情を作りつつ、京一は横を歩く龍麻にも非難めいた目を向けた。ただ当の龍麻は依然のほほんとして意味深な笑みを浮かべたまま何も言わない。 代わりのように桜井が口を出した。 「 なーに言っちゃってんだよ。迷惑そうな事言ってるけどさッ。蓬莱寺クンだって何だかんだ『ラーメン奢る』の一言だけで、そう言うひーちゃんの横歩いちゃうじゃん! それって結局は蓬莱寺クンもひーちゃんの事が好きって事だよ!」 「 何でそうなる!」 「 だが実際そうだろう。嫌いな奴と一緒にはいないだろうからな」 「 そうよね。蓬莱寺君はやっぱり龍麻の事が好きなんだと思うわ」 「 ……もう勝手に言ってろ」 はあとあからさまにため息をついた後、京一は彼らとの不毛な会話を一方的に打ち切った。3人にちくちくと責められる事にも、こう言っては何だがこのたった1週間ですっかり慣れ切ってしまった。それはつまり、1週間という短い期間に彼らから膨大な「厭味」を投げ掛けられたという証明でもあるのだが。 それでも。 「 でも龍麻…最近学校であまり眠っていないから疲れが溜まっているんじゃない? 本当に大丈夫?」 「 あ、それはボクも思ってた! ひーちゃん、無理は駄目だよー! 寝不足はお肌にも良くないしね!」 「 そうだな、龍麻。辛かったらすぐに言えよ? 俺たちはいつだってお前の事が心配なんだからな」 次々と労わりの言葉を投げ掛ける美里たちに白けた表情を向けながら、しかし一方で京一はこの1週間で彼らのその「過剰なお世話」攻撃にある種好意的な感情を抱いてもいた。 どうやら彼らが龍麻に構い過ぎるのには、アイドルだとか何だとか言う理由とは別にまだ何かがありそうなのだ。 「 お前らってホントおかしいよな」 表向きは依然として彼らの態度をバカにする。呆れて見せる。けれど京一は本音の部分で美里たちに対し心底から悪い感情を持つ事はなかった。 「 それでさ、早速だけど蓬莱寺クン歓迎を兼ねたお花見! 休み明けの月曜とかどうかな?」 すっかり店主にも顔を覚えられたラーメン屋で龍麻の奢りの味噌ラーメンを啜っていると、突然桜井が楽しそうにそう言った。 「 花見?」 「 うん。今は中央公園の桜も丁度見頃だしね。日曜日の夜は混むから月曜日! 放課後ソッコー行って場所取りすれば大丈夫だと思うんだ」 「 いいな。俺は月曜日で構わないが」 「 そうね、私もいいわ」 「 ひーちゃんは?」 自分の提案に賛成の意を唱える美里たちを嬉しそうに見やった後、桜井はその花見の主役にするはずの京一は置いておいてすぐさま龍麻に目をやった。 「 うん。いいね」 龍麻はすぐに頷いた。 「 よっし決まり! じゃあ月曜日にお花見大会〜!」 「 お、おい…当人の意向は…」 「 決まり決まり! だって蓬莱寺クンの歓迎会だよ! 主役が来ないわけないじゃん!」 「 はああ? だからその主役の意見は無視かっての!」 「 じゃあ月曜日都合悪いの?」 「 う…いや別に」 「 でっしょ! だって結局剣道部も入るの止めたんだよね? 帰宅部の蓬莱寺クンに何か用があるわけないし! 決まり決まり!」 「 お前なあ…。段々素の強引さが出まくってきてるぞ…」 「 あはははは〜」 「 笑って誤魔化すな!」 「 仲いいなあ、2人。ちょっと妬ける」 京一と桜井の掛け合いのような会話を聞いていた龍麻がすかさずそう言った。ラーメンは半分も食べていない。箸を置き古ぼけた店のテーブルに片肘をついた状態で頬杖をついている龍麻は、何か微笑ましいものでも見るような目で2人の事を見やっていた。 「 おい…緋勇、お前な……」 しかしそんな龍麻に京一が「またか」な視線を向けて口を開きかけようとした途端、桜井がバンバンとテーブルを叩きながら慌てたように言った。 「 ひーちゃん、そんな! ボクはひーちゃん一筋だから! ホントに! こんなのと誤解されたら堪んないよー!」 「 誤解かなあ」 「 誤解だよっ。何言うんだよひーちゃん!」 「 でも私も、蓬莱寺君と小蒔って案外お似合いだと思うわ」 「 あ、葵まで〜!」 「 ………」 何やら訳の分からない方向に向かって行ってしまったこの状況に、京一はもう抗議する気力もなくしてしまった。ヤケのように1人知らぬフリを決め込んでズルズルとラーメンを啜っていると、やがて仲間内で一番リーダー然としている醍醐が落ち着いた口調でその場を取りまとめていた。 「 まあ、ともかくは蓬莱寺が来てくれたお陰で龍麻も楽しそうだしな。月曜日はせいぜい羽目を外し過ぎないくらいには楽しもうじゃないか」 店を出る時には、外はいつも真っ暗だ。 「 眠い」 そんな帰り道、京一の自宅に至る途中にはいつも必ず龍麻と2人きりになる場所があった。まだ互いの家に行ったりという事はなかったが、聞く限りでは京一の自宅は龍麻が1人で住んでいるというアパートから仲間内で一番近い場所にあるらしかった。 「 いつも帰ったらすぐ寝てんのか」 やや見下ろす形になるその位置にはまだ慣れない。 けれど京一はこうして龍麻と2人で歩いていると、時々だけれど「コイツとはもう随分と昔からこんな風に歩いていた」という錯覚に囚われた。 「 ホント眠そうだな」 とろんとした目をして今にもその瞼が落ちそうな龍麻の横顔を見やりながら、京一はいつも「こんなんでよく無事に帰りつけているものだ」と感心した。最初に会った時「低血圧だから朝に弱い」と言っていた龍麻は、しかし基本的には常時眠そうな顔をしていた。そしてそれが時々酷く辛そうに見える事があって、京一なりにそんな龍麻を心配していた。 「 家帰るまで耐えろよ。途中で道端で寝たりすんなよ」 「 あは…何それ…。幾ら何でもそんな事しないよ」 「 だといいがな」 既に声にも覇気がない。京一は呆れたため息を繰り返し、さり気なく車道側に移動して龍麻に歩道の内側を歩かせた。 美里たち、多少「おかしな連中」を決して悪い奴らだと思わないのと同様、京一は「はっきり言ってウザイ」この緋勇龍麻の事も、別段嫌いだとは思っていなかった。何処へ行くにも何をするにも煩く話し掛けてくる龍麻には正直辟易しているし何とか止めさせたいとも思っていたが、龍麻は龍麻でさり気なく京一にとっての限界ラインをきちんと見計らっていて、それを超えてまで近づいてくるという事は絶対にしなかった。 それに京一は龍麻が自分に干渉してくる理由を知っていた。 「 お前さ」 だからそれほど腹が立たなかったのかもしれない。 「 そんなに俺があそこに行くのを止めさせたいわけか」 ただその理由が分からないのが癪に障った。 「 ……んー…」 「 んー、じゃねえよ。ここは大事なとこなんだから、ちゃんと耳かっぽじってよく聞け」 「 聞いてるよ」 「 お前、俺が来る前はずっと寝たい時は寝てたんだろ。他人に関心ねーんだろ。なのにこうまでしてくる理由…1つしかねーもんな?」 「 ……関心ないって事はないよ」 「 とにかく。いい加減に教えろよ。あそこには何があるんだ?」 「 ………」 「 この1週間、お前のガードが固くてあの旧校舎には全然近寄れなかったけどよ。そんだけ隠されると余計に気になるってもんだぜ」 「 だからそろそろ夜中に忍び込もうとか…思ってた?」 「 ああ、まあな」 「 ふっ」 京一が素直に頷くと、ゆっくりとした歩調で前を歩いていた龍麻がぴたりと足を止めた。京一がそれに不思議そうな顔をして自分も止まり振り返ると、龍麻は何かを抑えるような笑みを口元だけに湛え言った。 「 蓬莱寺は正直者だな…。そんな事俺にわざわざ言ったら駄目じゃん…」 「 何で」 「 何でって。それ聞いちゃったら、俺はそれを邪魔するだけだから」 「 眠いんだろ。家帰って寝るだろ」 「 でも蓬莱寺があそこへ行くというなら、俺は寝ないよ」 「 ………」 「 あそこには入っちゃ駄目だから」 「 だからそこには何があるのかって聞いてんだろ!」 「 ………」 「 おい、緋勇!」 「 ………」 焦れたように声を荒げたが、そんな京一に対しても龍麻は依然として静かだった。ただ俯き、小さく笑っているだけ。 その笑みはやはり京一が当初気にかけた時のものと同じ、何だからとても寂しそうなものだったのだけれど。 「 緋勇…」 「 明日」 「 あ?」 「 明日さ…。壬生と友達の所遊びに行く約束してるんだ。蓬莱寺も来ない?」 「 おい…」 「 そこで、俺のことちょっと話すから」 京一の声を遮るようにして龍麻は言った。その後すっと見上げてきたその顔は、やはり今にも泣き出しそうな、そんな頼りないものだった。 だから京一は龍麻に文句を言う事も忘れ、ただ無機的に頷いてしまった。 |
To be continued… |