その日、京一が昼過ぎまで爆睡の域で寝倒していると、母親が「学校はどうした」と怒涛の如くに喚き立てながら部屋に飛び込んできた。無理やり布団を引っぺがされ叩き起こされた京一は、その状況にひたすら「?」マークだったのだが、母親の「クラスメイトの緋勇君から電話があった」という一言にははっとして目を開いた。慌てて傍の目覚まし時計を引っつかむ。 13時。約束の時間まではまだ十分な間があった。 「 んだよ…まだ寝てても平気じゃねえか…」 京一が不満たらたらな様子でそう文句を言うと、怒りの形相で部屋にやってきたはずの母親は途端がっくりと肩を落とし、脱力したようになってハアと深いため息をついた。そうして怒る気力も失くしたという風に、京一には何も発せず黙って部屋を出て行ってしまった。 「 何だありゃあ…」 落胆したような母親のその背中を見送りながら、京一は半分瞼を閉じたままの状態で呟いた。寝巻きの中に片手を差し入れてぽりぽりと胸元を掻きつつ、何かマズイ事でもしたのだろうかと考える…が、思い当たる事はまるでなかった。 京一が「意図せず学校をサボった」と気づいたのは、龍麻から再度待ち合わせ場所を指定する電話が掛かってきてからの事だった。 (6) 「 ったくよー、俺は知らなかったんだって。土曜日ってのは学校休みだろ、フツー?」 「 うちは違うよ。都内の私立校とかなら週休2日って方が珍しいし」 京一の不満そうな口調に淡々と返す龍麻は、その「友人」の家とやらに向かう電車の中でひどく気だるそうだった。 それでも京一にその事を指摘されたくないのか、無理に笑って先を続ける。 「 でも良かったよ。昨日あんなに元気だったのにいきなり休むから。今日約束してたし、風邪でも引いたならお大事になって言うつもりで電話したんだけど…何かごめんな」 「 あーあー別にあんなのは気にしなくていいって。ったく、俺だって別にわざとサボったわけじゃねーってのに鬼のような顔しやがてっよ。…でもよー、俺が素で学校休みだと思ったの、あいつらが花見は月曜なんて言ったからだぜ? てっきり『今度学校あった日に』って意味だと思ってたからな」 「 ああ…。皆今日は部活とか委員があったんじゃないかな。それに言ってたろ、休日は花見客きっと多いから」 「 そうだっけ?」 「 蓬莱寺ってあんまり人の話聞かないんだな」 まるで悪気ないような言い方だったが、京一は露骨に嫌な顔をして見せた。 「 お前な…今めちゃくちゃさらりとキツイ事言ったぞ」 「 え、そう。ごめん」 「 誠意の感じられない言い方だなぁ」 「 うん、でも今日は俺、話すから」 「 ん…?」 そのあっさりと出された言葉に京一が顔を向けると、龍麻はふっと息を漏らし続けた。 「 だから…。まあ、聞いてくれよな」 「 別に…俺はいつでも聞く体勢あったぜ?」 お前が話さないだけだろう。 「 ………」 そう言いかけた台詞は、けれど京一の喉の奥で消えてしまった。龍麻のどことなく憔悴している様子、口を噤んだまま流れる車窓へ目を向けているその横顔が。 どうにも話しかけづらいと京一は思った。 ( 一体俺に何を話す気になったんだ) まるでこちらを見ようとしない龍麻を見つめ続けながら、京一は心の中で呟いた。 あの学園に転校してきてから気になって仕方がなかった旧校舎なる怪しい場所。そこへ忍び込もうと画策する京一を龍麻は執拗に妨害してきた。そこに何があるのかと問う京一の疑問には答えずに。 ただひたすら「あそこへは行くな」としか。 「 ……あ。ここだよ。降りよう」 新宿駅から数駅越した所で龍麻がようやく口を開いた。掠れたようなその声が少し気になったけれど、敢えて心配を口にするのは止めた。ともかくは龍麻が自分に何かを言おうとしている、その事が素直に嬉しいと思っていたから、ここは大人しくただついて行こうと思った。 龍麻が京一を伴って訪れたその場所は、都内の閑静な住宅街では一際異彩を放っていた。 「 ここ…何の店だ?」 「 骨董品屋」 「 いや…それはそう書いてあるから分かるけどよ…」 古い佇まいのその店は邸宅と隣接した形で建てられているせいか、中に入るまでの道のりが長かった。そしてその随分と広い敷地内には手入れの行き届いた植木や池が臨めた。どんな金持ちが道楽でやっている店だろうと訝しんでいると、「江戸時代から続いている歴史あるお店なんだよ」と店の引き戸を開けながら龍麻は言った。 「 翡翠」 「 やあ。いらっしゃい」 店の中は思ったより狭く、暗かった。ざっと一望した感じで、そこには京一が今までに見た事もないようなおかしな品が陳列されていると分かったが、何よりも驚いたのは自分たちを迎えた店主らしき男がひどく若いという事だった。 若い。そう、そもそも自分たちと同じ年齢ではないか? ブレザー姿のその格好は明らかに一般の男子高校生のものだった。どこの制服だろう。 「 今帰ってきたところ? ちょっと早かったかな」 「 いや。行こうとは思ったんだが、結局今日は休んだんだ」 「 また?」 「 ふ…折角来てくれるという龍麻を待たせるのは忍びなくてね」 店内は入ってすぐに狭い一本道のような通路があり、京一は間に龍麻を挟みながらもその直線上から店主である青年を眺めやった。龍麻に柔らかい笑みを向けつつ何やら甘い台詞を囁いたその人物は一目見て「あいつらと同じ種類の人間」だという事を京一に教えた。 しかし今回の「コイツ」には、何故だか今まで以上に嫌なものを感じ、京一はあからさまにむっとした顔を作った。 「 龍麻。彼は?」 そんな京一の視線に気づいたのだろう、青年がやや苦い笑いを浮かべながら龍麻に言った。 「 うん。蓬莱寺京一」 「 緋勇…。お前、そういう紹介の仕方があるか?」 「 そっか。じゃあ剣士」 「 あのな! いや、まあ…実際間違っちゃいないが…」 それでも他に何か言いようがあるだろうと腕組をして口を尖らせた京一だが、龍麻はやや首をかしげた後、困ったように笑った。 「 ………」 それがいやに儚いものに思えて京一は思わず絶句した。 コイツ、何でこんな弱ってんだ? 「 おい緋勇―」 しかし京一がいよいよ我慢ならなくなって龍麻に声を掛けようとした時だ。 「 蓬莱寺…と言ったか。悪いが少しここで待っていてくれ。龍麻を休ませたい」 龍麻に「翡翠」と呼ばれていた青年がきっぱりとそう言い、龍麻の肩を抱いた。 「 ……おい」 「 龍麻、大丈夫か」 「 うん…。ちょっと…だるいだけ」 「 そうか。奥へ行こう」 「 おい」 再度呼ぶ京一に青年も、龍麻すら答えなかった。完全に置いてきぼり状態になった京一は暫し呆気に取られボーゼンとし、その後途端にむかっ腹が立って思わず吐き捨てるように言った。 「 ったく何なんだ、あいつら!」 「 そうだね」 「 どわああっ!?」 「 ……ごめん。そんなに驚くとは思わなかったよ」 「 な、な…!」 ここの奴らは人の背後を取るのがそんなに好きなのか? むかついたまま発してしまった自分の言葉に冷静に反応してきた声。思わず反射的に肩に掛けていた木刀を握り直して構えてしまったが、振り返った先にいた人物は転校2日目に旧校舎で出会った壬生なる龍麻の「友人」だった。 「 お、お前…いつからそこにいた」 「 たった今さ」 「 突然声掛けるなよ。びびるだろうが」 「 気づいていると思ったから」 「 ぐっ…」 こう何度も色々な人間に不覚を取られると、如何な能天気の京一と言えども人並には落ち込む。今まで剣だけでなく、喧嘩でも何でもそこらの奴らには負けない自信があったから。というよりは、師匠以外の人間には負ける気がしていなかったから、このたった数日間で出会った「変な奴ら」には翻弄されっぱなしだと京一は思った。 勿論、不覚を取っても「負ける」とは思っていないのだが。 「 …そういやあ、今日はお前も来るって緋勇言ってたもんな」 気を取り直したように京一が声を掛けると、壬生はこくんと頷いてからすっと視線を横にずらした。まただ。どうにもこの男は人と真っ直ぐに向かい合う事ができないらしい。 横を向きながら当てもなく棚の商品を見ている壬生に京一はため息をついた。 「 何かよ…。あいつの周りって、おかしな奴らばっかだな。お前も含めて」 「 ……それ」 「 あん?」 「 君の事も入ってる?」 「 はあ?」 素っ気無くもすぐにそんな言葉を返してきた壬生に京一は目を丸くした。 「 俺は入ってねえよ。お前、俺をお前や美里たち…それに、今のあのおかしな奴とかと一緒にすんなよ。俺は、ただ」 「 龍麻に興味がある?」 「 ん…」 「 君、龍麻に興味があるの」 「 ……何なんだ一体。俺が興味あるのはあの学園にある旧校舎で…」 「 つまりは龍麻に興味があるって事だろ」 「 ………」 別段害のない顔をしていたはずなのに、今はどことなく殺気立っている。その静かな怒りにも似た感情を向けられて京一は単純に不快だと感じた。緋勇龍麻という男に何も感じないと言えば嘘になるだろう。たかが1週間の付き合いだが分かる。龍麻は明らかにタダの高校生でないし、同時に何か自分には想像もつかないようなものを抱えていると感じる。だからこそ彼を慕い心配する「友人」たちは龍麻に過度の世話を焼き、そして近づこうとするのだろう。 「 ……テメエにそんな眼向けられる謂れはねェな」 そうだ。 だからと言って、こいつらが龍麻に向ける「その想い」と自分は違う。何故こんな今にも襲いかからん程の氣を向けられなければならないのか。 「 ん…?」 しかしここで京一は1人はたと気づいた風になって考え込んでしまった。 想い? 彼らの龍麻に対する想いとは何だろう? そして自分の龍麻に対する感情とは何だろう? 「 ……何か混乱してきた」 「 君は」 がさがさと髪の毛をかきむしる京一に壬生が口を開いた。 「 あの時は気のせいだと思ったんだけど、君は目覚めていないんだね」 「 は? 目覚める? 何に?」 「 ………」 「 ……そこで黙るくらいなら最初から訳分かんねえ話して欲しくねえんだけどな」 イラつきを隠さずに京一が半ば呆れた風に言うと、壬生はすっと京一の背後にある、店の奥の戸を見つめた。 「 龍麻と如月さん、奥に行っただろ」 「 ああ…あいつ如月って言うのか。そういや店がそんな名前か」 「 行ってみれば」 「 は?」 京一がきょとんとすると壬生はまたすいと視線を逸らした。 それでもどことなく強い口調で言う。 「 奥の部屋だよ。入って続きの間から廊下に出て…一番奥の部屋。龍麻はここに泊まる時いつもその部屋に行くんだ」 「 行くって…何で?」 「 行けば分かるよ」 「 何がだよ」 こんな問答はイライラするだけだ。 それでもそんな焦れた風な京一に対し、壬生は依然冷めた表情をしていた。そして何でもない事のように言った。 「 《力》に目覚めている者ならこの敷地に入った時点で如月さんの作った結界には気づくはずだよ。でも君は分からないらしいから、ならあの部屋にまで行けばさすがに分かるだろうと言ってるんだ。龍麻が何故君にそれを知らせようとしているのか…それは僕には分からないけど」 「 ………」 要領を得ない話に怒って良いのはこちらの方であるのに、どんどん陰鬱な表情になり不機嫌になっているのはこの目の前に立つ壬生の方だった。京一はそんな相手を黙って見やった後、何も言わずに店の奥に上がりこんだ。訳が分からずとも、たぶん今はそうする事が一番良いのだろうと何となく思った。 「 無駄に広い家だな」 壬生に言われた通り、和様式の居間を通り抜けて続きの間から長い渡り廊下に出ると、庭にある桜が盛大に花を開かせているのが見えた。風に乗ってひらひらと舞う花びらが美しい。一体どこの世界に紛れ込んだのかと思うほどの絶景だ。 「 贅沢な暮らししやがって」 黙ってそれに見惚れているのが何となく癪で、京一はそう毒づいた後更に歩を進めた。奥の部屋。白い障子が垣間見えてあぁあそこかと思い至る。 「 うっ…?」 けれど「そこ」を意識し更に接近しようとした時、京一は不意に身体全身に痺れを感じて立ち止まった。 「 何だ…これは…?」 辺りを漂う氣の流れがある一定の線を越えた所で完全に変化したと思った。壬生が言う《力》とやらが何なのかは分からないが、とりあえず京一も一介の剣士とは一線を画す特殊な能力を持っていた。つまりは人の持つ、自然界のありとあらゆるものが持つ氣の流れ、雰囲気を感じ取る能力を。 それが「これ以上来るな」とでも言うように突然京一の身体を縛ったのだ。 「 くっそ…!」 無理に動かそうと思えば動かせる。それを確かめて京一は更に奥の間に向けて歩を進めた。ぴしりぴしりとまた再度不快な干渉がかかる。あの如月なる青年がやっている事だろうか。壬生のどことなく怒ったような顔を思い浮かべながら、京一は半ば意地のように痺れを感じる身体を鞭打ち、その奥の間の障子に手を掛けた。 「 緋勇! 入るぜ!」 そして吐き出すようにそう言い、すらりと障子を開く。 「 ――……ッ」 「 ……来れたか」 部屋を開いた瞬間、そう発した如月とばっちり目があった。京一が近づいて来ている事をとうに知っていたのだろう。如月は別段驚いた風もない静かな表情を湛えていた。 「 な、んだよ…」 けれど京一はそんな相手の視線などどうでも良かった。むしろ目に入ってそのまま釘付けになってしまったのは龍麻の寝姿だった。 龍麻は部屋に敷かれた布団には入らず、その傍に座っている如月に縋りつくようにして眠っていた。 「 ……お前ら、何してんだ」 目が離せなかった。 「 暫くここで眠らせるよ」 自分にしがみついたまま眠っている龍麻の背に手を置き、如月は龍麻を包み込むようにして座っていた。一見自然なシーンのようにも見えるが明らかに不自然だ。優しい手つきで龍麻の髪の毛を撫でる、その仕草にも京一は思わず赤面した。 今まで美里たちの龍麻に対する態度が異常だとは思っても、醍醐や壬生の態度、犬神の態度がおかしいとは感じても、あまり「そっち方面」の事柄を意識する事はなかった。 しかし今、ここでこうして寄り添うようにしているこの2人は、明らかに「ただの普通のお友達」同士には見えなかった。 「 ………」 「 壬生も来ているだろう。客間に上がっていてくれ。もう少ししたら僕も行くから」 そんなおかしな姿を晒しているくせに、如月はまるで動じていない。こうするのが当然だというように、自らの懐に龍麻を抱きこんでいる。 その如月は黙り込む京一に再度声を掛けた。 「 蓬莱寺」 「 ………」 「 蓬莱寺。聞こえているかい」 「 あっ…? あ、ああ…」 「 随分と深い眠りに入っている。最近はあまり寝ていなかったようだね」 まったく危ない…。 眉間に皺を寄せてそんな事を呟く如月の声を、しかしこの時京一はまるで聞いていなかった。 |
To be continued… |