(7) 「 待たせたな」 そう言って如月が京一と壬生がいる居間にやってきたのは、龍麻が奥の部屋に消えてから小一時間程経ってからだ。 「 龍麻は寝ました?」 壬生が簡素に訊く。何かと器用そうなこの青年は先刻までさんざ我が物顔で如月宅の台所から自分と京一の分のお茶を淹れるなどしていたが、この家主を尊重する気持ちもあるのか、今度は如月にも同じ物を注いでやっていた。 「 気持ちの落ち着く香も炊いたからな。朝まで起きないだろう」 「 相変わらず…龍麻はここでは良く眠れるんですね」 「 疲れが溜まっていたんだ。いやでも眠れるさ」 「 ふ……それは謙遜ですか」 「 ………」 長方形の漆調テーブルを囲み、妙な空気が流れていた。 京一は自分の両隣に座している壬生と如月を交互に見やりながら、この何とも言えない張り詰めた空気に我慢がならず、ゴホンと大きく咳をした。 「 あー…。ちっと訊いていいか?」 「 何だ」 先に反応したのは如月だった。ちらと見る眼はどことなく厳しい。初対面のお前にそんな眼を向けられる謂れはないと心内だけで毒づきつつも、京一は努めて平静を装いさり気なく訊いた。 「 あの部屋は何だ?」 「 何だ、というのは?」 「 近づこうとしたらビリビリ来たぜ。まるで…そうだな、何かのバリアーみたいな。外敵を寄せ付けないって風のよ。強力な何かを感じたぜ」 「 君は来れただろ」 「 行けたけどな。けど何気にキツかったぜ? 一体何なんだ? ここにいる壬生は結界がどうの…って言ってたけどよ」 「 知っていたのなら訊くな。その通りだ」 「 知らねーよ!」 あくまでも淡々と、そして即答するこの如月なる青年の態度にイラつきを禁じえない京一は、ここでようやく声を荒げるとドンと拳でテーブルを叩いた。傍の湯のみがぐらりと揺れた。 「 大体よ、お前ら変だぜ? あの緋勇が何だってんだ? いや、あいつが何かフツーじゃねえってのはさすがに分かる。まだ1週間足らずの付き合いだが、あいつは他とは違うし…。学校の連中にしたってあいつを気にする態度は、ありゃ尋常じゃねえしな。けど、俺には何が何だかさっぱりだ。今日はあいつがそれを話すというからここまで来たんだぜ」 「 話す…」 「 ああ、そうだ」 「 話すと…言ったのか」 「 ああ。言ったぜ」 「 ………」 きっぱりと答えると途端如月は沈黙した。その様子に一瞬の戸惑いを感じたものの、京一はフンとふんぞり返ると「何か文句あるか」という風な顔をしてからもうすっかり冷め切った緑茶を一口啜った。苦い。壬生はわざとこんなマズイ茶を俺に淹れたのだろうかとちらと思った。 暫くしんとした沈黙が辺りを包み込んだ。如月は何かを考え込んだ風に黙りこみ、壬生は無表情ではあるけれどどことなく不機嫌そうなオーラを発している。そして京一はといえば、こんな訳も分からない2人に囲まれて、しかも明らかに好意的ではない両者の視線に晒されて居心地が悪い事この上なかった。 「 緋勇が…あいつが何だってんだ…?」 だからもう一度訊いた。答えは返ってこないだろう。何となくそれには確信に近いものがあったが、訊かずにはおれなかった。 「 天使、だろ?」 そう発せられた声に京一が驚いて振り返ると、不意にスラリと開かれた襖から1人の男が現れた。 「 村雨…」 如月の不快な声でその男が「村雨」という名だと分かる。白い学ランに白い帽子を目深に被った、見るからに怪しい大男だ。口元に浮かぶ不敵な笑みと顎先についた傷が印象的だった。 「 先生が俺らにとって何かっていやあ、天使、アイドル、女神様…。そこらへんがピンとくるかねえ。なあ?」 「 何だ…?」 「 よう。蓬莱寺京一」 「 !?」 突然名前を呼ばれた事で京一は思い切り身構え、咄嗟に傍の木刀を掴んだ。 村雨はそんな京一の態度に笑った。それから居間の入口に立ったまま帽子のツバをくいと指先で上げて見せる。 「 そう身構えるなって。俺らの大事な先生が追い掛け回してるって転校生だぜ。嫌でも噂くらいは耳に入る」 「 何…なんだ…?」 「 先生の心をかき乱してる男ってのはどんなイイ男かと思っていたが。フッ、どうだよ壬生、如月。お前らの敵にはなりそうかい」 「 くだらない事を言うな、村雨」 眉間に皺を寄せた如月がぴしゃりとそう言うと、随分と沈黙していた壬生まで口を開いた。 「 村雨さん。一体何しに来たんですか」 「 おいおい、2人してそう邪険にするなよ」 如何にも邪魔だと言わん態度をされた事で村雨なる男はやや身体を仰け反らせつつ苦笑したが、それでも実際はそれほど堪えてはいないのか飄々として言った。 「 壬生、お前と同じだ。先生に呼ばれたんだよ。自分はここで暫く寝ると思うから、それまでこの蓬莱寺の相手をしていてくれってな」 「 はあ?」 その台詞に京一が唖然としていると、村雨はどことなく気の毒そうな顔をして笑った。 「 先生が寝ている間、お前さんを見張る奴がいなくなるだろう。俺らは足止め係ってわけだ。丁度面子は4人。囲めるぜ」 「 やれやれ…」 「 は? 何だ? 足止め? 囲む? お前ら一体何なんだよ!?」 俺は緋勇が自分の事を話すというから―。 しかしその台詞を京一は最初の「お」の字すら言わせてはもらえなかった。 「 それなら今日は僕も本気でやりますよ。とことんまで賭けてもいい」 「 村雨。お前が負けたら、今までの貸し分全て返せよ」 あわあわとしている京一には構わず、すかさず両隣に座していた壬生と如月がキラリとした眼で交互にそんな事を言った。そして一斉に京一に不敵の笑みを向ける。 「 な…何だあ…?」 「 フッ…。あーあ、かわいそうになあ、まったく」 そうして村雨は半ば同情するような眼を京一に向け、それでも途端に勝負師の顔になると「俺もマジにやらせてもらうぜ」と、訳も分かっていない相手に真剣な口調で言った。 「 ……ッ」 京一はそんな3人に流されるまま、ただ何が何だか分からないままにボー然とするよりなかった。 「 あれ…蓬莱寺」 「 ………」 如月は朝まで起きないだろうと言っていたが、龍麻は「喉が乾いた」と言って夜も大分更けた頃にのそのそとあの奥の間から出て来た。そうして縁側で膝を抱えいじけたように夜桜を眺めていた京一に気づくと不思議そうな顔をして首をかしげた。 「 こんな所で1人酒か? 皆、お前の相手してくれなかった?」 「 ………」 「 ? 蓬莱寺ってば」 「 ………あ?」 面倒臭そうに顔を上げようやく返事をしてやると、龍麻はそんな京一の隣に自分も座りこみ、黒々とした瞳を向け窺い見るようにして顔を近づけてきた。 「 どうかしたのか? 何か…凄く落ち込んでるみたいだけど」 「 ……金」 「 え?」 「 金も学ランも、パンツすら取られた…」 「 は?」 「 いやしかし…。あいつら失礼この上ない事に俺のパンツは汚くて到底売れないからいらねえとか言いやがって…」 ちなみに今着ている学ランも1度は脱がされたものの、「二束三文にもならないから」と突っ返された。代わりに借金の額はきっかりと増えたわけだが…。 「 この木刀まで取られたらマジでシャレになんなかったぜ…。ま、いざとなったら暴れるしかねえとか思ったが…」 「 ねえ、何の話してんの?」 「 んー!? だ、大体なぁっ!!」 依然として自分が発する言葉の意味を図りかねているという龍麻に、京一は遂にきっとした眼を向けて声を荒げた。 「 お前がっ。あんな奴らを足止め係!?か、何か知らねーが俺に差し向けるから、あんな容赦ない冷血漢の人でなし共からさんざタカられて文無しになるハメになったんじゃねーかッ。ついでに俺のプライドもズタズタだぜ!」 「 ほ、蓬莱…」 「 くっそー。あいつら俺1人をカモにしやがって、俺が一体何したっつーんだ! 麻雀するって分かってたら俺だって最初っから気合の入り方も違ったしよ! そうだよ、いきなり不意打ち勝負だったから調子が狂ったんだよ! しかもあの村雨!? 何だよアイツ! めちゃくちゃ勝負運強ェーしよ! そんで壬生と如月か!? あいつらは攻め方がとにかく汚ェ! 姑息!!」 「 ………」 「 あーくそっ、思い出しただけでまたむかついてきたぜっ。そんでよ、あいつら俺に夕飯の片付けとかも全部やらせやがって! 何が悲しくて野郎が食った皿なんか片付けなくちゃなんねーんだ!? 出前の寿司は美味かったが…それだって俺の懐から出る金じゃねーかっ。しかも持ち合わせがねー分は如月に借金ってなっちまったし! あー、あいつ、もしかしてすげー小汚ェ利子とかつけんじゃねーだろうな!?」 「 ……ぷっ」 「 んっ!?」 「 あ…あははっ…」 まくしてたてるように一気にがなり立てた京一に、最初こそきょとんとした風に聞いていた龍麻は、突然可笑しそうに笑い出した。笑い過ぎて苦しいのか腹に手を当てて目じりに涙すら浮かべている。 京一はそんな龍麻の笑い顔にぴたりと興奮して喋っていた口を閉ざした。 「 ………」 「 あははははっ。そっか、皆で麻雀してたんだ? いいなあ、俺も混ざりたかったよ」 「 ……な、何―」 「 賭け麻雀なんかするんだ? 俺とやる時はいっつも何も賭けないよ。ただ普通に遊ぶだけなのに」 「 は、はああ!? それ、マジか!?」 龍麻の言葉に京一が仰天して声を張り上げると、龍麻は「うん」と頷いてからようやく落ち着いた風になって揺らしていた肩を止めた。 「 たぶん俺が素人だからだと思うけど。凄く丁寧に教えてくれるよ。壬生なんか俺が待ってる牌読んで、それわざと捨てたり」 「 ありえねえ…何だそりゃ…」 「 で、村雨はさ、凄いギャンブラーなんだぜ。アイツ、新宿じゃちょっとした顔で、殆どの勝負じゃ負けた事ないって言ってた。だからあんな奴と普通に賭け麻雀なんかしたら負けるに決まってるよ。如月だって相当な腕だしさ。蓬莱寺、ひどい目に遭ったなあ」 「 ……そういう事は寝る前に言え」 がっくりと肩を落とす京一に龍麻は依然として可笑しそうに目を細め、それからふっと襖の向こうの部屋に視線をやった。 「 皆は? もう寝てるの?」 「 あ…ああ、ちげーよ。壬生が途中で仕事?か何か言い出だして帰るっつってよ。村雨の野郎も一緒に出てったぜ。あいつはお前が起きるまでいるなんて言ってたけど、如月がデカイのが2人もいたら邪魔だから帰れっつってさ。追ン出してた」 「 じゃ、翡翠は?」 「 店の方行ったけどな。俺には来んなっつって、これだけ渡して消えた」 京一は横に置いていた一升瓶を掲げてから、ハアとまた大きくため息をついた。果てしなく美味いと感じさせる酒だが、これも自分が奴にした借金分に入っていると思うと素直に楽しんで呑む事などできない。高校生で店の主なんてやっていると心の底から守銭奴になるのだろうかというのが、京一の如月に対する感想である。 「 そっかあ…。じゃ、京一暇だった?」 「 んな事ねえよ。あんな奴らと遊ぶくれーなら、ここで1人酒飲んでた方がイイ」 「 ホント? なら良かった」 「 大体、帰りたくてもあの如月の野郎が俺をここから出さねーっつって、訳分かんねえ結界か!? それあちこちに張りやがってよ! 呑むしかやる事なかったんだよ」 もっとも、自分とてそんな事をされずとも龍麻が起きるまで帰る気はなかったわけだが。 「 この家は上品過ぎてなかなか眠れなかったしな」 けれど京一は敢えてその言葉は飲み込み、龍麻にはふてくされたようにただそれだけを言った。 「 ごめん」 すると先刻まで楽しそうに笑っていた龍麻は突然真面目な顔になると一気にシュンとなり、俯いた。 「 お、おい…?」 その暗い様子に京一もあっという間に慌てた。 今の今まであんなに楽しそうに笑っていたくせに。 何だその顔は。反則だ。 「 ごめんな、蓬莱寺…。俺、翡翠に頼んでたから。俺が起きるまで蓬莱寺を帰さないでくれって。翡翠、ああいう奴だろ? 2人だけじゃ大変かもって、だから壬生と村雨も呼んだんだけど…」 「 あ、ああ…」 「 それでもし蓬莱寺が嫌な思いしたって言うなら…本当ごめん」 「 別に…俺は…」 龍麻の心底申し訳なさそうな声に京一はただ困惑した。元々具合が悪そうで奥の間で休んでいた龍麻だ。そんな相手に自分もたかだが麻雀に負けたくらいでムキになり過ぎただろうか。いや、しかしあいつらの「龍麻に手を出す不届き者」とでもいうような、何やら不穏な殺気と敵意とて十分度が過ぎていたし、俺だけが悪者か? 悪者なのか? そんな葛藤も、京一の胸には同時に沸き起こったりした。 「 あのな、蓬莱寺」 すると龍麻が言った。 「 俺が…それに翡翠や壬生や村雨…。あいつらが、ちょっとフツーとは違うって言うのは、お前ももう分かっただろ?」 「 あ? あ、ああ…」 突然振られたその話題に京一は驚きつつも反射的に頷いた。 龍麻が奥の間へ消えた時、その後を追ってあそこへ向かった時点でその「何となく」あった疑いは確信となった。何か尋常ならざる未知の《力》が彼らにはある事を。 「 お前がその事を分かるのはお前にもその《力》に目覚める素養があるからだ。会ってすぐにそれは分かったよ。それどころか…お前のその素質は…」 「 ……? 緋勇?」 「 ……俺はお前のその《力》を目醒めさせたくない。だから…俺はお前にあそこへ行って欲しくなかったんだ」 「 おい、何を…」 「 ………」 「 あそこってのは…旧校舎、か?」 「 ………」 訊くと龍麻はこくりと頷いた。そしてはっと息を吐き、視線を逸らす。その瞬間、ふいと横を向いた龍麻の首筋が露骨に目の前に晒されて、京一はぎくりとした。 何て白い。 「 お前のその《力》は…きっと龍が喰いたがる」 儚げな表情をして龍麻は言った。 「 緋―」 「 だから俺は…」 けれど龍麻はそう言いかけたきり、後はしんとして黙り込んだ。 「 ………」 京一は何も言えずただ驚いた眼差しでそんな龍麻の横顔を見つめ続けた。どうしてか目が離せなかった。 「 あ…?」 しかし暫くした後、ふと感じたその気配に京一がゆっくりと振り返ると。 「 ………」 そこにはこの家の主・如月がひどく厳しい眼をして俯く龍麻の背を見つめていた。 |
To be continued… |