(8)



  がちゃがちゃとビニール袋の中身が騒々しくざわめく。京一はしかめっ面をしながらその荷物を自分そっちのけで盛り上がっている桜井たちの前にドンとわざと乱暴に置いて見せた。
「 ったく!」
「 ん?」
  その音で桜井他、その場にいた者たちもようやく京一の存在に気づいた風になり、振り返った。
「 あー、やーっと戻ってきたよ。遅い遅いッ。一体何処まで行ってたのさ!」
「 本当よ〜。蓬莱寺クンってば案外トロイのねえ。アタシたちの飲み食いのペースに全然追いつかないんだから!」
「 テ、テメエらなぁ…」
  めいっぱい広げられたピクニックシートの上には既にたくさんのジュース缶やスナック菓子が所狭しと並んでいる。更に「今日の花見の為に」と、腕によりを掛けたという美里手製のチラシ寿司がその場を色彩やかに飾り立てていた。
  それなのに「本日の主賓」である京一が買い出しに行かされたのには、ひとえに京一の運の悪さと彼らの「天使ちゃん」こと龍麻とに原因があった。
  袋の中身をガサガサとやりながら桜井が言った。
「 ねーねー、それでひーちゃんご所望のポカリはちゃんとあった? 買ってきてくれた?」 
「 あとアタシたちが頼んだジュースとお菓子もネ!」
  桜井の隣に座る新聞部の遠野も偉そうに言った。更にその隣にはあの不気味な少女・裏密ミサもいたが、こちらは特には言葉を出さず、ただにたりにたりと何やら意味ありげな笑みを浮かべている。
  京一はそんな女性陣3人の姿を苦々しく見やりため息をついた。
「 くそ、人の買い出しだと思ってよくもこんな好き勝手に注文してくれたな…。大体、あの勝負もお前ら全員結託して俺をハメたんじゃねえのか?」
「 人聞きの悪い事言わないでよねッ。ジャンケンはいつの世も公平だよ。ね、醍醐クン?」
「 ああ、そうだぞ。俺たちは何も図ってなどいない。まあ、過ぎた事をごちゃごちゃ言ってないでお前もさっさとこっち来て飲め!」
「 飲めって言ってもジュースじゃねえかよ…。ったく」
「 学生が酒を飲んでいいわけないだろう!」
「 うふふ。そうよ蓬莱寺君」
「 ちっ…」
  固い事を言ってふんぞり返っている醍醐と、薄っすらと人の良い笑みを向けている美里に京一はまた嘆息。先ほどからこれの繰り返しだ。
  今日は月曜日。
  先週桜井が提案した通り、京一の歓迎会も兼ねた花見は真神学園からすぐ近くの新宿・中央公園で行われていた。一気に温かくなった4月の初頭、桜もその気候にあわせたかのようにめいっぱい花を開き、本日は絶好の花見日和だった。そのせいか月曜日とはいえ夕暮れ時の公園は学生や会社帰りのサラリーマンなど、多くの人でごった返している。
「 お花見っていいよね〜。桜の下で食べる物っていつもの倍美味しく感じるし!」
「 ホントホント。美里ちゃんが作ったこのチラシ寿司も最高! プロ級! さっすがは美里ちゃん」
「 うふふ…ありがとう、アン子ちゃん」
「 それに何と言っても、ひーちゃんだよねっ!」
  桜井はびしっと勢いよく指差しながら、自分の真向かい、ちょうど美里の膝の上に頭を乗せてぐうぐう寝入っている龍麻を嬉しそうに見やった。
「 や〜桜の下で熟睡するひーちゃんはこれまた一段と可愛いよねッ」
「 ぐふふ〜目の〜保養だね〜」
  裏密もつぎはぎの人形を抱きしめながら歯をかたかた言わせて同調している。ついでに遠野も醍醐も、龍麻を膝に乗せて大層ご満悦の美里も、皆幸せそうな顔をしていた。
  花見というより、「龍麻見」か。
「 ………」
  やはり今日の花見は自分の歓迎会なんかではないと京一は多少僻みめいた思いでその風景をげんなりと眺めやった。そうして自然、皆と同様深い眠りに入っている龍麻の顔に目をやった。
  こいつは前髪も長いが睫も長いんだななどとどうでも良い事を考えながら。

  まったく、さっきまでは起きていたくせに。

「 ……膝枕ねえ」
  京一はぽつりと誰にも聞こえないくらいの小声でそう呟いた。正直、龍麻がここにいる女性陣の誰かを本命としている風には見えないのだが、こういう場面を目の当たりにすると、とりあえずこの中では美里が良いのだろうかと思う。龍麻は何かというと美里の隣にいるし、美里には安心して身体を任せているように見えるから。そして美里は美里でこちらはもう無条件に龍麻を溺愛している。
  もっともそれは美里以外のここにいる連中全員に言える事でもあるのだが。
「 …それに、ここ以外にもいるしな」
  京一はまた独りごちながら、面白くなさそうな顔で傍にあったスナック菓子をぽいと口に放り込んだ。





  如月宅で龍麻が言った内容は、京一にはまるで理解できなかった。
「 龍…が、喰う? 何の話だ?」
「 ………」
「 おい…。どういう事だって訊いてんだよ」
「 うん…」
  言い淀む龍麻に京一は焦れたように声を荒げた。
「 あのな! 俺はあんま気が長い方じゃねえんだからよ! お前が俺に何か言いたくて、けど何も言えねえってんなら…! なら俺はお前が行くなっつー旧校舎へ行くぜ? そうすりゃお前が言ってる《力》のことも、龍とやらの事も分かるんだよな!?」
「 ……分かるけど」
「 あ?」
  不意に口を開いた龍麻に京一は眉を吊り上げた。
  龍麻はそんな京一の方を見つめたまま、静かに言った。
「 分かるけど、死ぬよ」
「 な……」
「 俺か……お前が」
「 緋勇…?」
「 龍麻」
  すると2人の背後に立っていた如月がようやく口を開き、すっと龍麻の傍に歩み寄ると不機嫌そうな顔で言った。
「 そういう事は言わないでくれ。何度も言っているだろう」
「 翡翠」
「 翡翠、じゃない。彼に一体どういう説明をするのかと思えば…そんな言い方では、余計に気になったこの男があそこへ行くと言い出すのも道理じゃないか。そんな事くらい分かるだろう。まるで君は…行くなと言いながら、実は進んで蓬莱寺をあそこへ差し向けようとしているかのように見える」
「 ……まさか」
「 違うと言い切れるのか」
「 ……ちがう」
「 こら、お前ら…」

  また訳の分からない会話を俺の前でし始めやがった。

  京一は思い切り不満な顔をしてじりじりとしながら胡坐をかき、自棄になったように叫んだ。
「 ったく、イライラすんなぁ…! だが、その通りだぜ! この如月の言う事を肯定すんのも癪に障るが、何がどうなってんのか説明する気がねえなら、俺はマジであそこへ行くぞ? それで龍が出ようが蛇が出ようが、俺は別に構わねえ!」
「 駄目だ」
「 は、はあ!?」
  言いかける京一の言葉を制し、今度は如月が力強くそう切り捨てた。
  京一がガクリと身体を傾けさせるのを冷めた目で見やりながら如月は言った。
「 旧校舎へは近づくな。もし行くと言うのならば、この僕が力ずくでも止める」
「 言うじゃ…ねえか…」
「 僕が説明しよう。龍麻の代わりに」
  如月は龍麻の横に立ったまま、はっきりとした口調で言った。
「 何故龍麻が君を旧校舎へ行かせたくないのか。簡単さ」
「 何だよ…?」
  その迫力に押されて思わずたじろぐと、如月はそんな京一を見下ろしながら言い聞かせるようにゆっくりと口を切った。
「 普通の神経の持ち主なら、行けば命の危険があるような所へは好んで近寄ったりはしない。だが、君はそういう所へは喜んで行くタイプだ。そうだろう?」
「 う…そ、そりゃ、まあ…」
「 そんな事は見れば分かる」
  頷く京一に如月はあくまでも冷たい。しんとしている龍麻をちらと見てから如月は続けた。
「 いいかい。君は氣を読み取る力に長けているようだから、あそこが…旧校舎が普通の場所と違うという事はすぐに分かった。そして興味を持った。だが、君も感じているようにあそこは常人が潜って耐えられるような場所ではないんだ。だから龍麻は君をあそこへやらないようにと神経を遣っていた。君が危険な目に遭わないように、だ。言わばこれは君の為なんだ。分かるな」
「 な…何かとってつけたような理由に聞こえるがな…」
「 もし君が危険な目に遭えば龍麻とて君と関わってしまった手前助けに行かなくてはならなくなる。そうすれば龍麻も危険な目に遭う。つまりそういう事なんだ。……そうだろ龍麻」
「 ………」
「 龍麻」
「 ……そういう事だよ」
  親に叱られた子どもだ。それがこの時龍麻の表情を見た上で下した京一の感想だった。
  龍麻は渋々といった風に頷き、それからちらと如月の事を見上げた。酷く幼い顔に見える。たぶん、龍麻はこの如月という男に甘えているのだ。真神の美里や醍醐たちにも龍麻は随分心を許しているようだったし、ここへわざわざ呼んだ壬生や村雨にしても、かなりの信頼を置いているのは間違いなかった。
  それでもここにいる如月はまた別格なのだろう。少なくとも京一にはそう思えた。
「 ……まあ。そこまで言うなら、よ。……行かねえよ。俺もお前らに妙に監視され続けるのはウンザリだからな」
  「潜る」と言えば今にも喧嘩を売ってきそうな如月を前に、京一は半ば呆れたように肩を竦めそう言った。妙な雰囲気の中、これ以上無理に旧校舎へ行くとなど言い張る気力はもうなくなっていたし、何よりこの時の京一は…。
「 龍麻。もう1度寝てくるといい。ここは僕がいるから」
「 うん…」
「 ………」 
  この時の京一は、龍麻と如月が放つ2人の空気に何故だか非常に面白くないものを感じていた。だから、そのモヤモヤとした気持ちを抱えるだけで手一杯だったのだ。





「 あーっ! ちょっとちょっと蓬莱寺クンッ! キミ〜! こん中にポカリないじゃん! ひーちゃんご所望の!!」
「 あ?」
  その時、世界の一大事が起きたとでもいうような声が京一の耳をつんざいた。
  目をぱちくりやると、目の前の桜井が激怒している。
「 何やってんだよーっ。何を忘れてもひーちゃんのポカリは忘れちゃダメだろ! 何をボケボケしてんのさ〜!」
「 ホンット、信じられない。龍麻のリクエストを買い忘れ? アホにも程があるわそれ」
「 ア、アホだあ…?」
「 早く! 早く買ってきて! ひーちゃんが起きる前にほらほらほらっ!」
「 買っ…って、俺は今戻ってきたばかりで…」
「 蓬莱寺君」
  ごちゃごちゃと煩い小蒔と遠野に抗議をしようと京一が口を開きかけたところに、美里がすかさず声を掛けてきた。しかし、自分を庇ってくれるのかと目を輝かせ振り返った京一に美里は菩薩の微笑みで一言。
「 気をつけて行ってきてね」
「 ………」
「 きししし〜。いってらっしゃい京一君〜」
「 そうだそうだ! さっさと行け! 走れ! 京一!」
「 いけいけ京一〜!」
「 ついでに俺にも何か食い物買ってきてくれ、京一」
「 ………帰りてえ」

  こいつら、どんどん馴れ馴れしくなってねえか?

  げんなりしつつ、それでも京一は仕方なく腰を浮かした。何を言っても無駄だというのは分かりきっているから、最早言い争う元気もない。脱いだばかりの靴を履き、京一はいじけたようになりながら傍の木刀を手に持った。
「 それ置いてけば?」
  遠野がそう言って「邪魔じゃない?」と続けるのを京一は不快な顔をして蹴散らした。
「 ふざけんな。こんな所置いておけるかっての。俺の魂だぜ」
「 ふうん。やっぱ剣士は違うねえ」
  桜井が感心したように言い、それからふと思い出したようになって笑った。
「 そういえば去年の今頃だったよね。同じようにお花見してた時、刀振り回した人と戦ったの」
「 はあ?」
「 小蒔」
  唖然とする京一の声とほぼ被るように美里が嗜めるような声で桜井を呼んだ。
「 ダメよ。それにそんな風に笑ってお話する事でもないでしょう?」 
  顔は笑っているが美里の顔はどことなく手厳しい。それで桜井も慌てたようになって両手で口を押さえた。
「 ご、ごめん、ついっ。ごめんねッ」
「 大丈夫だ、桜井。龍麻も寝ているし…な」
「 な〜んで。アタシは結構あの頃の話好きだけど?」
「 ミサちゃんも〜。ひ〜ちゃん強くて〜カッコ良かった〜」
「 アン子ちゃん。ミサちゃん」
「 ……はーい。ごめんね美里ちゃん」
「 きしししし〜ごめん〜」
  恐縮する桜井とは対照的に遠野と裏密はどことなく不満そうだ。それでも同じように言い含められるように美里に呼ばれると、2人はあっさりと反省するかのように謝罪の言葉を吐いた。
「 ………」
  5人だけが分かる会話。5人の中でさっと流れてさっと消えた妙な雰囲気。
「 ……どうでもいいけどよ」
  京一は慣れたような目をしつつも、言いかけた言葉を飲み込み「ちっ」と舌打ちした。余計な事は言うまい。思うところは多々あったが、どうせ何を訊いても実りある答えは返ってこないのだ。たったの数日だが、そういう事に関して京一はもう「悟って」しまった。
  知りたい事は自分自身の手で探るしかないというわけだ。
「 あ〜、それにしても龍麻の寝顔って本当ほっとするわねえ」
  踵を返し買い出しに向かう京一の背中で遠野がうっとりとそう言うのが聞こえた。京一はちらとその方向へ目をやり、未だ美里の膝の上でスースーと寝入っている龍麻の顔を視界の隅に入れた。

  ほっとするだって?

「 どうだかな」
  遠野の言葉を心の中で反芻した後、京一はどちらかというと腹立たしい想いで吐き捨てるようにそう呟いた。



To be continued…



7へ戻る9へ