(2)



  それから数日して、龍麻は思い切って「如月骨董品店」へと足を向けた。こちらから行かなければ如月には会えないわけだし、こちらから歩み寄らなければ如月は決して語りかけてはくれない。それが龍麻には分かっていたから、数日は悶々としていたものの、やはり動かずにはおれなかった。
「 こんちは…」
  学校が終わってからそのまま来たから、もしかするとまだ店は開いていないかもしれない。来るまではそうも思ったが、店は営業しているようだった。龍麻は恐る恐る引き戸を開けて、中にいるだろう店主に向けて挨拶をした。
「 翡翠…? いないの…」
「 いるよ」
「 わっ」
「 店内では静かに」
  突然大声をあげた龍麻に、如月は帳簿をつけていた手を止めてむすっとした顔を向けた。店の奥に座っている如月は今日は和装姿で、これは学校には行っていなかったのだなという事が一目で分かった。龍麻は如月がいた事にまずはほっとし、それから会う早々小言臭い言い方をする如月にやはりぶすっとした。
「 だって突然声出すから驚いたんだ」
「 いるのかと訊かれたから返事をしただけだよ」
「 気配がしなかった」
「 消してないよ。君が未熟なだけだろ」
「 もう…っ」
  何故こういつも言い合いみたいになってしまうのだろう。そう思いながらも、龍麻は心の中で数日ぶりに如月と話せた事がどこかでやはり嬉しかった。そろそろと近づいて、如月がいる帳場の近くに椅子を引っ張ってきて腰をおろした。
「 今日学校行かなかったの?」
「 まあね」
「 何で」
「 いつもの事だろ」
「 そりゃそうだけど」
  それで会話は途切れてしまう。はあと龍麻はため息をついて、それでも傍で筆を動かす如月の手をじっと見つめた。
  何故か龍麻は如月の傍にいるのが好きだった。どうしてかは分からないが、とにかくひどく落ち着くのだ。同じ年の青年であるはずなのに、京一やその他の仲間たちといるのとは違った安心感が如月にはあった。
  だからかもしれない、自分がここに来てしまったのは。そう、龍麻はぼんやりと思う。
「 その傷」
「 え…」
  不意に如月が声を出したのに我に返り、龍麻は呆けた声を出した。如月はそんな龍麻には構わず顔を帳簿に向けたまま続けた。
「 随分よくなったみたいだ」
「 あ…うん、平気だよ。元々大した事なかったし」
「 大した事があってからじゃ遅いんだ。反省しているかい」
「 し、してるよ!」
  また説教になって喧嘩になるのかな。そんな不安に駆られながらも、龍麻は自分の荒い声を止める事ができなかった。
  しかしその瞬間、如月が言った。
「 僕もしている。あの時は少しキツく言い過ぎた」
「 え」
「 悪かった」
「 そっ、そんな! 悪いのは俺だから!」
  らしくもなく謝られて、龍麻は動転して立ち上がった。それからオロオロとし、それでもそう言ってくれた如月が嬉しくて図らずも顔に笑みが浮かんでしまった。
「 ……君は、おかしな人だな」
  そんな龍麻に、如月はここで初めて薄く笑って見せた。それから傍にあった赤、緑、橙、黄、白色をした丸い飴玉の入った大瓶を龍麻に差し出した。龍麻がきょとんとしていると、如月は尚も楽しそうな顔をしてから頬杖をつき、半ばバカにするような目をして言った。
「 あげるよ。きちんと反省できたご褒美にね」
「 な、何だよそれ…。人を子供みたいに」
「 違うのかい?」
「 ひ、翡翠!」
  せっかく如月の笑顔を見れて嬉しい気持ちになっていると言うのに、その言い草。龍麻が尚も激昂してつっかかろうとすると、逆に如月はしれっとして先に反撃してきた。
「 どうせ僕は君にとって頑固な父親なんだろう? 親は子供が良い事をしたら、こうやって些細なご褒美をあげるものさ」
「 なっ!!」
「 …まあいいさ。君を護る僕の立場に玄武も父親もそう変わりはないからね」
「 ひ、翡翠それは…」
  しかし龍麻はそれきり言葉を継ぐ事ができなかった。
  一体誰が、というか1人しかいないが、壬生が如月に自分があの時思わず口走ってしまった事を言っているとは思わなかった。が、それよりも今はからかうような目でこちらを見る如月をまともに見る事ができなかった。





  すごすごと店を出ると、そこには壬生がいた。
「 み、壬生! 何で…」
  ここに、と言おうとして、しかし龍麻はすぐさまむっとして壬生をそのまま素通りしようとした。
「 龍麻…?」
  しかし壬生は自分が無視される理由が分からないのか、途惑った風になって後を追いかけてきた。
「 龍麻、どうかしたかい」
「 ……自分の胸に聞いてみれば」
「 龍麻?」
「 俺! 壬生がこんなお喋りな奴だとは思わなかったよ! まさか翡翠に言っちゃってるなんて…!」
  龍麻はずんずんと先を歩きながらぷんぷんと怒ってそう吐き捨てた。壬生はそんな龍麻の背中を追いながら、尚も訳が分からないという風に怪訝な顔をした。
「 何の話だい、龍麻」
「 とぼけるなよ! 俺が翡翠のこと頑固親父みたいに思ってるって、翡翠に喋ったろ!」
「 言ってないよ」
「 嘘! だって俺、あの事壬生にしか言ってないもん!」
「 言ってないよ、龍麻」
「 ……っ」
  尚もそう言う壬生に、龍麻は怒りを感じながらその勢いのまま振り返った。
  …が、あまりにも悲しそうな顔をしている壬生に動きが止まり、後の言葉を続ける事ができなくなってしまった。

「 壬生……」
「 言ってないよ、龍麻」
「 ………」
「 僕は君の言う事は守るから…」
「 ………分かった」
「 龍麻」
「 うん。疑ってごめん、壬生」
「 龍麻……」
「 なあ、壬生」
  龍麻はハアとため息をついてから、くるりと振り返って壬生に力なく笑って見せた。それから通りのブロック塀に寄りかかってぽつりと言った。
「 俺さあ…何か。翡翠のこと、好きみたい」
「 …………」
「 ははは…。うーん、よく分からないけど、だって俺、あいつのことすぐ頼っちゃうしさ」
  壬生は無表情のまま、ただ龍麻の話を聞いていた。龍麻は下を向いたまま続けた。
「 あいつとはすぐ喧嘩になっちゃうけど、でもそれでもずっと無視とかできないし。何でもいいからさ…話してたいって思うんだ」
「 …………」
「 これね、さっき翡翠から貰ったんだ」
  そして龍麻は如月から受け取った飴玉の入った瓶を壬生に恥ずかしそうに見せた。それをくるくると手の中で回しながら、龍麻は壬生に言った。
「 こんなさ…こんなもん貰っただけで嬉しくて」
「 …………」
「 こういう気持ちってなったことないから」
「 そんなのは」
「 え?」
  不意に口を開いた壬生に、龍麻ははっとして顔を上げた。しかし当の壬生はもう龍麻の方は向いておらず、くるりと背中を向けたままただじっとその場に立ち尽くしていた。
「 壬生…?」
「 そんなのは、恋と違うよ」
「 え…?」
「 龍麻の如月さんへのそんな想いなんて、恋とは違うよ。如月さんの龍麻への想いだって違う…」
「 な…んで壬生がそんな事言うんだよ?」
  多少気分を害して龍麻がむっとして訊き返すと、壬生は微かに肩を震わせ、しかし後の言葉を凛とした声で続けてきた。
「 僕には分かるから」
「 どういう…意味?」
「 ………」
「 壬生? 何だよ、言いたい事があるなら…」
「 龍麻はバカだ」
「 は……」
  突然そう叫んだ壬生に龍麻は唖然とした。
  そして不意に振り返って自分の肩を掴み、そのまま押し迫ってきた壬生に対しても、龍麻は咄嗟の抵抗を試みる事ができなかった。
「 壬…ッ?」
「 君は何にも知らないんだ…」
「 ん…っ」
  その、予想だにしなかった壬生からの口づけは、ひどく強引でぴりりと身体に電流が走ったようになって。
  とても悲しい感じがした。
「 壬、生…?」
「 ……最低だって言っていいよ」
「 ……」
「 でも、これが僕の……」
  けれど壬生は最後まで言う事をしなかった。すっと龍麻から顔を逸らし、壬生はその場から駆け出して行ってしまった。
「 み、壬生…!」
  けれどそう引き止めた声も、ただむなしく道路の中に消えただけだった。壬生はあっという間に通りの向こうに消えてしまった。
「 壬生……」
  龍麻は走り去った壬生の方向をただ眺めたまま、その場に立ち尽くすだけだった。どうして良いか分からなかった。壬生の突然の行為が理解できなかった。
  如月に貰った飴玉の瓶を胸に抱えて、龍麻は壬生に与えられた唇に残った熱をただ感じていた。



To be continued…



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