(12)



  龍麻は何も言わずに僕を寂れた廃屋に連れて来た。
  以前に火事でもあったのだろうか。煤けた建物は今にも崩れ落ちそうで、冷たい冬の風が轟々とその付近に吹き荒ぶと、罅(ひび)の入った石壁のかけらが周囲にボロボロとこぼれ落ちた。
「 龍麻…ここは?」
「 ……友達がここで死んだんだ」
  龍麻は僕に背中を向けたまま静かな口調でそう言った。
「 まだ紅葉に会う前の話なんだけどさ。俺、その頃結構京一たちともそれほど仲良くなってなかったし、彼女と偶然会って仲良くなれた時、すごく嬉しかったんだ」
「 彼女…?」
「 うん。いつも明るい顔してた。すごく可愛い子」
「 …………」
  僕はその時の自分が一体どんな顔をしていたのか、自身では良く分かっていなかった。けれどくるりと振り返ってこちらを見上げた龍麻がそんな僕の顔を見て可笑しそうに笑った。
「 紅葉が妬きもちやいてる」
「 ………悪いかい」
  素直にそう言うと、龍麻はそっと近寄って僕の胸に自分の頭をもたげてきた。そしてぽつりと言った。
「 悪くないよ。嬉しいよ。でもさ…彼女は、そんなんじゃないから」
「 …………」
「 そんなんじゃないから」
「 でも龍麻―」
「 うん」
  龍麻は言いかけた僕の言葉を遮って、すっと顔を上げるとはっきりとした澄んだ声で言った。
「 助けたかった」
  そうして龍麻は僕から離れると、廃墟の、元は入り口だったのだろう、壊れて倒れている錆びれた扉の傍にまで行き、その場に膝を折った。
「 龍麻……」
  その背中は。
  何だかとても頼りなくて。
「 紅葉」
  その時、龍麻が呼んだ。
「 俺は自分が『もっと強かったら』とか、『あの時こうしておけば』っていう後悔はしたくない。口にしたくもない」
「 ……………」
「 でも…俺は駄目な奴だから、ついそう思ってしまう時がある。…弱気な自分は大嫌いなのに」
「 ……………」
  どうか龍麻が泣いていませんように。
  僕はもう考えるより先にそんな龍麻の傍に近寄って、彼の事を後ろからそっと抱きしめた。
「 紅…ッ」
  龍麻は意表をつかれたようで、びくんと身体を震わせたけれど、でもすぐに静かになって僕の手をそっと握った。
  その手は、やはり震えていたのだけれど。
「 紅葉……」
  龍麻が口を開きかけた。でも、僕はもう彼に先に言わせる気はなかった。僕は龍麻を黙らせるために、より一層強く彼を抱きしめて先に口を切った。
「 龍麻。好きだよ」
「 紅葉?」
「 君と一緒にいたい」
  僕は言った。
「 僕も同じだ。後悔はしたくない。もう、これ以上弱い自分ではいたくない」
「 ……………」
「 だから君からは逃げない。もう逃げない」
「 ……………」
「 一緒にいよう」
  龍麻はすぐに答えなかった。
  でも、僕にはもう彼の答えなど必要なかった。

『 その手を―― 』

「 分かってる」
「 え…?」
  思わず口をついて出た僕の言葉に龍麻は反応して不思議そうな顔を向けた。けれど僕はそんな龍麻にただ笑いかけて、それから首を横に振った。
「 何でもないんだ。龍麻…ここに連れて来てくれてありがとう」
  その時、僕の眼にはあの時の子が…比良坂さんが僕に向かって笑っているのが見えたような気がした。





「 『 僕の前に姿を現さないでくれ 』ってよ…お前から来てンじゃねえかよ」
  それから数日が経過して。
  僕は真神学園の旧校舎で蓬莱寺や彼らの仲間たちと顔を合わせた。
「 つまんねえ。あのまま別れちまえば良かったンだよ」
「 蓬莱寺。色々すまなかった」
「 よせよ、そういう言い方」
  蓬莱寺は僕の言葉に心底げんなりしたようになって、それから大袈裟に掌をひらひらと振った。相変わらず彼の肩には木刀があり、もう十分潜って来たというのに、まだこの後も一戦二戦できそうな雰囲気を擁している。そんな彼が見せる不敵な笑みは、まさに一級の剣士そのものだった。そんな剣聖は仲間たちと談笑している龍麻をちらと見てから口の端を上げて偉そうな口調で言った。
「 けどまあ…許してやるよ。ひーちゃんがあんな風に笑ってンだし。最後の戦いを前に戦力も整ったしな」
「 …………」
「 いよいよここまで来ちまったなァ」
  最後の戦いという言葉に、僕は少しだけ胸がちりちりした。
  僕は殆ど龍麻の傍にいてあげられなかった。ずっと彼らの仲間になる事を拒んできた僕は、龍麻や蓬莱寺たちがこれまでどんな戦いをしてきたかという事もほとんど知らなかった。龍麻が柳生に斬られた時も僕は何もしてあげられなかった。それが今でも僕の中の何かをひどく湧き立たせていた。
  だから。
  今、もう最後の戦いを迎えている龍麻たちの力に、僕はどうしてもならなければならなかった。
「 そう気張るなよ」
  その時、蓬莱寺が僕の顔を覗き込むようにして笑った。
「 まあ、なるようにしかならねェしな。そんな事より、明日はよ…みんなで初詣行く事になってンだよ。ひーちゃんからも声掛けられると思うけど、俺らに遠慮して来ないとか言い出すなよ。またあいつが気を遣うからな」
「 あ、ああ……」
「 へっ、何だよ、その顔は。俺がこういう事言うの意外か?」
「 ……いや」
  しかし実際はその通りだった。彼がそんな気配りまでするとは、さすがに思いが及ばなかったから。
  それに多分、彼は僕の心意を正確に読み取っていた。
  確かに僕は龍麻と共にいる事を決め、今まで何もできなかった分、彼と彼らの力にならなければと強く思ってはいたけれど、本当はこの「仲間」という空気の中にいることが、どうにも窮屈で…やはり途惑いを覚える事がまだ多かった。僕は今まで1人で戦ってきたし、誰かと行動するという事がなかった。けれどそれこそが僕の《力》を生かせる最大の方法であったし、誰かと組むという事は、それだけ自分の動きを制限される事だと思っていた。
  だから僕は彼らと共に旧校舎に潜って力を磨いていても、時々これは何かが違うと感じてしまうところがあったのだ。
「 まあよ、実戦に入れば何とかなるもんよ」
「 え?」
「 お前。分かりやすい奴。ひーちゃんと同じだな」
  蓬莱寺がまた僕の心を見透かして笑った。
  本当に不思議な奴だと思った。
「 紅葉、京一!」
  その時、仲間たちの輪から離れて龍麻が駆け寄ってきた。
「 なあ、桜井たちが早くラーメン屋行こうって」
  龍麻はそう言ってから、僕の方を見てにこりと笑った。仲間たちといる時、龍麻はあまり僕の傍に来ようとはしない。彼は仲間たちの前では、また戦闘の時は、いつでも頼れる非の打ち所のないリーダーぶりを発揮している。弱音を吐いたり甘えてみたり…そんな龍麻の姿は微塵も見られない。そのギャップにはやはり少々途惑うが、それでもこうやってほんの時折見せる表情が僕には愛しい。
「 何見つめ合ってンだよ」
  蓬莱寺が呆れたように僕たちに言った。
「 お前らはよ、帰ってもいいんだぜ? 早く2人っきりになりてェんだろ?」
「 な、何言ってんだよ、京一」
「 あーはいはい。そうやって可愛い顔すんなって。じゃあまあ、あいつらの接待は俺に任せろ!」
  蓬莱寺は焦る龍麻には構わずに1人でさっさとそう言ってしまうと、背中を向けたまま僕たちに片手を振った。それから一緒に来ない僕たちに不思議そうな目を向ける仲間たちを追いやるようにして、先に校舎を出て行ってしまった。
「 ったく、あいつ何1人で突っ走ってるんだよ……」
  校舎裏に2人だけで残されて、龍麻は困ったようにそうつぶやいたが、僕の方を見ると照れたような笑みを見せた。
「 でも…へへへ。本当は京一の言う通りだけど…さ」
「 ………うん」
  僕も素直に頷くと、龍麻はそれでぱっとより嬉しそうに笑ってくれた。そして、「公園通って帰ろう!」と僕の腕を引っ張るようにして先を歩き出した。僕はおとなしくそんな龍麻の後を追った。
  戦いはすぐそこに近づいているというのに、それでも僕は恐ろしいほど静かで落ち着いた気持ちでいられた。
  龍麻が僕の近くにいるから。





「 なあ、紅葉。覚えている?」
  公園の長く細い散歩道。
  僕より数歩先を歩きながら、龍麻はおかしそうに言った。
「 公園でさ。2人でアイス食べたじゃん」
「 ああ……」
  思い出したように相槌をうつ僕を振り返り、龍麻は意地の悪い顔を向けて笑った。
「 あの時さー、紅葉、俺が一口くれって言うのにアイスくれなかったんだよな。俺の奢りだったのに!」
「 あの時の君はしつこくて何を考えているのか分からなかったし…ただ嫌がらせをされていると思った」
「 ひどいなあ」
  龍麻は口をとがらせて僕に文句を言ってから、再び悠々と歩を進め始めた。そうして「でも確かにちょっと嫌がらせ気味だったけど」などと嘯いた。
「 俺、紅葉のストーカーだったからさあ。校門の前とかで待っているの、楽しかったな」
「 そうなの」
「 そうだよ。なのに紅葉は迷惑そうな顔ばっかして」
「 塩入り紅茶とか飲まされたしね」
「 あ、そんな大昔の事! 根にもってんのかよ」
  龍麻は過去の幾つかの出来事を一つ一つかみ締めるようにしながら、「でも、あれは確かにひどかったかもな」ととぼけた口調で言った。
「 けどさ、俺紅葉と一緒にいたいっていうのは、あの時からずっと思ってたんだよ」
「 うん」
「 紅葉はそんな事全然考えてなかったみたいだけどね」
「 龍麻……」
「 俺は最初から紅葉のこと気になってたのに」
「 ……………」
  龍麻が歩を止めて再び僕に振り返り、そう言った。僕は少しだけそんな彼に戸惑いを覚え、続ける言葉を失った。
  確かに僕は龍麻と初めて出会った時は、彼にそれほど好印象を持ったわけではなく…それどころか。
「 ………どうしたの、紅葉?」
「 え? いや……」
  龍麻が言いよどむ僕に不思議そうな声で訊ねた。僕は慌てて首を横に振り、それから再び先刻の考えに思いを馳せた。
「 ……………」
  そうだ。
  僕は龍麻に初めて出会った時、彼に良い印象を抱くどころか、「絶対に相容れない」とすら思ってしまったのだ。
  彼は僕とは「対極」の位置にいると感じた。
  僕は彼とは「正反対」の場所にいる人間だと感じた。
  だから僕は彼のことを好きになれなかったし、自分とは違う世界の住人と決め付けて、はなから距離を置いているところがあったような気がする。仲間に囲まれ、堂々と明るい道を歩いている彼を。
  僕は羨ましいと思い、また憎らしく思ったのだ。
「 ……何か考え事してる」
「 あ…」
  龍麻がまた僕の顔を覗きこむようにして声をかけてきた。僕は今自分が考えていた事を表に出したくなくて、再び焦りながら「何でもないよ」と誤魔化しの言葉を吐いた。
「 そう? ふーん」
「 ……………」
  けれど龍麻は納得いかないというような顔をしつつ、不意に僕の腹めがけて拳を振るってきた。
「 たっ…!?」
「 みぞおち」
「 ………ッ」
  まるで力がこめられていなかったとはいえ、僕はさすがに面食らって声を失った。龍麻はそれからにやりと笑って軽快に言った。
「 俺の知らない方向見ないでよ」
「 龍、麻……」
「 何考えてたのか知らないけど。不安になるだろ」
「 ………ごめん」
  龍麻の言葉ではっとして僕がすぐに謝ると、龍麻はそれでにこりと笑った。
「 うん、許す!」
  そして最高の笑顔を僕に見せてくれた。
  だから。
  僕はそんな龍麻に魅入られていたはずだった。彼しか見ていないはずだったのだ。
  それなのに。


  …………リュウヨ


  その陰惨な氣の気配は、本当に突然やってきた。
「 ………!?」
「 紅葉?」
  僕は龍麻の声に応える事ができなかった。
  見上げる空に色はなく、確かにあった足元に、その自らを支える地面はなかった。


  …………リュウヨ


「 何だ……?」
  何かが呼んでいた。それは耳に突き刺さるような痛い響きを持った音だった。
「 紅葉、どうしたんだ…?」
  頭を抑え、やや前傾姿勢になったまま声を出せなくなっている僕に、龍麻が心配そうな声を出すのが聞こえた。けれどそれも僕のひどく遠くから聞こえてくるようなもので、僕はやはり彼に応じる事ができなかった。


  ……イ…ノ…リュウヨ。オマ…ノ、《力》ハ――。


「 だ…れだ……?」
「 紅葉…? 誰と話してるんだ…?」
  龍麻がどことなく怯えたような声を出したのが分かった。
  けれど最早僕は龍麻の方を向く事すらできなかった。その暗く隠微な声は僕の脳に直接響き、ひどい痛みを僕に与えた。そして同時に「それ」は僕に「何か」を要求してきた。
  僕はそれを拒めなかった。
「 紅葉ッ、紅葉ってば!」
  龍麻が呼んでいる。応えなければ、そう思っているのに、僕は得体の知れないその声に意識を向けずにはおれず、ただどこからともなく聞こえてくるその囁きに心を奪われてしまった。
  その声は龍麻とは比べ物にならない程の禍々しい「陰」そのものの氣を発しているというのに。
「 紅葉! 紅葉…ッ!」
「 …………」
「 紅葉!」
  龍麻。
  ああ、ごめん。もう少し待って。今、君を見るから。せっかく僕は君と一緒にいると決めたのに。君の傍にいると、君と共にあると決めたのに。
「 紅葉!」
  何故、どうして僕は君に応える事ができないんだ。


  ………陰ノ龍ヨ――。


  こんな。
  こんな声に惑わされていては。
「 紅葉!」



  また君を不安にさせるよね。



To be continued…



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■後記…人間には陰陽二つの面があり、人はその両面どちらともを受け入れながら生きていかなければならない…というのが、ある意味魔人の一つのテーマであると私は思っています。この壬生にも二つの相反する面があり、彼の陽の部分を見出してくれるのが龍麻であり紗夜ちゃんであり、また京一たちである…反面、陰の部分を引き出しているのが館長だったりこの謎(?)の声だったりするわけです(この話では)。龍麻を引っ張ってあげないといけない壬生っちがこんなんで、本当に終われるのか非常に不安な今日この頃です(ヲイ)。