(14)



  龍麻に襲いかかる剣鬼は瞬殺された。

《 グ…グオオオオ……!》

  地を這うような低いうめき声を上げて、次々と奴らは崩れ去り、消えて行く。龍麻の繰り出す拳によって。
「 ……ッ」
  なるべく龍麻と距離を取りたくない。
  けれど僕は僕でこの異空間の何処かから敵を放っているだろう柳生の気配を探りつつの戦闘だったから、思うように動く事ができずにいた。絶える事なく襲ってくる剣鬼を粉砕するのにも骨が折れた。
  でも、身体は軽かった。いつもの戦いよりも足が動いた。自分の内から面白いように《力》が溢れてくるのもよく分かった。
  多分、龍麻がいるから。
「 龍麻、気をつけて!」
  攻撃の合間合間に声をかける。龍麻も敵の攻撃を避けながら、または拳を出しながら「大丈夫」と笑って応える。剣鬼の数は多いが、どうやらレベルが違うようだ。龍麻にも多少の余裕があるように見てとれた。
  それにしても。
「 はッ!!」
  次々と氣を練っては相手に激しい突きや蹴りを決める龍麻なのに。
  多少息を乱しながらも、彼の動きには一切の無駄がない。そう、龍麻の攻撃には容赦がないんだ。《力》を出す瞬間、彼は敵の姿をただ厳しく凝視し、それこそ相手の肉片の一欠片だって残さないほどの圧倒的な力で相手を潰す。
  それはあの旧校舎で仲間の先頭に立って戦っている時の堂々とした緋勇龍麻そのものなんだけど。
「 龍麻…」
  不意に、僕はそんな龍麻に見惚れる一方で不安になった。
「 た……」
  大丈夫だろうか。
  龍麻の動きは確かに隙がないが、何だかおかしい。彼は一瞬だって動きを止めない。敵の姿がなくなるまで、それこそ一息も吐き出してさえいないように見えた。


  それは、何て……。


「 龍麻!」
「 え…ッ」
「 ……っ」
「 紅葉…ッ?」
「 ……龍麻、少し下がって。前に出過ぎだよ」
  僕は焦る気持ちをなるべく表に出さないようにしながら、自分よりもやや前方に出かかって敵を追う龍麻に声を掛けた。
「 う、ん…。でも、こいつ、もう少しで死ぬから!」
「 ……っ」
  その言いように僕は思わず絶句した。
「 龍―
「 たあッ!!」

《 グハアアーッ!!》

  粉々に散る剣鬼の断末魔が僕の耳にきんと響いた。
「 龍麻……」
「 はぁっ…。これで…こいつらは、全滅?」
「 ………」
  あれほどいた敵の群れが全て消えた。
  龍麻がようやく息を吐き出す。そして振り返りざま、僕に心配そうな目を向けた。
「 紅葉、怪我してないか…ッ!?」
「 僕は…大丈夫」
「 良かった…ッ」
  心底嬉しそうに笑い、僕の元に駆けてくる龍麻。余計な事を考えるのはよそうと、僕はそんな龍麻の肩先にそっと触れた。


  けれど、瞬間――。


「 ……ッ!?」
「 紅…?」


  緋勇龍麻――――――。


  僕の驚きの顔と龍麻の不思議そうな声、それとほぼ同時だった。
「 あ……」

 
  緋勇龍麻――――――。


「 柳生…ッ!?」
  あの男の声が、何処からかは分からない、けれど重苦しく僕たちの耳元に届いた。


  お前は何も分かっていないのだな…。


「 何処にいるんだ…?」
  龍麻が僕の胸元にとんと下がりながら、辺りを警戒するようにつぶやいた。僕もそんな龍麻を支えながら神経を張り巡らせ柳生の姿を追った。
  分からない。
  すぐ近くにいる、それは分かっているのに。
「 ……あいつ……」
  その時、龍麻が何かを察知したように掠れた声を上げた。
「 え…?」
  僕がはっとして聞き返すと、龍麻は突然だっと駆け出したかと思うや否や、不意にその空間から姿を消した。
「 な…龍麻ッ!?」
  その事態に僕がぎょっとして思わず声を張り上げると、先刻柳生の声がした方向と同じ所から龍麻の切羽詰まった声が聞こえてきた。


  お前に俺の……何が分かる…!


「 龍麻!?」
  一体どうやって「そこ」へ行ってしまったのか。
  龍麻は柳生と話をしているようだった。何処なんだ。けれどそれは僕には分からなかった。焦ったように四方八方見渡すけれど、ただあるのは、戦いの時から静かに浮かび続ける奇妙な球体たちだけで。


  お前なぞに一体この世の何を統べられる…?


  柳生が龍麻に話している。ただ僕にとってはそんな事はどうでもよくて、ただ龍麻の傍に早く行きたくて。
  龍麻の姿。
  龍麻の傍にいなくちゃいけないのに、僕は。 
  僕だけは。


  ……が、できなくても…! 俺は………壊す……!


「 ……!?」
  いけない。
  龍麻の声が途切れ途切れにしか聞こえない。一体その場所で何が起きようとしているのか。僕はこんな所でまた龍麻を救えないまま、1人でバカみたいに突っ立っているしかないのか。
  それは、それだけは。



「 …………ウゥ」



「 はっ…!?」
  その時、不意に僕の背後に何かの生き物の気配がした。
「 な……」
「 ……ウゥ…。ググ……」
「 ……?」


  そこには、1人の男が立っていた。


  とても人間の気配とは思えなかった。だけど僕の目の前に立っているそいつは、明らかに人間で。
  少なくともそういうカタチをしていて。
「 ウグ……フフフ……グゥ……」
  そして感情を表しているのか何なのか、僕の目の前に立ったそいつは何か意味不明の言葉をぶつぶつと口許で漏らしながら、時々苦しそうに頭を抑えた。すると彼の長い黒髪がさらりと揺れ、同時に何か得体の知れない《力》がそこから微かに漏れ落ちるのが見えた。
  それは、確証はないけれどとても大きな《力》だと分かった。


「 カ……オ……ス……」


「 カオス…?」
  その時、その男が初めてまともな言葉を吐いたような気がして、僕は思わずその単語を繰り返した。
  カオス。カオスとは?
  この男の、名―?


  お前、お前を殺して、俺は…ッ!!


「 はっ!?」
  すると消えかかっていた龍麻の声が突然僕とその男のいる空間にまた落ちてきた。上方だ。今度は分かった。僕はそちら、龍麻と恐らくは柳生もいるであろう空間に向かって思い切り大きな声で龍麻を呼んだ。
「 龍麻! 龍麻…!!」


  殺してやる、殺して……! 
  俺は――――。


「 龍麻!?」
  けれどまたそこで龍麻の声は途切れた。そしてその刹那柳生の高らかな笑声と轟音が。


  とんと下らぬ陽の器――――――。 
  お前を待つのは――――――。


「 く…龍麻!!」
  一体、彼のいる場所へ行くにはどうしたらいい…!
  僕はじれったくなりながら、再度周りの空間を見渡した。
  変わらない。
  龍麻のいる所ではきっと戦いが始まっているはずなのに、ここではただ正体不明の球体が浮かんでいて、僕はそこから動けずにいて。


「 陽…ノ…リュウ、ヨ………」


「 は……」
  耳元ですぐに響いたその声に反応すると、僕のすぐ横にあの男が移動してきていた。
  そして。
「 グク…ウゥゥ……」
「 お、おい……」
  彼は何だかまた苦しそうにうめき、そして項垂れた。
  でも僕が声を掛けた途端、また彼はさっと顔を上げ、虚ろな視界で遠くを見たままぼそりとつぶやいた。


「 殺ス…壊ス……消ス………産マ、レル」


  言葉を出した後、男は再度頭を抑えた。まるで声を出す度にひどい激痛に苛まれているようだった。
  それでも男には瞬間瞬間にギラリと秘めた恐ろしくもひどく静かな殺気があった。それは全てを破壊する事を何とも思わない者の空気だった。
「 …………」
  それなのに、時々ひどく苦痛めいた顔を一瞬だけ向けると感じるのは僕の気のせいだろうか。
「 君は……」
「 ……グ…グググゥハア……!」
「 は…っ!?」
  けれど僕が呼びかけた瞬間、男は身体から無数の光を発し始めた。そして今まで焦点のあっていなかったその眼で、確かに一瞬だけ僕のことを見た、と思った。
  感情がない? 生き物? さっきまでそう思っていた自分の考えが、その彼の目を見た途端、消え去った。


  彼は、人間だ。





「 ……つまんない」
「 お前といても、つまんない」

  何だ……?

  僕はまた何処か知らないところに飛ばされてしまっている。こんな所にいて誰かの声なんて聞いていたくないのに。僕はただ龍麻の傍にいたいだけなのに。
「 龍麻」
「 え…っ」
  けれど、そう思った途端に聞こえてきたその名前。僕が驚いて声のする人影の方へやると、そこは何処の町の風景なのだろう、畦道の続くのどかな夕暮れの通り、小さな子供と老人が2人並んで立っていた。子供は遠くの山から落ちていく夕陽を眺めていて、老人はそんな子供を見つめていた。
  僕が近くに立っているのに、僕の姿は見えないのだろうか、2人はこちらをちらとも見ずに、ただ静かにそこにいた。
「 またいじめられたか」
「 違う」
  老人の言葉にその子供―さっきは彼から「龍麻」と呼ばれていた―は、むっとしたようになって首を横に振った。
「 いじめられたんじゃない。僕はそんな事、感じない」
「 そういう顔には見えないが」
「 そういう顔になってやってるだけさ。爺さんに子供っぽい顔を見せてやってるだけさ」
「 そうか」
「 僕は家ではいつも良い子だろう」
  龍麻はそう言って鼻で笑った。
  何だか。
  すごくひねていて、すごく悪意に満ちた顔をしていた。
「 ああ。お前はできた子供だ」
  老人はしかし動じていない。龍麻の発言に深く頷き、それから目を細めて顔をくしゃりと崩して笑った。
「 出来過ぎるからこそ、時々は心配になる。お前はいつかこの世を変える。それが良い方向に転ぶのか悪い方向に転ぶのか……それは分からんがな」
「 良い方向って何だよ。そんなものはないよ」
「 ん……」
  龍麻の毅然とした態度に僕は眉をひそめた。龍麻のこんな一面を、以前何処かで見たような気がする。こんな風に強がって、でも弱くて。
「 そんなものはないんだよ」
「 それはどういう意味だ」
  龍麻の繰り返した言葉に老人はゆっくりと問い質した。
  龍麻は平然と答えた。
「 そのまんまの意味だよ。どっちが良い悪いなんて、くだらない。だから僕は、本当は壊したっていいんだ、こんな世界」
「 ………」 
「 こうして毎日突然現れるヘンな異形を潰して殺して…でも、アレが見えない奴らには、僕がヘンな奴って、おかしな奴って言われてる。でも黙っているしかないから黙ってる。だってあいつらにはアレが見えないんだから」
「 そうだな」
「 何で俺はそんなあいつらの為なんかにこの世を救ってやらなくちゃならない? こんな世界、勝手に壊れてしまえばいいのに―」
「 龍麻」
「 そう思う時もあるけど、それを隠してる。普段はじっと隠してる。だから僕は―」
  龍麻はけれどそこで黙りこみ、それから小さな子供のくせにまた分かったような笑いを浮かべた。
  とても冷たい、けれどやっぱり弱々しい笑みだった。
  救いを求める子供の顔だ。
「 もし爺さんが言う《その時》が来て、僕が壊す方になっても責めないで。僕が悪いんじゃないんだから、それは」
「 ああ…分かってる……」
「 僕が悪いんじゃないんだから……」
  老人に、というよりは自分に言い聞かせるように龍麻は言った。赤い夕陽が龍麻の幼い横顔を悲しく照らした。僕はそんな彼から目が離せなくて、ひどく胸が締め付けられる気持ちがして、自然と表情が歪んだ。
「 龍麻」
  けれどその時、老人がちらりとこちらを見た。
  僕が見えているのだろうか、はっきりと視線を寄越しながら、老人は龍麻に言った。
「 お前は落ちていきやしない…。お前の痛みを分かる人間が…いつか、お前の元に現れるからな…」
  老人は僕をはっきり見ている。僕はそんな彼から目が離せなかった。
  けれどその刹那、龍麻の冷笑が聞こえて僕ははっとした。

「 ……爺さん、分かっていないな…。僕が落ちなかったら、代わりの誰かが落ちるんだよ…あの闇にさ…。代わりの誰かが…」
  儚くも揺らぎないその声に僕は胸が震えた。
「 龍麻…ッ!」

  もう駄目だ。
  堪えきれなくて声を上げると、はっとして龍麻が振り返った。僕の事は見えないはずだけれど…実際龍麻は見えていないようだったけれど、でも確かに彼は声を掛けた僕の方を見た、そう感じた。
「 龍――」
  しかし僕が何かを、彼が何か言おうとした時、僕の視界から小さな龍麻は砂嵐に巻き込まれるようにざざざと灰色に包まれ、そして姿を失くし―――。


  目の前には、カオスが立っていた。


「 君……」
「 ウググ……フゥ……アアァ………」
  落ちていく。闇に。
  彼が落ちていくのが僕には何故だか見えた。
「 今のは…」
  それでも僕は努めて冷静な声で彼に向き直った。

「 今のは…龍麻の過去だろ…。君が連れて行ってくれたのか…?」
「 ………カ……オ……ス……」
  僕の言っている意味が分からないのだろうか。怪訝に思っていると、不意に横からまた別の声が、今度は聞きたくて仕方なかった声が響いた。


「 紅葉…ッ!?」
「 た…龍麻…!!」


  本当に訳がわからない。
  何故か僕はカオスと共に龍麻と柳生が立つ空間に来ていた。僕が事態を飲み込めずにただ驚いて龍麻を見やっていると、面前で剣を構えていた柳生が薄く笑った。
「 何処へ遊びに行っていたかと思いきや…貴様といたか…。丁度良い。来い、カオス」
「 グググ……殺ス…壊ス……潰ス…」
「 紅葉…あいつは…?」
「 ……それより龍麻は大丈夫?」
「 あ…う、うん…!」
  カオスに不思議そうな視線を向ける龍麻に構わず、僕は龍麻と奴らの間に入るようにしてから、すかさず彼の手を握った。混乱する思考の中で、これだけは分かっていたから。龍麻を守ることと、それから。
「 龍麻」
「 え?」
「 君は迷わないで。龍麻は作る人、だから」
  あんな風に拳を奮う龍麻を見たくないというのは、僕のただの我がままなんだけど。
「 壊すのは…僕の役目だから」
  龍麻をそんな風にしないために。
  そのために、だから僕は君の前に現れたんだから。
  龍麻をカオスのようにしたくない。

「 く、紅…」
「 ねえ、龍麻」
  途惑った声を発する龍麻を制し、僕は実に自然に龍麻の手を握り直した。
  その時。
  何故か突然、何かの映像がすっと頭の中に浮かんでくるのが分かった。龍麻と僕が一緒になって、共に並んで闘う姿。

  二つの龍が折り重なって、柳生と、そしてもう一体の影に向かって行く姿。
「 紅葉…? な、何だ…あれは……?」
  龍麻にも見えたのだろうか。ひどく不思議な気持ちになりながら僕はただ龍麻の手をぎゅっと強く握った。そうして、ただもう今は機械のように柳生の元へ行き、苦しそうにうめくカオスの姿を見やった。
「 龍麻、一緒に…」
「 う、うん…っ」


  お前たちに、我が倒せるのか――――。


  同時に柳生とカオスも《力》を発し、こちらに絶大な攻撃を仕掛けてきた。剣が剣でなく、爆発が爆発でなく、ただの明るい光がこちらに向かってきて。
  でも、僕には龍麻がいて。
  龍麻にも僕がいて。

  僕たちは自分たちの併せた《力》をその光に向かって放出させた。


  その先に金の龍が舞っていたように見えたのは、本当に一瞬のことだった。



              

To be continued…



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■後記…何だかカオスがかわいそう。ちなみにこの話のラスボスは「柳生と渦王須」です。次回、最終話。