(4)




  放課後の真神学園。
  校門の所で、彼のことを待った。 誰かに聞いて呼んできてもらったりした方が早いのかもしれない。 いや、そんな事より彼に直接電話してみれば一番てっとり早いんだ。 彼と…話したいのなら。
  だけど、僕は何もアテがないみたいに、彼の学校の前で、ただ彼が通るのを待った。
「 あれ、もしかして壬生君?」
  その時、不意に僕に声をかけてきた人がいた。
  ショートカットの、いかにも快活そうな感じの…ああ、あの事件の時にもいた。写真も見たな…。 確か…。
「 桜井さん…?」
「 あっ、嬉しいなあ。 ボクのこと、覚えててくれたんだ?」
  僕が名前を呼ぶと、彼女は本当に嬉しそうに大きく笑った。 前髪を軽くかきあげる仕草をしながら「 久しぶりだねッ」 などと、屈託なく言う。
  不思議だ。
  緋勇にしてもそうだが、僕はあの時、彼らを殺そうとしたのだ。 それなのに、緋勇も、そしてこの桜井小蒔という人も、 何事もなかったかのように僕のことを見る。
  僕はこういう人には…どうしても慣れることができない。
  それでも彼女は明るい笑みを絶やさずに僕に向かって言った。
「 どうしたの、一体? あっ、ウチの学校に知り合いでもいるの?」
「 あ…いや…」
  僕は思わず口ごもった。 何故か緋勇に会いに来たのだとすぐに言えなかった。
「 え? じゃ、どうしたの? あ、もしかしてひーちゃんとか京一に会いに来たの? 実はボクたちの仲間になってくれる気になったとか!?」
  桜井さんはぱっと嬉しそうな表情になってそう言ってきた。 僕は何だかこの人に完全に押し負かされてしまい、どうもうまく言葉を出すことができなかった。
  その時――。
「 おい、小蒔。 お前、こんな所で何やってんだよ、早くしろよなー!」
「 あっ、京一! ちょっと来なよ!」
「 あーん? 何だよー、俺はお前を呼びにだな…あ…あ? お前…」
  桜井さんに話しかけてきたのは、蓬莱寺京一だった。 赤い剣聖。
  あの時の彼の剣太刀は見事だった。 八剣に雪辱を果たした後、不敵に笑い、そして彼の帰還に喜んだ緋勇に優しく笑んでいた蓬莱寺京一…。
  緋勇の親友で相棒で…いつも行動を共にしている男…。
「 お前、もしかして壬生か?」
  そんな彼が、近づきながら僕にそう言って声をかけてきた。
「 もしかしなくても壬生君だよっ! ホントに久しぶりだよねえ」
  答えない僕の代わりに桜井さんがそう言った。蓬莱寺は最初多少警戒するような顔をしていたが、やがてふっと笑むと僕に親しみのこもった声で言った。
「 ホント、久しぶりだな。 元気にしてたかよ?」
「 あ、ああ…」
「 で? 何か用かよ? 俺らに用があったってわけか? また拳武の奴らが俺らの事をターゲットにでもしたとか?」
「 んなわけないだろー!」
  桜井さんがそう言って蓬莱寺をこづくフリをすると、彼は鼻で笑ってから「 冗談に決まってるだろ」と軽くかわしていた。
「 で? ホント、どうかしたのかよ?」
「 あ、いや…緋勇は…」
  ようやく名前を出せた。 一体僕は何をやっているんだ。満足に言葉を知らない子供みたいに。
「 あん? ひーちゃんに用かよ? 何だってんだ?」
「 ……」
  僕が答えないでいると、蓬莱寺は少しだけ不審な顔をしてみせた。けれどもやがて顎だけで「 こっち来いよ」 と指し示した。
「 今からな、仲間何人かで旧校舎って所で修行しようぜって話してたんだ。ひーちゃんもそこにいるぜ? 来るだろ?」
「 ああ、じゃあいっそのこと壬生君も一緒に潜らない?」
  桜井さんが僕と蓬莱寺の間に入ってそう言ってきた。
「 ねっ、そうしようよ、ね、京一!」
「 あん? 別に俺はどっちだっていいけどよ。 コイツはひーちゃんに何か話があるんだろ? それによるんじゃねー?」
「 あ、まあそうだね…」
「 それよりよお」
  蓬莱寺は僕を案内して歩きながら抑揚の取れた声で言った。
「 別に詮索するわけじゃねえけど、お前ひーちゃんに何の用なんだよ? 俺ら、あれ以来、会ってなかっただろ? いきなり来るからよ、何かあるのかって思っちまうだろ」
  僕は何と答えていいものかと思ったから、やはり無言を決め込んでしまった。
  どうやら緋勇は僕と2人で会っていたことを彼らに言っていないようだ。 何故黙っているのかはよくは分からないが、彼が僕との関係を内緒にしておきたいのなら、そうしておく必要があると思った。
「 …ち。 相変わらず、愛想のねェ奴だな」
「 ……」
「 こら、京一! 失礼だろ!」
  桜井さんが僕の肩を持ってくれたが、非礼を働いているのは明らかに僕だったから、余計に気が引けた。 けれど蓬莱寺は別段不平な顔をするでもなく、桜井さんの抗議も軽く流して、「旧校舎」 へと連れて行ってくれた。
  そこは一般生徒ならばその雰囲気だけで逃げ去るだろう寂しい場所だった。
  物々しい雰囲気の漂うその古ぼけた校舎の前には、明らかに特殊な《力》を持っているらしい学生たちが何人も立ち尽くしていた。
  蓬莱寺と桜井さん、それに僕の姿を認めて、皆が一斉に振り向く。
  その中に緋勇はいないのだけれど。
「 おいおい、何してんだよ、潜るなら早く潜ろうぜ!」
  そう言って遅れてきた2人を怒鳴ったのは、 明るい髪の毛を伸ばした、ひどく気の強そうな女子生徒だった。 不機嫌そうな顔をして僕を見ている。
「 ……何だよ、そいつ?」
  胡散臭そうな目だった。 まあ、それはそうだろう。この中で僕を知っている人間と言ったら…。
「 ん…。 京一、そこの奴はもしかして壬生か?」
  そう言ってこちらに歩み寄ってきたのは、 醍醐雄矢…真神メンバーのリーダー的存在とも言える男だった。
「 やはり壬生だな。久しぶりだな、元気だったか? …と、聞くのも、何だか妙な感じだが」
「 ああ、コイツ、ひーちゃんに用があるんだってよ」
「 龍麻に…? 龍麻がどうかしたのか?」
  緋勇の名前が出ると、皆一様に、本当に一瞬だが警戒した目をこちらに向けた。 僕が得体の知れない男だということ、また僕を知っている人間にしても僕が暗殺者だということを考えると、どうしたってそんな目になってしまうのだろう。それはつまり、それだけ彼らは緋勇のことを考えて、彼のことを護りたいということの裏返しなのだろうと思う。
「 ひーちゃん、どこだよ? さっきまでいただろ?」
「 ああ、美里を呼びに行った。もうすぐ来るだろう」
「 何だよ、全然揃わねぇなあ」
  蓬莱寺が仕方がないなと言わんばかりの顔で、がりがりと頭を掻いた。
  醍醐はそんな蓬莱寺を見てから、再び僕の方に視線を移してきた。
「 で…いや、何度も訊くようだが龍麻に何の用なんだ? また拳武が俺たちを狙っているとか…」
「 もう嫌だなあ、醍醐君まで! 京一と同じこと言わないでよ!」
「 あ、ああ、そうだな。 そんな事あるわけもないな。 しかしそれなら―」
「 へえ、そいつ拳武館なのかよ?」
  僕の高校名が出たことで、先ほど怒鳴った女子生徒がこちらに近づいてきた。 その彼女の隣にもう一人、長い黒髪の女子生徒がいたが、その人はこちらには来ず、 ただ物珍しそうにこちらを見やっている。
「 あそこって武道に関してはかなり有名な所じゃねえ? へえ、お前、そうは見えねぇけど、何かたしなんだりするのか?」
「 雪乃、初対面の人にも乱暴だねえ」
  桜井さんが僕と同じような感想を口に出した。 けれど、その「雪乃」と呼ばれた人はまったく平然としている。
「 あん? 別にいいじゃねえかよ。 どうせ拳武の奴なら、俺らの新しい仲間か何かなんだろ?」
「 あ…いやあ、壬生君はそういうんじゃなくって…」
  桜井さんが何と言って僕のことを説明しようかと口ごもった時、そのすぐ側にいた蓬莱寺が何気なく振り返って声を出していた。
「 あ…ひーちゃん」
「 ……!」
  僕はその声に反応してすぐに振り返った。
  緋勇が…いた。
「 あ……」
  すぐに目があった。
  緋勇は当然だけれど僕の存在にひどく驚いたようになって、そのまま少し離れた所で動きを止めてしまっていた。 彼の隣にはあの美里葵がいたが、彼女も意表をつかれたようにして、僕と緋勇両方を見やっているようだった。
「 ひーちゃん、どこまで行ってたんだよ? 遅ぇよ!」
  蓬莱寺が言った。
「 ごめんなさい、京一君。 私が生徒会の用事でちょっと印刷室にいたものだから…龍麻にも手伝ってもらっていて…」
「 ああ、いいよいいよ葵! ご苦労さま。 ボクたちも今さっき来たばかりだからさ!」
「 って、お前が校門の所でふらふらしてたんだろうが!」
「 だって〜」
  蓬莱寺たちの会話もどことなく遠くの声で、 僕はただ目の前にいる緋勇のことを凝視した。緋勇は相変わらず僕から距離を保ったまま、ただ固まっているようだった。
  それに関して最初に不審の声をあげたのは、中学生くらいの小さな女の子だった。…日本人ではない。
「 龍麻オ兄チャン、何かヘン。 ドウシタノ?」
  片言の日本語だった。 僕がその子の方へ何ともなしに視線を送ると、次に蓬莱寺がまた声を出した。
「 おい、ひーちゃん。 壬生の奴がひーちゃんに何か用があるんだってよ」
「 あ、そうそう! ひーちゃんのこと校門の所で待っていたから、 ボクがここまで来てもらったんだ!」
「 ……」
  緋勇は僕の視線が外れたことと、2人が屈託なく明るい声を出して彼に声をかけたからか、ようやく我に返ったような感じになった。
「 …ああ、そうなの?」
  そして、何だか…いやに素っ気ない声でそう返してきた。
「 ひーちゃんて、あれからも壬生君と会ってたりしたの? ボクたちは、まあほら、あの事件以来だったから、すっごくびっくりしちゃったんだけど」
  桜井さんが害のない調子でそう緋勇に問いただした。
  すると緋勇は桜井さんの方にやや笑って見せてから、乾いた声であっさりと言った。
「 そんなわけないだろ。 …久しぶり、壬生」
「 あ、ああ…」
「 何だ、やっぱりあれ以来? じゃあ、壬生君、何の用があるの?」
「 さあ、俺に訊かれても…」
  緋勇はそう言ってから、今度はしっかりとした足取りになって、すっとこちらに歩み寄ってくると、僕の横を通り抜けて――。
  仲間たちがいる場所へと向かっていった。
「 本当、 待たせてごめん。 じゃあ、今から潜ろうよ?」
「 ほーんと、 このアタシを待たせるなんて、 龍麻も出世したわよねえ」
  派手な感じの女子生徒が長い髪を弄びながら、緋勇に笑いかけた。
「 よっしゃー! じゃあ、ガンガン潜りましょうゼ!」
  今度は金髪の男子学生が気合の入った声を出す。
  その他の彼の仲間たちも、皆が皆ようやく目的を果たせると活発に動き始めた。そうして、校舎の中へと消えていく。
  真神のメンバーだけになった時、ようやく緋勇はこちらを振り返ってから、蓬莱寺たちを見て言った。
「 みんなも先行っていてよ。 俺、後から行くからさ」
「 ああ…。 けどよ、ひーちゃん、ホントに壬生が来た理由知らねえの?」
  蓬莱寺が何度もこちらを見ながら憮然としていた。けれど、緋勇は相変わらず静かな笑みのまま、やや苦笑して首をかしげた。
「 知らないよ。でも…拳武館の連中とはもう関わりもないんだし、大した話じゃないと思うけど?」
「 なら、いいんだが…」
  今度は醍醐が僕に視線を向けてきて、そうつぶやいた。
  4人は気になるのだろう。 僕が緋勇にどんな話をしにきたのか。 暗にここに残っていたいという意思表示をしている。
  けれど緋勇はまた落ち着いた笑みで皆に対していた。
  堂々とした…リーダーとしての顔だった。
「 大丈夫だって。 何心配してんだよ? すぐ行くからさ、行っててよ」
「 ああ、分かったよ。 んじゃ、行くか!」
「 何だったら、壬生君も後から一緒に来てよ!」
  桜井さんが言った。
  けれど、その刹那――。
「 何言ってんだよ、桜井。 壬生は俺たちの仲間じゃないんだから、そんな事言うなよ」
  緋勇がきっぱりとそう言った。
  僕はただじっとそんな緋勇を見ていたけれど、彼はちっとも僕と目を合わせようとしなかった。





  ようやく2人だけになれて。
  ようやく彼と会うことができて。
  だけど、僕たちはしばらく何も言わずに、ただその場に突っ立っているだけだった。僕は緋勇のことを見ていたけれど、 ただでさえ僕よりも背の低い彼が、 まるで僕と視線をあわせるのを避けるように俯いていると、 同じ場所に立っているのに、何だかお互いが違う所にいるような、そんな空虚な感じがした。
「 緋勇……」
  ようやく僕が声を出すと、緋勇は相変わらず俯いたまま掠れたような声を出した。 先ほどとは全く違う、声。
「 何しに来たの…?」
「 え……」
「 何か、用?」
「 あ…いや……」
  別に用なんかなかった。 ただ、君に会いたくて――。
「 何もないの? なのにわざわざこんな所まで来たの? あのさ、そういうのやめてくれないかな」
  緋勇はまだ下を向いたまま、まるでまくしたてるようにそう言った。
「 俺、あいつらにお前と会ってたこと言っていないし。 だってそうだろ? 壬生は俺たちの仲間にはならないって言ったんだから、そんな奴と俺がずっと会ってたら何か…悪いだろ、あいつらに」
「 悪い…?」
「 そうだよ! だってみんなああやってほとんど毎日のようにさ、訓練してんだよ。 力つけようと頑張ってんだよ! なのに、俺だけお前と仲良しごっこやってるなんて言えないだろ!」
「 ……そうか」
  じゃあ、何故僕のところに来ていたのか、ということは聞けなかった。
「 あのさ、それに…。 あの時は確かに壬生のこと羨ましいとか何とか言ってつきまとったけどさ…。 今は結構ふっきれてんだ。あいつらと一緒にいると安心してさ…。だからもうお前のとこには行かなくても平気っていうか」
「 ……」
「 壬生は壬生で、また自分の戦いを続けてくれよ。 俺たちはさ、 結局、違う道を歩いているわけだし」
「 だから…来なくなったのかい、僕の所には」
「 え? ああ、何、急に来なくなったから気になった? はは、うっとおしいって思っているものでも、毎日あったものが急に消えると物足りなくなるんだよな。分かるよ、それ。でも、うん、そう。 所詮壬生は俺たちの仲間じゃないんだし、俺も何か気まぐれでお前のとこ、行っていただけだから」
「 ……あの時の怪我は?」
「 え? 怪我? したっけ、そんなの。いっつもそれなりにしてるけどさ、ほら、俺、特異体質だからすぐ治るんだよね!」
「 ……」
「 何、 心配してくれたわけ? 悪いな、何か気を遣ってもらっちゃってさ!」
「 緋勇」
「 あ、俺、そろそろ行かなきゃいけないからさ! じゃあな! みんなのとこ―」
「 緋勇」
「 でさ、もう来ないでくれる? はっきり言って迷惑だから」
  緋勇はそう言って僕から離れようとした。 行ってしまおうとした。
  思わず、彼の手首を掴んで引き止めていた。
「 ……っ!」
  緋勇の身体全身がぴくりと反応したような気がした。そして、すぐに僕の拘束から抗うように声を荒げた。 腕も払おうとしたが、僕はそれを許さなかった。
「 何すんだよ、離せよ!」
「 緋勇…行く前に…」
「 俺、急いでいるからっ!」
「 ちょっと待てよ…」
「 何だよ、これ以上何があるっていうわけ? 今度はお前が俺のストーカーかよっ!?」
  緋勇の声は震えていた。 僕はまた胸が痛くなった。
「 行く前に…一度くらい、顔を上げたらどうだ?」
「 !」
  緋勇は僕の言葉に無意識に反応した。
  多分、顔を上げるつもりなんてなかったのだろう。でも彼は思わず僕のことを直視して「しまった」 ようだった。
「 は…っ、壬生、離せよっ!」
「 どうして……」
「 嫌いだ! 俺、お前のことなんか―」
「 どうして、緋勇。君はどうして…」
「 何で来たんだ! 何で…っ」
「 緋勇。 どうして君は泣いているんだ?」
「 ……離せって」
「 緋勇」
  僕は泣き腫らした目のまま、僕のことを見上げる緋勇のことを真っ直ぐに見やった。緋勇も一度視線を交わしたら、あとはずっと僕の方にあの瞳を向けていた。
 あの、綺麗な瞳を。
「 泣いてないよ、俺…」
  緋勇はこの期に及んでもそんな事を言って。 けれど、僕の拘束に対する抵抗はやめて静かになった。
  それで僕も彼を掴んでいた手を離し、代わりに彼の頬から流れる涙をそっと拭った。
「 泣いているよ」
「 違う…これは、違う…」
「 そうなのかい」
  緋勇は決まりが悪そうになってまた俯いたが、 やがて挑むような目になって僕を見つめた。
「 そう、だよ。 俺は泣かないって決めた。 もう、泣かないって」
「 どうして」
「 俺…強い奴でいたいから」
「 ……」
「 壬生にも、もう…頼らないから」
「 ……頼られているなんて思ったことはないよ」
「 それは壬生がお人よしだからだよ」
  緋勇は自分を卑下するような顔をして鼻で笑ってから、僕に背中を向けた。
「 もうホントに行かなきゃ…。 みんなが待っているから」
「 ……」
「 俺にはみんながいるんだ。 だから―」
  緋勇は何か言いかけたようだった。 けれど、途中でそれをやめて。
「 壬生。 もう来ないで。 もう…俺に関わらないで…」
  彼はそれだけを言った。
  僕はまた、そんな彼に何も言えなかった。



To be continued・・・



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