(3)
そう言えば、昔誰かが持っていた本を盗み見た事がある。
それは魔法が使える小さな子供の話だった。
子供は世界でたった一人、不思議な事ができる能力を持っていた。
周囲にいた人々は、その力を誉め称えては、自分たちの仕事やその他の用事をその子供に押し付けた。子供は他の子供たちのように友達と遊びたいと思っていたのだが、それはなかなか叶わなかった。
ところがある日、子供は誤って魔法の力を川に落としてしまった。子供は普通の子供になり、人々はその子に見向きもしなくなった。
そこで子供は誰か自分と遊んでくれる子を探して遊ぼうと思ったのだが、果たして魔法を持たない自分と仲良くしてくれる子がいるのかどうか、急に不安な気持ちになった。
だから子供はもう一度魔法が使えるようになろうと、魔法を探す旅に出ることにした。
そうして子供はー。
「 う……」
「 先生、大丈夫かい?」
「 あ……?」
龍麻がぼんやりと目を開くと、そこには心配そうに自分の事を見つめる仲間の姿があった。
「 ………村雨」
徐々に記憶が蘇ってくる。 同時に、額に当てられた温かい手の熱も感じた。村雨が冷やしたタオルを取って、龍麻の熱を測るように自らの手の平を当ててきていたのだった。
「 やっぱり少し熱があるな」
村雨はそう言ってから、再びひやりとするタオルを龍麻の額に乗せた。それから未だ焦点の定まらないような遠い視線をしている龍麻に、確かめるように声をかけた。
「 先生、倒れるまでの記憶あるかい」
「 ………うん」
「 突然叫んで、その後ばったりだろう。さすがの俺もたまげたぜ」
「 ごめん」
反射的に謝ってから、しかし龍麻は心ここに在らずのように、やはり視線を天井に向けて微動だにしなかった。村雨の声は聞こえるが、やはりここに自分がいるような感じがしなかった。
そして、今さっきまで見ていた夢は何だっただろうかと何ともなしに考えた。確か、以前読んだ童話について思いを巡らせていたような気がするが。
「 ……馬鹿みたいだ」
「 ん? 何だい」
村雨が素早く訊いてきたので、龍麻は以前読んだ本の事を考えていたのだと素直に話した。
「 夢の中で昔読んだ本の事を考えているなんて、ヘンだろ」
「 そうかい? そういう事はよくある事だと思うがね。しかしそいつは夢じゃなくて、単に先生がうなされながら考えていた事じゃないのか」
「 俺……起きてた?」
「 いや、寝ているように見えたがな。まあ、何となくそう思ったってだけさ」
別段何ともなしにそう答えた後、村雨は相変わらず落ちついた表情のまま、ただ龍麻を見つめた。
カチカチと時計の鳴る音だけが聞こえた。龍麻ははっと息を吐いてから、「寒い」と何ともなしにつぶやいた。
「 寒いかい? 毛布、もう一枚かけるか」
「 あ、ごめん…。大丈夫、だと思う。でも冷えるは冷えるよね。今何時?」
「 もうそろそろ日付が変わるな」
「 え…俺そんなに寝ていたのか?」
龍麻はさすがに驚いて身を起こそうとした。しかし村雨にがっちりと抑えられ、あえなく元通りベッドの中へと落ち着かされた。
「 いいから寝てな。今日は絶対安静だぜ」
「 ………もう平気だよ」
「 痛みはひいたかい」
「 あ……手?」
村雨が当然とばかりに無言でいたので、龍麻は自分でも思い出したように、気を飛ばした原因にもなった左手をそっと布団から出してみた。
力は入らないが、痛みはない。感覚も僅かだがあるようだ。
「 平気みたいだ」
「 一時的なものだろう」
何故か村雨はそう断言し、それから龍麻が出した手を自分のより大きな手の平で包み込むようにして触れた。
「 村雨……?」
「 痛いかい」
龍麻がゆっくりと首を横に振ると、村雨は確かめるように試すようにゆっくりと自らの指先に力を加えていった。
「 村雨……っ」
「 痛みを感じたり、怖くなったら言ってくれ」
「 う…ん」
熱い。
痛みはなかった。龍麻はただ「熱い」、そう思った。村雨の温もりを感じる。自分を心配してくれる波動を感じる。最初はただの好奇心で、この目の前の男は自分に構ってくるのだと思っていた。
けれど、何だか。
「 まだ…平気かい」
「 大丈、夫……」
確認するようにゆっくりと言葉を出し、龍麻はそれから指先に向けていた視線を村雨に移した。真摯な眼差し。じっと自分の手を見つめる彼の視線に、龍麻は急に心臓の鼓動が激しくなるのを感じた。
「 村雨…ッ」
何故だかたまらなくなり、龍麻は無理に村雨に握られていた手を引っ込めようとした。村雨は龍麻が嫌がっているのを素早く察してすぐにその手を離してくれたが、真面目な顔はそのままで、ただじっと視線を一点に集中させていた。
龍麻の瞳を覗きこむように。
「 俺……起きる……ッ」
横になっている自分を見つめられ続けるというのは、
やはり居心地の悪いものだった。龍麻は焦ったようになりながら、再び上体を起こそうとした。
「 あっ…!」
しかし上体を起こしたその瞬間、不意にぐらりと平衡感覚が失われ、バランスが崩れた。
「 何…っ」
「 大丈夫かい、先生」
けれどもそのままベッドに倒れこみそうになった龍麻を、自らの腕を差し出してきた村雨ががっちりと支えてきた。
「 あ、ごめん…っ。俺、身体…が…?」
不意に龍麻は、手だけでなく、急に自分の身体全身に力が入らなくなったことに気づき、茫然とした。
「 ……動かないのかい」
「 何で……」
「 アンタ、本当は自分で分かっているんじゃないのか」
「 え…? 何を…?」
龍麻がただ戸惑って問い返すと、 そっと腕を離してきた相手からはもっと困ったような、重いため息がふっと吐き出されてきた。龍麻が驚いてそちらに視線をやると、目の前の村雨は、相変わらずの憮然とした表情のまま、龍麻のことを見据えてきた。
「 村雨?」
「 ……ったく、アンタには本当に参る……」
「 な…に…?」
訳が分からずに言われた言葉について疑問符を投げかけると、村雨はヤケになったように自分の髪の毛をぐしゃりとかきまぜ、それからその手で両目を覆った。
「 参ったって言ったんだ。アンタには敵わん」
「 何の話だよ…?」
「 ……正直、あの日あそこで会った時なー」
「 あの日? あ…ケーキ屋のこと?」
龍麻が訊くと、村雨は別段否定も肯定もしないで話を進めた。もう龍麻の方は見ていなかった。
「 ……あんな風に腑抜けになったアンタに。今みたいに弱りきっているアンタに、一体どれだけの価値があるのかと思っていた」
「 ………え」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「 俺は弱い奴には興味がない。何をも持ち得ない奴にも興味がない。俺はアンタの強さが好きだった。《力》に惹かれてたんだよ、先生」
「 ……村雨……」
「 でもな、今のアンタは『先生』なんて呼ぶのはバカらしいくらい、すっかり空気抜かれちまって。おまけに身体が動かない。その理由も分からない。ただ怯えて震えているガキと同じだ」
「 …………」
ズキンと胸が痛んだ。しかし、返す言葉が見つからなかった。
村雨の顔を見るのが怖かった。確かにそうだろう。この男にしてみれば、自分は《力》があり、比類なき何かを持ち得ていたあの闘いの中でしか意味を成さない人間だ。今のこの無力な自分に期待するものなど何も見出せないだろう。
しかし龍麻が俯いたまま黙っていると、当の相手は突然片手を差し出してきて。
「 ………ッ!?」
「 そんな面しなさんな」
村雨はいきなり龍麻の前髪を無造作に掴むと、無理やり自分の方に向かせ、再度困ったように声を出した。
「 は、離してくれよ…っ」
「 アンタが俺から目を逸らしているからだろうが」
「 わ、分かった…! 分かったから、離せってば…!」
強く髪の毛を掴まれ続け、龍麻は半ばヤケになったようにそう言ってから村雨の手を振り払おうとした。
ズキリ。
「 痛…ッ」
けれど、思わず使おうとした手に再び激痛が走った。
「 ……また痛み出したのかい」
「 な、何でもない…っ」
「 そうは見えんぜ」
村雨は強がる龍麻に呆れたように言ってから、おとなしく自分から腕を引っ込め、距離を取った。そのことで、再び二人の間に沈黙が走った。
「 ………悪いけど、もう帰ってくれるか」
居た堪れなくなり、龍麻から口を開いた。
「 ……………」
「 ごめん。もう帰って…いいから」
これ以上、惨めな姿は晒せない。この仲間のためにも。
「 俺…平気だし、本当に、迷惑かけてごめん。でももう…気にしなくていいから」
「 ……それが出来たら苦労しないんだがな」
再度ウンザリしたような相手の声に、龍麻はさらに胸が痛むのを感じた。だからそれを誤魔化すように声を荒げた。
「 いいから…ッ! 本当に大丈夫だから! 俺…嫌なんだ…、こういうの…」
「 こういうのってなァ、何だ」
「 だから…同情とか義務みたいなもので…構われるのが、嫌なんだ」
「 ………あン?」
村雨が明らかに気分を害したような声を出したが、龍麻は止める事ができなかった。むしろ、身体中に熱が走ったみたいに熱くなった。
「 お前だって言っただろ! こんなになった俺なんか価値ないって! 本当にそうなんだ! 俺、おかしい、どうかなっちゃったんだ! 何もしたくないし、何をどうしていいのかも判らない! 毎日毎日どんどん力が消えていく! 痛みばっかり増して…! なのに、こんな情けなくなっていく俺に、ただの義理みたいなもので心配されても…嫌なんだよ、たまんないんだよ…ッ!」
「 ………俺のあの台詞にはまだ続きがあるんだがな」
「 知らないよっ! とにかく、いいから帰ってくれってば!」
「 だから人の話も聞きなよ、先生ッ!」
村雨はそう言ったかと思うや否や、興奮して突っかかろうとする龍麻を無理やり押し倒し、力の出せない無力な龍麻の両腕をがっしりと抑えつけた。
「 まったく、困った人だな…」
「 な…? 何するんだよッ、離し…!」
「 離したら暴れるんだろうがよ」
「 痛い…っ。手、痛いって…!」
「 知らねェな」
「 !!」
突然冷たい言葉を吐き、村雨はぎらつく瞳を龍麻に向けて更に力を強めた。龍麻はそれによって更に内臓を直に掴まれるかのような激痛を感じ、ぎゅっと目をつむった。
「 い…っ!」
「 先生が悪いんだぜ? そんな顔見せられたらよ…いい加減、限界ってもんだ」
「 な…に、言ってんだよ…?」
「 動けないなら、尚更都合いいぜ」
「 村、雨…?」
何を言ってるんだろうと龍麻は訳の分からない顔のまま、自分に覆い被さっている村雨を見つめた。ズキズキする手の痛みを一瞬忘れた。
「 村…? ん…っ!」
そして相手に問いかけようとして開いた唇をそのまま塞がれた。
「 ふ…ぅん…ん! んぅ…っ」
何度も重ねられ、ついばむように唇を吸われて、龍麻は一瞬気が遠くなった。村雨の大きな影は暗い室内を更に暗くし、自分の視界を遮断してくるようでもあった。
「 い…やだ…っ!」
ようやく唇が解放された時、首を振ってから勢いこんでそう叫ぶと、上からは更に冷淡な口調が降りてきた。
「 おとなしくしてな。もっと痛くなるぜ?」
「 ……ッ!」
「 静かにしてなきゃ、こうなるんだぜ?」
村雨はいやに低い声でそう脅しをかけると、龍麻の左手首をぎゅっと掴んだ。
「 痛…ッ!」
「 たったこれだけでかよ……」
「 どけよ、村雨! 何…考えてるんだよ…ッ」
「 さあて」
不敵に笑ったその相手は、暗闇の中でうっすらと笑い、不意に乱暴な所作で龍麻の衣服を脱がしにかかった。
「 あっ…!」
「 どこまでアンタが……」
村雨はつぶやきながら、再び顔を龍麻に近づけた。そうして、当然のように口付けを施し。
「 村……」
「 俺を…他人を拒めるのか、試してみようぜ…?」
「 や…だ……」
拘束された全身がひどく痛んだ。けれど龍麻は動けなかった。そのかわり、自分のことをどんどんと陵辱していく村雨を。
龍麻はぎゅっと目をつむって受け入れるしかなかった。
旅に出た子供は、間もなく自分が落とした魔法を遠い土地で見つけることができた。しかし元の村に戻ると、魔法の力を取り戻した子供に、再び人々は過剰な願い事や仕事を頼んできた。
子供はまた友達と遊ぶ事ができなくなった。
そこで子供は再び魔法を川に落とした。
わざと落とした。
これで友達と遊べると思った。
けれどこんな自分と遊んでくれる子がいるのかと、やはり不安になった。
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