(4)



  セックスなんて。
  したこと、ない。ましてや、同じ男となんて。


「 く…ぅ…ッ! ん…んぅ、あ…ぐ…ッ!」
  出したくない。声なんか、出したくないのに。
「 我慢するなよ…なぁ…?」
  声が。
  無理やり中に挿れられて。勝手に、こんな。
  こんな。
「 う…ぁ、あぁぁッ!」
  滅茶苦茶にされる。自分の中の、隠していたものも全部知られてしまうような気がする。
「 あッ、あ…ひ、ぁッ!」
  痛い。
  怖い。
「 いい子だ…ッ。アンタ…最高だぜ……」
「 いぁ…ッ、あ! む…村…ッ!」
  呼びたくない。名前なんか、呼びたくないのに。
「 龍麻……」
  それなのに。
「 龍麻」
  向こうは、相手は、何度も何度も名前を呼んで。



  村雨が突然もの凄い力で身体を拘束してきた時、龍麻はもう何の抵抗もできなかった。
「 痛い…っ!」
  少しでも逆らう所作を取ろうとすると、村雨は龍麻の手首を掴み、容赦ない力を加えてきた。龍麻はその痛みで悲鳴を上げ、更に行われる村雨の自分への愛撫に頭の中が混乱して、どうにかなってしまいそうだった。
「 おとなしくしてなって…言っただろうが」
  厳しい口調で村雨は言い、ぎらついた眼を向けながらぺろりと苦痛に歪む龍麻の唇を舐めた。その表情が、発してくる氣が、いつもの闘いの時の村雨のようで、龍麻は絶句し、益々身動きが取れなくなった。
  村雨は慣れたような所作で龍麻を裸にすると、身体のあちこちに刺激を与えながら激しい愛撫を繰り返していった。龍麻が痛みと快感とでうめくと、村雨は余計それに煽られたかのようになって、動けない相手を好いように弄び続けた。
  そして村雨の熱が、汗の臭いが龍麻の遠のきかける意識を繋ぎ続けた。
「 ど…し……」
  どうして何故と問い掛けたくて、喉の奥から音を出そうと龍麻は唇を戦慄かせた。それでも、村雨はそんな龍麻の所作を妨害するように、乱暴な口付けでその行為を妨げた。
「 ふ…っ、んぅ…!」
  しつこく唇を吸われ、どちらのものとも言えない唾液が口許から流れた。それを拭う事もできないまま、龍麻は呼吸すらままならない状態を強いられ、ただ喘いだ。
「 アンタ…は、ただ黙ってりゃいいんだよ」
「 ……村…」
  冷たい声。ゾクリと身体を震わせると、そんな龍麻の反応に気づいたのだろうか、村雨はようやく静かな声でそっと慰めるような言葉を吐いた。
「 黙って…俺に預けてな……俺が全部貰ってやるから」
「 ……に…?」
  何を、と訊こうとして、けれど龍麻はやはり声を出すことができなかった。ただ目を開いた瞬間にこぼれた涙が、頬を伝う感触だけが記憶に残った。



  翌日は細く長い雨が静かに降っていた。
  龍麻はのろのろとした足取りで、機械的に学校への道のりを歩いていた。身体がだるく、外へ出たくないという気持ちが強かったが、どうしてか部屋にこもっているのもためらわれた。
  朝、目が覚めた時にはもう村雨の姿はなかった。ふと視線を向けたベッド脇には、昨晩無理やり剥ぎ取られた自分の衣服がきちんとたたまれており、リビングには丁寧に朝食の支度までしてあった。
  まるで昨夜あったことは全てが夢だったのではないかと思うほどだった
「 ひーちゃんっ!」
  その時、背後からいつもの元気な明るい声が響いてきた。
「 おはよー、ひーちゃん! 今日は特に寒いね!」
  桜井小蒔だった。龍麻の背中越しに声をかけてきた彼女は、白い息を吐きながらくるくるした笑顔を見せて先に回り込んできた。
「 ………あぁ」
  いつもなら、「おはよう」と言って笑顔の一つも見せられるのに、しかしこの時の龍麻は咄嗟にそのいつもの動作を取ることができなかった。
「 ?? どうかした、ひーちゃん?」
  当然の事ながら、桜井は実に不思議そうな顔をしてから首をかしげ、それから心配そうな表情で龍麻の顔を覗きこんだ。
「 ひーちゃん、何だか顔色悪いけど。大丈夫? 具合とか悪いんじゃないの?」
「 ……何でもないよ」
「 ホント? でも何かー」
「 平気だから」
  深く詮索されるのが嫌で、龍麻は思わずぶっきらぼうに応えてしまった。桜井は多少面食らったようで、一瞬口を閉ざしたものの、すぐに申し訳なさそうな顔になるとしおらしくなって謝ってきた。
「 ご、ごめん、ひーちゃん。何か余計なお節介しちゃって」
「 ……………」
  桜井は何も悪くない。
  そうは思っても、龍麻はどうしても声を出すことができなかった。
  昨夜の村雨の意地の悪い笑みや、身体に残る鈍い痛みが龍麻の神経を尖らせていた。さらに例の手の痛みは、相変わらずズキズキと龍麻の痛覚を刺激していた。
「 ひ、ひーちゃん、あの……」
  はっとして視線を横にやると、すっかり困ったような桜井の顔がそこにはあった。龍麻はもうすっかり意識を逸らせていた相手が一体どうしたら良いのかという顔をして隣にいることに多少胸が痛んで、ぽつりと声を出した。
「 桜井、ごめん。本当に何でもないから」
「 う、うん。分かってる」
「 …………」
「 …………」
  2人の間には気まずい空気が流れた。
  龍麻は、元々桜井と二人きりで話すことに慣れていなかった。確かにいつも一緒にいる仲間の1人には違いないし、桜井自体は龍麻の傍によくいて、いつでも愛らしい笑みで接してくる。
  しかし実際龍麻が彼女と会話を交わす時は、いつでも京一なり醍醐なり、そして美里なりがいて、決して2人で何かを、お互いの事を話すという事はなかったのだ。
  そういえば、2人だけで話したのは、あの食べ歩きの時が初めてではなかっただろうかと龍麻は何ともなしに考えた。
「 ねえ、ひーちゃん」
  その時、再び桜井が先に言葉を投げかけてきた。
「 あの、さ。あんまり気にしないで聞いてほしいんだ。でも、ボクいつか言おうと思ってたんだ。あのさ、ひーちゃんはボクの事あんまり好きじゃないのかな?」
「 ………え?」
  突然何を言い出すのか。
  さすがに面食らい、龍麻が足を止めて桜井を見つめると、数歩先に行ってしまっていた相手は慌てたようになって自分も歩を止めた。
「 あ、な、何言ってんだろうね、ボクは…ッ! ごめんね、馬鹿な事言ってるって分かってるんだけどさっ。で、でもほら、ひーちゃんって、京一や葵とは結構普通に話すのに…何か…」
「 ……俺、桜井と話す時、何か変かな」
「 そ、そういうわけじゃないけど…」
「 ……………」
「 ご、ごめん」
「 何で謝るの」
  ズキンと。
  左手の痛みが増した。
「 あのさ…ひ、ひーちゃんが悪いわけじゃないんだ。ただボクが…もっとひーちゃんとたくさん話したいと思ってるだけ」
  言われてから数秒後に、龍麻が相手の顔をまじまじと見やると、目の前の仲間である少女は薄っすらと頬を朱に染めていた。
  どうしてこんな顔をしているのだろうと龍麻は思う。
  それから、どうして自分の事など構うのだろうと龍麻は思った。

  自分に何かを求められても、困る。

「 ……どうしていいか分からないから」
「 え……?」
「 ………俺、帰る」
「 ひ、ひーちゃん……?」
  何だかいたたまれなくなり、龍麻は不意に踵を返すと、もう桜井の方は見向きもせずに元来た道を戻り始めた。背後から自分の名前を呼ぶ声が聞こえたが、振り返らなかった。
  振り返る事ができなかった。


  以前の自分はどうだったろうかと龍麻は考える。
  気さくに話せる誰かの存在を欲していた事は確かだ。ずっと独りでいられるほど自分は強くはないと思うし、居た堪れない時、気のおけない仲間がいたらいいと考える事は少なくなかった。
  この真神学園に来て、そういった「仲間」に出会って、《力》に目覚めて闘って。その中で自分の得るものはとても大きかったと思う。ただ夢中になって動き、拳を振るった。
  でも今は…。
「 ……やっぱり帰ってきたか」
「 !!」
  ぼんやりとうつろな視線で歩いていたせいか、自分の部屋の前に来るまで、龍麻はその存在に気がつく事ができなかった。
  朝方にはその姿を消していたはずの村雨が、今また龍麻のアパートの前で気だるそうな顔をしたまま薄っすらと笑みを浮かべてそこに立っていた。
「 勘が当たったな。アンタは帰ってくる。そう思ってたよ」
「 ……………」
「 身体は大丈夫かい。まだ起きるのは辛いんじゃないのか」
「 別に……」
  なるべく顔を見たくなくて、俯いたまま龍麻は村雨に篭った声を出した。本当なら口などきかなくてもいいようなものだが、どうしてかこの男を徹底的に無視することが龍麻にはできなかった。
  あんなにひどい事をされたのに。
「 ……明け方は黙っていなくなって悪かったな。ちょいとヤボ用があった事、思い出してよ」
「 ……………」
「 お陰で御門の奴にはぼこられそうになるわ、芙蓉は横でごちゃごちゃ言っているわ、朝っぱらから全くツイてなかったぜ」
「 ………お前が」
「 ん……?」
  ようやく口を開いた龍麻に、村雨が目を細めて問い返す。龍麻は相変わらず視線を横にずらしたままぽつりと言った。
「 お前がそんな台詞吐くなんて似合わないよ」
「 ……そうかい?」
「 ……………」
「 ところで立ち話も何だから、入らないかい?」
  村雨は自分の家のように気軽に龍麻の部屋のドアを指で指し示すと、早く開けてくれと言わんばかりの所作を見せた。龍麻はそこで初めて気分が悪くなり、共に闘った仲間に向かって声を荒げた。
「 俺、お前を中に入れたくないよ」
「 何でだい」
  ただ、そう言われる事は予想がついていたのか、相手は別段驚きも動揺したりもしなかった。それで龍麻も後の言葉を継ぎやすくなったのだが。
「 ……また何されるか分からないから」
「 ヘッ……」
「 何か…おかしい?」
「 いいや」
  村雨はいよいよ眉をひそめる龍麻を楽しそうに眺めてから、けれど次の瞬間はひどく真摯な顔をして言葉を出してきた。
「 しかしそう言う割には、アンタ、別に大して怒ってないようじゃねェか」
「 ………そんな事」
  一瞬、昨夜の強引な村雨を思い出して、龍麻は声を震わせた。
「 あン時は随分嫌がっていたように見えたが、実は案外良かったとか言ってくれたりしてな」
「 やめてくれ……」
  龍麻が一瞬だけ泣きそうな顔になると、村雨は「おっと…」とつぶやいてから両手を挙げて降参のポーズを取ると、やれやれと言った風にため息をついてから苦笑して再び言葉を出した。
「 そんな顔はやめてくれよ、先生? 俺はまた、怒り心頭でつっかかりでもしてくるかと覚悟してたんだがな。すっかり拍子抜けしちまった。やっぱりまだ身体の具合が悪くて怒るどころじゃないのか」
「 ……そうかもしれない」
  龍麻はもう答えるのも嫌だと言わんばかりに吐き捨てるようにそれだけを言い、それから村雨の隣にまで来ると、相手には構わずにドアの鍵を開けた。
「 俺、寝るから。だからお前は帰れよ」
「 ………まァいいけどな」
  村雨は言ってから、 しかし不意に小脇に抱えていた紙袋を龍麻に向かって差し出した。
「 ………何?」
「 昨日アンタが話していただろ。やるよ。どうせ俺のモンじゃねェしな」
「 え……」
  村雨の言っている意味が今一つ掴めずに、龍麻は怪訝な顔をして初めて相手の顔を見上げた。村雨はそんな龍麻に口の端だけ上げて笑んで見せると、すいと踵を返して片手を挙げた。
「 言っておくがな、先生。俺は昨日のことを謝ったりはしないぜ?  責任ならいくらでもとってやるつもりだしな。まあ、アンタは細かい事に気を揉んだりしてねェで、早くその病気を治しな」
「 ……………」
「 アンタの手…身体もか? ……結局治すことができるのは、アンタだけなんだからよ」
「 ……………」
「 俺ができるのは、せいぜいアンタに俺の熱を分けてやるくらいのもんなんだぜ」
「 村雨…ッ!」
  何を言おうと思ったわけでもなく、龍麻が思わず呼び止めると、相手はすぐに振り返ってひどく真面目な視線を向けてきた。その普段は見ることのない眼差しに当てられただけで、龍麻の左手はまたしてもズキンと痛んだ。





  部屋に入り、村雨から受け取った紙袋を開くと、そこには一冊の絵本が入っていた。いやに古ぼけた、埃のついたそれだったが、パステル調の淡い色彩で描かれた青の表紙には微かに覚えがあった。
  本を読むのは好きだった。
  それでも、読んだそばからその話の内容は忘れる事が多かった。
「 なのに、どうして……」
  何気なくつぶやいた瞬間、再び手に痛みが走り、龍麻は手にした絵本を床にごとりと落とした。どうなるわけでもないのに、拳を握り、右手で左の手首を抑えてどうしようもない震えを止めようとする。
  痛み。
  震え。
  恐怖。
  自分は何に怯えているのだろうか。恐れていたのだろうか。
「 ………ッ」
  龍麻は力の抜けたその手を堅く堅く握ろうと、もう片方の右手でゆっくりと自由の利かなくなった左手を包み込んだ。
「 あんな事……」
  わざと声を出してみる。誰もいない部屋の中、自分の声はいやに響いたと龍麻は思った。再び繰り返す。
「 あんなの……」
  許したわけじゃない。あんな事をされて、許せるわけがない。
「 ………ぐ…ッ」
  直接心臓にまで響く痛みを引きずって、龍麻は床に膝をついた。


  俺が全部貰ってやるから……。


  あの時の村雨の声が思い出された。
「 ………雨」
  アイツを、怒る事も罵倒する事もできなかった。それが何故なのか、龍麻にはもう分かっていた。向こうも気づいているだろう。
「 嫌いだよ…鋭い奴は……」
  静かな空間で、龍麻はもう一度だけ声を出した。


  相手の熱を感じた時だけ、少しだけ安心する事ができた。



To be continued…


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