(3)
「 ひーちゃん、ラーメン食って帰ろうぜッ!」
京一が放課後真っ先にそう言って龍麻の席にやってきた。 つられるように、あとの仲間たちもぞろぞろ近づいてくる。けれど龍麻は急いで鞄を持つと、もう教室の外へと向かっていた。
「 ごめん、俺今日はちょっと! お先に!」
「 えっ、ひーちゃん、今日もー!?」
小蒔が名残惜しそうにそう龍麻の背中に叫んだが、龍麻は「 ごめんなー」と言う言葉を残したまま、いなくなってしまった。
後に残された真神の4人は、所在なげに龍麻の席の周りに立ち尽くしていた。
「 ……おかしい」
最初にそうつぶやいたのは、京一だった。
「 うん! ぜーったい、おかしいよッ!」
珍しく京一の意見にそのまま深く頷いたのは、小蒔。
「 この頃ひーちゃん付き合い悪いッ! しかも何処行っているかとか、全然教えてくれないじゃん! 何でボクたちに何にも言ってくれないわけ!?」
「 そうだ! あいつは俺たちをないがしろにしているぞ! 後つけるか、こうなったら!?」
「 京一もそう思う!? 実はボクも前からそう思ってー」
「 おいおい」
半ば暴走気味の2人を止めたのは、やはり良識派の醍醐だった。
「 お前ら、少しは落ち着け。 龍麻が放課後何をしようとあいつの勝手だろう?
それに、何というか最近の龍麻は本当に楽しそうじゃないか。俺はあいつがああ活き活きしている姿を見ると、俺も自分の好きなことを頑張らにゃという気にさせられるが」
「 あっ、そう。じゃあてめえは一人でジムにでも何処でも行けばいいだろうが」
京一が冷たく言い放ち、ふいっと子供のようにそっぽを向いた。
今回ばかりは小蒔も京一の味方だ。
「 だって、醍醐君は本当に気にならないの!? ひーちゃん、ここ一週間ほど、いっつもさっさと帰っちゃうんだよ、ボクたちのこと置いて! あんなに毎日一緒だったのにさ! ボクだってひーちゃんが嬉しそうなのは嬉しいけど、でも、正直言うと寂しいよっ」
「 そうだ! あいつ、絶対女ができたぜ!」
京一が小蒔に賛同しながらも、少々ズレた意見を述べた。
「 あンの野郎、この相棒に黙って絶対彼女作りやがったんだ! 大体、ダチとの付き合い悪くなるってのは、女絡みに相場が決まってるんだからよっ! それを隠しているとあっちゃあ、何としてもあいつの彼女とやらを拝まないと―」
京一が興奮したように述べた言葉は、しかし途中で遮られた。話していた京一当人が、いきなり何の前触れもなく床に倒れ伏したからだった。
「 ねえ、小蒔」
そして、今まで黙っていた美里葵が親友におっとりとした視線を向けた。
「 貴方もそう思う? 龍麻に彼女ができたって…?」
「 えっ? えっ?」
小蒔はさーっと青ざめてから、二歩三歩後ずさりをした。無意識のうちに醍醐の背後に隠れた小蒔は、はははと気の抜けた笑いをしてから片手をひらひらと振った。
「 そ、そんな事、ボクは思ってないよッ? た、ただひーちゃんのことが気になるから…ほ、ほら、
もしかしてまた何かの事件に巻き込まれたのかなあとか、そういうことで心配しているだけで」
「 …桜井、あんなに楽しそうなんだ。 事件に巻き込まれたということはないだろう」
醍醐が冷静な意見を述べると、美里は今度は視線をその良識派へと向けた。
「 じゃあ醍醐君は京一君と同じ考えなのね…。龍麻に彼女ができたって…」
「 いっ! いやっ! 決してそういうわけでは―」
「 じゃあ…どういうわけなのかしら…?」
美里がずいと醍醐との距離を縮めた。 蛇に睨まれた蛙よろしく、醍醐が固まっていると、小蒔が救援を出すように叫んだ。
「 あ、あのさ葵! だからさ、明日! 明日、ひーちゃんのこと尾行しようよっ! でさ、真相を―」
「 尾行…まるで片想いのストーカーがやる行為よね…」
「 うっ!」
「 そ、それじゃあ…やはり明日、本人に直接訊いてみないか?」
醍醐が言った。小蒔は最早この場を乗り切るためなら何でも良いとばかりに、「
そう! そうしよう!」 などと調子が良い。
美里は何やら物思いに耽っているような顔をしていたが、柄にもなくふうとため息をついてから外を見やった。
「 龍麻…。 私に内緒で何をしているのかしら…」
それでも直接本人に訊かないところが、 プライドの高い美里嬢なりの苦悩なのかもしれなかった。
そんな仲間たちの心配をよそに、龍麻はここのところ毎日のように九角と会っていた。正確に言えば、会いに行っている、という方が正しい。
「 てーんどうっ!」
最初こそその大きさに途惑った九角の屋敷だが、今はどうということもない。使用人が龍麻を導くまでもなく、この屋敷の主がいるであろう裏庭にさっさと自ら回りこんで声を張り上げる。
いつもの場所に、その人物はいた。
「 ……また来たのか」
一人で剣を振るっていた九角は、龍麻の姿を認めると思い切り不快な顔をして動きを止めた。そんな歓迎されない相手の態度にも、しかし龍麻はすっかり慣れてしまっていたので、何ということもない。
「 また来た。 へへへ、お前だって一人で刀振り回しているより俺がいた方がいいだろ。相手してやろうか?」
実際、ここ数日間の2人は話をするというよりも、2人で「闘っている」と言った方が収まりが良かった。もう戦いとは縁がないだろうと思っていた龍麻だったが、九角と向き合ってお互いの力を感じ合っていると、ひどく心地が良いと感じていた。恐らく、それは九角にしてもそうだったろう。 言葉はきついが、龍麻を邪険にすることはなくなっていたから。
「 俺、最近また腕上がったって気がすんだよな。 まあ、それってお前のお陰だけど。
お前もそうだろ?」
「 ……ぺらぺらと煩いぞ」
「 んじゃ、黙るから闘ろうぜ! 何か、格闘技おたくみたいだけど」
「 今日はいい」
九角は言ってから刀を収めて流れる汗を首にかけていたタオルで拭った。 ここは現代の東京だというのに、稽古着姿のこの剣士は、どこをどう取ってもやはり江戸の時代を生きる侍のように龍麻には見えた。
縁側に座った九角に龍麻も倣って横に腰を落ち着ける。
間もなく使用人が主と龍麻のためにお茶と干菓子を運んできた。
「 やったー! お前ん家って、いっつもいいもんが出るんだよなー」
「 ……ったく、意地汚ェ奴だ。 お前の頭の中には食うことと闘うことしかないのか」
「 お前だって闘うことと性―」
性欲しか頭にない、と言おうとして龍麻は口をつぐんだ。
去年、自分と戦った九角天童という男はその力も抜きん出ていたが、同時にかなりの女好きのようだった。
菩薩眼である美里には特に執着していたようだが、それとは別次元で、自分の好みの女をはべらしていたようなのだ。現に、九角と戦った等々力不動尊では、最後までそこにとどまっていたらしい多数の女性が後に発見されたのだから。
しかし、今の九角には龍麻が見る限りそれらしい女性の姿というのが見られなかった。
使用人に若い娘は何人かいたが、 別段九角が主の権限を利用して彼女たちを手込めにしているというのでもなさそうだし。
これも記憶を失った九角の変化なのだろうかと龍麻は勝手に思っている。
「 何だ。 何を急に黙りこくっている?」
九角が不審な顔をして問いただしてきた。
「 あ、ああ、何でもないよ」
龍麻がどもりながら首を振ると、九角は相変わらず疑わしそうな目を龍麻に向けていたものの、すぐに視線を自分の刀に向けた。
角度を変えながらその刃先の光具合を見やっている。
それで龍麻も半ばほっとして、同じように九角が手にしていた刀を覗きこんだ。
「 天童はその刀が一番のお気に入りだよな。いっぱい刀あるのに、そればっか使うもんな」
「 当たり前だ。剣をころころ取り替えてどうする」
「 まあ…そうかもね」
龍麻はあっさりと同意してから出された菓子をぱくりと食べ、再び興味深そうに質問した。
「 それ…高いのか?」
龍麻の問いに、九角はもの凄く嫌そうな顔をした。
「 高値で売れるのかと訊きたいのか? …さあな。てめえは、そういうところにしか頭がいかねえのかよ」
「 だって俺、そういうのの価値ってよく分からないからさ。 如月ならプロだから何でも分かるんだろうけど」
「 誰だ」
「 あ、友達だよ。骨董品屋だから、こういう刀とか槍とか…まあ、怪しげなもん結構売ってるんだ」
「 …お前よりは役に立つ人間ということだな」
「 あ! 何だよ、それはー! お前の相手まともにできるのなんか、こう言っちゃなんだけど俺だけだぜ?」
「 ……ふん」
九角は鼻で笑ってから、刀を収めると側の使用人にそれを渡した。それからおもむろに立ち上がると、龍麻の方は見ないで素っ気無く言った。
「 俺はこれから出掛ける」
「 へ?」
唐突に言われたので、龍麻は気の抜けた声でただぼけっとした顔を九角に向けた。
「 じゃあな」
「 じゃ…じゃあなって、何処へ行くんだ?」
「 お前には関係ねえよ」
九角は言ってからもうさっさと歩き始めていた。 龍麻は慌てて立ち上がり、そんな九角を呼び止めた。
「 ちょっと待てって! じゃあ俺も行く!」
「 ………ダメだ」
九角は龍麻の言葉に反応すると、ぴたりと足を止めてただそれだけ言った。それに龍麻はむっとする。
「 何でだよっ。じゃあ、何処へ行くのかくらい教えろよ!」
「 何故だ」
「 何故って…だって俺だってせっかく遊びに来てんのにさ。いきなりいなくなるなんてひどいじゃん」
「 お前が勝手に来ているだけだ。 俺は呼んでない」
「 ……っ」
相変わらず冷たい奴だ。 龍麻はぐっと口をつぐみ、それでもまだ言い足りないというように恨めしい顔をしてみせた。九角はそんな龍麻の顔を見て、呆れたような声を出した。
「 ガキみたいな面を見せるな。 何でそんな顔をされなきゃならない。
俺が何処へ行こうがいちいちお前に言わなきゃならない義理はねえ」
「 ……たくせに」
「 あ?」
ぼそりと言った龍麻の言葉を聞きとがめて、九角は眉を吊り上げた。
「 キスしたくせに!って言ったんだっ」
赤面しながら龍麻は半ば怒鳴るようにそう言った。
しん、と辺りが静かになった。
「 ……それが何だ」
しばらくして九角が言った。 龍麻は余計にかーっと熱くなった。
「 そっ…それがっ!? そ、そんな簡単に言うなよなっ! お、俺にとってはな―」
すごく重要なことだった――そう言おうとして、けれど龍麻はその言葉を出すことができなかった。
九角がひどく迷惑そうな顔をしていたから。
うざったそうな、面倒臭そうな顔。
ズキリと胸の辺りが痛んだ。
「 何だ、龍麻」
黙りこくった龍麻に近づいてきて、九角がすごむように言った。びくりとしてやや後ずさったが、すぐに距離を縮められた。九角の大きな手がにゅっと伸びてきて、そのまま顔を捕まれ、無理やり視線を合わせられた。
「 何か不満か」
「 ふ、不満とか、じゃない、けど…っ」
切れ切れに言葉を出したそれは、しかし何の効力も持っていなかった。
九角は厳しい眼をしたまま、まるで諭すように言った。
「 なら、くだらない事は言うな」
「 だって、天童―」
けれど、龍麻はその先を言うことができなかった。
天童が有無を言わさず途惑う龍麻の唇を捕らえ、激しく貪ってきたから。
「 ん…ぅ…っ!」
乱暴に舌を絡めとられて追い上げられて、龍麻は気が遠くなりそうになった。
腰が抜け、身体ががくんと下がりそうになったところを、九角にきつく抱きとめられた。そのまま尚も口付けは続いた。
どちらの唾液かも分からないそれが唇にまとわりついた。龍麻が顔を背けようとしても、九角はそれを阻んで角度を変えてはしつこく唇を合わせてきた。
「 ぃ…や、だ…っ!」
ようやく龍麻が渾身の力で九角を押しのけそう言った時は、初めから解放するつもりだった相手に、簡単に身をかわされた。
はあはあと息をついで、龍麻は唇を片手で拭うと、非難の眼で目の前の男を睨みつけた。相手は平然としていたが。
「 な…にするんだよ…っ!」
「 して欲しかったんだろうが」
そうして、そんなことをあっさりと言った。そうして龍麻がその台詞にかっと赤面した時には、もう背中を向けていて「行ってくる」 という言葉だけを投げ捨てた。
「 何だよ…っ」
一人その場に残された龍麻は、ぎゅっと唇を結んで俯いた。
「 行ってくる、なんてさ…。 俺はお前のこと待ってる奥さんじゃないってんだよ…!」
けれど実際は、 自身のことをそんな風に感じてしまっている自分がいたわけで。
その時また風がびゅっと吹いて、それは身体に熱を持った龍麻の頬をさっと撫でた。
その夜、 九角は帰ってこなかった。
翌朝、龍麻が眠い目をこすりながら学校への道のりを急いでいると、不意に自分の横を高級車が通ったと思うと、数メートルまで行ってそれは止まった。間もなくしてドアが開き、中からきちんと正装した黒髪の女性が姿を現した。
見知ったその女性は、龍麻を認めると礼儀正しく会釈をしてきた。
「 龍麻様」
「 あ…芙蓉」
何だか久しぶりだなあと思いながらも、龍麻はその感慨を表に出すことができなかった。
「 ご無沙汰致しておりました」
「 ああ…うん、そうだね。 どうしたの、何か用?」
「 それが…」
芙蓉は少しだけ困った顔をしたのだが、思い切ったようになって言葉を発してきた。
「 最近、龍麻様は如何お過ごしなのかと…」
「 え? 最近? …別に…」
すぐに九角の顔が浮かび、龍麻は慌てて首を横に振った。
「 何で?」
誤魔化すように聞き返すと、芙蓉は益々困惑したような顔になった。
「 …美里様に、晴明様とお過ごしだと仰ったのではないでしょうか」
「 え? 俺が? 御門と俺が一緒にいたって? いいや、言ってないけどそんな事」
「 ……そうでございますか」
「 何、一体何なの?」
ようやく目が覚めてきたようになって、龍麻はしっかりと芙蓉の顔を覗きこんだ。
「 …いえ、恐らくは美里様の勘違いだろうと晴明様も仰っておられたのですが、それでもお仲間に心配をかける龍麻様でもないだろうから、少々気にかかると仰いまして」、
「 御門に俺の様子を見てこいって言われてきたの? 俺は別に変わらず平和に過ごしているよ。
そりゃあ…確かに最近あいつらとはあんまり一緒にいなかったけど」
龍麻が言うと、芙蓉はこれ以上は詮索しないとばかりに首を振った。
「 いえ、宜しいのです。 大役を務められた龍麻様がおやりになっていらっしゃること、私なぞが口を出すことではないのですから。
ただ、晴明様と龍麻様が一緒にいらしたという、美里様の疑念だけは、どうぞ龍麻様から―」
「 ああ、別にいいけど。 それで御門は元気? 今何しているの?」
「 ……お屋敷の方で休まれております」
「 あ? 休んでる? …へえ。あの働き者がねえ…。まあ、あいつも俺と一緒なんだろうな。きっと疲れたんだよね」
「 は、はい…」
「 それじゃ、よろしく言っておいて! 俺は元気だから心配しないでって」
「 はい。龍麻様も、どうぞお気をつけ下さいますよう。 女人の想いを侮ると痛い目に遭う…とは、村雨よりの言葉にございますが」
「 はあ? …わ、分かったよ。本当は何だか分からないけど。気をつける。じゃあね」
芙蓉の不安そうな顔に何だかもやもやとした想いを抱きながらも、龍麻はもうとうに授業は始まっているだろう学校へと急いだ。
講義をしている犬神にぺこんと頭を下げてから席につくと、龍麻は急に背後からくる悪寒に驚き振り返った。
そこには美しい微笑をたたえている美里がいて、こちらを見やっていた。
龍麻が口だけで「おはよう」と言うと、 美里もにっこりと笑って頷いた。
それから龍麻が改めて椅子に座り直すと、今度はやや多方面から強力な視線を感じて面食らった。
醍醐、小蒔、そして京一が、授業など頭に入っていないとばかりにしきりにこちらを窺っているのだ。
( な、何なんだ、あいつら…?)
あまりにも熱い視線にびくびくした龍麻だったが、一度机に向かい直ってからぎょっとして、もう一度京一の方を見た。最初は何ともなしに流した親友の顔だったが、改めて見直すと、なるほど違和感を抱いたわけだ、相棒の顔は大きく膨れ上がっていた。
「 きょ…!」
思わず大声を上げそうになって龍麻は慌てて口を閉じた。犬神がじろりとそんな龍麻の方を一瞥したが、構わず話を続けている。龍麻はほうとなって、もう一度こっそりと京一を見やった。京一も恨めしそうにこちらを見やっている。
そうして犬神が黒板に向かった隙に、京一は細かく折りたたんだ紙きれを龍麻に投げて寄越した。
龍麻がそれをすぐに開いて見ると。
そこには汚い文字でこう書かれてあった。
『 せめて遅刻すんのだけはやめろ!! 』
龍麻がきょとんとしてから京一を振り返ると、親友はすっかりふてくされた顔をしてから、ふんとそっぽを向いた。
醍醐と桜井はそんな2人を見て、はあとため息をついた。
美里はそんな4人を見つめながら、 尚も美しい微笑を絶やさなかった。
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