(4)
お前は誰だ。
俺は……鬼。
鬼?
俺は…………お前だ。
「 ねえ、ひーちゃんってば! 何、ぼーっとしてんのー!」
「 えっ?」
はっと我に返って、龍麻は先刻から自分に話しかけていたらしい桜井の顔を驚いて見やった。
いつの間にやら放課後である。
授業の記憶がほとんどない。 どうやら、思いきりうたた寝していたようだった。
「 もしかしてひーちゃん寝てた? 怖い〜。
目、開いてたよ?」
「 嘘? …ああ、でも何かヘンな夢見たような気がするな…」
「 もう、呑気だなあ。 こっちは大変だっていうのに」
「 大変? 何が?」
「 龍麻」
桜井が龍麻の質問に答えようとした時、すっかり帰り支度を整えたらしい美里が笑顔のまま近づいてきた。 桜井があっとなって黙りこくったのは、龍麻には気がつかなかった。
「 龍麻、一緒に帰らない?」
「 え? あ、ああ、うん…」
何となく押されたように頷いてしまった龍麻に、美里はもの凄く嬉しそうな顔をした。
「 それじゃあ、せっかくだから何処かへ寄って帰らない?」
「 あっ、いいね、それ! ひーちゃんとどっか行くの、久しぶ―」
言いかけて桜井はぴたりと止まった。何やら不穏な空気を察知したらしく、あはは、とひきつった笑いを見せてから後ずさりをした。
「 あっ! そ、そういえばボク、ちょっと用事があったんだった! じゃ、じゃあね! またね、ひーちゃん!」
「 え、そう? あ、京一と醍醐は…」
せっかく美里と帰るのだから、桜井が言いかけたように久しぶりに京一たちとも一緒に行動しようとして龍麻が口を開きかけると、遠くで3人のやりとりを見ていた醍醐と京一が慌てたように言ってきた。
「 わ、悪いが、俺も今日はちょっと用があってな…」
「 俺も! ひーちゃん、たまには美里と2人で楽しんでこいよ!」
「 ?? 何か…みんなどうしたの? 何か変だぞ…」
「 ぜ、ぜーんぜんッ! さ、みんな行こう行こう!」
「 おう、 行こうぜ!」
「 そ、そうだな。 じゃ、じゃあな、2人とも」
…そうして、何だか逃げるように京一たちは龍麻たちを置いてあっという間に教室からいなくなってしまった。
「 ……何だよ、あいつら」
「 うふふ。 本当に、どうしたのかしらね?」
美里は何やら楽しそうに笑っていたが、「さあ、行きましょう」と龍麻の先を歩きだした。
龍麻もそれで美里の後を歩きながら、まあ天童の家にはその後行けばいいか、などと心の中でつぶやいた。
「 今日は風がとても気持ちいいわね……」
美里に誘われるままに中央公園を散歩することになった2人は、割と人の少ない道をゆっくりと歩きながらとりとめもない話をしていた。
美里は龍麻の少し先を歩きながら、冬の冷気も気にはならないというように、清清とした顔で辺りの景色を楽しんでいた。
「 何だかこうやっていると…あの戦いが嘘のよう。 龍麻もそうは思わない?」
「 あ、ああ、うん。そうだね…」
本当にそうだ。今はあの時、敵同士だった九角天童という男と何事もなかったかのように一緒にいて…惹かれていて。
あいつもあの戦いを忘れている。だから何だか…あの出来事は全て夢だったのではないかと思えてしまう。
龍麻のそんな思いに気づかずに美里は続けた。
「 でも、あの戦いがあったから…辛いこともあったけれど、宿星があったから…私たち、出会えたのよね」
「 ……うん」
「 私ね、龍麻」
美里はここで歩を止めると、くるりと振り返って恥ずかしそうな顔をしつつも言った。
「 私ね…あなたと初めてあった時…本当に、初めて会ったという気がしなかったの。遠い昔に何処かで会ったことがあるのじゃないかって…そう感じたのよ」
「 本当? 俺は……」
自分はどうだっただろうかと龍麻は以前の記憶を手繰り寄せるためにしばし押し黙った。真神に転校してきて…みんなと出会って、戦って。
天童に出会って。
( 何であいつのことばっかり思い浮かんじゃうんだろ)
龍麻は自分の思考に戸惑いながら、振り払うように頭を振った。
「 龍麻?」
それに美里が不思議そうな顔をする。 龍麻は慌ててかぶりを振った。
「 な、何でもないよ。 ……あ、でも美里」
「 なあに?」
「 あのさ…。美里は他のみんなにもそういう事を思ったのか? 昔どこかで会ったような、そんな気持ちになったのか?」
「 私が感じたのは龍麻だけよ」
美里はすぐに返答した。美里なりのアピールなのだが、やはり龍麻には届かなかったらしい。
「 ……ずっと同じ学校で一緒にいたからかな、それは? じゃ、じゃあさ、たとえば天…九角は?」
「 え…?」
突然、以前の敵の名前が出たことで、さすがの美里も怪訝な顔をした。龍麻は何故だかそんな美里の顔をまともに見ることができなくて、焦ったように下を向いた。
「 ほら…あいつはさ、ずっと美里のこと探していたわけだよな? ずっと…それこそ、ずっと長い間…美里のことだけを想ってさ」
自分で言っておいて、龍麻は胸の辺りがちくちくとするのを感じた。
「 それは…菩薩眼である私が九角君の家と縁の深い者だったから…」
龍麻の言わんとしていることの意図を測りかねて、美里は困惑したように言葉を出した。
確かに、不敵な自信に満ちたあの眼を見て、一瞬でも心惹かれなかったと言えば嘘になる。執拗に自分を求めた九角に、生まれる前の遠い記憶を呼び起こされそうになったことも事実だ。しかしそれでも、美里にとって彼はもう遠い過去の人間であることに間違いはなかった。
「 龍麻、どうしたの急に? そんな事を訊くなんて…」
「 もし…もしもだよ。あいつが…また美里の前に現れたら、美里はどうする?」
「 え?」
龍麻は自分でも突然何を言い出すのだろうと思いながら、思い立ったままに質問してしまっていた。
九角が以前の記憶を取り戻したら。
美里葵という存在を思い出したら、あいつは絶対にまた美里の事を求めるだろう。その時、自分は一体どうなってしまうのだろう。
「 龍麻…言っている意味がよく分からないわ…」
「 あ…う、うん、そうだよね。ごめん…」
「 ただ、そういえば……」
美里が何かを考え込むように言葉を出すのを、龍麻はぎくりとして見つめた。
「 あのね、龍麻…。私、あの人に初めて出会った時…何だかとてもひどい違和感を抱いたの」
「 違和感?」
龍麻が眉をひそめて聞き返したが、美里はそんな龍麻のことを見ていなかった。不意に過去の記憶に引っかかるものを感じたのだろう。慎重に言葉を選びながら美里は言った。
「 何だかうまく言えないのだけれど。あの人のあの姿は、あれだけじゃないような…復讐とか憎悪とかそういった感情以外にもあの人の本当の部分がどこかにあるような…そんな気がして」
「 ……」
「 鬼にまで変生したあの人には、その、破壊や復讐といったような感情がもちろん色濃くあったのだろうけれど、そんな『
あの人の姿』に違和感を抱いたの。ああ、何だか違う。鬼になった彼も九角というあの人には間違いないけれど、決して『それだけ』があの人じゃないって」
「 ……」
「 あ、ごめんなさい。私、どうしたのかしら…」
美里は自分が言ったことに途惑いながら、何やら考え込んでいる龍麻に謝った。
「 でもね…人間って、決して一つでは括れないわ。世の中に陰と陽の理があるように、人にもまた…陰の部分と陽の部分があるのではないかしら? でもあの時の九角君には―」
「 陰の部分しか感じられなかった…?」
龍麻が訊くと、美里は未だ混乱したようになりながら首を振った。
「 分からないわ。でも…陰の部分しか見えない九角君に違和感を抱いたというのは、そういうことなの。彼にも陽の部分はあったはずだもの」
「 誰にでもあるの…? そういう両面って」
「 私はそう思うわ」
「 美里にも? 俺が思うに、その…美里はとても陽の人間だと思うけど」
龍麻が言うと、美里は何事かを含むような笑いで答えた。
「 うふふ。そうよ。私にも…陰の部分があるの。龍麻が見えていないだけ」
美里の慈愛に満ちた笑みを見ていると、龍麻にはそんな彼女から暗い影など見出すことはとてもできそうになかった。
「 龍麻。龍麻にもそういう両面はあるのよ。ただ…貴方は純粋だから、そういう事を意識していないだけ。でも、それはとても良いことだと思うの」
「 …何だか難しいね」
龍麻がため息をつくと、美里はそんな相手を慈しむような目で見やった。
「 そうね。きっと多くの人は、そんな事を考えないで生きている。京一君にこんな話をしたら、きっと『俺は俺だ』って言うと思うもの」
「 あはは。そうだね」
龍麻は親友の明るい顔を思い出してようやく笑った。
そして、もう考えるのはよそう、そう思った。
元々、どうでもいいと思っていたはずじゃないか。九角がどんな経緯で生き返ったところで、自分にとってはどうでもいい。大体自分たちは非常識な戦いを、世間の常識と照らし合わせたら本当に信じられない戦いをしてきていたのだ。
今更何を考えることがあるのだろう。
九角は生きていて、そして今、ただの天童として自分の前にいる。
天童は天童だ。
それでいい。
「 …ねえ、龍麻」
その時、美里が先ほどとは違う声色で龍麻を呼んだ。
「 龍麻、最近様子がおかしかったわよね。私たちを置いてすぐに帰ってしまうし。何かあったの?」
「 え…」
龍麻は困惑した。
美里には九角のことを言いたくなかった。他の仲間にもあまり言いたくはなかったが、美里はまた格別に言いたくない相手だった。
もし2人が出会ったら。
( 何だろ…すごく、胸が痛い)
龍麻は自分の感情に途惑いながら、こちらをじっと見つめている美里に笑って見せた。
「 別に何もないよ? ごめんな、最近付き合い悪くてさ」
「 それはいいのよ。でも、何処へ行っていたのかしらって…」
「 あ、だから友達の家だよ…って、あ、そういえば、俺、御門の家には行ってないよ?」
「 え?」
「 何だか知らないけど、美里は御門と俺が会ってるって思ったんだって? それはさ、違うから。あいつ忙しいし、俺に構っている暇なんかないじゃん」
「 じゃあ…だってお金持ちの家って言っていたから…」
「 あ、ああ、あはは。それは、まあ…」
「 あと、お金持ちの家といったら誰かしら…」
「 ま、まあいいじゃん! そんな事! それよりさ、もう遅くなるから帰ろうよ!」
「 え、でもまだそんなに暗くないし…」
美里がせっかく2人きりなのに、と粘ろうとした時だった。
「 お。よお、龍麻!」
「 あ…」
不意に野太い声が響き、こちらに向かってくる者があった。
「 紫暮!」
「 おう! それに、ご、ごほん。美里さんも一緒か」
「 こんにちは」
美里はにっこりと笑ったが、(せっかくの2人きりを邪魔しないでくれるかしら?)ぐらいのことは思っているだろう。根っからの格闘家である紫暮は、そんな美里のオーラを身体で察知したようだった。
やや焦ったようになっていたが、しかし努めて表には出さないように龍麻に視線を向ける。
「 2人で散歩か! 羨ましいことだな」
「 紫暮は? こんな所にまで修行に来ているわけ?」
「 ああ、今日は醍醐の奴とちょいと手合わせしようと思ってな。戦いが終わって、みんな普通の生活に戻っているようだが、俺のような人間はいつでも拳を交えていないと落ち着かんからな」
「 さすがだね」
自然とそんな言葉が出てから、龍麻は以前の良き戦力だった紫暮のことをやや尊敬の眼差しで見つめた。
しかし、急に龍麻は心臓を射貫かれたような、そんな衝撃に見舞われた。
「 あ…?」
何だ、この胸騒ぎは。 何だ、この不安な気持ちは。
「 あ、し、紫暮…!」
「 ん? 何だ?」
「 あ、いや………」
「 どうかしたの、龍麻?」
何か言いたそうな龍麻に、美里も不思議そうな顔をする。
そんな龍麻自身、今自分が頭の中で思い浮かんだ事をうまく整理できなくて混乱していた。
が、勢いに任せて言葉を切っていた。
「 悪い、紫暮。 その、醍醐の所に行く前に、ちょっと俺に付き合ってくれないか?」
「 ん? そりゃまあ…別に構わんが」
「 た、龍麻?」
「 ごめん、美里! 今日はこれで! じゃ、紫暮、行こうぜ!」
「 行くって…おい、どこへ行くんだ!?」
紫暮は困惑しながら、しかし走り去る龍麻に慌ててついて行った。
「 龍麻…」
一人取り残された美里は、 一瞬呆気に取られた後、ごごごと燃えるような氣を出してつぶやいた。
「 そう言えば…紫暮君の家は大きな道場持ちだったわよね…。お金持ちと言えないこともない…」
かくして、美里の次のターゲットは決まったのであった。
それはともかくとして、 龍麻は紫暮を中央公園の一番奥にある木々が林立する場所まで連れて行くと、振り返って美里がいないのを確認してからほっと息をついた。
「 おい、龍麻。 一体何なんだ?」
足の速い龍麻について行くのは容易ではない。
息を切らせながら、 紫暮は非難がましい声を出した。
「 美里さんに聞かれたくない話でもあったのか? 何で場所を変える必要がある?」
「 ご、ごめん。 ただ…ちょっと、お前だけに相談したい事があって」
「 俺だけにか?」
そう言われれば、嫌な気持ちはしない。 紫暮は一瞬考えるような仕草をしたが、男らしくぴんと伸びた背を更に伸ばすと、ぐんと胸を張った。
「 おしっ! じゃあ、遠慮せず何でも言ってみろ! 俺は自分で言うのも何だが、口の堅い男だ。他でもないお前の頼みだ、俺にできる事があるのなら何でも協力するぞ!」
「 あ、ありがと。でも、ただちょっと聞きたいというか…」
「 何をだ?」
真っ直ぐに紫暮に向かいあわれ、 実際に自分でも何を聞きたいのかよく分かっていない龍麻は一瞬困惑したのだが、それでも思い切って言葉を出した。
「 紫暮はさ…その、今でも《力》を使う?」
「 ん……?」
「 つまり、紫暮が持つ能力…ドッペルゲンガーを」
「 …………」
紫暮は龍麻の問いに対して無表情だったが、しばらくは沈黙したままだった。
そして。
「 ………使わないな」
それだけ、答えた。
「 な、何で…っ?」
龍麻の反応に、 紫暮は先刻とは面持ちの違う様子でふうと息を吐いてから考え込むように腕を組んだ。
「 まあ簡単に答えるのならば、だ。戦いが終わった今、あの《力》はもう必要ない。俺は空手家だ。奇術師や見世物の類に己の身を置こうとは思わん」
「 それはまあ…もう一人の自分を出せてしまうなんて、世間が知ったら大騒ぎだよね」
「 それにな、龍麻」
紫暮はひどく真面目な顔をして言った。
「 俺はお前たちに…いや、お前に出会わなければ、あの《力》をあれ程多用しようとは思わなかっただろう」
紫暮の言葉を龍麻は黙って聞いていた。
「 確かに自分のあの能力に目覚めた当初は興奮もしたし、色々研究もしたよ。だがな…あれは、危険だ」
「 ど、どういう事?」
「 もう1人の自分は、あくまでも『俺』自身だ。だから、俺がそのもう1人の俺を動かせるのは当たり前だと思うだろう? 実際、動かせたさ。だがな…時々、1人を動かしている時、もう一方の俺の意識が飛ぶ事がある。記憶が一時空白になる時があった。
時間が経過するにつれ思い出していく事もあったが、そのままの時もある。言っている意味…分かるか?」
「 な、何とか」
「 そして、俺は俺自身をコントロールすることを難しいと思ってしまう。力に目覚めた当初は特にそうだった。もう1人の自分を外に表出し、それを思うように抑制できるようになるまでに時間がかかった。そしてそれができるようになってからも…俺は常に闘っていた」
「 何と…?」
龍麻が訊くと、紫暮は一間隔後にこう言った。
「 恐怖だ」
「 恐怖…?」
「 ああ。俺は己という魔物と闘っていた。それは常に、俺にとって恐怖の対象だった」
紫暮はそう言ってから、厳しい眼で龍麻を見据えた。
「 龍麻。名のある格闘家はよくこう言うんだ。『 己の本当の敵は、己自身だ』とな。俺は自分のあの《力》に目覚めた時、初めてその言葉の意味を身体で理解した」
「 敵は、己自身…」
自分が出した言葉を繰り返す龍麻に、紫暮は頷いた。
「 俺はまだ未熟者だ。 だから、俺は俺自身のことを理解しているようでいて、本当は分かっていない部分もたくさん持っている。俺はいつも自分に正しく、世間に正しく生きたいと思っている。だが…それを否定しようとする俺も、また存在していたのだ」
「 し、紫暮が? そ、そんなわけ―」
いつも真っ直ぐで、偽りがなくて。堂々としていて頼りになる男。
紫暮は、そんな奴だ。 それは誰もが認めている。
美里の言葉が頭をよぎった。
陰と陽の理――
言ってみれば、龍麻にとって紫暮はまるっきり「陽」の人間である。
しかし当の本人が、自分には暗い部分があるという。それを抑えることが怖いという。
「 紫暮…」
「 今だから言うがな、龍麻。俺は数多の敵よりも、この紫暮兵庫という人間が一番怖かった。闘いで多くの血を浴びる度に、俺はもう一人の俺が笑っているような、そんな気がしていたよ。もし俺の《力》があのまま暴走し、完全に『もう1人の俺』が分離していたとしたら…それは、この俺にとってはもちろん…龍麻、お前の敵にもなっていたことだろう。そしてそうなった時は、俺は死を賭して俺自身と闘い…そして、消えていただろうよ」
「 そんな…」
「 だが、それを止めてくれたのがお前だ」
紫暮はそう言って、ここでようやく笑った。
「 どんなに不安な時も、苦しい時も、お前が傍で闘ってくれたから、俺は俺自身を護ることができた。自分を信じ、己の暗い部分を抑止しながら、真っ直ぐに歩くことができたんだ。お前のお陰だ」
「 な、何を、紫暮…」
「 他の者も似たような事は絶対にあっただろうよ」
紫暮はそう言ってから、龍麻の肩を片手でがっしりと掴んだ。
「 俺はまあ、こんな能力を持っていたから、一番危うかったんじゃないかと自分で勝手にそう思っているんだがな。だが、周りの奴らだって、多かれ少なかれ己の力に困惑し…恐れをなしたり、暴走しそうになったりしたことはあったはずだ。 それをいつも止めていたのが、龍麻、お前だ」
「 ………俺は、そんな大した奴じゃない」
「 もちろん、そうだ」
紫暮はそう言ってから、わっはははと豪快に笑った。
「 だがな、龍麻。そんなお前だから…俺たちはお前について行ったんだ」
感謝している。
紫暮はそう言って、もう一度豪快に笑った。
紫暮に礼を言って別れた後、 龍麻は近くにあったベンチに座ったまま、呆然としていた。
そんな事があるだろうか。
いや、実際自分の仲間内にもいたのだ。 もし九角が、
どこかで無意識に陽と陰の自分とを切り離し…そして別々に行動していたとしたら?
しかし紫暮が言うには、もう1人の自分が消失した場合、無事であるはずのもう1人も自動的に消滅するはずだと言っていたから、もし鬼となったあの時の九角があのまま倒されていたのなら、「今」の九角だって、もうこの世からはいなくなっているはずだ。
では、やはりこの考えは間違っているのか。
しかし、いくら龍麻のことを覚えていないからといっても、あの九角の態度はとてもあの時出会った九角「そのまま」とは言い難い。力を求めるところは同じ。あの不敵な仕草も同じ。けれど、何処かが何かが決定的に違う。
『 俺はな……龍麻』
九角が言っていた言葉が脳裏をよぎった。
『 俺は己自身に勝てるだけの力が――』
「 何であんな事……」
今になってあの時の台詞が引っかかる。九角と初めて出会った時のこと、九角の笑顔、九角の冷たい言葉、九角の…《力》。 やはり、これらはあの時の九角とどうも符号しない。 だが、あいつは間違いなく九角天童なのだ。
「 ああ、もう……っ!」
考え出すとキリがなかった。
そして不意に、紫暮の去り際の台詞が蘇ってきた。
『 龍麻。これはあくまでも俺の場合だ。 人の《力》は千差万別だし、
感情にしろ何にしろ、その起伏には差があるものだ』
だがな、と紫暮は言葉を選ぶようにしながら、ゆっくりと言った。
『 己を否定してはいかん。それが一番危ない。自分が認めたくない暗い部分があったとしても、それを受け入れ、自らの中に溶け込ませておかないと…抑えるだけでは、押し負かすだけでは、恐らく何も解決しないだろうよ』
それが、自分自身に勝つことだと、俺は思う。
「 ……紫暮。俺には分からないよ」
龍麻はつぶやき、そして同時に立ち上がっていた。そしてその勢いのまま、駆け出す。
「 でも…分からないけど…っ」
一つだけ、はっきりしていることはあった。
天童に会いたい。
多分、 九角は何かを知っている。 感じている。 もし、今立てている考えが最も近く、九角が鬼である自分と戦おうとしているというのなら――。
「 天童!」
嫌な予感がした。
自分の元からいなくなってしまうのではないか。そんな予感がした。
「 天童……っ!」
名前を呼ぶと、 九角への気持ちは龍麻の中でより明確になっていった。
天童に、会いたい。
その想いだけが、龍麻をただ真っ直ぐに突き動かしていた。
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