(6)
「 久しぶりだ」
京一が去った後、龍麻の横に胡座をかいて座った如月は、刀を目の前に置いてから素っ気なくそう言った。
「 最近は学校に行っていないそうじゃないか。今日、真神の方へ行ったら、醍醐君がそう教えてくれてね」
「 如月、この刀は…?」
「 預かりものだよ」
如月はすぐに答えてから、会話の主導権は自分が握るのだとばかりに片手で龍麻のその先を制した。
「 そんな事より、龍麻は最近の氣の動向に気づいていたか」
「 氣…誰の?」
「 邪悪な者のだ」
当然だろう、と言わんばかりの様子で如月は言った。
「 どうにも最近、東京のあちこちでざわついた感じがして気にはなっていたんだが。それに誘われて行けば、必ず何らかの足跡も残っていた。……さらに」
如月は龍麻の心根を窺うように見据えてきてから言った。
「 そう感じたのは僕だけじゃなかった」
「 ……どういうこと」
「 《力》を行使しなくなったとはいえ、同じ空気には誘われるのだろう。仲間の何人かも、自分の近辺に感じられた氣には気づいていて、その場所へ僕などより先に行っていたんだ」
「 それで」
「 皆、一様に見た…いや、感じたと言っている。奴の氣を」
「 ………」
龍麻は如月の顔を見ることができなかった。如月は続けた。
「 実際に会ってはいないようだがね。似たような氣だったと言っている。当然、身構えたそうだよ。いつ襲ってくるかも分からないしね。
しかしそのままその氣は去ったんだそうだ。まるで当てが外れたみたいにね」
「 当てが外れた…?」
「 みんな、何かを探しているようだったと言っていた」
「 …………」
「 龍麻、僕に隠している事があるだろう」
如月はいきなりそう言って、厳しい眼で龍麻を見やった。
龍麻はただ途惑ってそんな如月を見やったが、この相手を誤魔化すことなど自分にはできそうもなかった。
龍麻はぽつりと言った。
「 ある、よ」
「 僕だけじゃない。みんなにだ」
如月の厳しい言い様に、龍麻はびくりとした。しかし、如月は容赦がなかった。
「 君は僕だけでなく、蓬莱寺や醍醐君や…君を信用している全ての人に隠し事をしている。それも、以前の僕たちの宿敵のことを、だ」
「 如月……」
「 九角に会ったね」
如月はいきなり核心をついてきた。龍麻はそんな如月から眼を離せずに、ただじっと相手を見つめた。如月にしてみれば九角は必ず倒さなければならない相手。龍麻がどういう風に九角に関わっているかまでは知らないまでも、度台許せる類の話ではないだろう。
しかし、何故如月は知っているのか。彼のことを。
「 龍麻。僕はみんなとは違って…はっきりと九角を見た。彼に会ったんだよ」
「 え…っ」
思わずそれきり絶句してしまった龍麻に、如月は続けた。
「 東京中に蠢く不穏な空気を調べているうちにね。ある仏閣で彼と出会ったんだ」
「 いつ……?」
きちんと声を出せていただろうか、と龍麻は思った。
「 昨日だ」
そして、如月は目の前に置かれた刀剣を再び龍麻に差し出した。
龍麻が受け取ると、如月は言った。
「 そして九角はそれを君に渡すように頼んできた。この僕にだよ。彼は言った。『これを龍麻に』とね」
「 ………これを」
「 僕のことを知っているような、知らないような。そんなあやふやな感じだったがね。僕は九角とのあの最後の戦いの時にもいたから、顔を覚えていても不思議はないが。とにかく、彼はそう言って消えた。まるで風の中へ消えるみたいに」
「 何処へ……」
行ったのか、という問いは途中で消えた。九角からという刀剣を手にし、そっと布を取り去った。すらりと出て来たその姿にはっとする。
九角がいつも使っていた剣。
「 龍麻」
如月が言った。
「 あの時確かに倒したはずの九角を僕は見た。そして、君も会っている。だから僕は今更何故彼が生きていたのかなんてことは問わない。だがね。バカな事を訊いてもいいかな」
「 何?」
「 ………あれは誰だ」
「 ………」
「 おかしなことを言っていると自分でも思うよ。僕は自分で彼のことを九角だと認識したし、君にも彼と会ったのだと告げた。だがね…そう問わずにはいられない」
「 彼は…九角だよ」
「 ………」
龍麻の声に如月は何も言わなかった。そしていきなりすっと立ち上がると、もう訊く事はないとばかりに龍麻から背を向けた。
「 如月……」
「 君が言うのなら、そうなんだろう」
「 何処へ?」
「 帰るんだよ。用は済んだしね」
如月は言ってから、玄関の方へと歩いて行った。龍麻は迷った末、如月を呼びとめた。
「 如月、どうして―」
「 龍麻」
如月は龍麻の訊きたい事が分かっているのか、振り返るとやや腹を立てたような顔を見せた。
「龍麻。君はこの僕を何だと思っているんだ。僕が宿敵と出会って、何もしなかったのが不思議かい。飛水の使命を守らずに、バカみたいに奴の使いを買って出た僕を笑いたいのか」
「 そんなこと―」
だが、実際遠からず不審には思った。如月の性格なら、目の前に自らの敵がいれば、迷わずに力を使うだろう。彼は東京を守る使命を誰よりも強く感じている人だから。
けれど、目の前のその人物は少々興奮したように言葉を発した。
「 僕にだって感情はあるんだよ、龍麻。たとえ相手が敵だろうと―邪気のない者を問答無用にはらうほど、僕は愚かでも冷徹でもない」
「 如月」
「 それに…彼はあの邪気を放った者とは違った。みんなが見た、否、感じたという彼の氣とは…僕は違うと思った。似てはいたがね」
ああ、如月が出会ったのは正に陽の九角。自分が最初一方的に惹かれた九角なのだろうと龍麻は確信した。
九角のことに思いを馳せる龍麻の顔を見て、如月はより一層表情を翳らせると、しかし確りとした口調で言った。
「 龍麻。彼が九角なら、彼は僕の敵だ」
「 ……如月」
「 だがね」
如月は龍麻には言わせずに、一瞬躊躇した後、言った。
「 だが……もし彼が君の知人だというのなら……」
そこまで言って如月は黙した。熱くなった自分を恥じるように俯いてから、如月は再び龍麻に背を向けた。
「 ……すまない。だが今回の件からは、僕は手を引く。龍麻。君がやるべきことなんだろう?」
「 如月………」
龍麻はもう呼ぶことしかできなかった。この愛しい仲間に何と言って良いのか本当に分からなかった。ただ、九角からという刀剣を握りしめて龍麻は俯いた。
「 帰るよ、龍麻」
如月のその声に、龍麻は最後までかける言葉が見つからなかった。
『 お前か、俺を呼んだのは 』
初めて会った時九角はそう言った。それは不快で、そしてどこか落胆したような物言いだった。
九角に初めて出会ったのは、何ということもない、近所の名も無い寺社だ。
あの日、龍麻は何だか家に帰るのが嫌で、何となくあそこへ行っただけだ。
そこに九角はいた。
今思えば、自分こそが九角の氣に誘われたとしか思えない。無意識に九角の氣に誘われてあそこへ行ったのだろうと思う。そして、九角は九角で探していたのではないだろうか。
九角天童という、もう一人の己を。 否、正確に言うのならばその己が残していった「自分が知らない過去を」。彼は辿っていたのではないだろうか。
そしてそれは、陰たる九角も同じことだったのだろう。
《力》に導かれるままに、彷徨っていた。 実体のなくなった陰たる九角は、しかしその凄絶な氣はそのままに、「生き残った」。そうして風に乗るまま、もう一人の己を探していたに違いない。
お互いがお互いを押し負かし、飲み込むために。
紫暮のあの能力が短時間しか保たないように、いつまでも2つに分かったままでいられるわけがないのだ。彼らは共鳴し、やがて闘うことになるのだろう。
ぞっとした。
あの時許容したはずの九角の死を、今自分は拒絶している。
彼を愛しているから。
ならば、自分はどうしたらいい。
彼は自分にどうしてほしい。
「 天童……」
九角からという刀剣を手にし 、龍麻はじっと俯いたまま、しばらく動くことができなかった。
気づいた時は、九角の屋敷の前だった。
九角がまだここに戻っていないことは分かっていた。使用人が知らせに来ないからではない。全てが片付くまで、九角は決してここへは戻って来ない。そう、感じたから。
それでは何故ここへ足が動いたのか、実のところ龍麻にもその理由はよく分かっていなかった。ただ何かに誘われるように、ここに足が向かっていたのだ。
その時、屋敷の表門のところに、ぼおっと人の影が見えた。
「 ………っ!?」
一瞬、幽霊かと思った。
その姿は危うく、儚げで、今にも消えてしまいそうな…そんな感じがした。
人影は女だった。着物姿。一瞬、時代を遡って遠い過去の世界へ迷いこんだのかと龍麻は思った。
「 誰……?」
ゆらりゆらりと怪しげなその女性の影は、しかし龍麻に向かって微かに笑むと、そのまま屋敷の奥へと消えて行ってしまった。
「 ……い、今のは……」
「 奥方様にございます」
その時、不意に背後からそう言う声が聞こえた。
龍麻が驚いて振り返ると、そこにはこの屋敷の一番の使用人らしき―能面のような―男が立っていた。地味で何の特徴もない顔だったのに、龍麻が何処かで出会ったように感じられた男だった。確か、声が誰かに似ていたのだ。
しかし、未だに龍麻はその声の主を思い出す事ができなかった。
「 あ…あの人は? 奥方様って……?」
「 天童様のお母上にございます」
「 えっ…。あいつのお袋さん……?」
あまりにも意外な答えに龍麻は面食らった。そういえばあの容貌、似ていない事もなかったか。
「 あいつにお袋なんかいたんだ…」
龍麻がやや呆然とそうつぶやくと、男は可笑しそうに目を細めた。
「 天童様とて人の子にございます。……鬼か何かと思われましたか」
「 ……っ! 別に俺は…っ」
しかし、実際天童にも母親がいるなどという事実について、龍麻はあまり思いを馳せたことはなかった。やや鼻白んだが、しかし龍麻はここでようやくこの男の、やや龍麻をからかうような態度から、その声の持ち主を思い出した。
「 雷角……?」
鬼道衆のうちの一人。 その卑劣なやり方に憎悪した敵の名前を、龍麻は口にしていた。
「 ………」
相手は何も言わない。龍麻は一歩相手に近づいた。
無論、この使用人は雷角のような残酷な人物ではない。それは分かっている。いつも龍麻をもてなし、迎えてくれる人間だ。しかし、声だけではない。氣も。
似ていた。
「 ………そう名乗っていたと聞き及んでおります」
使用人は静かに言って、龍麻を見やった。龍麻は眉を寄せて相手を見つめ返した。
「 あなたは……あいつとはどういう…?」
すると男はやや寂しげに笑ってから首を横に振った。
「 何の関わりもございませぬ。ただ同じ信仰の下に生まれ育ち、共に九角家に忠誠を誓ってはおりました故、
世間ではあれを私の家族とも兄とも呼ぶのかもしれませぬが。しかし……あの男は冷酷に過ぎた」
「 ………」
「 ですが逆に、私はいつもあの者に言われておりました。お前の光は目障りだと」
何と言ってよいか分からずに、龍麻はただ沈黙していた。
「 幼き頃の天童様は私どもを見てよくこう仰っておりました。『何と人間とは不便なものか。お前たちが一つになれば、きっと完璧な存在となれるであろうに、それは所詮叶わぬことだ』と」
「 ……? 意味が分からない」
「 御神槌…いえ、雷角と名乗っていたあの男は……非道にすぎました。しかしこの私にはない強さは持っていた。天童様はあやつの卑劣さを嫌いもしておりましたが、同時に買ってもいらした」
「 ………」
「 そして、この屋敷を出て行かれる時に、天童様は私ではなく、あの男を供に選んだのでございます」
「 出て行った…?」
「 天童様は昨年の4月頃、急に屋敷を離れられ、お姿を隠してしまわれました。雷角どもが消えたのも時を同じくして。お帰りになられたのは昨年の11月頃でございます。それまで、このお屋敷には一度も姿を見せられておりません」
「 ちょ、ちょっと待ってよ」
龍麻は男の言葉を止め、混乱する頭を抑えながら訊いた。
「 天童は…去年、この家を離れた時期があったのか? いなかったのか、ここに?」
「 左様でございます」
「 何処へ…行っていたんだ」
「 本宅はこちらですが、こちらには病身の奥方様もおりますれば、動きやすい別の場所へ移動されたのかと」
「 それって…戦いやすい場所へ移ったってことか…?」
やはり、この男は自分のことを知っている。
「 あんたたち…全部知っていたのか」
龍麻が警戒の篭った声で訊くと、男は依然表情を変えないままに答えた。
「 天童様は、ご自分の宿命を誇ることもあれば、同時に…呪うこともございました」
「 知っていたんだな」
男ははっきりとした回答は寄越さなかったが、しかしこれだけで十分だった。
「 ……俺、知りたい事があるんだけど」
龍麻は使用人の男を真っ直ぐに見やって言った。
「 馬鹿な事訊いているって自覚ある。でも訊きたい。天童は、あの時の天童なのか?」
「 ……以前に緋勇様が会われた天童様と同じ人物なのか、とお訊きなのでございましょうか」
「 そうだよ」
「 間違いなく、同一人物でございます」
男ははっきりと言った。
「 じゃあ何故天童は俺を知らない。覚えていないんだ?」
「 お忘れなのでございましょう」
いともあっさりとそんな事を言う男に、龍麻はムキになって反論した。
「 ……! 忘れたって…俺のことを!? だってあいつは…全然俺のこと知らないって…」
「 ですから、もうあの事はお忘れなのでございましょう」
「 そんなわけないよっ! だってあんなに激しく戦ったんだ! あいつは鬼にまでなって最後まで俺と戦おうとした! そんな相手を忘れるだって!?」
「 しかし事実でございます」
「 だって…あの天童は…違う。それに、鬼になった天童は、俺が殺した」
言って龍麻はずきりと痛む胸を片手で掴んだ。
「 正直なところ、緋勇様がいらした時は、もう一度天童様を殺めに参ったのかと思いました」
「 な……」
龍麻が絶句すると、男は力なく笑った。
「 天童様が如何な戦いをされ、そうして如何にここに戻られるに至ったのか、私どもには測りかねます。しかし、想いを遂げられなかったのだろうという事は分かっておりました。天童様の苦しむお姿は、たとえあの方が表に出さずとも、私どもには判りますから」
「 ………」
「 ですが、最近の天童様は本当に楽しそうでございました。緋勇様、貴方様のお陰でございます」
「 俺の…?」
龍麻が途惑うのをよそに、男は続けた。
「 同時に緋勇様。貴方様はあのお方をより一層苦しめる存在なのでございます。何かを探されているあのお方には…貴方様は、眩しすぎるのです」
「 ……そんなこと、俺は知らない」
龍麻は呆然と言った後、後ずさった。ひどく傷ついたような気がしたが、しかしもっと傷ついたような顔を、相手の男はしていた。
「 天童様がその剣を貴方様に託されたのは……」
男は言った。
「 それで貴方様にご自分を斬らせるおつもりなのでしょう」
「 な、んだ、よ、それ……」
「 もしくは、その剣で自分と戦えと仰るつもりなのかも」
いずれにしても、と男は今度は厳しい口調になって言った。
「 いずれにしても、あのお方はここにはもう戻られない。そんな気が致します。緋勇様も天童様をお探しになるというのなら―」
いいえ、と男は言葉を消して首を振った。
「 お探しにならずとも、天童様はいずれ貴方様の前にお姿を現すでしょう。 どうぞその時をお待ちください」
「 天童と戦うためにかよ…?」
龍麻が消え入りそうな声で言うのを、男は黙ったまま見やった。
そして、それから男は深深と頭を垂れた。
『 緋勇龍麻か。 知らねェな 』
天童の声。
『 俺が忘れたというのなら、お前は所詮、俺の中でその程度の相手だったと言うことだ』
それなら、それで構わない。
ただ、今の自分の傍にいてくれれば。
『 そんな事は知っている。 いちいち言ってんじゃねえ
』
せっかく告白したのに、あんな風に言って。
そして、抱きしめてくれた。
それなのに。
『 龍麻。 鬼の俺でもお前は俺を―― 』
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