第49話 浄化された世界

  名もない村。
  だだっ広い荒野の外れ。背の高い草木の中にひっそりと隠れるように、その村は存在していた。
  辺りはもう真っ暗だ。
「 龍麻パパ、大丈夫?」
  マリィが心配そうな顔で龍麻の腕をぎゅっと掴んだ。龍麻はそんなマリィに心配ないというような笑みを浮かべた。
「 うん、平気だよ。マリィは? 疲れただろ?」
「 ウウン、マリィは平気! マリィはこういうの慣れているモノ!」
「 あ……」
  龍麻たちと知り合う以前、マリィはジルに利用され多くの戦いを強いられその《力》を用いてきた。
  にこにこと笑いながらそう答えたマリィに、龍麻はズキリとした胸の痛みを感じて少しだけ言葉を出すのが遅れた。
「 ともかくは、今夜はこの村で宿を取ろう。これ以上進むのは危険だ」
  醍醐が声を掛け、先に村に足を踏み入れた。それから龍麻、マリィ、最後にアランが続く。
「 ……む」
  しかし、その村の異変に醍醐はすぐさま表情を曇らせた。
「 妙だな」
「 どうしたの?」
  龍麻が横に来て訊ねると、醍醐は顎で村を指し示すようにしてから声を出した。
「 人の気配がない」
「 え?」
  確かに真っ暗な闇の中、村に入ってすぐの広場にも人はいない。
  周囲にぽつぽつと建っている小さな木造家屋からも誰かがいるような様子は見受けられなかった。
「 明りが1つもついていないってのは変だね」
「 ミンナ、もうお休みしちゃったノ?」
「 ううむ…。俺たちが一度ここを訪れた時は、村人たちがここを離れるような話も聞いていなかったのだが」
「 留守をするとしても全員でいなくなるのはおかしいよ」
  龍麻は言いながら、とりあえず目についた小屋に近づき、そのドアをノックした。
「 すみません。どなたかいらっしゃいませんか?」
  返事はない。
「 すみません」
  龍麻はもう一度だけノックをし、返事を待った。
  やはり応答はない。
「 いないようだな」
「 龍麻パパ!」
  しかし醍醐がそう言った時、いつの間に離れていたのか、龍麻が訪れた家屋の真向かいの小屋からマリィが大きな声を出した。
「 人いるヨ! 誰かイル!」
「 本当、マリィ!?」
  マリィの声に龍麻が慌ててその小屋へ近づくと、中から抑えたような、それでいて必死な声がもれ聞こえてきた。
「 バカ、お前! 声を出すんじゃないよ…ッ」
「 だってママ〜……」
「 !?」
  どうやら中にいるのは中年の女性とその子供のようだ。小さな男の子らしい幼い声が縋るように小さな声を振り絞っている。
「 外にいるの女の子だよ…。きっとこの間村に来た子だもん。中に入れてあげないと大変だよ…?」
「 坊や、だまされちゃいけないよっ。甘い声を出して、ドアを開けた瞬間、連れ去っていくに決まっているのだからね…っ」
「 え…?」
  龍麻がその女性の発言に眉をひそめると、抗議をするようにマリィが声を張り上げた。
「 マリィ、そんなコトしないヨ! マリィ、お友達にナレルヨ?」
「 ママ〜」
「 静かにしなさい…っ!」
「 あ、あの…! すみません…!」
  しかしその声を最後に、中からはコトリとも物音がしなくなった。
  奥へ引っ込んでしまったのだろう。
「 一体何が…」
  龍麻がつぶやくと、マリィがひどく哀しそうな顔をした。
「 マリィ、この間ココへ来た時、ここの子とチョトダケお話したノ。また来たら遊ぼうって約束してたノニ…」
「 マリィ…」
「 むう。確かに…。この村は貧しくとも皆気さくで明るい者たちだったというのに、一体この短い期間で何があったというのだ」


「 浄化された新たなる世界のはじまり……」


「 な…っ!?」
  いつの間にそこにいたのだろう。
  龍麻たちがはたとなって後ろを振り返った時、そこには見知らぬ青年が立っていた。すらりとした背格好。体躯は華奢で、顔色もどことなく青白い。しかし色香を湛えた瞳にどことなく妖しげな雰囲気を醸し出しているその風貌は、どこか頼りないながらも実に美しく闇に映えて見えた。
「 あ、貴方は…?」
  龍麻が恐る恐る口を開くと、目の前の青年は憂いのある顔をしたまま口元に微かな笑みを漏らした。
「 詩人」
「 詩人?」
「 そう…。でも僕は、もう詠う事を忘れてしまった。詠い方を忘れてしまった」
「 は、はあ…」
「 この村の人たちはね、そんな僕と同じなんだ。夜になるとこうして早々に明りを消し、そして暗く深い闇の中で毛布にくるまり小さくなって震えている。生きる事の意味も忘れて、ただ怯えているだけなのさ」
「 こ、ここの村の人たちがどうしてこうなったのか知っているんですか?」
  身を乗り出すようにして龍麻が問うと、青年は少しだけ濁った瞳を燻らせてからじつとした視線を向けてきた。
  それからふいと視線を逸らし、つまらなそうに言う。
「 ……どうもしないさ。ただ勘違いしているだけだよ。毎日何人かがここを去るから…何者か、恐ろしい何かに攫われていると思い込んでいるんだ」
「 毎日人が?」
「 それは…!」
  龍麻と醍醐がほぼ同時に声を出したが、青年はかぶりを振るとどこか遠いところを眺めて言った。
「 彼らは彼らの意思でここを離れたに過ぎない。寂れた故郷を、この世界を捨て、彼らは新しい旅に出たんだ。苦痛も苦悩もない、穢れのない開かれた素晴らしい世界へ、ね…」
「 き、君…一体…」
  龍麻が訝しげな視線を向けた瞬間、青年は即答した。
「 水岐涼」
「 え…?」
「 僕の名さ」
「 あ……」
  途惑いながらも理解したように頷くと、途端、その水岐と名乗った青年はすっと足を踏み出し、龍麻に向かって手を差し出した。
「 え…」
「 君は?」
「 あ、俺、緋勇龍―」
  しかし龍麻が答えようとしているのには構わず、水岐は実に自然な所作で龍麻の右手をすっと取ると。
「 わ…?」
  そのまま唇を寄せた。
「 ちょ―!?」
「 こ、こらお前…ッ!!」
  そして醍醐がそんな水岐にぎょっとして大声を上げようとした時だった。
「 ………」
  水岐は背後に迫る己の危機を素早く察知すると、ぴたりとその動きを止めた。
「 ……こんなに美しい人を目の前に。物騒な真似はやめてくれないか?」
  ふうとため息をつき、水城は龍麻の手の甲に当てていた唇を離すと振り返らずにそう言った。
  自らの背後に立つ、アランに向かって。
「 あ…」
「 龍麻から離れテ」
  アランは水岐に真っ直ぐ銃口を向けていた。
「 ア、アラン…?」
  龍麻がそんなアランの態度に驚いたように目を見開く。水岐もそれでようやく龍麻の手を放し、両手を挙げてそのままアランに向き直った。
「 君は無抵抗の人間を撃つのかい」
「 君が人間だという保障はナイ」
「 ア、アラン、どうしたんだよ…ッ?」
「 ………」
  しかしアランは答えず、ただ静かな目で水岐を見やっているだけだ。
  水岐はそんなアランに別段動じた風もなかったが、再び物憂げなため息をつくと首を左右に振った。
「 この先を少し行った先に空き家がある。この村を出て行った人が僕に譲ってくれたものでね…。君たちは旅人だろう? 今夜はそこで休んだらどうだい。今は宿屋も休業だからね」
  そして誰の返答も待たずに水岐は続けた。既に挙げていた両手を下げ、村の出口へと向かう仕草を取る。
「 僕には僕の眠る場所がある。あそこは君たちに譲るよ。それじゃあ」
「 君を解放するとは言っていナイ」
「 アラン、よせよ!」
  思わず龍麻は声を上げ、今にも引き金を引いてしまいそうなアランに駆け寄った。ぐっとその手を掴み、銃口を地面に向けさせる。
「 どうしたんだよ、アラン! こんなの…アランらしくないだろ…ッ」
「 ……龍麻。何故奴を逃がス? もし彼がここの村人を攫っている張本人だとしタラ?」
「 そ、そんなの…まだ分からないじゃないか、いきなり会ったばかりの人を疑うなんて、そんなの…」
「 ……知らない人間ダカラ危険なンデス」
「 アラン……」
「 龍麻パパ……」
  何やら尋常ではない空気を感じ取ってマリィが心細そうな声を出した。
  間に入るように醍醐がせき払いをしてから声を出す。
「 まあ…確かに得体の知れない奴ではあるが、証拠は何もない。別段敵意も感じられなかったしな。今夜は俺たちも戦闘を重ねて疲労しているし、あいつの言う通りその小屋に留まろう。見張りにもなるだろうし…な」
「 う、うん。じゃあ…交代で寝ずの番だね」
「 マリィもヤル!!」
  しんとした空気の中、マリィの元気な声が夜の空に響き渡った。
  龍麻はそんなマリィの頭を撫でてやりながら、ちらと仲間のアランを見つめた。
  そして。
「 ………浄化された世界」
  もうとうに姿の見えなくなった水岐の姿を追うように、龍麻は夜の闇に佇んだままぽつりとそうつぶやいた。



  《現在の龍麻…Lv13/HP20/MP30/GOLD6940》


【つづく。】
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