第110話 やさしいおうさま |
父上、と。 嬉しそうな弾む声と共に美しい庭園を駆けてくる少年。 龍麻は自分とぶつかりそうになるその子どもを咄嗟に避けようとしたが、その子がすいっと身体をすり抜けていくのを見て驚いた。 少年には、また周りで微笑んでいる人間たちにも、龍麻の姿は見えていないらしい。 否、龍麻はこの場に存在していない。 「父上、見て下さい! 怪我して倒れていたんです、このネコ」 「きゃあ! おお、王子様、それはネコではありません! キラーパンサーの子どもです!!」 「キラーパンサー?」 側仕えらしい女性が悲鳴をあげるのを「王子」と呼ばれた少年は不思議そうな顔をして首をかしげる。懐に抱く小さな獣は、確かにネコというよりは凶暴なモンスターだと龍麻にもすぐに分かった。小さくとも爪が鋭いし、自分を抱いている王子以外の人間には警戒心丸出しで大きな牙を閃かせているから。 「また伴もつけずに外の草原へ出かけたな?」 子どもから「父上」と呼ばれていた男性が言った。柔和な笑顔はとても優しそうだ。 (あ……! あの人! あの塔にいた……お爺さん! 元、徳川国の王様!?) 以前出会った時よりも格段に若いが、間違いない。どこかで見た顔だと目を凝らしていた龍麻だが、瞬間、繋がったその事実に今度は息を呑む。 するとこの「王子」は現徳川国の王……先刻まで龍麻を殺そうとしていた青年の幼い頃だ。 (俺……また、人の過去の中に入り込んだのか……) それは天童の城で戦いの最中に見た出来事と酷似していた。あの時も天童の子どもの頃と……己の小さな時の事を夢見るように目に映したのだ。 「いたい……」 けれどまるきりの夢というわけではないのだろうか。試しに自分の頬をつねった龍麻は、そこに確かな痛覚がある事に眉をひそめた。 「勝手に外へ出てすみません、父上。ですが、私はこの子を助けてあげたいのです!」 「いけません王子様! モンスターはとても凶暴で我ら人間に害をなすものですよ! 子どもの今のうちに殺してしまうべきです!」 「嫌だ!」 「王子様!」 「だってこの子、何も悪い事をしていないもの!!」 ひっしと抱きかかえて王子は周囲の人間たちからキラーパンサーの子どもを隠すようにしてしゃがみこんだ。先刻までの輝くまでの笑顔がなくなってしまい、龍麻も胸が苦しくなる。 「王子よ。では、お前に魔法を教えようか」 「王様!」 けれどひとしきりの沈黙の後、父と呼ばれた偉大な王が、すっくと立ち上がって息子の側に屈み込んだ。 「父上……?」 「ベホマ」 大きな掌を獣の頭の上にかざした王は、小さな声で呪文を唱えた。 《グウゥ……?》 「あ! 傷が! 傷が塞がった! 凄い! 凄いね、ありがとうございます、父上!」 「……息子よ。お前は動物が好きか?」 「はい! この国で生きる全てのものを、私は愛しく思っています!」 「そうか……」 「父上! 私は大きくなったら、人も動物も、モンスターでも分け隔てなく暮らせるような、そんな平和な世の中を作りたいです! 大国である徳川が中心となってこの世界をまとめていけば、きっとそんな理想の世を作れるはずです! だって私たちは、あの勇者様の血族なのでしょう? 徳川国なら、きっとそれが出来ますね!?」 「……そうだな。お前がその真っ直ぐな心根を決して失わずにいてくれるのなら……。――飛水」 ふと翳った表情を見せた王だが、気を取り直したようになって背後へ視線をやる。その名には、側にいた龍麻も驚いた。 音もなく現れ、王子たちの側に歩み寄ってきたのは紛れもなく、あの如月翡翠。 幼い頃の、翡翠だった。 「この子は誰?」 王子が不思議そうな顔をする。しっかりと背筋を伸ばしその場に佇んではいるが、見たところ年齢は自分よりも下のようだ。気安さ故にまじまじとした視線を送っているが、しかし如月はそれにびくとも反応を示さなかった。 「そう堅くならずとも良い」 そんな如月に王が笑った。 「王子よ。これは我が一族を代々守ってきてくれた飛水家の末裔だ。今日からお前につける。これをお前の良き臣とし、また――良き友として、何でも相談すると良い」 「この子、まだ小さいよ? それなのに僕を守るの?」 「飛水はとても強い。そして正しい者だよ」 「ふうん? なら、よろしく飛水! これから仲良くしよう? 一緒に僕の考える平和な世界を作っていこう?」 「御意」 「何だよ〜、そんな堅い挨拶しないでってばあ!」 如月の変わらぬ仏頂面に却って周りに笑顔が溢れる。 王子も嬉しそうに微笑んでいる。とてもあの門の前にいた憂い顔の青年と同一人物とは思えない。 「どうして?」 けれど龍麻がそう呟いた時、だ。 「どうして!? 何でなんだ、こんなの嘘だろう!?」 突然悲痛な叫び声があがり、龍麻は驚いて一歩後退した。 どうした事か辺りはすっかり暗くなり、先刻までの華やかな庭園は見る影もない。そこは地下の神殿で、しかしもうその原形を留めてはいない、人々に忘れ去られた廃墟のようになっていた。 「ここ……黒の竜の……」 けれど龍麻はその場所を知っていた。ここへは天童と共に来た事がある。九角国が信奉していた、黒の竜を祭った神殿。そして九角国のあった場所でもある。 「どういう事だ!? 徳川が九角国を滅ぼしたのは、彼の国が悪しき黒竜を信奉し、その復活を目論もうとしたからじゃないのか!? 我が国への度重なる警告をも無視し、理不尽な戦を仕掛けてきたのは九角の王だったのではないのか!? あの戦いは全て九角に非があったと、どの文献にも記されていたじゃないか!」 「左様……。だからこそ、見ろ、この神殿を。黒の竜を全面に彫った石象……これが奴らが邪神を崇めていたという確固たる証拠ではないか」 側にいてそう不敵に笑い囁く男の顔がよく見えない。けれど龍麻はぞくりとし、思わず後づさった。 何だろう、とてもとても嫌な予感がする。 「嘘だ! そうだと言うのなら、何故こんなにも堅牢な結界を張り、人々の目から遠ざけるような真似をする!? それに……幾ら敵だったとはいえ、既に亡くなった者たちまで愚弄するような真似は我が国の望むところではないはずだッ。このように……死者たちの眠りも妨げるような封じ込め方…っ」 それに、と既に大分成長を遂げている若者―徳川王―は、先刻自分が通ってきた場所だろう先を指差しながら必死に言った。 「あの採掘場は一体何だ!? あんなもの、私は知らない!!」 「フン…一国の王子たるが、自国がやっている事も満足に知らぬとは片腹痛し」 「何っ!?」 「だが、よかろう。俺は貴様がどちらに転ぶか見てみたくてここへ連れてきただけだ。貴様が真実を知りたいというのなら……我が見せてくれる。醜きヒトの性というものをな」 「な、何を…ッ!?」 突然男の掌が王子の額に当たった。そこから闇のように黒い光がぶわりと飛び出し、王子を取り囲む。 「う、うわあああ!?」 王子の苦悶に満ちた声に龍麻はただ震えてどうしようも出来なかった。何とか踏ん張ろうとするのだが、どうしても無理だ。 怖いのだ。 王子の隣にいる、この大きな男が……ライオンのたてがみのように真っ赤な髪を伸ばしたこの……男。 「……ふ……ふふふ。ふふふふふ」 不意に王子が薄気味の悪い笑みを零した。 「何ということだ……。他国の財を手に入れる為に偽りを並べて戦を仕掛けるとは……。豊かな我が国は、他国の屍の上に成り立っていたのか…!」 「………貴様にはそう見えたようだな」 「ふふふ……ははははッ! 皆が嘘をついていた! 何と汚らしい! 卑怯な!」 「……フン……愚かな……」 狂ったように低い笑声を立ててぶつぶつと何事かを呟く王子を男は哂った。 「いとも容易い。ヒトを陥れるのは蟻を踏み潰すより造作ない事だ。一つ火種を投じてやれば、あっさり受け入れ怒りの火を燻らす。実に滑稽だ」 「!」 男の呟きに龍麻はぎくりとなって身体を揺らした。 徳川国が銀を得る為に九角国を滅ぼしたとは、龍麻も天童から聞いていた事だ。九角国が信奉していた黒の竜は本来破壊を招くものなのではなく、人々に安らぎをもたらす良い神であったという。それを邪神として作り上げ、偽りを広げたのは徳川。徳川の方こそが「悪」である、と。 けれど如月は、それが全て真実なのかといえば、それは違うと言っていた。 だからはじめこそ天童の言葉を信じ、徳川国への不信を募らせていた龍麻も、もう一度偏見のない目でこの世界を見なければと思っていた。 そして今、その一片が見えた気がした。 目の前に突きつけられたもの全てが真実を物語るわけではない。 「誰なんだ……あんた……」 その元凶はこの男であるような気が龍麻にはした。 そう、龍麻はこの王子のことを以前にも夢で見ている。思い出した。ゆきみが原の祠で水岐と共にいた青年がこの人ではなかったか。敢えて審判を受けよう、罪深き人間の業を図ろうと嘆きの表情で語っていたあの人の側には。 あの時にも、この赤い男はいた。 「何で……王様を、追い詰めるんだ」 けれどそう怒りの篭もった声で呼んだ龍麻に、不意に男が振り返った。 そうして一旦目を窄め、直後驚きの色を僅かにその表情に湛える。 「貴様……我の闇に、如何にして入りこんだ…ッ!?」 「ひっ…!?」 いけない、そう思った時にはもう遅い。 「何者だ……!」 男の大きな掌が伸びる。怖いと思った。この人は悪いヒト。直感的にそう思い、何とかせねばと思うが足が動かない。 「何て愚かな! 何と醜い!」 けれど未だ側でケラケラと哂っている王子の姿に、龍麻は瞬時目を見開いた。 (でもあの王様は……優しい人だ……!) 何とかしなければ。このヒトを救わなければと龍麻は思った。 《現在の龍麻…Lv21/HP1/MP0/GOLD118050》 |
【つづく。】 |
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