第115話 真実は闇の中 |
「勇者・緋勇龍麻……」 人払いをされた謁見の間で龍麻は若き徳川王と2人きりで対面した。 檀上門での戦いを終えて丸5日。 龍麻は自らも御しがたい疲労の蓄積に随分と長い間眠りに入ってしまったのだが、その間、あの広くて豪華な王室で従者たちに手厚い看護を命じてくれたのは、他ならぬこの王であるとのことだった。 しかしその王自身が、今はとても痩せて、白い肌をより一層透明にしている。≪憑き物≫が取れたといえば聞こえは良いが、明らかに憔悴しているようだった。 「まずは……礼を言わせて欲しい。――ありがとう。本当に」 「い、いえ、お…僕は別に、何も! あのモンスターを倒してくれたのは翡翠たちですし!」 「四神たるあの者らを集結させ、その≪力≫を呼び覚ましてくれたのは紛れもなく勇者・緋勇、貴方の存在があってこそ…。この国から陰氣を消し去り、異形たちを退けてくれた…。この土地の民を、動物たちを守ってくれた。感謝してもし足りない」 「……………」 弱々しい表情ながら、そう言葉を発する王の眼光には力があった。何もかも滅んでしまえば良いと願っていた彼の排他的憎悪は今微塵も感じられない。やはりあの陰の珠を破壊せしめたお陰だろうか。 しかし龍麻がそんなことを考えていると、ふと王は緩くかぶりを振って呟くように言った。 「私にこの国の王たる資格などない。ましてや、生きている価値なぞ」 「えっ…」 「柳生なる魔の者の囁きにかどわかされたなどと言い訳に過ぎない。私は確かに絶望していたのだ。この国にも、自分を含めたヒトという生き物にも、全て。だから壊してしまおうと思った。闇に呑まれたのはそんな私の想いがあの珠と共鳴したからだ。……私は王などではない、ただの咎人だ」 「で、でも!」 「だが」 龍麻が焦って言おうとするのに王は手を挙げて力なく微笑んだ。 そして言った。 「貴方はそんな私に生きろと言ってくれた。生きなくてはならないと」 「……王様」 「その通りだ……。私が犯した過ちのせいで疲弊し、乱れたこの国を建てなおす為にも。また、あの魔の者を倒さんとする勇者・緋勇、貴方の力となる為にも。私は、今私が出来ることを精一杯やろうと思う。……死を選ぶのはその後でも遅くはないだろう」 「そんな……そんな言い方」 今回の異形の出現には多くの犠牲者が出ている。故に王が自分を責める気持ちも分からないではなかったが、それでも龍麻は王の夢を見、彼のこの国への想いや、柳生によって絶望に導かれた彼の経緯を見ているので、王の自身を責める言葉に何か言ってやれないかと必死に思考を張り巡らせた。 けれど何も思い浮かばない。龍麻は密かに嘆息した。 ≪ぐうぅ…?≫ その時、王の玉座の背後に垂れる絹の幕からするりと抜け出てやってきた獣がいた。 「あ! お前はちび! い、いや、もう全然ちっさくないけど!」 ≪グウゥ…ゴロゴロ……≫ 龍麻に「ちび」と呼ばれたキラーパンサーの成獣は、王の横にまでのっそり歩み寄ると、甘えた声を上げて王の手に顔を擦りつけ喉を鳴らした。 目を細めて気持ち良さそうにするその姿で、彼が王に大層懐いているのがよく分かった。 「あ、あの…そのキラーパンサーは…」 「貴方の言う通り、ちびだ。……私が子どもの頃、怪我をしているのを見つけてね。以来、いつも一緒に過ごしていた」 「………」 「だが、いつからだろう。これの姿が見えなくなった。本当に……いつも一緒だった。何処へ行くにも、いつも私を守ってくれた。……それなのに、私はこれがいなくなった事に気づきながら、探そうともしなかった。何も感じなくなっていた。……あの時は、これも遂に私を見限ったのだろうと、ただそう思った」 「そんな…」 「だが、この5日で城内の掃除を始めてね。知らぬ間に入り込んでいた、ヒトに化けた異形や、乱れた城内を良い事に暴利を貪っていた官吏などを捕えたのだ。……そうしたら、そのうちの1人が告白した。ちびを、傷を負わせて城外へ追い払ったと。常に私の傍にあるこれが煩わしかったのだろう、いずれ命を狙おうにも、キラーパンサーの成獣がいてはそれも叶わぬからな」 「い、命を?」 「狙われて当然という気もするが…。そやつらはそれによってこの王都を好きにするつもりだったのだから、捕まえる事が出来て本当に良かった。ちびも怪我を負って近くの森に逃げ隠れたようだが……まさかあのような形で戻ってきてくれるとは」 「え、ええ……」 「しかもあの時の姿で。あれは勇者、緋勇。貴方の魔法か何かなのだろう?」 「い、いえ、そんな! あれは、俺にもよく分からなくて! た、ただ何か強く願ったら……そのちびがいきなり現れたんです」 「最高の贈り物だった」 「……………」 ちびを撫でながら王は言い、それからふと顔を上げて彼は再び龍麻を見た。 「王都を立て直し、魔が滅びるまでは玉座を降りるわけにはいかないが、今日ここへ貴方を1人でお呼びしたのは他でもない。勇者・緋勇龍麻。柳生なる魔を打ち倒し、この地に本当の平和を築いた時――、その時は、どうか再びこの徳川へと戻り、この地を治めてくれないだろうか」 「え?」 「元々この国は勇者のもの。……この国の歴史書には、徳川が勇者の血を受け継ぐ者だなどとまことしやかに語られているが、そんなものは偽りだ。我らはただの略奪者…。この地は貴方の一族のものなのだから、貴方が統治して然るべきだ」 「……は、は? な、何言ってるんですか、王様…?」 「私の代わりにこの国の王となり、この地を治めて欲しいと頼んでいる」 「無理です!!!」 ぎょっとして激しく首を振る龍麻に、しかし王は動じなかった。 「まあ突然このように言われて戸惑う気持ちも分かる。私も性急だったな。しかし、覚えておいて欲しい。徳川一族に王たる資格はない。貴方こそが――」 「ちょちょちょちょっと待って、待って下さい王様っ!」 「そうです、お待ち下さい、王」 「!?」 背後からぴんと通った声が響き渡り、龍麻はどきんとして振り返った。 「翡翠……」 何だかとても久しぶりな気がする。 そこには、この徳川王に忠誠を誓い、この国の為に尽力してきた飛水が――そして、四神としても戦ってくれた如月翡翠が立っていた。 徳川王の父――先代の老王と共に。 「飛水……。何用だ、今は人払いをしているはず、それに――」 「お前が私と会いたくないのは承知している」 戸惑う王の声を掻き消すようにして、先代の老王が口を挟んだ。 それから如月の手を離れ、ふらふらとした足取りながら、しかし確実に龍麻の元へとやってきたその元王は、同じようにひざまずくと龍麻の手を取った。 「勇者・龍麻……この度の戦いでは、よくぞこの愚息を救って下さった。本当に、何度礼を言っても足りぬくらいだ」 「え、そ、そんな、いえ!!」 「この国」ではなく、「息子」と言った。その先王の涙ながらの言葉に龍麻はぎゅっと胸を突かれた。 「陰氣から解放されたとしてもこの息子の私への恨みは容易に解かれるものではない…。また、本当の脅威が完全に去ったわけでもない。しかし、束の間でもこの国が呪いから解放され、そこの飛水をはじめ四神が集い、勇者であるそなたが現れたことで私も己の殻に閉じこもり諦めることをやめようと思った。例え徒労に終わろうとも、この息子ともう一度話をしたいと思ったのです」 「王様…?」 「話? 私には、話などない…っ!」 己の父の言葉を受けて思い切り拒絶の意を吐き、王はぐっと玉座から立ち上がりかけた。ちびが心配そうな顔で見上げる。 如月がそんな王にすっと歩み寄った。 「王、お座り下さい」 「飛水、何故父上を連れてきた!!」 「先王の言葉をお聞き下さい」 「聞く必要などない! 父上は私をだましていたのだ! 善王だ、賢王だと周囲からもてはやされておきながら、その実は、この国が九角滅亡に支えられた偽りの豊穣国だと隠していた! 歴史を塗り替え、自分たちの一族が勇者の血を引く者などという偽りまで述べて…!」 「貴方と同じです。先王とて、九角との戦いの真実は知らされていなかった。ご存知でしょう、あの戦いは数百年も前のことだと」 「ハッ! 知らなかったで済まされるか!? 現に今は知っている! いつかは知らぬが、父もどこかでは知ったのだろう!? それなのに、あの地下の神殿を封印し、ひたすら沈黙を守って――」 「そうだ」 先王がぴしゃりと言い、そして真っ直ぐに若き王を見やった。 「知っていた。先代、先々代よりの意を汲み、そこの飛水に崩れかけていた黒竜の神殿跡を改めて封印させ、衆目に晒されぬよう命じたのはこの私だ。九角の英霊をあのように扱い、見て見ぬフリをし続けた。すでに築かれ、崩すことなど到底できぬ徳川の繁栄の為に…偽りの歴史書にも目を瞑った」 「貴方という人は…!」 「だが! 息子よ……私が何を言おうとも、あの時のお前は何も信じなかっただろう。だから言わなかった。私には私の罪がある…。お前にあの神殿の事を知られ、例え親子としての縁を切られようとも……お前にこれ以上言い訳めいた話をしても無意味であろうと、敢えて口を閉ざしたのだ。――だが今こそ聞いて欲しい。徳川を奇襲し、先に戦を仕掛けてきたのは、紛れもなく九角国。漆黒の破壊竜を我が国に向けてきたのは、当時の九角王なのだ」 「な、何を……バカな! そんな話、誰が…!」 「そうだな。私もお前も、その当時を生きていたわけではない。誰がそれを真だと決めつけられよう。実際、我が国は九角滅亡の折より授かった資源でその繁栄を遂げた国だ。先人たちが遺した書物や語り継がれた証言があると言っても、容易にそれを信じることはできぬだろう」 「………」 「だが、今回の事でもしやと思った。もしや、当時の九角王は、今回のお前と同じ目に遭っていたのではないか、と」 「え?」 龍麻がびくりとして顔を上げると、先王は微かに頷いてから先を続けた。 「現に、僅かながらに残された九角国側の歴史書にも、今回の事が起きるまでは理解不能だった記述が至るところに記されている。陰氣の石、マガダマ、ヒトならぬモノに姿を変えるヒト等…。いずれも戦の記述を比喩的に記載したものかと思っていたが…。この、通常では考えられないヒトならざる≪力≫が、以前の戦いの時にも示されていたのやもしれぬ」 「まさか……。何故……何故、そのような……」 「そもそも崇め奉る神たる黒竜を、例え王とは言え、九角王が戦に差し向けることなど可能だろうか…。その疑問を指摘した学者がこれまで我が国に1人もいなかったわけではない。それに目を向けなかったのは私や、これまでの王たちの罪だ。戦自体の陣頭を執っていたのは当時の九角王、それだけで十分であろうと、我らは我らの醜さを押し隠し、真実に目を向けるのを怠った。……だが、今になって強く思うのだ。実際に戦火を大きくしたあの黒竜。あれを我が国に差し向けた、そして九角王を狂わせた者が別にいるのでは、と」 「………柳生?」 龍麻が呟くと、先王は力なく首を振った。 「それは分かりませぬ。それに、今も申し上げました通り、それで我らの罪が消えるわけではない…。どちらが先に戦争を仕掛けたのか? 最早それは、今は亡き九角国にとっては栓なきこと。我らが彼の国を滅ぼしたのは間違いのない事なのですから…。だからこそ、あの神殿跡を見つけて我が国を疑い始めた息子に、私も九角王襲撃の証跡を話すことを躊躇ったのです」 「…………」 黙りこくる王に、先王は静かに、しかし確りとした口調で言った。 「我らは過ちを犯しました。ですからせめて今からでも、今後は自国の為のみならず、周辺各国の人々の為にも尽力すると誓うのみです」 「……王様」 「息子よ。お前も……」 語りかける先王に王は最初何も答えなかった。 しかしやがて。 「……貴方に言われるまでもありません。ですが私は、やはり貴方の言葉は信じられない。――今はまだ」 広い謁見の間は暫し奇妙な空気が流れたが、龍麻にはその沈黙を破ることが出来なかった。 如月も同じだ。龍麻はそんな如月の感情の見えない顔を見つめた後、居心地の悪さを感じて俯いた。 《現在の龍麻…Lv22/HP150/MP120/GOLD123050》 |
【つづく。】 |
114へ/戻/116へ |